2023年3月30日木曜日

『松本清張と日本の黒い霧/未解決ミステリー』

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NHK-BSプレミアム
2023年3月放送



★     ひとつ曲がり角  ひとつ間違えて



本来はNHKドキュメンタリー看板商品である『映像の世紀』シリーズ。『映像の世紀』→『新・映像の世紀』→『映像の世紀プレミアム』ときて、今やっている『映像の世紀バタフライエフェクト』はそれまでの放送時間半分程度(45分)に縮小した形。『新・映像の世紀』以降水増し編集や同じ素材の再構成を繰り返すだけでビカビカのフレッシュなテーマは投入されなくなり、当初のパワーは次第に失われていく。『映像の世紀バタフライエフェクト』はよく言えば小ネタに焦点を絞り込んでいるが、無理くり週一オンエアにするものだからディープに作り込む余裕も無さそうで、番組のイメ-ジがこじんまりしてしまった。

 

                    


もうひとつのビッグ・プロジェクト『未解決事件』シリーズも同様の道を辿っている。最初の「グリコ・森永事件」こそ(劇場型犯罪だったせいもあって)実によくできていた。ところが、File.02の「オウム真理教事件」は麻原彰晃の自供をとれないなど多くの謎こそ残ったが、一応は教団一味を逮捕できたのだから、このシリーズ内で扱うのはちょっと違う気がする。

 

 

その後も事件のセレクトのみならず、再現ドラマ・パートに力点を置き過ぎたり、草彅剛なんてジャニタレをキャスティングしたりするので、『映像の世紀』と比べてかなり早い段階から失速の様相を呈していた。そこへなんとFile.09は「帝銀事件」が選ばれ、なんとか盛り返してくれることを期待したけれども、結果は今年の元旦の記事にて述べたとおり。

その上34日には本清張と〈小説帝銀事件〉/未解決ミステリー』と名付けられた、またも『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』を再構成しただけの番組を垂れ流すばかりか、『未解決事件』シリーズのコンセプトをぼやかしてしまう鵺(ぬえ)のようなこの「未解決ミステリー」とやらの続編に、今後『未解決事件』シリーズの題材に是非なるよう願っていた「下山事件」「松川事件」をあろうことか一緒くたに使ってしまうとは・・・。これで『未解決事件』シリーズにおいて、「下山事件」と「松川事件」をやる可能性はほぼ消えてしまったっぽい。

 

                     


「未解決ミステリー」があまりに〝ど素人〟の作ったような内容だったんで、記事を書く意欲も湧かないのだけど気力を振り絞って(?)やってみよう。34日放送の『松本清張と〈小説帝銀事件〉』も今回の『松本清張と日本の黒い霧』も、社会派ミステリの王様・松本清張を褒め散らかして喜びたい薄~い視聴者層には向いているのかもしれない。コメンテーターとして出てくる横山秀夫/保阪正康/みうらじゅんはひたすら清張信者としての讃美を口にするのみで、「帝銀事件」「下山事件」「松川事件」については何も理解していないようにしか映らな清張個人ではなく、これら戦後の不可解な怪事件の真相に対する肉迫が観たい私みたいな視聴者にとって得られるものは皆無。

もしかするとこの番組の制作者って、私のBlogの『日本の黒い霧』に関する記事をチラ見して「未解決ミステリー」を適当にでっち上げたのかもう中身がペラペラすぎてそんな気さえしてくる。「帝銀事件」ならわざわざ類似番組を作らなくたって、『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』を再放送すればそれで済む話だったんではないの?

 

 

NHKの松本清張ワッショイ番組といったら、去年だったか船越英一郎をMCにした『わがこころの松本清張』があったし、その前にも『深読み読書会』だっけ?もう十分清張の特集はやってるじゃないか?『未解決事件』シリーズを水で薄めてまでどうして清張推しをやる必要があるのかよくわからんな。

『松本清張と日本の黒い霧』でも、必要もないのに相も変わらず『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』ドラマ・パートの大沢たかお演じる清張のシーンを挿入するし、みうらじゅんは「うしろメタファー」とか面白くもない自分語を披露してシラケさせるし、なんちゅうしょーもない番組なんだか。昔からNHKのドキュメンタリーはあまりセンスがよろしくない傾向にあったとはいえ、どこでどう間違えて人気コンテンツをここまでダメにするほど落ちぶれてしまったのか。こんな調子では立花孝志みたいに「NHKをぶっつぶーす!」って立候補してくる人間は今後も増える一方だぞ。




(銀) 局の顔ともいえる武田真一アナウンサーでさえ見限って辞めていくぐらいだし、民放と違って受信料で潤ってる筈のNHKでさえ有能な人は続々といなくなってるんだろうな、たぶん。長年の無用の長物『紅白歌合戦』をいまだに終わらせられないっちゅうのも私には理解できん。




