2023年8月29日火曜日

『愛國防空小説/空襲警報』海野十三

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大日本雄辯會講談社 少年倶樂部七月號附錄
1936年6月発売



★★★    日本を襲う者




戦前日本の少年達を熱狂させた雑誌『少年倶樂部』の附録(72頁)として発売されたもの。第一次近衛文麿内閣が「国民精神総動員運動」をブチ上げたのはこの附録本が出た翌年の昭和十二年夏。それよりも前から海野十三は、もしも他国から空襲を受けたら我々日本人はどうするのかというテーマで昭和七年に「空襲葬送曲」昭和八年には「空襲下の日本」「空ゆかば」を執筆していた。




この『空襲警報』はS国、つまりソ連による日本への攻撃を想定して書かれているのだが、「ん?なんでソ連が?」と思う方もおられよう。これについては三一書房版『海野十三全集第四巻 十八時の音楽浴』、瀬名尭彦の解説が詳しい。簡単に言えば、満洲事変以降ソ連は極東での軍備を強化したため航空兵力が侮れないものになり、決して東京空爆もあり得ない話ではなくなっていた。その辺の国防意識を児童にも知らしめるべく、海野は率先してこのような作品を書いたのであろう。いま彼が生きていたら討論番組や情報番組のコメンテーターやらでテレビに引っ張り出されているのかも。海野って人が良さそうで、断ったほうがいいに決まってるゲスなオファーも快く受けちゃうよなあ。




『空襲警報』は姉の嫁いだ川村國彦陸軍中尉の住まいがある新潟の直江津に弟の旗男少年が夏休みを利用して遊びに行っているところ、バタ屋に化け伝染病菌をばら撒く不審者を発見するシーンから始まる。その不審者はS国人ではなく東洋人。中国人を示唆しているとしか考えられない。その後ラジオの緊急ニュースが「S国機が内地を空襲するため接近中」と放送、一気にストーリーはパニック状態へ。旗男少年は姉に諭され病身の父母を守るため東京行きの列車に飛び乗るが、その道中においても空から散布された毒瓦斯が降ってくる。

 

 

執筆の主旨からして日本軍より庶民の姿を中心に書かれており、フィクションとはいえこういった空襲の際でも流言飛語が発生して余計に事態を悪化させているのが目に付く。実際に数年後、日本本土を空襲するのはアメリカ。我々は大東亜戦争の末路を知っているだけに、資源も無いのだからこのあたりで無謀な戦争は止めておくべきだった・・・とかありきたりな事しか言えないがしかし、本作に関する書誌問題だけはしっかり書いとかなくちゃね。

 

 

ずっと言い続けているように『海野十三全集』に限ったことではなく、三一書房の本は言葉狩りが酷い。本日紹介している初出ヴァージョンの「空襲警報」にて普通に使われている〝満洲〟〝気違病院〟といったワードが『海野十三全集第四巻 十八時の音楽浴』では一切合切消し去られている。〝不具者は非戦闘員ですね〟という旗男少年の言葉も跡形も無い。解説パートはいいけれど本編は話にならず、復刊を行う版元の姿勢としては失格。

 

 

 

(銀) 海野と同じスタンスとは言えないが、直木三十五も満州事変後に『日本の戦慄』という著書を発表している。当Blogで扱う対象に該当するかどうか何とも言えない作品だが、いつか取り上げてみるかもしれない。



2023年8月27日日曜日

『續人譽幻談/水の底』伊藤人譽

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龜鳴屋
2008年1月発売



★★★★   盛林堂と日下三蔵が出した『ガールフレンド』より
         こっちのほうがずっと持っている価値あり





「気味のわるい小説を書く叔父さま」、義理の姪に当たる女性が伊藤人誉のことをそう言ったそうだ。1913年(大正2年)生まれということは、年齢的には大阪圭吉の一つ下になる。あの世代の人だと知って作品を読むと、また味わいも増してくるかもしれない。彼の書いたものを人はミステリ/怪談/幻想小説ではなく〝幻談〟と呼ぶ。




龜鳴屋HPを見ると、この『續人譽幻談/水の底』はまだ在庫が残っており今でも買えるらしいので、まだ読んだことがない方のために紹介しておきたい。というのも、日下三蔵が底本協力し先日盛林堂ミステリアス文庫が出した『ガールフレンド/伊藤人誉ミステリ作品集』(☜)は好感を抱けるようなものではなかった。あれに比べたら本書のほうが内容的にも造本的にも格段優れており、興味のある方は龜鳴屋に通販で注文して是非手に取ってみるといい。




ここに収められている作品にも〝性〟の香りを発しているものがある。「溶解」は主人公の男と山中の自然しか出てこないのに、なんとも蠱惑的な世界が広がる。「水の底」では医者である語り手の〝わたし〟が住む建物の五階の住人・永本誠一が「娘とふたりで居るとどうにもならなくなって、絞め殺しそうになるので助けて下さい」と縋ってくる。彼の苦悩を表現するにあたって単なるキチガイ扱いになりそうなスレスレのところを微妙に躱しているのが特徴。

