2023年5月29日月曜日

『珍版・我楽多草紙』林美一

NEW !

河出文庫
1989年5月発売



★★★★★  立教大学や学者センセイでは到底及ばぬ、
         心から乱歩作品を愛する人ならではの発見



江戸文芸研究家・林美一は知らなくても、戦後に制作された映画やドラマの時代劇で時代考証を担当していた人だといえばスタッフ・クレジット上の名前に見覚えがある方もおられよう。本日は昭和44年上梓された『珍版・我楽多草紙』の平成元年再発文庫版を紹介する訳だが、これから本書を探すのであれば初刊ではなく、必ず文庫版を手に取って頂きたい。
その理由は四十四行後に。



目次はこちら。


   絵考えのいろいろ

   年代記ものの珍版「色道混雑書」

   新潟・神奈川くるわ物語

   幕末大地震の摺物ラッシュ

   安政コロリ流行の瓦版づくし

   コロリのがれのお礼参りに「東海道中尻から毛」

   吉原細見・明治から大正へ

   錦輝館の記念活動大写真

   全集にもれた林芙美子の『滝澤馬琴』

 

各章題を御覧になって、「このblogにヒットしそうな題材は馬琴だけじゃん」とブーたれているそこのせっかちなアナタ、話はまだ途中である。本日のハイライトはその次の三つの章。

 

 知られざる乱歩の禁書『蜘蛛男』

 乱歩の『蜘蛛男』補記

 乱歩の『蜘蛛男』補記の補記

 絵考えのいろいろ、絵解き

 

 

今でこそ光文社文庫版『江戸川乱歩全集』のおかげで本来あるべき初期テキストでの乱歩小説の読書が可能になり、どんなヴァリアントがあるのかも手軽に知る事ができるけれど、それまでは生前最後の乱歩全集であり作者自ら校訂した桃源社版『江戸川乱歩全集』こそが決定版テキストだと世間は思い込んでいた。しかしそうではなかったのだ。戦前の新潮社版『江戸川亂歩選集』の際すでに活字の世界は自主規制まみれになっていて、戦時下の日本人には不適切だ!と難癖を付けられた箇所がごっそり削除の憂き目に逢っているのだが、その中途半端なテキストは晩年の乱歩自身による校訂をもってしても完全に元には戻らぬまま、平成の『江戸川乱歩推理文庫』に至るまでズルズル使われ続けてしまった。

 

 

乱歩の没後、この問題点を即座に指摘した林美一は早かった。本書では「蜘蛛男」の削除箇所を中心に、「緑衣の鬼」「何者」「人間豹」「黒蜥蜴」「魔術師」「湖畔亭事件」の削除の対象となった文章の例を挙げて読者に注意喚起を促している。「孤島の鬼」の場合は該当部分を示そうにも量が多すぎるってんで簡単に済ましてるのだろう。

 

 

本書の指摘を読むと削除理由なんて実にバカバカしいものだ。エロ表現に対する当時の過剰反応とか、戦時下での軍批判が槍玉に挙げられるのは時代的にわかるとしても、〝真赤な寒天みたいにドロドロした血の池には胴体のない人形の首が、鯉の様に大きく口を開いて、苦しい呼吸を続けていた。〟(「蜘蛛男」)というこの程度の残虐表現ごときまで神経質になってるのは林同様ワタシも理解に苦しむ。その他、〝聖徳太子が〟の前に元々あった〝畏れ多い例えだけれど〟の十文字排除や「黄金仮面」の登場人物・美子姫の〝姫〟を戦後の本ではdeleteしてしまった事による弊害に関しての提言はさすが歴史のプロフェッショナル・林美一ならでは。

 

 

『珍版・我楽多草紙』の存在を教えてくれたのはもちろん中相作のwebサイト『名張人外境』。リンクを張っておくのでこちらも見てもらいたい。

 

『名張人外境』 前人未踏の夢 第一章 「定本江戸川乱歩全集」 

 

こういった事に目ざとく気が付いて我々読者に教えてくれるのは、貪るように乱歩を読み込んだ経験を持つ林美一や中相作のような人達だからできるのであって、いまだに「自宅の土蔵を乱歩は〝幻影城〟と呼んでいました〟なんてどこにも根拠の無いでたらめを垂れ流し続ける立教大学関係者とか、乱歩を好きな気配がたいして伝わってこない大学人からは絶対発信されない貴重な情報だ。

 

 

ひとつ注意を。〖 乱歩の『蜘蛛男』補記の補記〗は文庫化の折に追加された章ゆえ初刊本の有光書房版には載っていない。必ず河出文庫版を、と書いたのはそのためである。戦後世に出た春陽堂版『江戸川乱歩全集』、桃源社版『江戸川乱歩全集』、それから第一次講談社版『江戸川乱歩全集』、第二次講談社版『江戸川乱歩全集』、講談社版『江戸川乱歩推理文庫』と五連続、そのいずれにも林がガッカリさせられる様子が克明に書いてある。250頁強のうち乱歩に関する章は40頁にすぎないが、それでもこの文庫は持っておく価値あり。

 

 

 

(銀) 林美一が本格の推理小説を書きたくて仕方がなかったと洩らしているのは意外だった。乱歩とは面識があったのだが如何せん乱歩が江戸軟派文献蒐集家であるため、そっち方面の用事で手紙をもらうことが多く、乱歩本のテキスト問題について直接問い質す機会を逸してしまったらしい。林へ乱歩の訃報を送ったのは弟・平井通だった。





2023年5月26日金曜日

『馬屋古女王』山岸凉子

NEW !