2023年3月26日日曜日

『薔薇夫人』竹田敏彦

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東方社
1961年1月発売


★★★★★   筆冴える外地探偵小説



 いつもよくしてもらっている古書店の店主に、昔「ちょっと見じゃ気付かないけど探偵小説だよ。」と勧められたこの本。なるほど帯の惹句にも〝長篇傑作〟とあるばかりで教えてもらわなかったら素通りするところだったが、読み始めてみると〝巻を措く能わず〟な面白さに感心。竹田敏彦の著書の中には『眼で殺された女』のような、ミステリ専門店の古書目録に探偵小説として扱われているものもあるから、いろいろ探してみたら私向きの作品がまだ埋もれているかもしれない。


【プロローグ】 

復員した青木晋作・元海軍大尉は許嫁を奪われた怒りから、殺人未遂の罪を犯して豊多摩刑務所に収監されていた。出所の日は来たものの今の彼に頼れる者は誰ひとりいなかったのだが、そこへ突然迎えに現れたのは葉山貴志子という妖麗な謎の美女。並外れて富裕である以外、何ひとつ彼女の素性を知る事ができないながらも次第に晋作は貴志子に惹かれてゆき、遂に想いを打ち明ける。すると貴志子は求婚を受け入れるから一年だけ待ってほしいと言って、古い一通の手紙を取り出した。それを読んだ晋作は驚愕のあまり蠟のように蒼ざめ、手紙を持手はブルブル震えるのだった。

 

 

 著者は幼い頃苦労を重ね、新聞記者などの職を経て澤田正二郎や菊池寛の力添えもあり四十歳も目前という年齢でやっと成功を掴み、人気作家として活躍した。戦後も執筆を続けたが近年は現行本がなく、忘れ去られた存在になっている。この「薔薇夫人」の場合は一切何も知らずに出会うほうが望ましいと思うのだけど、なにせ今まで探偵小説だと認識されずに来ているし少しぐらいの紹介文はあったほうがいいかな、と考えて以下続ける。

 

 

つまり文体こそ明治の文語体ではないけれど、「巌窟王」や「白髪鬼」といった黒岩涙香のエッセンスが充満したプロットであって、第一次欧州大戦で山東半島など中国大陸へ日本が進出していた大正期から敗戦後の内地を舞台に、スケール感たっぷりに描く波瀾万丈の大長編な訳です。

 

 

「巌窟王」を素材に使った日本の長篇小説は「明治巌窟王」(村雨退二郎)/「新巌窟王」(谷譲次)/「日本巌窟王」(野村胡堂)など様々。こんな風に書くと「なぁんだ翻案じゃないか」と軽視されるかもしれないけど、そっくりそのままコピーペーストした展開にはならないように工夫されているし、なにより竹田敏彦の筆が冴えまくっていてサスペンスの波状攻撃にやられてしまう。終盤のクライマックスの残酷さは江戸川乱歩の〝コレデモカ コレデモカ〟を上回っているのではないか。私とて一度は「涙香というかデュマの美味しいところを頂いてるから★4つが妥当かなあ」と考えたが、竹田の筆のテンションに打ち負かされたんで満点とした。


 

 

(銀) 10年ほど前にせらび書房が出していた「外地探偵小説集」シリーズが好きだった。もしあのシリーズが今も続いていて、長篇の外地ものを取り上げるのであれば本作なんかピッタシではないかな。






2023年3月23日木曜日

『怪奇探偵小説家 西村賢太』の売り方をめぐる疑惑

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日本語を母国語にしている人間の仕事とはとても思えぬテキスト入力がなされた東都我刊我書房の『闇に浮かぶ顔』。その巻末で蜂須賀正氏をネタにして解説を書いていたのは杉山淳だった。一方で小野塚力(りき/@onozukariki) twitterにこんな一文が。


〝こちら、解説を担当しました。
探偵小説に登場する、鳥類学者・蜂須賀正氏博士についてかきました。〟

『闇に浮かぶ顔』| 書誌盛林堂 https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca16/1019/



杉山淳小野塚力って、単なる同類じゃなくて同一人物だったんかい。善渡爾宗衛も疑惑の左川ちか本で柴門あさをなどと名乗ってたな。文章における句読点の打ち方は無茶苦茶、フツーなら漢字表記すべきところをひらがなでタイプしてしまう癖(書くかく)なんか善渡爾小野塚杉山に共通してるし、せっせと珍妙な一人三役を演じていたとしても今更驚きもしないがね。

そうすると、彼らの関わっている本のクレジットでは同じ人間なのにわざわざ別々の名前を載せている訳で、よく自分に自信の無い人間ほどペンネームというか別名をいくつも使いたがる傾向にあるというが、単純にそれだけだろうか?彼らの行動を逐一監視していると、他にも疑わしい理由が隠されているように見えなくもない。







さて、前回の記事からの続きである。今日はテキストの酷さではなく本の売り方にまつわる黒い疑惑がテーマだ。先月の中旬に東都我刊我書房が『怪奇探偵小説家 西村賢太』(杉山淳著)という新刊を出した。その折、販売窓口である盛林堂書房の通販HPにはこう書いてあった。





