2024年1月16日火曜日

「覆面の佳人(=女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?➀

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 春陽堂書店が現在刊行している「合作探偵小説コレクション」の第五弾として、『覆面の佳人/吉祥天女の像』が発売された。この本全体についての記事は近日中にupするので少々お待ち頂きたい。

さて当Blogでは以前、春陽文庫版『覆面の佳人或は「女妖」ー』(1997年刊)と、1930年の『九州日報』に連載された異題同一作品「女妖」のテキストを十七回に亘って全編比較し(本日の記事の最下段にある関連記事リンクを見よ)、その結果春陽文庫の校訂が実に胡散臭いものである事を再確認した。この新聞連載小説の作者は江戸川乱歩/横溝正史の合同名義になっているが、江戸川乱歩は殆ど執筆に関わっていないというのが大方の見方であり、私もそのように捉えている。

 

 

 

「覆面の佳人」(=「女妖」)を収録する単行本としては、今回が二冊目。前回と同じ春陽堂の仕事なのだが、今度こそ底本に忠実な校訂は行われたのだろうか?最新の単行本『覆面の佳人/吉祥天女の像』に収録されている「覆面の佳人」(これをⒶと呼ぶ)を手元に置き、このBlogで全十七章それぞれのテキスト比較から拾い出した十七回分の記事による【春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』と『九州日報』連載「女妖」との明らかなテキスト異同一覧】(これをⒷと呼ぶ)とを見比べ、再び試みたチェックの結果をお伝えするのが本日の主題だ。

 

 

 

 「合作探偵小説コレクション」の編者・日下三蔵はの制作に際して、『北海タイムス』連載の「覆面の佳人」/『九州日報』連載の「女妖」/『いはらき』連載の「幽霊別荘」、つまり(『満洲日報』を除く)この長篇が連載された当時の新聞三紙を参照したという。本書の校正担当者は佐藤健太と浜田知明。で、とを比較してみたのだが、流石に二度目の単行本だし、前回の春陽文庫版ほどグチャグチャな校訂・校正ではなかった。だがそれでも私からすれば、気になる箇所はやっぱり点在している。

 

 

 

それらの気になる箇所を、二年前に行った【春陽文庫テキスト/『九州日報』テキスト】比較時のように書き出してみた。前回のテキスト比較一覧で疑問の残る表記としてピックアップしていながら今回触れなかった箇所というのは、私がを読み「これならばOK、問題なし」と見做したものだ。

 

とはいえ私は『九州日報』のコピーしか持っていない。のテキストにて『九州日報』の表記と異なっている箇所が、あのどうしようもない春陽文庫のテキストに準拠したように思える表記であれば当然私は怪しんでしまうのだけど、もしかしての制作担当者は、春陽文庫偶然同じ表記だった『北海タイムス』『いはらき』の記述を採用しているのかもしれない。そんな100 OKと断定しづらいグレーな箇所については下段の比較で色文字を使っているので、春陽文庫テキスト準拠の疑いが全く無い箇所と区別する目安にして頂きたい(旧漢字から新漢字へ、旧仮名遣いから現代仮名遣いへの変更はOKとする)。それぞれの比較箇所にて示しているページはのノンブルを指す。

 

 

 

 ちなみに日下三蔵は今回刊行されたの解説にて、先行した春陽文庫『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』における基本ベースの底本は『九州日報』を使用、『九州日報』のマイクロフィルムに欠けていた部分は『北海タイムス』マイクロフィルムで補っていたと述べているが、これをスンナリとは信じられない。

 

春陽文庫版の解説で山前譲はどの新聞を基本ベースの底本にしたか明言してはいないけれども、春陽文庫版の冒頭23頁に見ることのできる連載予告時の江戸川乱歩及び横溝正史の挨拶文は、二人合同での「訳補者の言葉」となっている。「補者の言葉」という小題は昭和4年の初出紙『北海タイムス』にて使われたものだ。