角川書店 あすかコミックス・スペシャル 山岸凉子全集9
1986年3月発売




★★★★★  「あの力を持つ者がもう誰もいない!」





本編「日出処の天子」80年代の漫画界を代表するマスターピースゆえ、細かい説明などは不要だろうから全部すっ飛ばし、後日譚である「馬屋古女王」の話に前置き無く入っていきたい。「日出処の天子」は月刊少女漫画誌『LaLa』の19846月号にて終了。同じ『LaLa』の198411月号にて「馬屋古女王」がスタートするのだが、早々行き詰ってしまい翌年掲載誌を『月刊ASUKA』に変え、上宮王家の終焉を暗示する物語の決着が付いたのは19859月号だった。

 

 

「日出処の天子」の終わらせ方では不完全燃焼だったのか否か、作者・山岸凉子の証言のウラを取っていないからなんとも言えないが、『LaLa19843月号では休載しているし「日出処の天子」も大詰めを迎えた段階で結末をどうするべきか作者が呻吟していたのは間違いない。本編終了から半年も経たぬうち「馬屋古女王」に着手しているので山岸凉子は最初から「馬屋古女王」までを一括りと考えていたように映りがちだけど、真実は如何に?読者からのリアクションが編集部へのように届いていた可能性は想像に難くないし、おそらく散々出版社サイドに粘られて「馬屋古女王」を描いたのでは?と私はみている。



コミックスでしか追っていなかったため、この辺の初出事情をリアルタイムでは正確に把握していない。ただ、花とゆめコミックス版『日出処の天子』最終第11巻は通常の半分ほどのページ数しかない薄っぺらいもので、最終巻のリリースを話が完結するまでもう少し待って、第10巻は他の巻よりボリュームを持たせてもよかったのに・・・と思ったのはよく覚えている。これは要するに「日出処の天子」人気があまりにヒートアップしていた影響もあって、コミックスの営業的にはたとえ第11巻が120ページ弱の厚さになってしまおうとも、第10巻を少しでも早く発売して目先の収益を上げたいのだろうな・・・そんな雰囲気が漂っていた。

 

 

 


主人公・厩戸王子の死。そして彼の葬儀の場面から「馬屋古女王」は始まる。改めて、「日出処の天子」に登場していながら本作では既にこの世の人ではない事が明らかにされているキャラクターを整理してみたい。

 

 

 厩戸王子

突然の御隠れ。死因は不明。山背大兄王の言葉によると、登場はしないが蘇我馬子/蘇我毛人はいまだ健在の様子。

 

 膳美郎女

厩戸三人目の妻ながら、元は下層民でクルクルパーの少女。厩戸と同時に亡くなっているのが発見されたが、絞殺死の噂あり。

 

 間人媛

厩戸の母。厩戸より三ヶ月前に逝去。彼女の再婚相手・田目王子も既に故人。

 

 来目王子

間人媛の子にして、厩戸の同母弟。山背大兄王によると、二十年も前に亡くなっているらしい。とすれば「日出処の天子」のラストシーンから本作までの間には最低でも二十年の歳月が流れている。

 

 刀自古

蘇我毛人の同母妹。厩戸二人目の妻。「馬屋古女王」血縁関係図より故人と判明。毛人と刀自古の母・十市も山背が十五歳の頃に亡くなっているようだ。

 

 

霊のようにチラチラ姿は見せるものの、その表情は描かれないため神感がいや増した厩戸王子。それ以外に、赤子だった佐富女王/山背大兄王/蘇我入鹿の三名を除く「日出処の天子」の登場人物を回想シーンの類であっても一切登場させず、それぞれの行く末を読者に気を揉ませるよう仕向けたのは実に上手いやり方だった。超人である厩戸が死に至っても美しいままなのは不自然じゃないけれど、厩戸と一緒でなければフツーの人でしかない毛人があの美青年ルックスのままでいられる筈がなく、老けた毛人なんてファンは見たくもないだろうし。(そうでもない?)

 

 

容姿こそ厩戸並みの美しさを最も受け継いでいるとはいえ、馬屋古はただ本能に忠実なだけで、知性も理性も一切持ち合わせていない。それでいて、厩戸の超能力だけは見事に遺伝しているのだから単に禍々しい怪物でしかない。そんな馬屋古に人々が戦慄することで、死せる上宮王子がなお一層〝神がかった〟存在に昇華されたのは、毛人に去られて低能児の膳美郎女を妻にするという本編エンディングでの彼の悲惨さを多少なりとも払拭する結果になったとは言えまいか。

 

 

後日譚でスベってしまえば、いくら本編が傑作でもすべて台無しになりかねない。今後の記事でエンディングがいまいちだった漫画を取り上げるつもりだが、「日出処の天子」に関して言うと山岸凉子が踏ん張って「馬屋古女王」を描き上げてくれたおかげで、これ以上考えられないほど深みのある結末を我々は享受できるのである。あすかコミックス・スペシャル版の本書には「日出処の天子」とは全くリンクしない「神かくし」+「神入山」が併録されており、特に時代ものの「神かくし」はスーパーナチュラルな題材と思わせといて人間の愛憎を描いた佳作。