発行部数 : 50

判  型 : B6版 136ページ

価  格 : 2,000





東都我刊我書房綺想社、そしてえでぃしおん うみのほ(他にもnoir punk press等あり)。善渡爾小野塚杉山が糸を引いているレーベルの本は、さしたる理由もないのにどれも異常に価格が高い。それにしてはこの『怪奇探偵小説家 西村賢太』、たった50部しか刷ってないわりに2,000円と珍しく正常な価格である。善渡爾小野塚杉山が売っている本は何部刷っているのか常に明らかではないから、いつもだいたい同じ50部程度なのか、それとも100部以上なのかわからない。ともかく盛林堂書房の通販HP上で『怪奇探偵小説家 西村賢太』は販売開始からあっという間に売切れとなり、twitter上で「買いそびれた」とボヤくコメントが見られた。



 

 

そしたらこの本、ヤフオクで59,000円なんて馬鹿げた値で落札された[落札者のヤフオクIDf*6*d***48)]のを皮切りに、『怪奇探偵小説家 西村賢太』をヤフオク/メルカリの両方で転売する者が続出、さすがに二度と50,000円以上もの暴価にこそならなかったけれど、ありえない値で釣られるアホもまた続出。盛林堂関係の同人出版本をいつもヤフオクで定価販売でなくオークション形式で売っている彩古こと八島久幸の極悪古本屋・古書いろどり[ヤフオクIDirodori_18なんて、今回の西村賢太本で相当ボロ儲けしている。このリンク先を見よ!


 ヤフオクでの〖怪奇探偵小説家 西村賢太』落札状況

 

すると。同人出版で増刷するなんて非常に稀だし、ましてや読者にそんな優しい態度をとるとは到底思えぬ盛林堂周辺でグルになっている善渡爾小野塚杉山らがたちまち『怪奇探偵小説家 西村賢太』を増刷すると言い出した。少部数なのに2,000円のリーズナブル価格を付けているというだけでも十分疑わしいのに、速攻で増刷対応するなんて、なにか裏があるに違いない。



 

 

増刷分はなぜか本丸の盛林堂HPではなく、神保町のPASSAGEや西荻窪の今野書店、吉祥寺のバサラブックスで売られたようだ。ここで私の注意を引いたのは善渡爾小野塚杉山の『怪奇探偵小説家 西村賢太』増刷に踏み切るまでの素早さ。この二ヶ月の動きを時系列に並べてみるとこうなる。

 

 212日   

HP「書肆盛林堂」にて『怪奇探偵小説家 西村賢太』発売 → 同日中に売切れ

 

 216

この時点で既に善渡爾小野塚杉山が増刷に動きだしていたらしい事がこのツイートから見てとれる。


 





 224日   

古書いろどりによってヤフオクに出品された『怪奇探偵小説家 西村賢太』が59,000円で初めて落札される。この後も定価の数倍の値での落札あり。(上記のリンク先を参照)

 

 34

『怪奇探偵小説家 西村賢太』増刷分が(最低でも100部)PASSAGEにて販売開始。



 






 314

善渡爾宗衛が「本日、三刷が到着、こっそり補充。」とツイート。この間、わずか十日。






 










『怪奇探偵小説家 西村賢太』の増刷までの流れを文字にしてみて、次のような疑問を抱いた。

 

⦿ 初版50部の少部数なのに、あの連中が価格を2,000円で設定する筈がない。ということは、最初から2,000円に見合うだけの部数を刷っておきながら、(コストをペイできるようにというよりも)できるだけ金を巻き上げるために、とりあえず50部のみの販売などとユーザーに飢餓感を煽っておいて超レア度を演出し、購入者をひとりでも多く釣る計画だったのではないか?

 

⦿ もしそうでないのであれば何故定価2,000円に設定できたのか?彼らがいつも販売している本の価格がコストと比較して妥当なものだというなら、どうして今回はこんな赤字覚悟の低価格にできたんだ?同一の本を最初から一括にて250部作るのと、三回に分けて50100100部と作るのでは、かかるコストは後者のほうが当然高くかかるのではないのか?

 

⦿ この種の並製本の増刷を仮に100部ほど印刷会社へ発注したとしよう。第二刷が34日納品され、彼らがどのタイミングで第三刷を発注したのか知らんが、314日に第三刷が納品されているというのは制作にかかる日数として妥当なのか?自分たちで適当に第二刷/第三刷といっておきながら、その実最初からまとまった部数が出来上がっていたのではないか?増刷分を買った方は奥付を確認してもらいたい。第二刷とか第三刷と印刷してあるなら本当に増刷しているかもしれないが、もしも何も書いてなければ増刷というのはでたらめである可能性が高い。

 

このように見てゆくと、超レア度を作り出すため最初盛林堂販売分を極端に少なくしておいて、古書いろどりなどのサクラを使い、オクやフリマで高騰状況を欺瞞した可能性だってありうる。それが事実なら、もはや犯罪的だ。