 

 

エッセイ然とした「ふしぎの国」と、散骨を題材にコクトーを思わせる海のファンタジーを描いた「肌のぬくもり」は掌編。「落ちてくる!」はブラック・ジョーク的な要素もなくはないが、老女の死後を語るエピローグはそこに至るまでの病室シーンと若干釣り合っていない気もした。

 

 

最後の一行に決め球のフォーク・ボールを投げ込んだような「鏡の中の顔」も掌編。「夜の爪」は男と女の性愛の話だが、しんねりむっつりとした女の描写が怖い。爪の伸びる擬音を〝にっ〟と表現しているのもなんだか背中がムズムズする。

 

 

最後の「われても末に」は最も枚数があり、ほぼ中篇。人誉からすると一番難産だったそうで、「半世紀も苦吟していたため最初の思惑とは大きな隔たりを生み、なめらかさを乱しているような思いのする個所もある」と語っている。確かに結末に向けてまっしぐらという風情ではなく、やや振れ幅があるのは否めないものの、読み終えて不満みたいなものは一切湧かなかった。

 

 

巻末には松山巖が寄稿した「魔賊の囁き」添えられているが、これが適任の人選による心地良い文章で、レアだの稀少だのとセコいことしか解説に書けない日下三蔵とは雲泥の差なのが一目瞭然。同じ作者の本でも作り手の品性によってこうも印象が違うものかと思わせてくれる一冊である。

 

 

 

(銀) 本書は五百十四部限定制作。本文360頁、A5変刑上製本で3,124円(税抜2,840円)。真っ白な堅表紙は読めば読むだけ、ともすると手垢が付いてしまったり雑に書棚に置いといたらヤケて変色してしまいそうだから、そこはデリケートに扱いたい。



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2023年8月25日金曜日

『八角関係』覆面冠者

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論創ノベルス004
2023年8月発売



★★★★  〝バッタもん〟なりの美味




作者の正体が誰か解らなくて、推理雑誌ではないカストリ誌『オール・ロマンス』に連載されていたからか、今まで好事家の話題にのぼる事もなかったこの本格長篇。有閑な河内家の三夫婦が暮す広壮極まる洋館に野上夫婦も移り住み、八人の男女が同居するようになったのだが、表向きとは裏腹に四組の夫婦とも(それぞれ程度はまちまちながら)相思相愛とはいえず、情欲に心溺れてゆく。



   河内秀夫

【河内三兄弟の長男。三十五才。妻は鮎子。正子を欲している。】

 

   河内鮎子

【二十五才。夫は秀夫。野上丈助によろめく。】

 

   河内信義

【河内三兄弟の次男。三十二才。妻は正子。洋子を欲している。】

 

  河内正子

【二十二才。貞子洋子正子三姉妹の三女。付き纏う義兄・秀夫を迷惑に思いつつも・・・。】

 

   河内俊作

【河内三兄弟の三男。二十九才。妻は洋子。貞子を欲している。】

 

   河内洋子

【二十六才。貞子洋子正子三姉妹の次女。夫・俊作の冷たい態度に悩み惑う。】

 

   野上丈助

【捜査課警部補。三十四才。妻は貞子。鮎子に惹かれ警察を辞めてしまう。】

 

   野上貞子

【貞子洋子正子三姉妹の長女。女流探偵作家。三十才。夫は丈助。女の扱いが幼い俊作の求愛を適度にあしらっているが・・・。】





連載時には〈愛欲変態推理小説〉の角書きが付いていたそうだが、ヘンタイっぽい下種なシーンは無い。むしろ官能小説の様相を見せつつ馬鹿馬鹿しいほどに男と女が絡み合うので、だんだんエロいムードを通り越して、コントを見せられている気にもなる。パートナー以外の身近な異性に常時ムラムラしていられるんだから、この人たちきっと毎日楽しいだろうなあ~。何故彼らがこんな事になっているのか、その理由は最後に明かされるのだけど。

 

 

本格ミステリとして攻めているとはいえ、ある程度海外ミステリを嗜んだ人からすると、どこかで見たようなトリックのアレンジが繰り出されているのにすぐ気付く筈。カバー表紙に犬の横顔が刷り込まれているのは読者へのヒントの一つ。二十頁もある横井司による解説は読みがいがあり、その中で本作を執筆した作家の有力候補として「十二人の抹殺者」を書いた輪堂寺耀の名を挙げている。

 

 

或る邸の中で大人数の身内に次々犠牲者が発生するところなどは成程「十二人の抹殺者」に近いものを感じる。ただ、下段にリンクを張っている過去の当Blog記事にて取り上げた輪堂寺耀作品と比べたら、この「八角関係」のほうがより読みやすく小綺麗な文章に思えるのは気のせいか?解説のあとの〈註〉も横井司が書いているらしく、〈註11〉ではこれまで若狭邦男が記してきた輪堂寺耀に関する情報の中には眉唾な部分があると指摘。まさにそのとおりで普通に国語の読解力がある人なら若狭の書くものにはあやふやな部分が多すぎることに気付かないほうがおかしいのだ。