 

 

 

(銀) ちばてつやが「あしたのジョー」について語った過去のインタビューをコラージュした『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』という名著がある(著者の豊福きこうがこの本を出した2010年に亡くなっていたのを今知って驚いた)。山岸凉子がこれまで「日出処の天子」についてどれくらい語ってきたのか私は知らないのだが、もし取捨選択できるほどにインタビューやエッセイの量があるのならば、作者が自作を語り尽くす『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』のような本の「日出処の天子」版もぜひ欲しい。「日出処の天子」の現行本は『日出処の天子 完全版』(MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)が流通していて最終巻には山岸凉子ロング・インタビューが収録されているけど、全体的にわざわざ買い直すメリットが少なかったので私は持っていない。





2023年5月25日木曜日

『ふらんす粋艶集』水谷準(訳)

NEW !

日本出版協同株式会社
1953年2月発売



★★★    殺人鬼・断頭箪笥 vs 名探偵ホルメス



本書の帯には次のような宣伝文がある。 

〝 気品があり、健康的で陽性なエロテシズム、そしておおらかな笑いにみちた仏蘭西粹艶小咄は、古くから世の大方の風流人士の愛好するところとなつているが、現在の暗く嚴しい現実の中でもつと多くの人々が、このセンスを玩味するなら、世の中は常に花園のように明るく楽しいことだろう。 

先に当社で出版した「粹人酔筆」は息づまる様な現実生活の中にしみじみとした人生の悅楽を見出すものとして大好評を博したがそのフランス版ともいふべきものが、本篇である。〟 

早稲田在学時にはフランス文学科を専攻していた水谷準のフレンチ嗜好を前面に押し出した本。タイトルのとおりフランス製のちょっとHなショートショートを集めたもの。エッチといっても半世紀以上前の日本人の感覚だから現代人から見ればたわいもないエロ・コメディばかり。冒頭と最後のカミ作品はやや枚数があり、前者「處女華受難」には名探偵ルーフォック・オルメスが登場(本書ではルウフォック・ホルメスと表記)。



「處女華受難」カミ

「衣装箪笥の秘密」のタイトルで記憶している人もおられよう。しかし殺人鬼の脳を移植された箪笥が暴れ回るって、どんだけ馬鹿馬鹿しいハチャハチャなんだか。

 

「ふらんす粹艶集」(含7本)

 

「金髮浮氣草紙」

アレクシス・ピロン「蚤の歌」

ザマコイス「当世売子気質」

フィシェ兄弟「エレベーターをめぐる」「浮気の円舞曲」「悔い改める」「ぶらさがりの記」

ジャン・フォルゼーヌ「カフェ・ファントムの一挿話」「フォレット嬢の新床」

シャルル・キエネル「美しい眼のために」

レオ・ダルテエ「田舍ホテル」

ファリドン「ベルティヨン式鑑別法」

ピエール・ヴベ「ヴォスゲスの冒険」

アルフォンス・アレエ「金曜日の客」

ヴィリー「シュザンヌの悪だくみ」

 

「ふらんす艶笑小噺」

 

「てごめあだうちきだん」カミ

 

 

あまりに軽~く読み流せる内容なので、カミ以外のものはこの手のコントを受け入れられる人でないと退屈かもしれない。だが、一番華やかだった頃の『新青年』テイストの横溢に興味があるなら手に取ってみるのも悪くはない。古書価もそんなに高くないし。

本書には続篇『第二ふらんす粋艶集』もある。



 

 

 








(銀) 私は持っていないけれど、水谷準には『金髪うわき草紙 奥様お耳をどうぞ』(あまとりあ社)という本がある。これは上記『ふらんす粋艶集』『第二ふらんす粋艶集』を再編集したものだそうで、日本出版協同株式会社の二冊さえあれば無理に探す必要はない。





2023年5月20日土曜日

『倉田啓明文集/附一圓タクシー』倉田啓明

NEW !






② 善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳、そして盛林堂の小野純一よ、
        一体いつまでこんな酷い本を売り続けるつもりだ?





前回の記事からの続き。今回の東都我刊我書房版『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』は追加収録された「一圓タクシー」こそあるものの、馮散人を名乗る人物が九年前制作した、レーベル名さえ無い個人出版の復刊にすぎない。本日の記事左上にupした書影が原書である。【東都我刊我書房】の本は、自分で目を通してきたものに限っていえば、始めのうちはこんな校正も校閲も一切していない崩壊テキストではなかった。疑問を抱き始めたのは鷲尾三郎傑作撰〈壹〉『Q夫人と猫』。これが出たのが令和37月だから、もう二年前か。善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳らによる、海外翻訳作品を中心とした別レーベル【綺想社】にしても、風の噂では「翻訳サイトを使って訳したような悪文テキストだ」との声を聞くが、綺想社の本はいつ頃からそうなり出したのか知らない。参考までに、左川ちか詩集の制作に対して島田龍氏が盛林堂書房周辺から受けてきた陰湿な妨害行為をtwitter上にて明らかにしたのが令和4年、つまり昨年1月の話。

 


                     

 