 

 

(銀) 普通の同人出版本にここまで疑惑が生じるなんてまずありえない。それほどまでに善渡爾宗衛小野塚力杉山淳のやっている事は異常。私の言う事に文句があるなら、いったいどういう理由でテキストを見るも無残な形で入力し作家への敬意を踏みにじった上、ぼったくり価格を付けた本を販売し続けるのか納得のいく説明を聞かせてもらいたい。左川ちか研究者・島田龍にも詫びを入れていないようだし、「年寄りだから老眼で目がよく見えない」などと言い訳にもならない弁解は通用しない。


この記事をもし国税局の方がご覧になっていたら是非とも善渡爾宗衛小野塚力杉山淳の、(ついでにお仲間の盛林堂書房も)納税状況を調査してもらいたいね。他の同人出版本より特別リッチな造本でもないのにあの価格だとか、本のプリント製本を発注する印刷会社を明記しないというのも、裏で相当あぶく銭をちょろまかしているからとしか思えんだろ。





2023年3月21日火曜日

『闇に浮かぶ顔』伊東鍈太郎

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東都我刊我書房
2023年3月発売




    最早こいつらに本の制作・販売をさせてはならない




 いまだに自らを何ら省みる事もせず【校正無視】【校閲無視】のゴミ本をあつかましく売り続けている善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力。今度は翻訳者として知られる伊東鍈太郎の創作短篇集を出してきた。

 

「怪盗青環組」「闇に浮かぶ顔」「撮影所に来た死人」「死の舞踏」

 

収録された四篇とも昭和32年の雑誌『オール読物』に発表されたものらしいが、ミステリというよりドンパチ系のアクション犯罪小説でしかなく内容について取り上げるべき点は無い。せめて本書のテキストがごく普通に入力されているのならこちらも少しは良いところを探しもするが、盛林堂書房とズブズブのレーベル東都我刊我書房だからいつもどおり誤字脱字のオンパレード。本文レイアウトには後藤浩久とクレジットあり。

 

 

☽ 四篇全てにあるテキストの変な箇所をすべて拾うのもアホらしい。冒頭の「怪盗青環組」に発見される【校正無視】【校閲無視】な箇所のみを御覧に入れる。お断りしておくが下記に示すガタガタの日本語は全体でこれだけなのではなくて、たった一短篇の中にこれだけの誤字脱字が存在しているのだ。もちろん他にも、著者ではなく本書の制作者がやらかしたと思しき妙な送り仮名が満載で、まともに読める代物ではないのもいつもどおり。(下線は私=銀髪伯爵による)

 

8ページ10行目

アザのようなを認めた。       (✕)

アザのようなものを認めた。    (○)

 

9ページ11行目

が手足をキリッとしばられ  (✕)

夜警が手足をキリッとしばられ   (○)

 

14ページ6行目

昨日へ大型トランクをもった男が   

昨日ここへ大型トランクをもった男が   

 

18ページ3行目

これは女のかられる仕事ではありません  (

これは女のかかわれる仕事ではありません  

 

19ページ6行目

若い男女はちょっと意味ありげな絆をかわしながら

(意味わからん)

 

19ページ7行目

垂花模様の分厚いカーテンしに  (

垂花模様の分厚いカーテンごしに    

 

23ページ3行目

たゞさえ畸型な顔が  

たゞでさえ畸型な顔が   (

 

25ページ5行目

取とめがなかった。

(〝取留め〟とするかもしくは〝とりとめ〟だろ)

 

26ページ8行目

賀氏は二度よみかえしてから、  

甲賀氏は二度よみかえしてから、  (

 

27ページ17行目

しかし、数ヶ月来      

しかし、ここ数ヶ月来 (

 

28ページ16行目

甲賀氏主人もぱっと床に身をふせて       

甲賀氏も老主人もぱっと床に身をふせて (○)

 

40ページ4行目

鼻のつぶれた男が    

鼻のつぶれた男が   (○)

 

41ページ2行目

裁判長のように裁とうとしている    

裁判長のように裁こうとしている  (○)

 

42ページ7行目

これは何というこだろう!    

これは何ということだろう! (○)

 

というクソみたいな東都我刊我書房のテキスト入力ですわ。しかも、表紙の著者名は伊東鍈太郎としているのに奥付では伊藤鍈太郎になっている。善渡爾宗衛は巻末で〝伊藤鍈太郎(一九○一~一九六三)は、ペンネームに、伊藤鍈太郎、伊東鍈太郎、道本清一郎などがある。本名を、道本清一という。〟と書いている。病弱と孤独感により伊東鋭太郎が入水自殺した記事を紹介している藤元直樹の「伊東鍈太郎の死」という研究ブログを読むと善渡爾宗衛の上記の記述は間違いではなさそうだが、伊藤の筆名を使っていたのはキャリアの始めの頃であり、本書の奥付へ表紙とは異なる伊藤鍈太郎とクレジットするのはおかしいのではないか?