 

 

作品自体は「十二人の抹殺者」同様にバッタもん臭が濃厚だけど、発売する価値は多いにあると思う。でもねえ、相変わらずの論創社クオリティというか、解説の文中にて〝愛子〟という名前が散見されるのだが、そんな登場人物は出てこない。すべて鮎子をタイプミスしたものである。本編はせっせと校正しても巻末部分でやらかしてしまうのがここの編集部。

 

 

 

(銀) この三年以内に出た論創社の日本探偵小説本の中では一番面白かった。少し前だったら「★5つ以上!」などと言って褒めていただろう。でも残念ながら、これ一冊出したところであの会社が失った信頼は一気に取り戻せるものでもない。まったく出なくなった論創ミステリ叢書、何がしたかったのかよく解らない論創ミステリ・ライブラリ、何度も高木彬光を出すと言いながら一向に発売されぬ少年小説コレクション。黒田明の〝出す出す詐欺〟ツイートはいったいどういうつもりで発信しているのか?

 

 

この『八角関係』が属する〈論創ノベルス〉は例の公募企画「論創ミステリ大賞」のために用意されたそうで。第一回大賞受賞作の本は売れているのだろうか。今回の『八角関係』、横井司が見つけ出したのなら労いの言葉をかけたいけれども、初出誌が『オール・ロマンス』だと聞くとカストリ雑誌やエロ系が大好物な黒田明が発見して鬼の首でも取ったように推したのかもしれないし、喜べるものもあんまり喜ばしく思えなくなる。

 

 

『八角関係』の作者・覆面冠者をBlogのラベル(=タグ)分類上どう扱うか少し迷った。横井司の推測も十分頷けるし、いっそ〝輪堂寺耀〟ラベル内に収めてしまおうかとも考えたが、決定打に欠けるところもあり当面は〝覆面冠者〟として扱うことにした。





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2023年8月23日水曜日

『真田十勇士』柴田錬三郎(原作)石森章太郎/すがやみつる(まんが)

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学習研究社
1975年7月発売(第2巻)



★★    マンガはこの先も復刻されなさそうだけど
          NHK人形劇の映像はやっぱりもっと観たい




前回のつづき、というか〝おまけ〟。
NHK連続人形劇が「真田十勇士」を始めるので、学研はそれにタイアップした描き下ろしマンガを売り出そうと考えた。ここからは、あくまで私の想像。

八犬士も十勇士も、言ってみれば歴史上の戦隊もの。戦隊もののマンガで真っ先に思い付くのは「サイボーグ009」、〝そうだ石森章太郎先生にお願いしよう!〟でも売れっ子の石森にこの仕事を引き受けられる余裕はとても無い。ならば石森のアシスタントで、三年前【石森章太郎(原作)】クレジットのもと『仮面ライダー』シリーズの作画を担当、正式デビューを果たしていたすがやみつるに描いてもらえばいいじゃないか。ストーリーの叩き台はNHKから番組台本を回してもらうかして、とりあえずキャラクターデザインのみを石森、それ以外すべての執筆はすがやにやってもらおう。

そんな感じで「真田十勇士」コミカライズ企画が始まったとみても不自然ではなかろう。

 

 

すがやみつるの『真田十勇士』を読むと、皮肉にも柴田錬三郎原作の良いところと悪いところがより浮き彫りになってくる。「新八犬伝」にはそれぞれの犬士ごとにわりかし知名度のあるエピソード(例えば女田楽師に化けた犬阪毛野が果たす父の仇討ち等々)があって、物語全体の流れもなんとなく掴みやすい。しかし「真田十勇士」は真田家の流転/豊臣vs徳川の睨み合いこそすぐ頭に浮かぶわりに、十勇士ひとりひとり大衆によく知られているエピソードが無い。「猿飛佐助の活躍譚って何だっけ?」と訊かれてハッキリ答えられる人がどれぐらいいるだろうか。

 

 

いや、なにも「真田十勇士」に見るべきところ無しと言ってるのではない。序盤で佐助の師匠・戸沢白雲斎を暗殺する地獄百鬼は柴田錬三郎作品にふさわしい妖気漂う悪役キャラで、のちのちまで物語に絡んできたりする。ただ十勇士の顔ぶれを見ると、立川文庫の時に存在していた海野六郎/根津甚八/望月六郎の三名は柴田錬三郎版「真田十勇士」では出てこなくて、その代わり高野小天狗/呉羽自然坊/真田大助が設定された。主役の佐助をはじめ三好清海/高野小天狗/霧隠才蔵/穴山小助には見せ場が多く持たされているからいいものの、残りの五名(筧十蔵/由利鎌之助/為三入道/呉羽自然坊/真田大助)は若干存在感が薄い。八犬士ほど全員に均等感が無いのは瑕瑾。十人って多すぎるのかも。

