ラベル 妹尾アキ夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 妹尾アキ夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年5月3日金曜日

『ザイルの三人/海外山岳小説短篇集』妹尾韶夫(訳編)

NEW !

朋文堂
1959年6月発売



★★    標高数千メートルの世界





版元の朋文堂という出版社は山岳図書のパイオニアだという。本書の旧ヴァージョンは昭和17年に、この朋文堂から『靑春の氷河』のタイトルで刊行。昭和34年の再発時には『ザイルの三人』と改題しただけでなく、全十三篇のうち五篇は他の作品に入れ替えられた。
それゆえ下記の如く、この色文字になっている短篇は『靑春の氷河』には入っていない。

 

 

「ザイルの三人」エドウィン・ミュラー

「山頂の燈火」M・L・C・ピクソール

「形見のピッケル」(=旧題「K3の頂上」)ジェームズ・ラムゼイ・アルマン

「第三者」サキ

「山上の教訓」サーデス

 

 

「二人の若いドイツ人」ウルマン

(目次と本編ではウルマン表記だが、あとがきはアルマンとなっており、
「形見のピッケル」と同じ作者か?)

「青春の氷河」A・E・W・メースン

「単独登攀者」ミュラー(「ザイルの三人」と同じ作者?)

「マカーガー峡谷の秘密」アンブローズ・ビアス

「氷河」ウラジミル・リディン

 

 

「山」アーヴィン

「山の宿」モーパッサン

「メークトラインの岩場」ケイ・ボイル

 

 

 

ミステリ/怪奇幻想系の作家として認識されているのはメースンとアンブローズ・ビアスのみ。経歴がよく分からない人も多いし、各作品の内容をトータルで俯瞰してみて、本書を純粋なミステリ・アンソロジーと定義するのは、いささかキツイ。されど人が標高数千メートルの高地に足を踏み入れるとなると、そこには常に危険と恐怖が伴う。妹尾韶夫のセレクトだけあって、ここに収められた山岳小説はサスペンスや人間ドラマの要素を含んでおり、前々回の記事で取り上げた松井玲子『大人は怖い』(☜)が探偵小説として読めるのならば、本書だってミステリを鑑賞するような心持ちで接することもできなくはない。

 

 

 

アンソロジーとはいえ、「山岳小説?どれも似たようなシチュエーションの話じゃないの?」と先入観を持たれるかもしれないが、それなりにヴァリエーションはあるので心配には及ばない。メースンの「青春の氷河」とビアス「マカーガー峡谷の秘密」が当Blogの趣味的に頭一つ抜けているかといえばそうでもなく、二人のアルピニストが相対し、悲惨な結果に終わりながらも最後にちょっと感動させる「形見のピッケル」なんて、妹尾韶夫があとがきにて激賞するだけのことはある。

 

 

 

それからモーパッサンの「山の宿」なんかは、春が来るまでシュワーレンバッハの山の上にある宿屋の留守を守らねばならず、雪の牢に閉じこめられる者の精神崩壊を描いており、さすがの名手ぶりに唸らされる。「アルプスの少女ハイジ」でペーターの家がある山の下と、ハイジやおんじが住んでいる山の上とでは雪の量が全然違ってたでしょ。モーパッサンは山の上のあの厳しい冬の脅威を、ジットリとmadlyに活写している。

 

 

 

しかしこの本、校正担当もしくは活字を組む人間が三流だったのか、例えば上段で述べたように同じ作家の名がアルマンやウルマンに揺れていたり、表記の面で気になるところが結構多くて疲れる。朋文堂の本はいつもこうなのか私には分からないが、こういうのがあると作品にまでマイナスな印象しか残らなくなるから良い事ではない。






(銀) 目次に「訳者あとがき・・・・ディケンズ・・・・」と表記があるけど、本書にはディケンズの作品は入ってないし、どういう意味なんだろ?これも編集サイドのミスかな?