 

 

☽ なにより納得がゆかないのは200ページ弱でカバーも付いていない本の価格がなんで6,000円もするのか?それと少し前から気になっていたのだが東都我刊我書房の本には印刷会社がどこなのかが奥付に明記されていないのもかなり怪しい。試しにあなたのお手元にある他のミステリ関係の同人出版本を見て頂きたい。『Carr Graphic vol.1 Down of Miracles』等を出している森咲郭公鳥/森脇晃の本しかりヒラヤマ探偵文庫しかり、その本がどの印刷会社でプリントされたかクレジットされているのがごく当り前というもの。なのに善渡爾宗衛らの本にはそれが無いということは・・・。

 

 

ここまで校正・校閲を無視して更にぼったくり価格の上、印刷会社を明らかにしないというのは実際に発生している製本コストがバレてしまうと、彼らにとって都合の悪い理由があるからじゃないのか?これだけの悪行三昧な本に対し嬉々として何の疑いを持たない連中、加えてこんな本の販売に加担している連中も彼らと同罪だと考えざるをえない。

 

 

 

(銀) 島田龍氏の名前を断りもなく自分達の本の協力者に使用したり、あげくには左川ちかの本を出版しようとした島田氏を恫喝したり、善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力らの存在は文学チューチュー〈注〉と呼ぶのがふさわしい。次回の記事もこいつらの悪事について述べる予定。

 

 

〈注〉 少女の自立支援という名目を隠れ蓑にして一般社団法人Colaboが日本の公金を不当に搾取している事実を、暇空茜が「公金チューチュー」と名付けた事に倣った言葉。





2023年3月16日木曜日

『14歳〈Volume.3~4〉』楳図かずお

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小学館 Big Comics Special 楳図パーフェクション!(13)
2012年12月発売




★★★★   ② 改めて作者の奇想に敬意を表す




 物語も折り返し地点を過ぎVolume.34を読んでいくと、本作の主人公が実はチキン・ジョージではないらしいことが次第に判明してくる。そして、人間の本性がどれほど残虐だったかという事実も・・・。


 

Volume.3

4章  地球重態                                       第5章  子ども選び

6章  大破滅 第1節 UFO大飛来     第7章  大脱出

 

Volume.4

7章  大脱出        第8章  人類最後の日

9章  人類滅亡後の旅    最終章  ムシ

 

 

 前回の記事から引き続き紹介している愛蔵本『14歳』は、本編が印刷されている紙のベースの色が一冊の中で微妙に異なっていたり、扉頁にエンボス加工が入っているだけでなく、このUmezz Perfection!版を〝完全版〟とするため最終巻Volume.4における本来のエンディングのあとに加えられた、フルカラー18ページ新しく描き下ろされた最終形完結シーンを読むことができる。更に読み応えたっぷりの楳図かずお超ロングインタビューもあり、今までのコミックスを全巻持っているからUmezz Perfection!版を買うのを控えていた人でさえ、Volume.4だけはどうしても買わざるをえない。本来のエンディングの何倍もドラマティックで、感動的な余韻を残す結末に生まれ変わった。

 

 

 思い返してみると、子供の頃初めて読んだ楳図マンガは何だったか忘れてしまったが、作風がコワイ以上になんとも食欲を減退させる絵だなァと強く感じたものだ。ホラーで気色悪い場面も多い「14歳」だが、フューチャーリスティックな物語なので〝SFの美しさ〟と悪趣味そのものの〝グロテスク〟さがせめぎ合い、えも言えぬ効果を上げている。

 

 

本作を最後に楳図は長い休筆に入った。その理由のひとつは腱鞘炎だそうでそれがいつの頃から悪化したのか定かではないが、「まことちゃん」に比べると「14歳」は連載開始時から「線が震えているな」と思って私は『スピリッツ』を読んでいた。「まことちゃん」から既に十年経っているのだから画風が変化するのは当り前なのだけど、本作の連載期間が長くなるに従い腱鞘炎の痛みがひどくなっていったのか、Volume.4あたりの絵はVolume.1よりも粗く、あまり喜ばしい事ではない。

 

 

〝もの(=人工人間)〟による殺人プロレス/天女のようなフォルムをした異星人の襲撃/選ばれた幼児達がチラノザウルス号に乗船して地球を脱出した後のくだりは、画質低下のせいなのか或いはストーリー進行に迷いが生じているのか、はたまたチキン・ジョージが物語の最前線から一歩引いてしまうからなのか、Volume.2までと異なりホンのちょっとだけもたつきを感じる。今日の記事でVolume.34の★の数をひとつ減らしたのはそれが理由。ただ、総体的にみて並外れた大作であるのは否定のしようがなく、此の儘「14歳」が楳図かずお漫画家人生のグランド・フィナーレになるのを寧ろ私は望んでいるぐらい。

 

 