 

 

そういった弱点に加え、「真田十勇士」は当時の人形劇映像が「新八犬伝」以上に残っていないから尚更苦しい。その結果、読者が十勇士個々の印象的なエピソードを想起しにくいため、(前回の記事で紹介したノベライズ本『真田十勇士』にもやや同じ印象を感じたのだが)特にすがや版『真田十勇士』は話が超特急すぎてシバレンが人形劇のために創作したストーリーの味わいがガッツリと出しきれてないような感触が残るのだ。コミカライズなんてどれもそんなもんだし、まして本書はターゲットが小学生なんだから、改めて指摘するほどでもないんだけどね。

 

 

逆にマンガ版の良いところは、華やかさをグッと抑えて作られた辻村ジュサブローの人形に寄せることなくPOPに全キャラクターがデザインされているので、人形劇だと忍者にしては神経質そうで明るさが感じられなかった佐助が本書ではいかにも主役らしくハジけて描かれている点かな。作品全体を俯瞰するとシリアス6:コメディ4。巻頭ページがカラーだったりカバー裏面にも見る箇所があったり、子供向けにしてはよく出来ている本だと昔は思った。


                    

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ノベライズ本『真田十勇士』が一度だけでも集英社文庫より復刊されたその陰で、すがやみつる『真田十勇士』は意外にその存在を知られてないのか、カルトな需要に留まっているようにも見える。古書市場に全八冊セットで出ると結構な値が付いてしまうし、だから私は(たとえノスタルジー込みであっても)復刻を望んでいたのに・・・。ここまで来てしまうと、もう再発は実現しなさそう。

 

 

これも想像にすぎないが、十勇士というだけあって、本来学研サイドはすがやみつる『真田十勇士』を全十巻で完結させたかったのでは?日本放送出版協会版ノベライズ本が全六巻のところ全五巻で終わってしまった影響はこちらにもありそうで、本作の終盤はとんでもなく駆け足に終わる。真田家全滅ではいくらなんでも悲惨すぎるとNHKが危惧したか、人形劇では佐助たちが豊臣秀頼を蝦夷地(北海道)に逃がして終わるけれど、あの中途半端な終わり方も良くなかった。

 

 

真田幸村を題材に選んでしまった以上、〝滅びの結末〟にならざるをえないのは最初から解っていたこと。だったらどんなに悲惨なエンディングであれ十勇士は全員、主の幸村と共に討死して終わるべきだったと私は思う。





(銀) ノベライズ本もコミカライズ本もあまり良い評価にできなかったけれど、それは「新八犬伝」と比較しての話であって、このあとの連続人形劇「笛吹童子」「紅孔雀」「プリンプリン物語」「三国志」より「真田十勇士」が劣っているなんて言うつもりは毛頭無い。



これでもし近い将来「真田十勇士」の映像がドバッと発見され、それを我々が手軽に観られるような状況になったなら、今回抑えめにした評価はドカーンと跳ね上がるかもしれない。




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2023年8月22日火曜日

『真田十勇士』柴田錬三郎

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日本放送出版協会
1975年5月発売(第一巻)



★★★    「新八犬伝」ほどウケなかった理由





大成功を収めた「新八犬伝」の次にNHK連続人形劇が企画したのは「真田十勇士」(昭和5052年)。「八人の犬士達がひとりひとり姿を現わして主君のため活躍する話がウケたことだし、今度は十人の勇士で行ってみよう」、スタッフの胸の内はそんなところだったんじゃないかな。「新八犬伝」と共通しているのは勇者の集結、そして前作に引き続いての辻村ジュサブロー人形制作。それ以外の面では一見同じような時代ものであれ、受ける印象はだいぶ違っていた。




「新八犬伝」のオリジナルである『南総里見八犬伝』が江戸時代から大衆に読み継がれてきた古典だったのに対し、「真田十勇士」の起源はややファジーで明治末期の立川文庫だと云われている。それなりに戦後の日本人に認知されてはきたが、「真田十勇士」には『南総里見八犬伝』ほど鉄板の原作がある訳ではなかった。柴田錬三郎に白羽の矢が立ったのは、彼のそれまでの著書の中に『真田幸村』『猿飛佐助』があったからだと思う。

 

 

TVで人形劇になった「真田十勇士」を当時の私はこんな風に観ていた。

〝悪くないんだけど、『新八犬伝』に比べると音楽(メイン・テーマ/挿入歌含む)も人形たちの表情も語り手のノリも渋すぎるし地味になっちゃったなあ。主人公・猿飛佐助の性格からしてナイーブというか内向きだし。〟

〝八犬士が仕える里見義実は名君なのに、真田幸村と十勇士が命を捧げる豊臣家の実質的な主であるオバハン(秀吉が死んだあとの物語終盤、このポジションに来るのは淀君)はヒステリーなだけで、秀頼は幼過ぎてとても徳川家康には太刀打ちできん。こんな豊臣家に忠誠を誓ったってバッド・エンディングにしかならないじゃん。〟