発売された東都我刊我書房版『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』を手にとってみて「おや?」と思った。盛林堂書房通販サイトの、この本の発売告知欄にはこう記してあったからだ。

 

          

                 編纂:片倉直弥

 

そのわりには(解説執筆者のクレジットこそ原書のまま片倉直弥になってはいるが)本の奥付に片倉直弥の名はどこにもなく善渡爾宗衛(企畫)の文字が。小野塚力=杉山淳かと思ったら今度は片倉直弥=善渡爾宗衛か?となると原書の平成26年版『倉田啓明文集』を作り片倉直弥名義で解説を書いていた馮散人も実は善渡爾宗衛だったという線も浮上してくる。もっとも『我が屍に化粧する』(盛林堂ミステリアス文庫)の巻末解説で片倉直弥は「解説の執筆に際しては、小野塚力氏、善渡爾宗衛氏に親切なご助言を頂いた。善渡爾宗衛氏には、資料収集の面でもご協力を頂いた。出版については盛林堂書房の小野純一氏にお世話になり、また、微に入り細に入っての校正も頂いた。」と申し述べていた。これが一人二役なら実にアホらしい猿芝居だが、片倉直弥さん、アナタがもし善渡爾宗衛とは別人だというのであれば、アナタの『倉田啓明文集』を信じられぬ入力ミスだらけのテキストで復刊してしまった東都我刊我書房『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』についてどういう考えをお持ちなのか、是非ともコメントして頂けないでしょうか?そうそう、馮散人名義のアカウントも見つけたので興味のある方はどーぞ。

 

           

           馮散人(@ sichsorne  ☜ リンクあり

 

コロコロ別名を名乗りたがる奴に限って信用ならない例は、以前コチラ(☜)の記事にてお伝えした。有り体にいうと、善渡爾宗衛とか小野塚力とか名乗っている老人たちが他にどんな偽名を使っていようと私にはどうだっていい。ここにわざわざ書いておく理由は、今後ネットや書店で買おうとした本に善渡爾/小野塚/杉山らの名前やレーベル名を見つけたなら間違っても買ってはいけないという、世の中の真っ当に読書好きな人々を被害から守る、あるいは善渡爾らを訴訟したい被害者(著作権継承者など)の方々の手掛かりになるようにしておきたい、それだけだ。


 

                     

 


最近の東都我刊我書房の本の奥付に印刷されている本文レイアウト担当者に後藤浩久という名前が見られる(もしかしてこの人、以前もクレジットあった?)。一方、令和21月に東都我刊我書房が出した倉田啓明本『落ちていた青白い運命』の奥付にはテキスト作成者として篠原亮の名がある。篠原の名は盛林堂ミステリアス文庫の協力者としてよく見かけるし、盛林堂主人・小野純一が直接製作に関わっている本に東都我刊我書房のようなテキスト破壊は(とりあえず現在はまだ)発生していない。本文レイアウトと本文テキスト作成、具体的に作業内容がどう違うのかこちらの知るところではないにせよ、一見すると篠原亮が関わっていればテキスト入力に問題はなく、後藤浩久だったらテキストはムチャクチャになるのかとつい早合点してしまいがちだが、そうではない。

 

 

鷲尾三郎傑作撰〈参〉『影を持つ女』奥付には〖本文テキスト作成:篠原亮〗そして〖本文レイアウト:後藤浩久〗とクレジットされている。あの本もまた読むに耐えないテキストだったのは言うまでもない。コチラ(☜)で再確認して下さい。となると結局、テキストの入力がわりかしちゃんとしている盛林堂ミステリアス文庫に協力しているから篠原亮のクレジットがあれば安心だとは言いきれぬ。しかしここで肝心なのは、テキスト崩壊の最大の戦犯は決して篠原亮や後藤浩久といった一連の協力者では決してないという事。編纂者あるいは企画者を名乗っている以上復刊された本の内容に看過できない問題があれば、協力者が誰でその仕事っぷりがどうであれ、その非はおしなべて編纂者/企画者にあるのは当り前。



善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳の御三方、貴方達は一体いつまで厚顔無恥な態度で、こんな酷いテキストの本にぼったくり価格を設定して銭儲けを続けるつもりかね?そしてその背後で、通販サイト【書肆盛林堂】及び【盛林堂書房twitter】を通して善渡爾/小野塚/杉山の本をプッシュしまくっていながら、島田龍氏との例の一件もそうだったが、旗色が悪い時だけ「だって自分は知らないもんね~」とばかりに無関係を決め込んでいる盛林堂書房主人・小野純一よ。善渡爾の作る本がこんな状態になっているのを、昨年一月に島田氏が発信した一連のツイートを必ず見ている筈のアンタが知らんとは言わさんぞ。



龜鳴屋の勝本隆則さん、こんなところにお名前を出して誠に申し訳ありません。盛林堂があなたの企画に便乗して平成28年に盛林堂ミステリアス文庫より『倉田啓明綺想探偵作品集 我が屍に化粧する』を発売した際、奥付の協力者クレジットにあなたの名前を載せていましたが、盛林堂は正式にあなたに了解を得ていたのでしょうか?島田龍氏は盛林堂関係者が出した左川ちか本に勝手に協力者として名前を使われたと激怒しておられました。龜鳴屋が盛林堂と付き合いがあるのかどうか私は存じませんが、もしかして勝本さんの名前も勝手に使われていたなんて事はないでしょうか?


