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2024年6月5日水曜日

『随筆黒い手帖』松本清張

NEW !

中公文庫
1974年6月発売



★★   清張の「探偵小説=お化け屋敷」発言はここで読める




昭和35年(1960年)の『日本の黒い霧』に続いて、翌年松本清張は『随筆黒い手帖』を発表。本日は最初に文庫化された時の中公文庫版を使って話を進める。

 

 

「推理小説の魅力」

推理小説の読者/日本の推理小説

 

 

言葉は選んでいるものの〝タンテイ小説は過去の産物だ〟と蔑視しているフシが伺えることは、あえて私が説明しなくたって、探偵小説の読者なら大方察知している筈。ロマン小説や中間小説がつまらなくなってきたので大衆は推理小説を手に取るようになったと前置きしつつ、若い頃どんなものを読んできたか、自分の読書体験を交えて先達探偵作家を評すると共に、坂口安吾と歩調を合わせるかのごとく(☜)、清張も本格ミステリの非現実ぶりに批判を浴びせている。では戦前の作品・作家に対し、どのような見方をしているのか、拾ってみよう。

 

 

〝日本の題材に、外国の密室トリックを応用したり、ハードボイルド風の行動を持ち込んでも不自然。〟

 

森下雨村/平林初之輔  〝その名訳ほどには(創作は)面白くない。〟

 

江戸川乱歩  〝「一寸法師」あたりから、いわゆる講談社の通俗雑誌に走るようになって、私の乱歩への傾倒は消滅した。〟(銀髪伯爵・注/「一寸法師」は新聞連載作品)

 

甲賀三郎  人物が類型的だし、筋の設定もそのルパン式低俗さについていけない。〟

 

小酒井不木  〝よく言えば書斎風、悪く言うと素人臭くて閉口。「恋愛双曲線」などは悪作である。〟(銀髪伯爵・注/「恋愛双曲線」ではなくて「恋愛曲線」)

 

 

その他、夢野久作は同郷のシンパシーもあってか、「あやかしの鼓」を引き合いに出して褒めている。また、小栗虫太郎のペダントリーを坂口安吾はボロカスに批判していたが、清張は意外に好意的。虫太郎に対するこの二人の評価の違いは研究に値するテーマかもしれない。こういった論旨を経て発せられるのが例の〝探偵小説を「お化屋敷(ママ)」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった〟発言である。

 

 

 

「推理小説の発想」

小説と素材/創作ノート(一)/創作ノート(二)

 

 

この章は2005年に光文社文庫より復刊された江戸川乱歩/松本清張(共編)『推理小説作法』にも収録されている。本書の解説で権田萬治は「この章こそ『黒い手帖』の圧巻」と書いているけれども、私は清張の創作舞台裏には全然関心を持てなくて、逆に本章以外の部分に興味がある。

 

 

 

「現代の犯罪」

黒いノート/『日本の黒い霧』について/松川事件判決の瞬間

「二つの推理」

スチュワーデス殺し事件/「下山事件白書」の謎

「推理小説の周辺」

スリラー映画/楽屋裏の話

 

 

しかし清張って、(メディアからの要望なんだろうけど)フィクションでない現実社会の犯罪にいちいち口を挟むのが好きだなあ。これもリアリズムの表れかね?「現代の犯罪」の章では小松川女高生殺し/新興宗教殺人事件/新宿柏木若妻殺し/貨車強殺事件/向島通り魔事件/三鷹ピストル事件/高見家惨殺事件/等々、当時紛糾していた数々の事件の感想が書かれている。自分の創作小説とも地続きになる部分をさりげなく読者に示したかったのか、それともTVのコメンテーター風に一言発したかっただけなのか、清張ファンじゃないので私にはわからない。

 

 

そんなアプローチの中、もっともスペースを割いていることもあってBOACスチュワーデス殺しに目が行く。そう、「黒い福音」の元ネタである。殺されたTというのは(フルネームで書かれているが、ここではイニシャル表記にしておく)少し尻軽で問題アリの女性。容疑者ベルメッシュ神父もまた、神に仕える立場のくせにやたらと女好きらしい(昔でいうところの色魔か)。