愚かな主(淀君)のために徳川家と戦うなんて、あの頃番組を観ていた子供達には共感を得にくかったんじゃないの?最後に勝つのは悪(=徳川)なのだから。

 

 

「新八犬伝」は最初から馬琴の原作を石山透がすべて再構築して脚本を手掛け、前に紹介したノベライズ本『新八犬伝』(下の関連記事リンクを見よ)では坂本九・名調子の下支えである石山透の脚本を損なわないよう、重金碩之がうまいこと文章に置き換えていた。でも「真田十勇士」の場合、この記事で取り上げているノベライズ本の作者は柴田錬三郎になってはいるが、彼は番組の脚本まではタッチしていない。ノベライズ本『真田十勇士』には前述の重金碩之のような代筆者がいたなんて情報こそ無いけど、シバレン自ら執筆したかどうか100%は信用できぬ。もっともこの記事の左上にある書影を見てもらうと〝私が書き下したこの本によって、ストーリーが展開しているのです。 柴田錬三郎なんてキャッチ・コピーが帯に刷り込まれており、微妙なことこの上ない。

 

 

ノベライズ本『真田十勇士』は平成28年に集英社文庫から復刊されたとはいえ、カバー表紙に辻村ジュサブローの人形写真をまったく使っておらず、当時の視聴者がすぐに気付くほど目に留まるような装幀ではなかったため、実にマズい再発だった。翌平成29年角川文庫から出た再々々発のノベライズ本『新八犬伝』は一応買ったが、集英社文庫版『真田十勇士』はあまりにも売り方がお粗末ゆえ買う気が起こらず。だからこの記事で紹介しているのは元本の日本放送出版協会版なのである。

 

 

日本放送出版協会版『真田十勇士』全五巻のほうなら手放しで褒められるかと言えばそうでもなく、日本放送出版協会版『新八犬伝』は挿絵の代わりに番組劇中のスチール写真をふんだんに文中に取り入れていたので、のちのちヴィジュアル面で記憶を辿るのに非常に役立った。それが『真田十勇士』になると、巻頭口絵として劇中のカラー写真を4ページ載せてはいるものの、文中の図版はジュサブロー氏の手になる簡素な挿絵に変更されてしまっている。う~、コレじゃないんだよ。図版の見せ方はノベライズ本『新八犬伝』を踏襲してほしかったのに。

 

 

いま手元にある当時刊行された日本放送出版協会版『真田十勇士』帯の広告文を見ると、【全六巻】と印刷されている巻もある(これも記事左上の書影を見よ)。全六巻?てことは実際五巻で完結してるから一冊早めに打ち切ったのか?このあたりの事情も池田憲章が健在だったら明らかにしてくれたかもしれないのだが、どういう理由によるものなのか私にはわからない。番組そのものは別に打ち切りで終わってはいないもんね。

 

 

 

(銀) 当時リリースされた連続人形劇「真田十勇士」公式本と呼べるものはここで紹介した日本放送出版協会版ノベライズ本全五巻/人形を接写した写真集『辻村ジュサブロー作品集 真田十勇士』に加えて学研から発売されたコミカライズ本(マンガ)がある。そちらも本日まとめてお見せするべく予定していたが、Blogを書いている時間がなくなってしまったので次回に繰り延べ。本日これまで。

 

 

  NHK連続人形劇/柴田錬三郎 関連記事 ■ 

 

『新八犬伝』石山透

★★★★★  新たにTV第86話が発見されたらしい !!  (☜)

 

『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』

★★★★  『新八犬伝』と『真田十勇士』では人形の表情に大きな違いがある  (☜)

 

『第8監房』柴田錬三郎

★★★  どう贔屓目に見ても〝傑作〟ではない  (☜)





2023年8月20日日曜日

時代考証や内容を全く無視したカバー絵を纏わされたジュブナイル本の数々

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テキスト入力もろくにできないのに、打ちあがったテキスト・データを再チェックして見返す事さえせず、読めたものではない本を乱発している連中、そしてそんなゴミみたいな本をありがたがる程度の低いユーザーが棲息していることは度々お伝えしてきましたね。一方で、この十年に亘り、昔の少年少女小説を復刊するのはいいけど、その作品の内容及び発表された時代をまるで考慮していないカバー絵を着させて本を出す輩なんてのもいるんです。



どういう絵かといえば、俗に言うラノベ絵/マンガ絵みたいな感じ。十代や二十代前半の若い子なら、こんなタッチでファンジンだったり同人誌を作ってしまうのも仕方ない。しかしこれからお見せする本の装幀のサジェスチョンを行っているのは、いかにもアニオタ然とした加齢臭漂う五十代以上のオッサンやジイサン。別にね、ラノベだろうがアニメだろうが各自その世界の中でハマって楽しむぶんには誰も文句は言わない。されどいくらジュブナイル作品とはいえ、彼らのヴィジュアル趣味を探偵小説の復刊にまでゴリ押しするのはいかがなものか?もっともこういうのってミステリ・SF以外の小説でも顕著なんだろうけど。

 

 

そんなオッサンやジイサン達のイタイ感覚によって近年復刊されてきたジュブナイル本の書影を見てもらう。言っとくけど以下紹介している小説が発表されたのは今から半世紀以上も前、大正~昭和前期にかけての話である。それを踏まえた上でこれらの書影を御覧になってアナタはどう思いますか?