しかし私のBlog記事(☜)をじっくり見て頂きたいのだが、
『九州日報』で連載予告された際の乱歩と正史の挨拶文は二人別々に分かれており、
小題は「訳補者の言葉」ではなく「作者の言葉」に変更。
それゆえ、てっきり私は春陽文庫版は『九州日報』ではなく、『北海タイムス』を基本ベースにテキストを起こしたものだとばかり思っていた。

 

しかも今回刊行された収録「覆面の佳人」は、『北海タイムス』『九州日報』『いはらき』、それにご丁寧に春陽文庫まで照合しつつ本文テキストを決定したと言っているけれど、どの新聞を基本ベースの底本にしたのか不明。つまり、どの新聞をベースの底本にしているかがハッキリしないため、以下のような疑問がウジャウジャ湧いてくるのである。

 

 

 

➊ 「雪中の惨劇」

 

4頁下段/暴れ出しますよ

荒れ出しますよ

前後の文脈から考えると〝暴れ出し〟のほうが正しく感じる。ただ〝暴れ出し〟というのは春陽文庫に見られた表記であり、それをそのまま安易に準拠している疑いも無いとはいえないので、以下こういったものはグレーな扱いとする。

 

 

18頁上段/二十七八歳位の頑丈そうな

二十七歳位の頑丈そうな

『九州日報』テキストでは〝二十七歳位〟になっている。
本当に『北海タイムス』や『いはらき』では〝二十七八歳位〟と書かれているのだろうか?

 

 


➋ 「死人の横顔」

 

35頁上段/春日花子が浮浪人体の男から手渡された手紙の末尾に〝なるせ〟の記名が。

『九州日報』テキストには〝なるせ〟の記名が無い。

 

 

38頁上段/〝あたしを苦しめるため検事になったのです。〟

『九州日報』テキストでは〝あたしを苦しめる検事になつたのです。〟となっている。

『北海タイムス』や『いはらき』にて〝苦しめるため〟と書かれているのならば問題は無いが、もしそうでないのならのほうが文脈にフィットしているだけに、勇み足と勘繰られかねない。

 

 


❸ 「古びたる肖像畫」

 

この章は問題が多い。まず章題。『九州日報』も春陽文庫版もこの章の章題は「古びたる肖像画」となっているのに、での章題はすべて「古びた肖像画」にされてしまっている。どうも〝古びたる〟の〝る〟をすっかり抜かしてしまったとしか思えぬ恥ずかしいミスだ。

 

 

41頁上段/セイヌ河口に面したパリーの裏町

『九州日報』テキストでは〝パリー〟でなく〝巴里〟と表記。もれなく調べてはいないけど、本作の中では〝パリー〟表記で統一しているようだ。

 

 

45頁上段/恰好のいゝ踵(くるぶし)が覗いている。

『九州日報』でも〝踵〟になっているが、
ルビは〝くるぶし〟ではなく、そのままの読みの〝きびす〟。
わざわざ〝くるぶし〟という漢字〝踝〟を使わず、正しく〝踵〟としていながら、
何故ルビは〝くるぶし〟にしたのか意味がわからない。

 

 

この章のタイトルは「古びたる肖像畫」であって、決して「古びたる肖像写真」ではない。確かに本作の作者はこの章にて、綾小路浪子が訪れる木澤由良子の部屋に掛かっていた楕円形の肖像を〝写真〟と書いたり〝肖像畫〟と書いたり、非常に混乱させている。底本の表現は守るべきだが、章題が「古びたる肖像畫」である以上、〝写真〟とされている箇所も〝肖像畫〟に統一してよかったんじゃないかな?