一見、情痴の果ての殺人と見えるそのウラには誰かの陰謀があるのかないのか・・・・初動捜査を失敗するわ、相変わらず日本は国際間での駆け引きに弱いわで、結果的にベルメッシュ神父は国外逃亡してしまい、あえなく迷宮入りに。神父の所属していたドン・ボスコ社の元締め・サレジオ会の信者が無条件に容疑者をかばい立てるので、清張は腹が立ってこのエッセイを書く気になったと語っている。

 

 

『日本の黒い霧』を補足する随筆もあるけれど、私みたいに「一度は読んでおきたい」と思う人以外は、そこまで重きを置く必要はない。『松本清張社会評論集』よりは読みがいがあるけど、『松本清張推理評論集 1957-1988』には遠く及ばず、そんな感じかな。

 

 

 

 

(銀) どのエッセイ集を読んでも清張に対する私のスタンスは何も変わらないのだが、甲賀三郎について〝「琥珀のパイプ」は感心したが、それ以後の氏の作品には、あまり魅力を感じなかった。ただし「荒野の秘密」の前半は印象に残る。〟とコメントしているのが気になった。「荒野の秘密」の前半に清張が褒めたくなるようなところってあったっけ?時間があったら再読してみるか。






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2023年3月30日木曜日

『松本清張と日本の黒い霧/未解決ミステリー』

NEW !

NHK-BSプレミアム
2023年3月放送



★   ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて




本来はNHKドキュメンタリー看板番組である『映像の世紀』シリーズ。『映像の世紀』→『新・映像の世紀』→『映像の世紀プレミアム』ときて、今やっている『映像の世紀バタフライエフェクト』はそれまでの半分程度(45分)に放送時間を縮小した形。

『新・映像の世紀』以降、水増し編集や同じ素材の再構成を繰り返すだけでビカビカのフレッシュなテーマは投入されなくなり、当初のパワーは次第に失われてきている。『映像の世紀バタフライエフェクト』は(よく言えば)小ネタに焦点を絞り込んでいるけど、無理くり週一オンエアにするものだからディープに作り込む余裕も無さそうで、番組のイメ-ジがこじんまりしてしまった。

 

                    



もうひとつのビッグ・プロジェクト『未解決事件』シリーズも同様の道を辿っている。最初のFile.01「グリコ・森永事件」こそ劇場型犯罪だったせいもあって、非常によくできていた。ところが、File.02の「オウム真理教事件」は麻原彰晃の自供をとれないなど多くの謎こそ残ったが、一応は教団一味を逮捕できたのだから、このシリーズ内で扱うのはちょっと違う気がする。

 

 

その後も事件のセレクトのみならず、再現ドラマ・パートにばかり力点を置き過ぎたり、草彅剛みたいなジャニタレをキャスティングしたりするので、『映像の世紀』と比べ、かなり早い段階から失速の様相を呈していた。そこへなんとFile.09は「帝銀事件」、なんとか盛り返してくれることを期待したけれども、結果は今年の元旦の記事(☜)にて述べたとおり。

その上34日には本清張と〈小説帝銀事件〉/未解決ミステリー』と名付けられた、またも『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』を再構成しただけの番組を垂れ流すばかりか、『未解決事件』シリーズのコンセプトをぼやかしてしまう鵺(ぬえ)のようなこの「未解決ミステリー」とやらの続編として、今後『未解決事件』シリーズの題材になるよう強く願っていた「下山事件」「松川事件」をあろうことか一緒くたに使ってしまうとは・・・。これで『未解決事件』シリーズにおいて「下山事件」と「松川事件」をやる可能性は、ほぼほぼ消えてしまったっぽい。

 

                     



「未解決ミステリー」があまりに〝ど素人〟の作ったような内容だったんで、記事を書く意欲も湧かないのだけど気力を振り絞って(?)やってみよう。

34日放送の『松本清張と〈小説帝銀事件〉』も今回の『松本清張と日本の黒い霧』も、社会派ミステリの王様・松本清張を褒め散らかして喜びたい薄~い視聴者層には向いているのかもしれない。コメンテーターとして出てくる横山秀夫/保阪正康/みうらじゅんはひたすら清張信者としての讃美を口にするのみで、「帝銀事件」「下山事件」「松川事件」については何も理解していないようにしか映らな清張個人ではなく、これら戦後の不可解な怪事件の真相に対する肉迫が観たい私みたいな視聴者にとって、得られるものは皆無。