 

 

 

   妹尾アキ夫 関連記事 ■

 

 


 
 

 









2020年12月18日金曜日

『至妙の殺人/妹尾アキ夫翻訳セレクション』

2019年11月29日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創海外ミステリ 第240巻 横井司(編)
2019年11月発売



★★★  〈論創海外ミステリ〉内に新しいシリーズ




これまでも保篠龍緒(訳)『名探偵ルパン』など〈論創ミステリ叢書〉寄りな内容の海外作品を小出しにしてきた論創社だが、〈論創海外ミステリ〉が内包するシリーズとして『新青年』 ~ 『宝石』世代の翻訳者が手掛けたクラシックな旧訳を定期的に復刻するつもりらしい。

 

 

本書の柱である翻訳者は妹尾アキ夫。彼ならば長篇短篇を問わず海外作家翻訳のタマはたっぷりあるから、短篇集にするのなら対象を一作家一短篇にして全部違う作家を採録したほうが妹尾の腕前がよくわかったのに。
(例えば『怪樹の腕』では、アーチー・ビンズ/オーガスト・ダーレス/H・トンプソン・リッチ/C・フランクリン・ミラー/ラルフ・ミルン・ファーリーという具合に、多彩な海外作品の妹尾翻訳が収められていた) 

今回翻訳の対象となったのはビーストンとオーモニア。


 

△ L.J.ビーストン

御存知ラストにおけるどんでん返しの妙に優れた作家。戦前はかなりの人気を誇ったビーストンも新訳し直すという話を一向に聞きませんな。今だったらビーストンよりルヴェルのほうが評価が高いかも。(創元推理文庫で『夜鳥』が復刊された訳だし)


-収録作-


「ヴォルツリオの審問」

「東方の宝」     (*)


「人間豹」      (*)

江戸川乱歩の同名作の如き獣人は出てこない。


「約束の刻限」    (*)

「敵」        (*)

「パイプ」      (*)


「犯罪の氷の道」   (*)

本作のクライマックスとよく似た演出を初期「ゴルゴ13」のあるエピソードで読んだ事がある。もしかしてゴルゴの脚本家もビーストンを読んでいた?


「赤い窓掛」     (*)

こちらはタイトルでなく、ある演出をまるっと乱歩にパクられている。

 


△ ステイシー・オーモニア

人間味がじっくり書けており、大下宇陀児の短篇を好む人なら向いていそうなものがある。
 

-収録作


「犯罪の偶発性」         (#)

「オピンコットが自分を発見した話」(#)

「暗い廊下」           (#)

「プレースガードル嬢」      (#)

「撓ゆまぬ母」          (#)

「墜落」             (#)

「至妙の殺人」          (#)

「昔やいづこ」          (#)

 

 

マークは博文館『世界探偵小説全集 19 ビーストン集』(昭和4年)もしくは
      創土社『ビーストン傑作集』(昭和45年)のいずれかに収録


マークは春陽堂版『探偵小説全集 14 ランドン/オーモニア集』(昭和4年)に収録

 (私の手元にある同全集の『ランドン/オーモニア集』と『大下宇陀児集』は二冊の本が
  セットで函に入っている。当時から彼らは近いものがあると思われていたのだろうか)

 

 

古書の収集歴が長い人なら持っているかもしれない上記の三冊に、ビーストン「ヴォルツリオの審問」を除くすべての作品は載っているので、本書が必要かどうか迷っている人は参考まで。

 

 

ビーストンとオーモニアを中途半端にセレクトしたせいで、必ずしもこの二人のベスト・セレクションになってる気がしない。横井司の巻末解説も〈論創海外ミステリ〉の各巻平均ページ数のしばりがあるからかもしれないが、あまり濃くなくて残念。それにこの本、公式発売日の何日も前からヤフオクに出品されてたぞ。論創社はいつまでたっても新刊本をフェアに一斉発売とするつもりはないようだ。




(銀) この頃から論創社は海外ものだけでなく日本の探偵作家でも論創ミステリ叢書の他に、川野京輔『推理SFドラマの六十年』中島河太郎『中島河太郎著作集』飛鳥高『細い赤い糸』など評論・小説問わず濫造濫発するようになってしまった。