『少年科学探偵』小酒井不木
(真珠書院/パール文庫/2013年刊)



『あらしの白ばと』西條八十
(河出書房新社/2023年刊)



『西條八十集 人食いバラ 他三篇』西條八十
(戎光祥出版/少年少女奇想ミステリ王国1/2018年刊)



『怪魔山脈』西條八十
(盛林堂ミステリアス文庫/2018年刊)



『あらしの白ばと 赤いカーネーションの巻』西條八十
(盛林堂ミステリアス文庫/2015年刊)



『怪星の秘密 森下雨村空想科学小説集』森下雨村
(盛林堂ミステリアス文庫/2017年刊)




『シャーロック・ホームズ ジュニア翻案集』北原尚彦/編
(盛林堂ミステリアス文庫/2022年刊)





テキスト入力後のチェックが全然なされていない本だけでなく、こっち方面にも盛林堂書房及びあの店にズブズブな顔ぶれが深く関わっており、たいていの方は「またこいつらか」と思われたでしょうね。





(銀) 盛林堂書房が自主制作本の販売を始める前は、角川やポプラ社が先頭切ってこういう勘違いなカバー・デザインを推進していた。その一例を下のリンクからどうぞ。






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2023年8月19日土曜日

『乱歩の軌跡~父の貼雑帖から~』平井隆太郎

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東京創元社
2008年7月発売



★★★★★  『貼雑年譜』から派生したファミリーヒストリー




この本もリリースされてから十五年。時の過ぎるのは早いもんだ。本書の解説にて『新青年』研究会の浜田雄介は、

〝ホームページ『名張人外境』で進行中の中相作「江戸川乱歩年譜集成」は、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試みである。〟

と紹介している。当時『名張人外境』でチラ見せこそしていたけれど、2008年といえば「江戸川乱歩年譜集成」の書籍化はまだまだ先の見えぬ状態であり、中相作は書斎に籠って粛々と作業を続けていた。




その「江戸川乱歩年譜集成」のコンセプトに影響を与えている文献のうち、筆頭クラスに値する一冊がこれ。江戸川乱歩こと平井太郎の長男・平井隆太郎が昭和53年から配本開始された第二次講談社版『江戸川乱歩全集』月報にて連載したエッセイ「乱歩の軌跡~父の貼雑帖から」を単行本化したもの。同じく東京創元社が制作した『貼雑年譜 完全復刻版』を意識したデザインになっていて、こんな所有するのが嬉しい気分にさせる造本の書物は最近めったに見かけなくなった気がする。

 

 

ブックデザインが『貼雑年譜』を思い出させるのも当然で、このエッセイは立教大学の社会学部教授だった平井隆太郎が父の遺した『貼雑年譜』を叩き台にして執筆しているのだ(平井家門外不出の『貼雑年譜』が商品化されるなんて、乱歩が他界して十年ちょっとしか経っていないあの時点ではまだ誰も考えていなかった)。氏の職業柄、その文章はくだけた感じではなく、自分の思いを過剰に吐露することも控え、ユーモア・レスでカチッとしているが、本書には写真がいっぱい収められ、ヴィジュアル面も充実。 




私は乱歩がチャランポランだったは全然思っていないけれど、若い頃の乱歩はひとつの定職に落ち着くことができずコロコロ仕事を変えたり、あるいは家族を放り出して放浪の旅に出る事も多かったから、乱歩言うところのデカダン志向に平井家の人々は迷惑を蒙っていたんだろうなあと想像していたのだが、本書113ページで平井隆太郎は、

 

〝身内から見た父は、もともと至っての正直者、掛値なしに誠実な人柄の持主であった。〟

〝父は決していわゆる怠け者でも不誠実漢でもなかったのである。〟

 

と断言している。下段はまだしも上段のこの言、いくら隆太郎氏が昔気質の人ゆえ家長であった父を尊重するのは当り前だとしても、前述のような乱歩の振る舞いを身近に見ていながらここまで肯定的に語っているのは注目に値する。どんな事があろうとも平井家の主・太郎の存在は我々が想像する以上に重いものだったようだ。

 

 