 

 

 

(銀) 英国BBCのおかげというのが情けないが、ジャニー喜多川のおぞましい男子性的虐待を今まで見て見ぬフリし続けてきた国内メディアが少しづつながらも取り上げ始めた。昭和43年には竹中労が『タレント帝国』でこの件について暴き立てていたというのに、ここに辿り着くまで何年かかったことやら。早くジャニタレ(退所者も含む)が絶滅してほしいけれども、この国はオウムの残党はおろか統一教会さえ一掃できずにいるし、大きな期待は禁物かも。とりあえず、普段歯の浮くような綺麗事ばかりぬかしている山下達郎が昔からジャニーズと持ちつ持たれつな件も、誰か心ある人が大きく話題にしてもらいたいと思っている。



ホームズが「我々の部屋へ上がる階段は何段あるか知ってるかい?」と問うて、ワトソンは答えられず。すかさず「それは心の目で見てないからさ」と諭すホームズ・・・。これと同様、本を読んで文字は一応自分の眼の水晶体に映っているかもしれないが、その情報は一切脳に伝達されていない。そんな本狂い中高年を洗脳してクソみたいな本を買わせ続ける盛林堂周辺の輩。東都我刊我書房がもう何冊テキスト破壊本を出してきたか、本を読んでさえいればどんなに足りない頭でも解るはずだけれど、知ってて見て見ぬフリをしているのか、本当に事態を理解できない程のおつむしか持っていないのか、本日もこのblogを読んで下さった皆さん、下段にて再掲載する先日の記事内に貼っておいた憐れな盛林堂信者(?)の直近ツイートを読まれて各自で判断してみて下さい。



#2023年4月20日当blog記事「ミステリ同人出版のルフィとその子分は誰だ?」☜ リンクあり



 


2023年5月17日水曜日

『倉田啓明文集/附一圓タクシー』倉田啓明

NEW !

東都我刊我書房  善渡爾宗衛(企畫)
2023年5月発売




★   ① 龜鳴屋版『倉田啓明譎作集/稚兒殺し』は宝物だが、
             東都我刊我書房のこの本は汚物





性懲りも無く善渡爾宗衛が出し続けるテキスト破壊本の被害に今回遭ってしまったのは、文壇における落伍者かつ犯罪者として近年虚名が高まっている倉田啓明。思えば、金沢の雄・龜鳴屋が先見の明をもって刊行した書物『倉田啓明譎作集/稚兒殺し』が一部の好事家達に流布した頃はまだよかった。啓明みたいな如何にも本狂いの中高年どもをエレクトさせそうな存在に少しでも金の臭いを嗅ぎ付けると、ハイエナ同様すぐたかってくるのが盛林堂書房周辺の面々。龜鳴屋に追随して『我が屍に化粧する』『落ちていた青白い運命』と二冊も出したのだから大人しくしていればいいものを、またしても東都我刊我書房から★1つの価値も無い啓明本を出してきた。

 

 

この『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』、いつもどおり東都我刊我書房安定の全く校正・校閲をしていない惨状テキスト。515日(月)にはこんなツイートが上がっていた。


             (画像をクリック拡大して見よ)

           


羽柴重作(@kiyama_yusaku ☜(リンクあり)

〝希覯書の復刊『倉田啓明文集』が、冒頭から「街頭←外套」の校正モレ。薄冊で定価5,000円でこの仕事は許しがたい。ドド素人の仕事。〟

 

 

善渡爾宗衛の作った本を一度でも読めば、こうした疑問を抱くのが常人の感覚である筈。珍しく真っ当な怒りの声がSNSに上がってるなと思ったら、不思議な事にこのツイートは翌日になると雲散霧消。フ~ン、どうしたんだろうね。この羽柴重作という方は西村賢太に心酔なさっておられるようで、今年の二月に東都我刊我書房が発売した『怪奇探偵小説家 西村賢太』を不幸にも買ってしまい、すっかり杉山淳/小野塚力/善渡爾宗衛を立派な識者だと勘違いしてしまわれた様子。

 

 

しかし、さすがに本書を読んで校正・校閲作業を全くせず制作されているのに気が付いて、ごく自然に上記のツイートをなさったものとお見受けする。こうなると、あの三人が逆ギレして攻撃してくるのはいつものこと。小野塚力が自分の所業は棚に上げ、翻訳家T氏に訳のわからない恫喝メールを送り付けたのと同じパターンで、おそらく羽柴氏にも善渡爾/小野塚/杉山の三狂人が「お前、訴えたろうかあッ!」てな下品な言葉でドヤしつけ、ビビった羽柴氏は前言ツイートを撤回してしまった、そんなところではないか。しかし、もし本当にそうだったとして、たかがSNS上での恫喝ぐらいでどうして自分の正論ツイートを引っ込めてしまうのだろう?羽柴さん、貴方は何も悪くありませんよ。貴方の怒りを世間に拡散すべきです。



                    

 