『中島河太郎著作集』(上巻)の収録内容を見ても何故いま『日本推理小説辞典』を再発せにゃならんのか理解に苦しむとはいえ、なぜ私は濫造濫発とまで思ったか?論創社のおかしくなってゆくその過程は近いうちに詳しく書く。




2020年9月25日金曜日

『妹尾アキ夫探偵小説選』妹尾アキ夫

2012年9月17日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第55巻
2012年9月発売



★★★★★    美術の優れた、旧い映画を観るような



翻訳と創作とでは使う頭脳の回路が違うようで。あの典雅なホームズ訳を手掛けた延原謙でさえ創作ものに傑作はないし、乾信一郎は動物・ユーモア小説しか書いてない。保篠龍緒もルパン訳ではそこまで気にならないが、創作ものになると悪文な印象を受ける。それを考えたら妹尾アキ夫の創作は翻訳仕事がメインの人としては例外的に、非常に優れていると言えよう。

 

 

横浜・神戸・上海と、彼が過ごした土地の香りに満ちた美しい二十短篇を収録。この人の作品って戦前の渡辺啓助に近い感触もある。かつて「人肉の腸詰」「凍るアラベスク」「恋人を喰ふ」「本牧のヴイナス」「深夜の音楽葬」「密室殺人」「カフェ奇談」「リラの香のする手紙」がアンソロジーに軒並採録された実績からしても、その品質の安定感が窺える。出来が良いだけに、もう一歩ポオやビーストン風から踏み出した刺激があったらな。

 

 

その刺激という点でいうと後半の随筆集、特に〈胡鉄梅〉名義で『新青年』に掲載された毒舌月評「ぺーぱーないふ」が無類に面白い。妹尾にバッサリ斬られた大下宇陀児の反論も同時収録。しかし宇陀児はこんな外部の声に腐ってしまって、謎解き路線から逸脱していったのかしらん。もったいない。

 

 

こういった小説以外の文章は、貴重な資料であるにも関わらず本になる機会が少ないのが実情。井上良夫『探偵小説のプロフィル』という手本になる前例もあるのだから論創ミステリ叢書でもたまには変化球として、何かテーマを決めて小説以外の評論・随筆だけを収録した巻を出してみては如何? 例えば単行本未収録ものを集めた『江戸川乱歩座談・対談集』とか。殆ど暴挙になりそうな次回配本予定『正木不如丘探偵小説選』(しかもニ冊出るらしい。ホントに大丈夫か?)よりは安定して売れる気がするけど。

 

 

本叢書の姉妹シリーズ「少年小説コレクション」は鮎川哲也の初出雑誌に揃わない号があって、仁木悦子が二番手になってしまった。サッカーの延長PK同様、二番手が決めるか外すかは後に大きく影響するよ。論創社は採算ギリギリの線でやっていると聞くから私は不安視している。




(銀) たとえ胡鉄梅からキツい作品評を喰らっても、書かれた側の作家が微動だにしない存在で、そんな毒を吐かれたところで本の売れ行きに何の影響も無いのだったら、きっと蚊に刺された程度にしか感じなかっただろう。しかしあの乱歩でさえ世評を気にするほど、日本の探偵小説の業界は狭かった。昔はSNSなんてくだらないものは無く、炎上するまでには至らなかったが、誰だっておひゃらかしたような言葉で批判をされたら、心中穏やかではないのは理解できる。



私は現在のミステリ業界の〈なあなあ感〉がキモくて肌に合わないので、Amazonのレビューであろうと自分のBlogだろうと、思ったままの感想を書いている。だから胡鉄梅を擁護するというよりも、時には胡鉄梅みたいにシニカルな発言をする人間がひとりぐらい居たほうが、生ぬるく褒め合ってばかりの連中だけで群れているよりずっと健全じゃないか、と思うのだ。チンケな罵倒の応酬じゃ読む気も失せるがね。


 

「少年小説コレクション」については、山田風太郎『夜光珠の怪盗』(2020914日)、『本の雑誌 201912月号』(2020915日)の項にて取り上げたから、ここではスルー。