 

 


❹ 「時計の中」

 

76頁上段/船渠へ入っておりました船の修繕も

『九州日報』では〝おりました〟の部分は〝居りました〟と記されている。特に間違いではないけれど、漢字を使ったこの手の古い表現を他の箇所ではそのまま底本どおりに活かしているので、ここでも〝居りました〟とするのが望ましい。こういうミスとは呼べない些細な漢字の開き(また、その逆)はあちこちに見られる。

 

 


❺ 「富豪の秘密」

 

81頁下段/政界要路の大立者

『九州日報』では〝大立者〟ではなく〝立者〟になっている。
〝大立者〟のほうがよく使われる言葉ではあるが、〝立者〟でも十分意味は通じる。
これも『北海タイムス』と『いはらき』が〝大立者〟と表記しているならいいけれど、
そうでないのなら春陽文庫テキストの流用になってしまってよろしくない。

 

 

82頁下段/国大使館附の武官として

『九州日報』では〝國大使館附の武官〟と表記。

 

 

96頁下段/この男の握っている秘密が一度でも曝露したら

『九州日報』では〝この男の握っている秘密が一度曝露したら〟と表記。

 

 

97頁下段/無気味さと混惑を感じた。

困惑〟のタイプミス?

 

 

102頁下段/お名前は白根弁造さまとおっしゃいましたが

ここでの〝確〟は〝たしか〟とルビを振るか、もしくは〝確か〟と表記すべき。

 

 


❻ 「奇怪の曲者」

 

113頁下段/小型のピストルを化粧箱の抽斗から

『九州日報』のとおり短銃〟に〝ピストル〟とルビを振るべきだったのでは?
また本当に〝化粧箱〟でいいのか?『北海タイムス』も『いはらき』も〝化粧臺〟と書いてなかったのだろうか?

 

 

118頁下段/浪子は不安に胸を波打たせながら、遠廻りをしながら

『九州日報』テキストでは〝胸を波打たせながら遠廻りをしながら〟とされている。
句読点は入っていない。

 

 


❼「犯人は?」

 

123頁上段/お前直ぐに会うかい」

『九州日報』では〝お前直(ぢき、とルビあり)に會うかい〟と表記。
『北海タイムス』と『いはらき』では〝直ぐ〟と表記しているのか?
春陽文庫を安易に踏襲してはいないか?

 

 

130頁上段/茂みの中に身を隠した黒ん坊の安公は、

『九州日報』では〝繁み〟と表記。

 

 


❽ 「霧の運河」

 

141頁下段/土左衛門が見つかっちまやア何(ど)うにもならねえからな」

『九州日報』では〝土左衛門が見つかつちまやヤ何(な)にもならねゑからな〟と表記。

 

 

146頁上段/それが霧の中に、鈍く、いっそ物凄く光るのだった。

『九州日報』では〝それが霧の中に、鈍く、それが一層物凄く〟と表記。

 

 


❾ 「古塔の老婆」

 

148頁下段/外国の貴族らしい中年の紳士。それについで、青年貴公子。

『九州日報』では〝外國の貴族らしい紳士。それについで、中年の青年貴公子〟と表記。

話の流れからしては明らかに間違いなのだが、この〝中年の〟の部分は本当に『北海タイムス』と『いはらき』のテキストでもの位置にあったのだろうか?

 

 

149頁上段/シャトワール村へさえ着けば、

『九州日報』では〝シャトワールの村さへ着けば〟と表記。このままで何ら問題は無いのに、のようにイジる必要ある?

 

 

151頁上段/四五でございましょうか」

『九州日報』では〝四五でございませうか〟と表記。
〝丁〟を〝町〟へ変えなくてもいいのでは?

 

 

156頁上段/薄暗い、埃(ほこり)っぽい階段を

『九州日報』では〝垢っぽい〟と表記。
『北海タイムス』もしくは『いはらき』で〝ほこり〟というルビを使っていたのだろうか?