もしかするとこの番組の制作者って、私のBlogの『日本の黒い霧』に関する記事をチラ見して「未解決ミステリー」を適当にでっち上げたのかなもう中身がペラペラすぎて、そんな気さえしてくる。「帝銀事件」ならわざわざ類似番組を作らなくたって、『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』を再放送すればそれで済む話だったんではないの?

 

 

NHKの松本清張ワッショイ番組といったら、去年だったか船越英一郎をMCにした『わがこころの松本清張』があったし、その前にも『深読み読書会』だっけ?もう十分清張の特集はやってるじゃないか?『未解決事件』シリーズを水で薄めてまで、どうして清張推しをやる必要があるのか、よくわからん。

『松本清張と日本の黒い霧』でも、必要もないのに相も変わらず『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』ドラマ・パートの大沢たかお演じる清張のシーンを挿入するし、みうらじゅんは「うしろメタファー」とか面白くもない自分語を披露してシラケさせるし、なんちゅうしょーもない番組なんだか。昔からNHKのドキュメンタリーはあまりセンスがよろしくない傾向にあったとはいえ、どこでどう間違えて人気コンテンツをここまでダメにするほど落ちぶれてしまったのか。こんな調子では立花孝志みたいに「NHKをぶっつぶーす!」って立候補してくる人間は今後も増える一方だぞ。




(銀) 局の顔ともいえる武田真一アナウンサーでさえ見限って辞めていくぐらいだし、民放と違って受信料で潤ってる筈のNHKでさえ、有能な人は続々といなくなってるのだろう。たぶん。長年の無用の長物『紅白歌合戦』をいまだに終わらせられないっちゅうのも私には理解できん。





2023年1月1日日曜日

『未解決事件/松本清張と帝銀事件』

NEW !

NHK総合 NHKスペシャル
2022年12月放送



★★   ムダに清張を推しすぎだし、
             なにより動機の考察に欠けていた



「下山事件」関連書籍を取り上げた2021719日の当Blog記事の中で、「NHKが力を入れているドキュメンタリー番組『未解決事件』においても〈下山事件〉など昭和前期の素材まで遡ればいいのに・・・」と私はつぶやいた。こういう声を上げてNHKスペシャルの制作サイドへ一石投じることができたかどうかはさておき、シリーズ最新作に「帝銀事件」が選ばれた事については諸手を挙げて歓迎したい。

だが、一瞬喜んだそのあとオンエア直前の番宣CMで〝松本清張推し〟の勘違いな作りだと知り、清張役の大沢たかおが「ウォー」と大袈裟に叫ぶシーンを見せられて「あ~あ、相変わらずこのシリーズのプロデューサーは肝心なところが解ってないなあ」と苦虫を噛み噛みした気分に。ま、観るべきものが何もない年末のTVの中では、唯一集中して向き合えた番組ではあったけれども。


 

 

 

【 B A D 

「帝銀事件」「下山事件」「松川事件」・・・。これら敗戦直後に起きた異様な怪事件について昭和以降の世代にも広く知らしめた功績は間違いなく松本清張その人にある。それは決して否定しない。しかしながら『未解決事件』という番組内容の中で(特に1229日に放送された第一部/ドラマ篇において)、「帝銀事件」の中心にいた訳でもなければ捜査員でも何でもなく、外部の一ジャーナリストにすぎない清張を主役に据えて「帝銀事件」の実録ドラマを進行させるのは納得がいかない。まして井川遥演じる清張夫人・松本ナヲなど松本家の描写に関する部分なんて全く尺の無駄。

極端な喩えかもしれないけど、令和になって白日の下に晒された統一教会の悪行三昧が後年ドキュメンタリー化される際、再現ドラマの狂言回しを鈴木エイトに設定するのはなんか変でしょ?