 今日の記事の左上にupしたVolume.4の書影(右側)に見られる、いとけない表情の生物が何なのか、本作をまだ読んだことがない方は最後まで読んで、その正体に愕然となってほしい。通常のビッグコミックスにして二十巻をも重ねた「14歳」は奇才・楳図かずおのマグマを吐き出したような、一言ではとても概要を説明しにくい作品だが、結末を見事に着地させているだけでなく悪夢の中にも一条の光が差しているのがイイ。雑誌や通常の単行本でチョビチョビ読むよりぶ厚い愛蔵本で纏めて一気に読むほうが、作品の広がりを掴みやすいのではないだろうか。

 

 

 我々の現実社会が「14歳」に描かれている地球滅亡の時が訪れる西暦2121年に追い付いてしまうまで、あと98年・・・。

 

 

 

(銀) 生ぬるい映画や小説のSF/ミステリで時間とカネを無駄にするぐらいなら、この漫画を何度もじっくり読み返したほうがはるかに楽しめる。あ、でもUmezz Perfection!版『14歳』はぶ厚いから読んでいて本のノド割れには注意すること。





2023年3月15日水曜日

『14歳〈Volume.1~2〉』楳図かずお

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小学館 Big Comics Special 楳図パーフェクション!(13)
2012年11月発売




★★★★★  ① チキン・ジョージという怪物の存在感だけで
            成功は約束されたようなもの




 書誌的な話から本日は始めよう。今世紀になって楳図かずお作品のスペシャルな愛蔵本(=Umezz Perfection!)が出た。今のところ最後の長篇になっている14」も2012年にUmezz Perfection!版が発売され、いつ頃初版が売り切れてしまったのかわからないが2022年の「楳図かずお大美術展」の開催に合わせ第二刷出来。だから、現在新刊書店に残っているものはすべて第二刷。

 

 

何故そんな話をするかというと初版発売時には帯に応募券が付いており、Umezz Perfection!14歳』全四巻購入者には特典として『漂流教室創作ノート』がプレゼントされていたんです。それ知らんかったから私は最近になって第二刷で買い揃えました。で、愛蔵本なのに第二刷は帯がもれなく付いていない。まあプレゼント企画をやっていたのは初版時の期間限定で応募がもうできないのは諦めるとしても、愛蔵本なんだし応募券が印刷されていない帯を作り直して本体に巻き直してもいいんじゃないの?と思う訳。というのは第二刷は初版より1,000円ほども価格が高くなり(!)第二刷ってどんだけ少部数しか刷ってないんじゃ!? と小学館に問い詰めたい気分だから。

 

 

Umezz Perfection!のブックデザインは祖父江慎+吉岡秀典が担当、既刊作品は装幀があまりにも凝りすぎというか勇み足で楳図ファンからブーイングが出ていたらしいが、『14歳』の装幀に関して極端に「やだなあ」と思うことはない。ちなみにVolume.1852頁で、Volume.2944頁、Volume.3になると1264頁、Volume.41203頁。並みのぶ厚さではないから「読みにくいわい」と文句言う人がいるそうだけど、これも私はそこまで気にならない。確かにハードカバーじゃないから、扱いには気を付けないと表紙のカドを折り曲げてしまいがちではあるけれども。一点だけ許し難い事といえば帯が無いのにプラスして、カバーが通常のコミックスのようなコーティング加工がされておらず「コピー用紙みたいじゃん!」と揶揄されるような紙質で、特に問題なのがカバーの背の部分。四冊並べた画像をお見せしましょう。

ホラ、カバーの背に惹句なんて入れるものだからかなりダサい。本体はよく出来てるのに、ここだけが惜しい。

 

 

 

♠ いつもならばその本のおおよその筋は紹介しているけれど、本作の超ド級にスペクタクルで混沌としたストーリーを文字にしても薄っぺらいだけだから、各章題だけ記しておく。

 

Volume.1

1章  チキン・ジョージ    第2章  緑の髪の少年

Volume.2

3章  不老不死の血    第4章  地球重態

 

私は本作のコミックスを買っておらず『ビッグコミックスピリッツ』連載時しか読んでないので三十年ぶりの再読となる。やっぱUmezz Perfection!版 Volume.1の収録部分、つまりチキン・ジョージの誕生そしてマッド・サイエンティスト化、そしてグランド・マスター・ローズが登場してくるあたりが最も鮮明に記憶に残っていた。初版のUmezz Perfection!版 Volume.214頁と15頁が手違いで入れ替わっていたそうで、正しい頁順にこだわるのなら第二刷のほうがいい。要するに帯が欲しいからといって古本の初版に手を出すとそういう落し穴がある。しかも他の作品のUmezz Perfection!版より、『14歳』の帯付き初版全巻古本セットは中古価格が高く付けられていることが多い。そんな理由から結局私は新品の第二刷を入手したが、今から買おうとする方は自分が何を優先したいのか、よく考えた上で購入しないとあとで後悔するかも。

 

 

 