なんだかんだいって乱歩が世間に明るみにしてほしくなさそうな事は、ここでの隆太郎エッセイのみならず乱歩の妻・平井隆子も絶対口にすることはなかった。私などは鳥羽造船所以来の旧友であり最初の平凡社版『江戸川亂歩全集』が出る頃まで常に乱歩の近くにいた井上勝喜や二山久(つまり彼らが乱歩と別れた後の行く末)、あるいは平井家において最もいかがわしそうな謎に包まれた存在である乱歩の弟・平井通の人となりを詳しく知りたいのだけど、ここらへん触れてはならぬ平井家のタブーなのか、あるいはそれほど関心もなかったのか(隆太郎氏からしたら叔父なんだからそんな事はないか)、母・隆子がそうだったように隆太郎氏もエッセイの中で私が「おおっ!」と喰い付きそうな逸話は一切書き残していない。

 

 

二十一世紀に入って、乱歩に関する平井家の取材窓口は隆太郎氏からその息子・平井憲太郎氏へ引き継がれた。そしていつか憲太郎氏にも生涯を終える日が来たならば、生の江戸川乱歩を知る平井家の人は絶えるのである。

 

 

 

(銀) 本書しかり、『探偵小説四十年』にしても『貼雑年譜』にしても、江戸川乱歩とその家族が遺してくれた貴重な資料をどんな評論家やマニアとも比べものにならないほど誰よりも有効活用し、乱歩研究に役立ててきたのは中相作をおいて他にはいない。前回記事の『江戸川乱歩年譜集成』完成を祝って本書を取り上げてみた。




■ 江戸川乱歩 関連記事 ■















2023年8月15日火曜日

『江戸川乱歩年譜集成』中相作(編)

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藍峯舎  江戸川乱歩リファレンスブック4
2023年7月発売



★★★★★  webサイト『名張人外境』の歩んできた長い道のり

 

 

朝起きたら、何はなくともまず最初に『名張人外境』へアクセス、それが私の日課。最近のブログ形態になり更新頻度が低下してしまったけれど過去の『名張人外境』はなんらかの用事で中相作が家を空けている場合を除き、日々あたかも新聞のように熱っぽく情報発信がされていたものだ。HPのプラットフォーム・カラーが黒ベースだった最初の頃はBBS(今ではノスタルジックな言葉)が盛んな時期で、『名張人外境』のBBS「人外境だより」も常に賑わいを見せていた。おしなべて世界中同じ状態だろうが、長く続いてきたHPであってもBBSはある時期を境にすさまじいスパムの的になってしまって、『名張人外境』も例外ではなく「人外境だより」だけは現在見返すことができないのが寂しい。



既刊の『江戸川乱歩リファレンスブック』三冊(=『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』)そして『子不語の夢』『乱歩謎解きクロニクル』と、中相作が手塩にかけた乱歩研究書にはいずれも新鮮な驚きがあった。個人的には例えば『江戸川乱歩執筆年譜』を読んでいて、てっきり乱歩が快調に執筆しているとばかり思っていた「魔術師」後半や「黄金仮面」の中盤以降と、どうにも袋小路に入り込んでいるようにしか見えない「盲獣」の連載が足並み揃えて同時進行していた事実を、誰にでも見やすいフォーマットで示された時のことなど強く印象に残っている。 

中相作が現れる前、世間に流布していた島崎博による乱歩年譜(昔の角川文庫の巻末に載っていたアレです)も熟読はしていたつもりだったが、『名張人外境』の提示する執筆年譜は丁寧かつユーザーライクで、何事につけ江戸川乱歩に対し見えていなかったものを見えるようにしてくれる、それこそが人外境主人の仕事の素晴らしさだといっても過言ではない。



『江戸川乱歩リファレンスブック』三番手の『江戸川乱歩著書目録』リリースから二十年の時を経てようやく完成した『江戸川乱歩年譜集成』。人はきっともうひとつの『探偵小説四十年』だと讃えるだろうし、ボリュームからして重厚なので「中相作の最高傑作!」と激賞するに違いない。長年待ち侘び遂に届けられたこの書物をまず一度最後まで読み終えたあと、不思議に今までの中相作の乱歩研究書に感じた衝撃とは異なり、雨の日も風の日もたゆまず更新されてきたいくつもの『名張人外境』のエントリや情報が脳裏によみがえってきて、なんとも言えぬ懐かしさを噛み締めている自分がいることに気がついた。

 

 

「あ、このフラグメントはたしかあの時追求されていたな~」とか「いろいろ中氏は逡巡されていたっけ、この一件はこんな風に結論付けたんだ」とか、記憶力の悪い私でも二十年間ずっと見続けてきた『名張人外境』のエントリの数々を意外と覚えているもので。この特別な感覚は毎日じっくり『名張人外境』に接してきた人間特有のものなんだろうけど、二十年の年月が私をそうさせるのか新たな発見を見つけてワクワクする以上に、今日まで『名張人外境』がsurviveしてきたその結晶が『江戸川乱歩年譜集成』なんだなあと、そんな感慨深い思いでいっぱいになる。


 

 

とかしんみり語っているが、中相作が編纂した書物を一遍読んだぐらいで理解した気でいるのは甘い甘い。どうせ再読するたびに「あれっ?」と気づかされるネタがその都度浮上してくるのがいつものパターンなんだから。『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』の三冊は刊行後アップデートされた内容をネットの『名張人外境』で見ることもできるけれど、『江戸川乱歩年譜集成』だけはフィジカルの本書を読むしか手段がない。本書もやっぱり何度も何度も何度も何度も手に取る長い付き合いになるであろう。