 

 

あの時代は撮影された映像素材が少ないものだから、ニュース映画の同一フィルムが繰り返して使われるのはやむを得ない。とにかく第二部/ドキュメンタリー篇において平沢貞通を徹底して無辜だと結論付けたいのならば、いかにも犯人だと決めつけられそうな背景が当時の平沢には不幸にして多く存在していた事実をなるべく数多く掘り下げ、それらを軒並み否定して外濠を埋めてしまう細かさを見せるべきだった(そのためには第二部もせめて90分位の枠は欲しい)。

あれでは相当「帝銀事件」に精通している人以外の視聴者はみな、平沢貞通が実行犯のモンタージュにわりかし似ていて、コルサコフ症という病気に起因する虚言癖があるといった程度の理由で犯人に仕立てられたのかというざっくりした印象を持ってしまいそうな懸念が残る。

そもそもNHKには『ファミリーヒストリー』という著名人の家族のルーツを探索するノウハウがあるのだから、ドキュメンタリー篇にまで清張を持ち込むぐらいなら、徹底して人物像やバックボーンを見せることで画家・平沢貞通の(いかにも怪人物だと思われてしまいそうな)複雑さを表現できた筈。


 

 

 

【 G O O D 

事件発生後、最初に有力な容疑者と目された松井蔚なる人物(彼の名刺には「厚生技官」の肩書があった)を写真付きで紹介したのは良かった。松井蔚には動かぬアリバイがあったそうだし、単に名刺だけが悪用されたのであれば、そのあたりの警察捜査の流れをこそドラマ篇で描くべきじゃないの?

それと、平沢が警察の取調べにて毒物混入のやり方を再現させられているフィルムも私は見たことがなかったので興味深かった。あのフィルムについて番組は「70年以上警察が保管していた門外不出の映像」と紹介していたが、本日の記事を書くために「帝銀事件」wikipediaを見たら、同じ取調べ時の画像がupされていた。1948年秋に刊行された雑誌『アサフグラフ』に掲載されたものらしく、当時から警視庁はこの取調べの写真だけは公表していたらしい。

 

 

それから、実際に毒物を呑まされた被害者の女性が「私は平沢が犯人とは思えない」と明言していた旨を彼女の遺族がハッキリ証言する映像が撮れているのも良かったが、面通しの結果、強力に断定できる人こそいなかったものの、「平沢=犯人」と証言した人も当時確かにいた事は押さえておくべきだろう。

制作サイドとしては清張を持ち出した以上、731部隊更にその後ろで糸を引くGHQの暗躍へと着地点を持っていきたいのは自明の理。731部隊及びその指揮官・石井四郎については2017年に初出オンエアされたNHKスペシャル『731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~』という番組があって、それに紐付けして構成されているように私は感じた。褒められるべき箇所もあったのだが、今回の番組で視聴者が最もいぶかしく思ったであろう点は〝犯人がどういう目的で帝銀事件を起こしたか?〟それが(仮令推論であっても)番組内で明確に提示されなかったことだ。


 

 

 

この『未解決事件』シリーズは〝なぜ解決に至らなかったのかを、NHKに保管される当時の取材データや、新たに取材して得られた新事実をもとに検証する〟という原則があり、100%完全な解決は到底無理でも、それなりに何らかの新事実が見つかった場合にのみ、番組として成立するものだと思っている。

今回、米国に渡ってそれなりの資料・証言を得てきてはいるが、一定以上「帝銀事件」について知っている者からすると、そこまでブランニューな発見があったとは言い難い。限りなくクロい存在と思われる〝憲兵A〟に関して番組では明かされなかったが、没年時期が判る資料があるのだから氏名だって制作サイドは知っているはず。毒を呑まされ命を落とした人々の顔がドラマ篇では普通に映されていたのに、翌日のドキュメンタリー篇ではボカされていたり、半世紀以上が過ぎた事件であっても怪しげなコンプライアンスが邪魔をし、鋭く突っ込んだ番組作りができずにいる。

てな不満を多々踏まえた上で、次は「下山事件」「松川事件」にトライしてくれませんかね、NHKさん。勿論、ムダな〝清張推し〟は一切無しで頼む。

 