(銀) 「14歳」は小学館文庫版が今でも現行本として流通してるし、初刊のビッグコミックス版を古本で全巻揃えて読む手もあるのだが、どんなに価格が高くどんなに本の束がぶ厚くとも、Umezz Perfection!版で読むべきメリットがある。それが何かは次回の記事にて語るとしよう。②へつづく。





2023年3月11日土曜日

日本人の出版モラルは地に落ちたのか

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本日、☜マークで示した箇所にはリンクを張っているので適宜クリックしてご覧下さい。さて、半月ほど前だが『名張人外境ブログ2.0』にて、このような記事がupされていた。

「雪国はいまもつらいか」(2023222日付記事) 

 

日本人のモラルの低下というか、本を作る人間がどれだけ校閲をないがしろにしているか、その見本を人外境主人・中相作はピックアップして嘆いておられる。以下、下線は私(銀髪伯爵)によるものです。


➊ 『朝日新聞DIGITAL2023218日付記事 「人体模型に江戸川乱歩?〈大正レトロ〉な金魚カフェ、人気の秘密は」(筆者:大滝哲彰)の中で、「幽霊」が「幽霊」と誤記されている件。

 

➋ 教科書会社最大手の東京書籍が発行した高校地図教科書に、なんと約1,200箇所もの誤りがあった件。しかも、こんな状態なのに文部科学省は教科書検定でこれをヘーキで合格させており20224月から実際に高校で使われてしまっていた。中相作が記事のタイトルにしている〝雪国はいまもつらいか〟というのは、だいぶ前に新潟の「雪国はつらつ条例」を東京書籍が教科書上で「雪国はつらいよ条例」と記載し、それもまた国が堂々とスルーさせていたみっともない笑い話をオチョくったもの。版元も版元なら役人も役人で、ホントにどうなってるんでしょうな。


                    

 

不肖ワタクシめもこの『銀髪伯爵バードス島綺譚』にて、他人様の著作を本にさせてもらってるくせにテキストの校正・校閲を全くしようともせず、中にはあろうことか底本の内容を改竄までしている疑惑がある連中を糾弾する記事を書いてきた。

 

論創社 関連

『幻の探偵作家を求めて【完全版】(上)』 鮎川哲也

「鮎川哲也と幻の探偵作家達にもっとリスペクトを込めて復刊してほしかった」

『幻の探偵作家を求めて【完全版】(下)』 鮎川哲也

「論創社とミステリ業界の堕落」

 

湘南探偵倶楽部 関連

『マヒタイ仮面』 楠田匡介 

「① 湘南探偵倶楽部が販売してきたもの」

「② テキスト崩壊」

「③ どういった理由で湘南探偵倶楽部は改竄を続けるのか」

 

捕物出版/大陸書館 関連

「他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと①」

「他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと②」

 

善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳/盛林堂書房 関連

Q夫人と猫』 鷲尾三郎 東都我刊我書房

「企画そのものは大変嬉しいけれど・・・」

『葬られた女』 鷲尾三郎 東都我刊我書房

「テキストの校正をここまで無視して発売された新刊を私は見たことがない」

『影を持つ女』 鷲尾三郎 東都我刊我書房

「三冊連続でテキスト入力ミスが多過ぎ」


                    

 

消費者を軽んじたこのような事例は冒頭の二件以外にもあふれかえっているらしい。ここまでが長いマクラで、そろそろ今日の本題に入ろう。この一年の間に私が購入した探偵小説以外の新刊のうち、上記の例同様に、校閲がなされていなくて気分を害した二冊について述べたい。イエロー・マジック・オーケストラに関する音楽評論書、いわゆるYMOライターと世間で呼ばれている人間が書いたYMO本である。

 

まずCD・レコード販売会社 Disc Union 系列の出版部門DU BOOKSより2022年秋に発売された『シン・YMO』(著者:田中雄二)。この本がまた、なかなかお目にかかれないぐらいに誤字というか誤記の数がすさまじい。著者は校正費が少ないからこうなってしまったと発売後に言っていて、事実そうなのかもしれない。だからといって許されることではないし膨大なミスの中でも私がかなり気になった記述がある。初版589ページ(☟)がそれだ。 

 

   


坂本龍一がベルナルド・ベルトルッチ監督から映画『ラスト・エンペラー』について、最初音楽ではなく主役を演じて欲しいとの依頼があったと著者は書いているのだが、サカモトがあの映画に主役前提で出演オファーされたなんて話は私は一度も見聞したことがない。誰もが知るとおり主役の溥儀を演じたのはジョン・ローンであって、サカモトに与えられた役・甘粕正彦は『戦場のメリークリスマス』でサカモトと親しくなったプロデューサー(ジェレミー・トーマス)のプッシュにより、確かに重要な存在としてクレジットされてはいるが、甘粕が登場するのはあの長い作品の後のほう。サカモトを主役はおろか準主役とするのもどうだろう?もし仮に坂本龍一を坂本龍二と誤植したのであれば、普通に校閲担当者のミステイクと受け取ってもいいけれども、『ラスト・エンペラー』への主演依頼と書かれていたら、それは明らかに著者の責任ではないのか?