今回も210頁ほどの本のうち47頁までを占めている「稚児殺し」だけで、以下のような入力ミスがてんこ盛り。幸い「稚児殺し」の正しいテキストを確認するにはオリジナル旧仮名遣いのままで制作された龜鳴屋版『倉田啓明譎作集/稚兒殺し』があるのでそれを参照しながらチェック。本書『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』は現代仮名遣いにしたテキストの筈ながら、製作者のアタマが正常ではないので現代仮名遣いへ変換できていないところだらけ。それでは惨状の模様をどうぞ。以下、左が龜鳴屋版「稚兒殺し」テキスト。右が腐敗せしめたる東都我刊我書房版「稚児殺し」テキスト。

 

 

外套(〇)→ 街頭(✕) 52行目

願はうとはしちやゐないんだ。(〇)→ 願おうとはしちゃいないだ。(✕) 611行目

人生といふものが(○)→ 人生とこうものが(✕) 715行目

土といふ(〇)→ 土とこう(✕) 914行目

有つてゐるといふ確信が(〇)→ 有っているとこう確信が(✕) 1215行目


 

「モデル」といふ言葉(〇)→ 「モデル」とこう言葉(✕) 136行目

持つてゐないといふこと(〇)→ 持っていないとこうこと(✕) 1313行目

たつた一人の山寛(〇)→ たった一人の山寛(✕) 158行目

だのといふ言葉が(○)→ だのとこう言葉が(✕) 1516行目

愚かで(○)→ で(✕) 164行目


 

あるばかりだ。」(○)→ あるばかりだ」(✕) 166行目

この他にも会話文の句点(。)が悉く欠落しているが、手間なのでいちいち取り上げない。

生活といふものが(○)→ 生活とこうものが(✕) 2012行目

かういふ蛆蟲のやうな(○)→ こうこう蛆虫のような(✕) 2013行目

豹の毛皮(○)→ 豹の毛皮(✕) 2216行目


 

中學の一年生(○)→ 中学の一年(✕) 2313行目

己れはなんといふ卑怯な(○)→ 己れはなんとこう卑怯な(✕) 246行目

柔い肉を銜へた。彼はこの時(○)→ 柔い肉を銜へた彼はこの時(✕) 2410行目

く顫へてゐた。(○)→ く顫えていた。(✕) 2414行目

命と死とを以て(○)→ 全命と死とを以て(✕) 253行目


 

愛の思想を考へると(○)→ 愛の思想を考へると(✕) 258行目

本書では現代仮名遣いに変換すると言っておきながら、やり忘れている箇所多数。

はッと心付いて(○)→ はット心付いて(✕) 2510行目

女中が退く(○)→ 女中が退くとき(✕) 264行目

「大きお世話だよ。(○)→ 「大きお世話だよ。(✕) 2711行目


 

能きないといふ(○)→ 能きないとこう(✕) 2718行目

いふ心持がした。(○)→ とこう心持がした。(✕) 287行目

果すことが出来ない(○)→ 果たすことが出来ない(✕) 3113行目

快樂といふものが(○)→ 快楽とこうものが(✕) 3116行目

しく尋ねた(○)→ しく尋ねた(✕) 327行目


 

漸やうのことで(○)→ 漸やくのことで(✕) 3317行目

滅び去つたの生命(○)→ 滅び去ったの生命(✕) 383行目

殺さうといふ意志(○)→ 殺そうとこう意志(✕) 4113行目

精神病患者でないといふ事(○)→ 精神病患者でないとこう事(✕) 4115行目

思想を罪するといふことは(○)→ 思想を罪するとこうことは(✕) 4213行目


 

問題であるといふ觀念(○)→ 問題であるとこう観念(✕) 4311行目

波山寛といふ人間の肉體(○)→ 波山寛とこう人間の肉体(✕) 444行目

霊魂を殺したといふ(○)→ 霊魂を殺したとこう(✕) 446行目

さういふものは(○)→ そうこうものは(✕) 4412行目

許すべきものであるといふことも(○)→ 許すべきものであるとこうことも(✕)4613行目


 

分裂のために苦んだか(○)→ 分裂のために苦んだ(✕) 4618行目

生きるといふことが(○)→ 生きるとこうことが(✕) 478行目 

 

 

私も長いこと日本で生活してきたけど、善渡爾宗衛のようにひらがなの〝い〟と〝こ〟の区別が付かない人間というのは生まれて初めて見たわ。昭和の頃、ヨボヨボで頭がボケてしまっている年寄りの医者が、ガタガタ手が震えて細かい作業も覚束ないのに手術などするものだから、患者を助けるどころか殺してしまう・・・・なんてドリフのコントみたいな老害事件がよくあった。善渡爾宗衛の本作りもそれと全く一緒。被害に遭っているのが人間ではなくて他人の小説、その違いだけ。



                    

 

 

本書は「稚児殺し」の他に「地の霊」「一圓タクシー」を併録しているが、まあ改めて説明するまでもないでしょう。特に「一圓タクシー」は〝仰向け〟と〝俯伏せ〟を混同していたり、登場人物の漢字が場面によって違っていたりと、「稚児殺し」同様読めたものではない。



龜鳴屋が平成15年に出した『倉田啓明譎作集/稚兒殺し』(本文296頁)は加賀染縮緬装を施す美しい上製の造本ながら、限定499部でも一冊の価格は4,200円だった。それに対し東都我刊我書房のこの『倉田啓明文集/附一圓タクシー』は全部で何部刷っているか不明、どこの印刷会社が製本したかもわからないごくありきたりの並製同人出版本、なおかつ校正・校閲は何もやってないくせに一冊の価格は約210頁で5,000円。龜鳴屋が本を出した年から20年が経ち物価の変動があるとはいえ、これが犯罪的なぼったくりでなくて一体何と言えばいいのか?