 

 


(銀) 近年NHKで制作される金田一耕助ものや、満島ひかりに明智小五郎を演じさせた一連のドラマを観ていて感じるのは、とかくネット受けすることばかり考えて作ってるようにしか映らないという不満。あれなら三遊亭円朝が原作の『怪談牡丹燈籠  -Beauty&Fear- 』(主演:尾野真千子)や、探偵怪奇ものではないけど、奈緒目当てで観た『雪国  -snow country- 』(主演:高橋一生)のほうが全然再見に耐えうる出来だったな。

 

 

今回の『松本清張と帝銀事件』ドラマ篇の中で平沢貞通を演じたのは榎木孝明。かつて稲垣吾郎金田一シリーズ第四作の『悪魔が来りて笛を吹く』で椿英輔/飯尾豊三郎を演じていたのも榎木だった。言うまでもなく『悪魔が来りて笛を吹く』は現実の「帝銀事件」をいくらかネタにして書かれている小説。それを意識してNHKスタッフが平沢役に榎木をキャスティングした可能性もなくはない。こういうのに単純な横溝オタやネット民は速攻で釣られて騒ぐのであろうが、気を遣ってほしいのはそういうとこじゃなくてさ。



結局のところ『日本の黒い霧』に取り上げられている怪事件の謎というのは昔から言われ続けているように、米国が厳重に秘匿しているGHQ関係の資料がフルオープンにでもならぬ限り、そこまで驚天動地な新事実の解明は残念ながら望めない気がする。せめて元・世田谷区民である私にとってリアルタイムな未解決事件であった「世田谷一家殺害事件」だけでも早く真相が明らかになってほしいと願っているが・・・。





2022年9月15日木曜日

『松本清張推理評論集1957-1988』松本清張

NEW !

中央公論新社
2022年7月発売




★★★★★   清張は好きじゃなくても
                 この本は読む価値がある




❆ 私のBlogで扱っているような探偵小説、そして私のBlogではまず扱わない社会派推理小説、この二つのビミョーな関係について松本清張が大なり小なり言及している評論/エッセイの類いを一冊に纏めた、今迄ありそうでなかった単行本が上梓された。私のように清張/社会派推理小説が全く好きではない人間にも改めて発見を与えてくれるし、これを読んだからって清張派に乗り替える・・・なんてことはまず無いにせよ、中央公論新社のGoodな企画には拍手を送りたい。

 

 

 

❆ ミステリに必要な要素としてつねづね清張が口にするのは〝人間描写〟〝犯罪動機の追求〟〝現実感〟〝社会性〟なのだが、「荒唐無稽でリアリティの無い作品はお呼びではないけれども自分だってトリックをないがしろにしている訳ではない」と言わんばかりに幾つかのトリッキーな自作のアイディア(もちろん作品名は伏せてある)を披露したりもしている。それらのトリックは(当り前だが)探偵小説でも十分活かせるものだ。


江戸川乱歩、はたまた恩人である木々高太郎に敬意を払っているのは想定内ながら、決して文章が上手いタイプとはいえず、清張にとっては批判の対象だとばかり思っていた甲賀三郎の短篇を「ある意味では好きだった」と述べているのは意外。我々は清張がなんでもかんでも日本探偵小説を否定的な目で見ているように捉えがちだけど、ミステリに対して彼なりに真っ当な事を考えていたのは、本書を読めばよくわかる。

 

 

 

❆ もっとも、清張と社会派推理小説がシーンの中心に祭り上げられた1950年代の後半頃には、横溝正史の存在を無視しているとかなんとか、荒正人にケンカを売られていたりもしていて。


私は清張の書いたものを逐一細かく読み知ってはいないから、この本へ拾い上げるべき内容の清張評論に取りこぼしがないか断言はできないが、本書を読む限り横溝正史の名はわずかに出てはきても、その頻度は他の戦前探偵作家に比べるとかなり少なく、うがった見方をすれば正史を認める言動といったものは、あまり存在してなさそうな気配が漂う。
(ここにはよく知られたる、清張がそれまでの探偵小説を「お化け屋敷」と揶揄したエッセイは収録されていない)
はてさて実際のところ、清張は正史のことをどう見ていたのだろう?