 

 

159頁上段/浪子はそれを見ると急いで駆け寄った。

無惨にも咽喉を絞められたと見えて、

上記の〝浪子は ~ 駆け寄った。〟の部分が『九州日報』には無いのだが、
この部分が無くとも前後の意味は通じる。
春陽文庫の制作時に担当者が上記の部分をでっちあげた訳ではなかろうが、なにせ春陽堂の仕事には怪しい点が多く、私がの制作にて基本ベースとなる底本がどの新聞だったのかを気にするのは、こういった疑問がもぐら叩きのように次々出てくるからなのだ。

 

 

159頁下段/きょろきょろと辺りを見廻していたが

『九州日報』では〝きよときよとと邊を見廻してゐたが〟と表記している。

 

 

166頁上段/さながら墓場から抜け出したようである。

『九州日報』にも春陽文庫にも〝墓場から〟という言葉は存在していない。

 

 

 

 

(銀) ここまで長くなってしまったので、⑩「過去の影」~⑰「剥がれた假面」についての検証は次回の記事でやります。 

 

 

■『女妖』(江戸川乱歩/横溝正史) 関連記事 ■




































2024年1月13日土曜日

『犯罪の眼』楠田匡介

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同光社出版
1959年8月発売



★★★★    刑事二人、猟奇犯罪に挑む




時代の流れの中で人々の記憶からほぼ消え去ってしまった風習表現固有名詞の数々が、本書にはあちこち飛び交っている。幾つか拾ってみよう。

 

 鳩の街

戦前の帝都東京で私娼窟の街といえば玉の井だったが空襲で焼かれてしまった。その後、玉の井の業者達が移ってきて営業を始めた赤線地帯のこと。

 

 戦場でのコンドーム

なぜ戦地にコンドーム?これは本来の使用目的である避妊具としてではなく、川や海へ入る際に眼鏡や時計を濡らさぬよう、今でいうジップロックみたいな用途で、コンドームの中にしまっていたそうだ。

 

 坐棺

旧い日本の土葬といえども、寝棺での埋葬を思い浮かべてしまいがち。私などは坐棺といえば、即身仏になろうとする僧が閉じ篭る棺のイメージがあったが、家族に訊くと我が家の曽祖父までは坐棺で埋葬していたらしい。調べてみたら寝棺というのは火葬に適した形式であって、かなり昔の日本においては坐棺のほうが主流だったみたい。私の好むジャンルの小説には土葬のシーンがたまに出てくるので、これから注意して読んでみるつもり。




「四十八人目の女」
「謎の窒息死」
「浴槽の怪屍体」
「屍体紛失」
「幽霊の屍体」
「拳銃を持つ女」
「俺は殺さない」
「犯人は誰だ」
「首のない屍体」
「連続殺人」
「冷凍美人」




警視庁捜査一課の刑事・吉川と宇野のコンビが十一の事件を捜査、つまりそれぞれ独立した一話完結の短篇十一作によって構成されている。若い宇野(三十歳未満)は先輩にあたる部長刑事・吉川(四十二歳)の良き相棒で、いつも一緒に行動。またエピソードによっては ❛六歌仙の兄い❜ という綽名の『帝都日報』新聞記者・狼谷保秀が吉川・宇野コンビに絡み、スクープを狙って事件にガンガン首を突っ込む。

 

 

ハンカチで汗を拭き拭き、足を棒にして駆けずり回り、夜は馴染みの店で一杯。そんな泥臭い刑事像が描かれていても、鬱陶しい人情味の押し付けは無いから助かる。鮎川哲也の鬼貫警部ものほどトリック/論理が追求されるでもなく、なんだか猟奇犯罪実話のエキスを巧妙に創作探偵小説に取り入れている錯覚に陥ってしまいますな。

 

 

そんな訳で、推理の面白みよりは(この記事の冒頭にて述べたような)風俗面のほうが目立ってしまうけれども、シチュエーションこそ犯罪実話風とはいえ、吉川・宇野・狼谷の気のおけない軽口の応酬なんかもあって、創作ものでしか成し得ないノリは十分感じ取れる。
 
 

 

 