 

 

 

(銀) ここに来て中相作は〝乱歩じまい〟を口にしている。個人としてはありえない程の投資や労力を費やしているところを離れてずっと見てきたので、そろそろ乱歩研究や名張における乱歩関連の諸問題から自由になってもらいたいと思う。でも氏の性格を考えると、たとえ『名張人外境』の更新が一切なくなってしまっても名張の乱歩関連問題だけは死ぬまでやり続けるのではなかろうか。とにかく中相作には元気でいてもらいたい。心からそう願う。




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『子不語の夢/江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』



『伊賀一筆 第1号』



『乱歩謎解きクロニクル』中相作

★★★★★  乱歩という巨大な騙し絵の謎を解き明かす  (☜)





2023年8月14日月曜日

『ガールフレンド/伊藤人誉ミステリ作品集』伊藤人誉

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2023年7月発売


★    主人公のギャンブルまみれなだらしなさ


伊藤人誉もこれまで存在を知られていなかったところに龜鳴屋が先鞭をつけ、限定少部数ながら何冊かの本を世に送り出したことで一部の人の興味を引くようになり、それを見たあざとい盛林堂書房周辺の連中が追随して新刊を出すパターンは先日の倉田啓明と同様。異なる点といえば、読めたものではないテキスト入力をした本をばら撒いてきた善渡爾宗衛が今回は絡んでおらず(まあきっと裏で協力しているに違いないけど)、善渡爾のレーベル東都我刊我書房ではなくて盛林堂の店主・小野純一による盛林堂ミステリアス文庫の一冊として制作。善渡爾の代りに日下三蔵が深く関わっており、相変わらずウサン臭さは漂っているが。



「一  たてがみのある女」

「二  女は夜来る」

「三  面をかぶった女」

「四  女をゆすれ」

「五  鍵と女」

 

「あとがき」

 

 

〝一話完結エピソード〟が五篇並び、それぞれ発表誌はバラバラみたいだし、形としては短篇集扱いになるのだろう。すべてメイン・キャラクター滝田行雄が共通して登場、彼の境遇は薄ぼんやりと五篇通して連続していると思われる。作者があとがき」で語っているように、選び抜いた言葉とその配置の仕方など、文章にこだわりを持って書かれているのは読んでいてもはんなりと伝わってくる。しかし私がどうにも閉口するのは滝田行雄がどんな女でもあわよくば一発ヤリたいだけの男で、一応働いてはいるみたいなんだが常に描かれているのは競輪にのめり込むシーンという〝煮しめたような小市民感〟。明瞭にユーモア調を選択していないぶん、サスペンスは織り込みやすいはずだけど、このビンボー臭さはイヤだな。

 

 

次々出会う女たちと滝田とののっぴきならぬ〝モメ事〟がストーリーの根幹。〝犯罪〟と呼ばず〝モメ事〟と表現している点からして、本書に見られるサスペンスの特徴がどれだけ日常範囲のドメスティックなものか察して頂けるだろう。彼女らは『ガールフレンド』という書名から想像したくなる身綺麗な存在とは全然違って、例えば三十過ぎの毛深くてあから顔の粗野な女医だったり、まだ正式に前夫と離婚してもいないのにダラダラ滝田の遊びの相手になっている中井晋子だったり、吃音かつ兎口で冴えぬ男の細君・高段マサ子だったり、皆なにかしら泥臭さを纏っている。「一 たてがみのある女」に登場する畑中幸恵だけが唯一まともだが、ふらふらしてばかりのC調な滝田が幸恵と結ばれる・・・てなことは無い。

 

 

〝のほほん〟とした空気が流れているのは三橋一夫っぽくもある。そういえば日下三蔵が推しているところや中間小説みたいな趣きが流れているところなど、共通点は多いかも。龜鳴屋が勧めるものならば素直に受け入れもできるが、盛林堂や日下三蔵がやれ「伊藤人誉の著書は激レア」だの「『ガールフレンド』の元本(東京出版センター版)には遭遇する機会がない」だのと古本乞食を釣らんとするセリフをちらつかせるので不快感しか湧かない。それしか言うことはないのか?龜鳴屋とは対照的な心根をもつ連中の標的にされた物故作家はまことに不幸なり。

 

 

 

(銀) 伊藤人誉のこの文章の感じって、小沼丹が好きだった久世光彦がもし生きていたら喜びそう。それは私も理解できるけれど、色川武大じゃあるまいし本書における滝田行雄の競輪狂いには辟易。最近は、従来よく知られている日本探偵作家そっちのけで「これってミステリの範疇なの?」と思われるような作家や作品を「これこそミステリである」と押し切って売り出す新刊が多い。この傾向しばらく続きそうな気がするが、なんだかなあ。



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