 

 

 

清張は北九州の出身(広島生まれ説もある)。貧しい育ちにコンプレックスを持っていたのか、自分を〝田舎者〟だと語っている。40歳を過ぎて作家デビュー、先輩にあたる国内探偵作家達に比べたらかなりの遅咲きであり、まさしく絵に描いたような苦労人といっていい。作家になってからは「もう東京都内にしか住みたくない」と述べてもいる。


地方出身の人には、その田舎臭さが嫌で嫌で一度そこから抜け出したらもう二度と戻りたくないと思う人も少なからず存在する。金田一耕助長篇で描かれる鬱陶しい田舎の因習に搦め捕られた世界観が、例の日本刀や釣鐘を使う作り物めいたトリック以上に肌に合わなかったのか、または単純に清張からすると正史は所詮乱歩の二番煎じとしか受け取れなかったのか、あるいはそれ以外に何か特別な理由があって正史には触れることをしなかったのか、つい下衆の勘繰りをしたくなるワタクシ。

この両名には不思議な共通項がある。正史は友人こそ多いけれど病気持ちゆえに外出できる機会がかなり制限され、一方の清張は宿痾みたいなハンデは無かったが、下戸だし友人と呼べる人もいなかった。状況こそ違えど余計な人付き合いをしなくていいぶん、二人は創作に専念することができたのだ。

 

 

 

❆ 本書は清張に対する偏見をなにかと矯正してくれるものの、私が一番共感を覚えたのは「日本の創作推理小説を不振にしたのは、皮肉にもこの小説の熱心な支持者である〈鬼〉に一半の原因があると思っている」という一文である。


このBlogでもたまに使う表現だけど、探偵小説に取り憑かれた人々のことを昔から〝探偵小説の鬼〟と呼んだりする(この場合の鬼とは作品を執筆する側の探偵作家を示しもするし、はたまた読者を示したりもする)。清張が〝探偵小説の鬼〟たちの何がいったい日本のミステリをダメにしたと思っていたかは本書をゆっくり読んで頂くとして、読者側の〝探偵小説の鬼〟たちが持つ或る種の幼児性というものは時代が下るにつれ益々悪い方向に増長し、90年代の後半に発生してきた所謂モノマニア的な、その本がいずれ市場から無くなった時の値上がりを期待して探偵小説本を買い込むといった、なんとも心根の腐った連中ばかりに成り下がってしまった。


こんな輩は清張のファン層には全く見られない訳で、それを思うと私は清張ファンが少し羨ましくなる時がある。(清張研究家の郷原宏や藤井淑禎にはシンパシーの欠片も湧かないけど)

 

 

 

 

(銀) 21世紀になって22年経つが、探偵小説と違って松本清張や社会派推理小説の好きな人々によるマニアックな蠢動がいまだ一向に表面化してこないのは何故だろう。私はそれでも別に困りはしないけれど、そんなものなのかな。まあ世の中には清張の熱心なファンはきっと存在していると思うが、みうらじゅんがその片鱗をチラ見せする程度で、社会派推理小説というジャンルが再び注目されることは、まだしばらくの間は無いような気がする。



でも、探偵小説オタクみたいな卑しい人種が発生するぐらいなら、今の状態のほうが健全でいいのかもしれない。なんたって探偵小説のギョーカイはどんだけテキストが誤字脱字だらけでも、作り手も買い手も一向に危機感を抱かない老害ばかりだからね。




❛ 清張は横溝正史を全く認めていなかったのか疑惑 ❜について少々触れてみたが、そういえば美輪明宏がかつて「横溝正史は肥溜めの臭いがするから嫌い」てな発言をしたという話がある。この発言は放送メディア上で発せられたものなのか、あるいは活字メディア上で発せられたのか、不勉強にて私は知らない。どうして美輪さんがそんな正史批判をしたのか、私なりに推論は持っているけれど、この発言がなされたメディアが特定できた時にまた改めて書きたいと思っている。