(銀) 東都我刊我書房の酷い復刊本で鷲尾三郎がさんざん愚弄されたように、楠田匡介も湘南探偵倶楽部の同人本にて、ありうべからざるテキスト改竄の被害を受けている。その一部始終は下段の関連記事より御覧頂きたい。




■ 楠田匡介 関連記事 ■




『マヒタイ仮面』楠田匡介  ★















 


2024年1月10日水曜日

『黒い獣/渡辺啓助ジュヴナイル作品集』渡辺啓助

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盛林堂ミステリアス文庫
2023年12月発売



★★★   単行本化されてこなかった啓助のジュヴナイル




渡辺啓助は少年少女小説を執筆している印象が希薄だったけれど、本書のように本一冊ぶん楽に作れるほどジュヴナイルも手掛けていた。意外なのは、啓助の大人向け小説に時々登場する探偵役キャラクター・一本木万助が本書収録作品にも顔を見せていること。
それでは一作ずつ見ていくとしよう。

 

 

 

「幽霊一家」(『少年少女譚海』昭和2512月号)

敗戦後の荒廃で自分の家族の住む家が無くて困っている壮吉は、気になる空家があったのでその家主に訊ねてみると、「あそこには幽霊が住んでいる」と家主の太田は言う。そんな筈はないと信じる壮吉は太田に交渉し、二、三日住まわせてもらうことにした。ただの怪談話か、それなりのヒネリがあるのか、読んで確かめて頂きたい。

 

 

 

「黒聖母島の秘密」(『少年少女譚海』昭和261月号)

孤児・雪村ミサ子は怪しい一味に捕まり、ブラック・マリヤという謎の孤島に連れてゆかれる。どうもその理由というのが、ミサ子は舞踏家・牧園先生の弟子なのだが、映画「狂える白鳥」で主役を務める女優・水島珊瑚とミサ子がそっくりな上、その映画で十分ばかりのバレエ・シーンを珊瑚の代りにミサ子が演じたため、賊はミサ子を珊瑚と間違えて誘拐したようなのだ。SF的なガジェットも交えた、秘密結社の企み。 

 

「氷河の囚人」(『少年少女譚海』昭和2612月号)

渡辺啓助の大人もの小説における特性をジュヴナイルでも表現するとしたら、やはり冒険ストーリーの流れの中に〝秘境〟をもってくるのが一番自然な感じはする。

 

 

 

「黒い獣」(『少年少女譚海』昭和2647月号)

横浜に停泊していた貨物船アルハンプラ号から、コンゴ産の大ゴリラ・イロンクベが脱走する事件が発生した。イロンクベは海に落ちて死んだと思われていたが、少年給仕・正一の勤める愛東貿易会社のビルに出現。女中の玉ちゃんがむごたらしく殺され、片や社長令嬢・雪子は姿を消してしまう。ここで私立探偵・一本木万助登場。 

四回連載なだけでなく、ポオというより日本の超有名探偵作家の或る失敗作からの影響が感じられたりして、なかなか話が凝っているのでアレコレ紹介したいところだけれども、ちょっとでもネタを割ってしまうとこれから読む人が興醒めになるし、何も書くことができん。 

 

「人喰魚」(『少年少女譚海』昭和2711月号)

一本木万助は時折海岸を訪れて、水泳や釣りをやるらしい。日本の海にいるとは思えない熱帯産のフグ=ハリセンボンが呑み込んでいたのは水族館長・星木先生のカフスボタンだけではなく、黒田刑事のガラスの眼玉(偽眼!)。犬が犠牲になったり、なかなか演出がエグいのは発表誌が『少年少女譚海』というのもあるかも。

 

 

 

「シンデレラの片足」(『少年少女譚海』昭和2812月号)

本作に出てくる中学生の三吉、「黒聖母島の秘密」にてミサ子を救出するため孤島へ向かう戦災孤児・春田三吉、そして「人喰魚」の三吉。物語の主役となる少年にたびたび〝三吉〟という名前が使われているが、どうも同一人物ではなさそう。焼場に少年を閉じ込め可燃性の高い状況下でガソリンを天井からポトポト滴らせる責苦は、子供の読者には若干ハードとはいえアイディアは悪くない。