          
       正しい倉田啓明本『倉田啓明譎作集/稚兒殺し』(龜鳴屋)

 

 

 

(銀) 入力ミスの箇所羅列に相当スペースを割いてしまったため、次回の記事へ続く。




2023年5月15日月曜日

『犯罪の場』飛鳥高

NEW !

光書房
1959年10月発売



★★★★    好みのタイプではない探偵作家




昔から社会派推理小説だけでなく、戦後の日本探偵小説に散見される【企業ミステリ】【サラリーマン・ミステリ】にもちっとも惹かれない。日本が敗戦から徐々に復興してゆくにつれ、小説の中で描かれるサラリーマンの姿も戦前に比べると近代化されている筈なのに、探偵小説に登場する戦後の日本人サラリーマンは私の目にはどういう訳かおしなべて戦前の日本人よりも貧しいというか卑屈に映る。探偵小説は前近代的な社会の産物だから、身分や階級がハッキリしていたほうがストーリーは豊かになるし、反対に誰も一律同じような中流社会を背景にしていては魅力に欠ける。その持論は十代の頃から変わっていない。

 

 

飛鳥高は建築関係の仕事の傍ら執筆活動をしていたのもあって、建設業に関する描写が多く見られる。本書はまだそうでもないけれど、彼の作品には【サラリーマン・ミステリ】の色が濃く、本音を言えばあまり好きな作家ではないのだが、論理をおざなりにしていない初期の短篇を評価する人がいるのは理解できる。本書は短篇集だが今日は収録順を無視して、まずは弁護士・袴田実が登場する二篇から触れていこう。

 

 

「犠牲者」

上越の山中にある寺で起こる怪事。これはサラリーマン臭ゼロなので嬉しい。複数の人間による幽霊目撃、そして住職の死。住職の屍体に重なるように横たわっていたのは、(幽霊だと噂されている)陸軍少将の未亡人が首を吊って自殺する前に作っていた藤娘人形。そこへ本作の語り手〝私〟の従兄・袴田実が東京からやってくる。序盤は敗戦の暗い影を匂わせつつも、犯罪デモンストレーションのロジカルな解明へと展開。

 

 

「暗い坂」

密室ものゆえ、太田家の俯瞰図は入れといてほしいな。袴田実と伊勢警部が推理を戦わせるのは大いに結構なれど、クローズドな箇所がトイレっちゅうのは海外ミステリしか読まない読者からしたら貧乏臭いかもなあ。この事件の動機は敗戦による自虐と怒りで、「犠牲者」と同じく戦争がもたらしたやりきれなさがじんわり滲み出てきて地味なストーリーの色付けになってはいる。でも「本格!本格!」と有難がる連中は皆トリックばかり話題にして、登場人物の秘めたる内面を気に掛ける事はまず無かろう。

 

 

 

「犯罪の場」

物理的な殺人方法。こちらには現場の俯瞰図あり。大学の実験室で落命した学生を作者は〝怪奇な死にかたをした〟と書いているが、怪奇性を漂わすムードは全く無い。つまり本格オタは喜ぶとしても一般読者に対する親切なツカミは欠落しているのが特徴でもある。昭和23年江戸川乱歩のセレクトによる新人探偵作家傑作集と題したアンソロジー『殺人萬蕐鏡』に収録された。

 

 

「逃げる者」

京橋O劇場開演中の火災事故の裏に隠された犯罪を描く。この作ではこれ見よがしな建築の蘊蓄こそ語られてないものの、劇場内のダクトにまつわる細かい描写なんかいかにも飛鳥高だなあ~と苦笑させられる。

 

 

「金魚の裏切り」

何の悪気もなく恩を着せる者に使われて恩を着せられる者の心情には、読んでて鬱々とした気分になる。「暗い坂」の某人物もいろいろあって歪んでいたが本作では人間の卑屈さのほうがイメージとして勝ってしまい、馬島会長殺しの真相発覚の理由が殆ど頭に残らない。

 

 

「二粒の真珠」

建築ネタ炸裂、しかも倒叙。乱歩が大トリックっていうほどすごくもないと思うけれども・・・どうでしょう?もう少し書き方が上手ければ、より洗練されたものになり得た気はするが。

 

 

 


(銀) 本書はカバー表紙に台形、そして扉ページに長方形のくり抜きが意図的にされており、くり抜き部分の真下にくる文字や写真が覗く仕掛けになっている。古書店で見かけても欠陥本ではないのでご安心を。昭和の頃は造本でこんな遊びが出来て、今なんかよりずっと精神的豊かさがあったね。





2023年5月11日木曜日

『網膜脈視症』木々高太郎

NEW !

