探偵小説も「小説」のひとつ。文章がどうでもいい訳がない。昭和25年、雑誌『宝石』百万円コンクール長篇部門にエントリーされた「渦潮」を読む。「なりやーがったナー」「はっきりするじゃーないか」「わしには分らネー」。何なんだ、この「ー」「ー」だらけ/妙なカタカナ遣いは?
更に「誘拐」を「ゆうかい」とか、なんでもない漢字をバンバン開いたり、その割にはkmのキロは漢字で「粁」と書いている。いくら未熟なデビュー作でもトリックやプロット以前の問題で、読んでここまで気になる珍妙な書き癖の探偵作家もいないぞ。確か坪田宏も似た傾向があったが斯様に酷くはなかった。初出誌は藤雪夫の書き癖どおりに掲載していると思うが、論創社の校正係には(往年の意味なく漢字をすぐ開きたがる)春陽堂の残党が転職しているのかとさえ思ったよ。
他の収録作もしかり、もう一つの長篇「黒水仙」や短篇「指紋」「辰砂」「夕焼けと白いカクテル」「アリバイ」でも、「渦潮」程ではないにしろ変な書き癖は頻出する。当時からもボロクソに言われていた論評が解題に収録されており、そこで指摘されている数多の問題点の中でも、「渦潮」の終盤・真犯人の罠からカーチェイスに至る部分が(本来はクロフツ流なのに)木に竹を接いだみたいで活劇的なのはご愛嬌で許せる。でも「黒水仙」で警察が民間人に平気で拳銃を貸し与えたり(まるで何でもありのジュブナイル・レベルだ)、「辰砂」で死んで何十日も経ったであろう屍体が何の腐乱もしてなさげだったり、シリアスな本格としては困った欠陥が次々に出てくる。
登場人物のネーミングといいキャラ立ちといい終始地味な小説でコツコツ謎解きするところから「書下し長篇探偵小説全集」最終巻の座を争った鮎川哲也は藤雪夫の事を「宿命のライバル」と呼んだそうだが、とんでもない。特別鮎川贔屓ではない私から見たって、こんなに文章力ならぬ国語力が無いのでは、いくらアリバイ崩しに力を傾けていても、藤は鮎川の敵じゃあないよ。
リーダビリティのある探偵作家はまだ残っているだろうに。 これではミステリ珍本全集に美味しいところをもっていかれまくりではないか。
(銀) 戦後すぐにデビューしたはいいが、作家専業ではなかったり著書を出せなかった作家の場合、雑誌に作品が載っても敗戦直後の荒廃した環境における杜撰な校正のせいで、作家本人はちゃんと書いているのに、このように変な文字遣いにされてしまった可能性も無いとは言い切れぬ。戦前の本や雑誌ではこんなの見かけないし。