 

                     


私が田中雄二を心配しているのは著書以外にtwitterでもこんな発言をしているからだ。サカモトが80年代にDJを務めていたNHK-FM『サウンドストリート』に沢田研二が出演した回があって、ジュリーも実は『戦メリ』におけるヨノイ大尉の役を打診されていたのだが、断ったので結局サカモトに落ち着いた。その辺の裏話が語られているこの回の『サウンドストリート』を運良く私は当時エアチェックしていたから何度も聴いてきたし、また現在youtubeにこの回の音源がupされているので、興味のある方は下のリンクから入って聴いてみてもらいたい。


『サウンドストリート』DJ:坂本龍一/ゲスト:沢田研二 

(32分あたりで『戦メリ』について二人が語っている)

 

自分が丸坊主になるのは生まれて初めてだったのでサカモトはてっきりジュリーもそうだと早合点して「坊主になるのがイヤだったから断ったの?」と質問したところ、ジュリーは「いや中学時代は野球部だったから」と坊主刈り拒否を否定、ヨノイ役を受けなかったのはスケジュールの都合だったと語っているのが確認できる。ところが田中はどういう訳かtwitterにて「『戦メリ』は沢田研二が坊主頭嫌って降板した役を教授がやった話は有名。」と発信している。単なる勘違いならともかく『シン・YMO』のミスの多さを思うと、SNSのやりすぎなのか他のYMOライターに感情的になりすぎているのか、せっかく蓄積してきた知識を混濁させたまま発言してるようで痛々しい。



       



長くなるから簡略に記すが、後述する吉村栄一、さらに田山三樹/佐藤公稔といったYMOオタ・ライターへの田中雄二の憎悪はとめどない。だからこそ、彼らと己の違いを明確にするためにもテキストは正確に作成すべきだった。ボリュームがあって少ない校正費ではミスを免れなかったと言いたいのかもしれないが、他のDU BOOKSの本を読むかぎり、そこまで誤字だらけになっている印象がない。吉村/田山/佐藤の作るYMO本にロクなものがないのはそのとおりで『シン・YMO』は単純にメンバー三人の歴史を追うだけでなく、各時代の潮流や人間関係などが重層的に盛り込まれ内容的には優れているだけに、なんとももったいなさすぎる。



                     



さてもう一方の吉村栄一による『坂本龍一 音楽の歴史』(特装版)。版元は小学館。特装版は本体の評伝+ディスコグラフィー+写真集の三冊が小ぶりな函に入っているのだけども、こちらも問題山積みで定価13,200円に見合う内容とはとても言い難い。ディスコグラフィーなどなんとも見にくい上に、YMO『テクノデリック』の副題が〈京城音楽〉と記載されていたり、サカモトが関わった郷ひろみ「美貌の都」のシングル・ヴァージョンはアルバムとは全く異なるアレンジの別ヴァージョンなのにエディット・ヴァージョンなどと書かれていたり。もともと頭も良くなさそうだし編集センスの無い吉村栄一だが、よくこれでYMOの専門家を名乗れるものだ。


              


余談だがYMOライターと呼ばれる者に優秀な人はいない(優秀な編集者というのは昨年惜しくも亡くなった島本脩二みたいな人のことである)。それなのにYMO関係のアルバム・リイシュー盤や蔵出しアイテム等々が発売される際、どうしてレコード会社は毎回彼らを登用するのだろう?細野/坂本/高橋だって忙しいだろうからYMOライターのやる事を逐一すべてチェックなどしていないだろうし、またしていたとしてもそれは周りのブレーンがやる仕事でしょ。田中雄二が常々怒っているとおり、90年代以降YMOライターはYMOにパラサイトしてきたし、それを有難がる頭の悪いYMOオタというのも存在してきた。YMOのメンバー三人ほどの知性にして、なんでYMOライターを野放しにしてきたのかそれがどうにも私には理解しがたい。とどのつまり、持ちつ持たれつって事か?



〝ろくに本の校正・校閲をしない人種〟へ話を戻そう。活字に関わる人間がこんなバカになってしまった原因はそれぞれにいろいろあると推測されるけど、やっぱし私はスマホとtwitterがヒトの脳を狂わせてしまったとしか思えない。特に40歳以上の中高年、SNSを腐らせているのはこの世代の年寄りだと若者はしょっちゅう怒っている。もちろん中相作をはじめ、私の敬愛している人はSNSなんか手を出さない。反対に、毎日毎日エゴサーチだか知らんけど、もう取り憑かれたようにネットに張り付いて戯言ばかり発している人間に限ってやるべき仕事を全然やってない傾向がある(日下三蔵とか)。twitterをこの世からなくすだけで、くだらんトラブルや炎上なんてかなり減少する筈なんだがな。twitter、早くなくならないかな~。