春陽堂文庫 大衆小説篇
1936年9月発売




★★★★★   「ねむり妻」と「眠り人形」




慶應大学医学博士・木々高太郎が探偵作家デビューした直後に書いた初期短篇を収録。昭和11年に刊行されたこの文庫には挿絵画家の名がはっきり記されていないが〝Yoshio〟のサインがどの画中にも確認できるので、これの再発版である平成9年刊春陽文庫探偵CLUB『網膜脈視症』では「挿画 伊勢良夫」のクレジットを追記している。

 

 

当初「日本小説文庫」と呼ばれていた戦前の「春陽堂文庫」は、たまに初出誌の挿絵を流用している時もあるが(例:江戸川亂歩『孤島の鬼』、甲賀三郎『盲目の目撃者』)、探偵小説本だと大抵〝mac〟のサインをいつも画中に残す人物、あるいは猪子斗示夫、このふたりが新規に挿絵を描き下ろしている場合が多い。ちなみに〝mac〟なる人物は誰なのか突き止めておらず不明。猪子斗示夫もネットで調べると当時の単行本装幀なんかもしているようだが詳しいプロフィールは知らない。ただハッキリ言えるのは、彼らの挿絵がちっとも小説に華を添えるクオリティではないというか、全然私好みではないという事。それに比べたら本書にナーバスな線画を提供している伊勢良夫も新規描き下ろしではあるけれど、こちらははるかにマシな出来栄え。



 

 

「網膜脈視症」「就眠儀式」「妄想の原理」、三篇いずれも精神病学教授大心池章次の事件簿。どの作も人間の心理を解剖してゆくような地味な見せ方ではあるが、小酒井不木とは別タイプの医学ミステリを提示した木々の仕事はもっと正当に評価を受けてしかるべきではないのか。自立神経失調症やパニック障害といった神経内科の世話になる心の病がごく一般的になった現代人の病理を鑑みると尚更そう感じる。

 

 

初期の木々作品にはそこはかとない〝性〟のテーマが織り込まれていて、その最大の問題作ともいえるのが「ねむり妻」。いわゆる「眠り人形」の名で通っている作ながら、同じ話でもヴァージョンが異なる。「眠り人形」のほうは『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』(創元推理文庫)に収録されており、その解説によれば同作は『新青年』昭和102月号発表以来、朝日新聞社版『木々高太郎全集』に至るまで伏字にされてしまっていた箇所を、元博文館の江南兼吉氏(竹中英太郎の原画の多くが残存できたのはこの方のおかげ)が「眠り人形」原稿をも大切に保存していてくれたので、伏字箇所を全て明らかにして収録できた、とある。

 

 

しかし、本書『網膜脈視症』では「眠り人形」でなく「ねむり妻」のタイトルになっていてテキストも別物。双方の出だしの部分だけでも御覧頂こう。


 

「眠り人形」

一  西澤先生の奥様はやさしい人であつた。結婚してから、十年近くになると言ふのに、子供が無かつた。弟子達がよくなついて居たのも、子供が無かつたのが、一つの原因であつたかも知れない。

 


「ねむり妻」

一 『長い間、私は警察醫をしてゐましたから、色んな事件に關係しましたが、此の事件が一番心に残る、感激にみちたものでした。分類的には、正に破廉恥罪に属するに違ひないのですが、それが忘れ難く感激に充ちてゐると言ふのは、個人的の意味もあるのですが、その他にも、心を惹くものがあるのです。それは物語をお聞き下されば、おわかり下さるだらうと思ひます。丁度大正✕✕年の夏、私が東北の某市 ―人口七八萬の― に勤めてゐた時の事でした。』

と、醫學士是枝友次郎氏は語り出した。

 

 

どちらのほうが完成度が高いかといったら、変態性が増し、眠れる女に対する男の執着度がパワー・アップ(?)された「眠り人形」に軍配が上がる。その骨子は一緒でも文章がこれだけ異なっているのに、探偵CLUB版『網膜脈視症』をはじめ創元推理文庫『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』、なおかつ『「新青年」趣味XXI 特集木々高太郎』においても、この作品のヴァリアントについて深く突っ込んだ人がいないというのは、それだけ木々に対する関心が薄い証拠だろうか。間違いなく彼の代表作なのに・・・。



最後の一篇は、若き文學士/年上の人妻/後半になって姿を現わす醫學士の三名による読む戯曲形式の「膽嚢(改訂)」。巻末には木々自身による各作品への一言コメントをまとめた「跋」。ここでも木々はどういう訳か「ねむり妻」だけ言及していない。そこにどういう理由が隠されているのか推理してみるのも面白い。 





(銀) 木々の没後、近しい関係者によって編まれた『林髞 木々高太郎先生追悼集』という本があって、その中の「遺族 親族のことば」なる頁には木々が再婚した二番目の夫人・林万里子も寄稿。木々よりずっと年下の彼女は銀座のクラブの女で、強引に押し切られて一緒になったと語る。それはいいのだけど次のくだりには少々「ん?」と思った。


〝男にサービスする精神が身についていたせいか、私は友達がおどろくほど、忠実に夫に仕えた。長い独身生活がつづいていたせいか、林のはげしい愛は私を困らせるほどだった。「お年をお考えになっては?」と再三注意はしたものの、一年間休んだ日は数えるほどしかなかった。〟


木々が羨ましい~ってですか?イヤ、そうじゃなくて、この文章は元々雑誌『婦人公論』に求められて書いたみたいなんだけれども、いくら想い出を語るって言っても閨房での話をこうやってあっけらかんと公表してしまって、木々の親族から白い眼で見られなかったのかな~。


『林髞 木々高太郎先生追悼集』については気が向いたらまた改めて取り上げてみたい。