 

 

 

「失われた黒ねこ」(『高校コース』昭和321月号)

四度目の三吉、今度は大森三吉という。ほんの少しだけど密室設定あり(ホントか?)。ジュヴナイルなら周りからそれほど厳しい目で見られないからか、大人ものだと目立たないロジカルなプロットで啓助が遊んでいる気配も感じられる。それなりに・・・だけどね。

 

 

 

「姿なき訪問者」(『中学生の友・三年』昭和32410月号)

半年に亘る連載。さらにリリー製薬ビルで必ず各階にひとり発生してゆく殺しの犯人は誰か?という興味。物語の中では非常に粗末な施設といえども、茨城県東海村に原子力研究所が建てられている設定を昭和32年のジュヴナイルで描いているのは、(のちの東日本大震災の事故を思い起こせば)社会への警告的先見性があって、賞賛に値する。ガイガー・カウンターで放射能を計測するシーンなんてシャレにならないほどシリアス。

 

 

 

「第三の容疑者 熱帯魚殺人事件」(『冒険王』昭和327月号)

短いながらも、啓助にしては意外な犯人を描いている。 

 

「夜歩く銀仮面」(『冒険王』昭和329月号)

江戸川乱歩「黄金仮面」などの華やかな仮面キャラとは違い、銀仮面氏の動機なり素性は、これがもし大人ものだったら、令和の現在よりむしろ当時の昭和の頃のほうが「✕✕被害者を冒涜している!」などとやいのやいの言われそうなヤバさがあるかも。


 

 

「かえる男時代」(『中学生の友・二年』昭和338月号~昭和341月号)

昔は大人も子供も、英国スコットランドのネス湖に〝ネッシー〟なる恐竜が棲息しているという伝説で盛り上がったもんです、ハイ。この作品もその流れで書かれたのだろうが、後半になると壮大なロスト・ワールドの謎に発展。 

 

「地中海であった話 海底の魔女」(『冒険王』昭和346月号)

7頁の掌編。

 

 

 

(銀) レアな渡辺啓助のジュヴナイル作品を読めるし、これが例えば佐々木重喜の皆進社から出た本だったら即★5つにして喜ぶところだけど、解説執筆者は日下三蔵、協力者クレジットには相変わらず善渡爾宗衛の名が。関わっているのはどこぞの自民党と何ら変わりない、古本やミステリで甘い汁を吸い続ける奴ばかり。



盛林堂ミステリアス文庫を観察していて思うのだが、盛林堂書房店主・小野純一はどうやっても善渡爾宗衛抜きには同人出版本を作れないようだ。

 

 

啓助の娘・渡辺東氏も善渡爾と並んで協力者にクレジットされている。いつだって古本ゴロ/ミステリ・ゴロどもはこういった探偵作家の御遺族に言葉巧みに近寄ってきた。彼女もあいつらの本性に気付かず、すっかり信じきっておられるのだろうなあ。
 

 

 

   少年少女小説 関連記事 ■






『白百合の君』西條八十  ★★★★  少女探偵小説と呼べるかどうか  (☜)



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★★★★  もし再発するなら、必ず戦前ヴァージョンを  (☜)



  


2024年1月8日月曜日

夢野久作と杉山三代研究会会報『民ヲ親ニス/第10号』

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「夢野久作と杉山三代研究会」事務局
2023年12月発売




★★   「西の幻想作家-夢野久作のこと-」再録




 関東大震災の惨状をレポートする『九州日報』特派員・杉山泰道(=夢野久作)による自筆スケッチ込みの新聞記事を転載しているページあり。それとは何の脈略もないけど、年明け早々なんでまた能登半島に震度7の大揺れが起きなくてはならんのか・・・。

 

 

✸ 『民ヲ親ニス』は毎年春に開催される「夢野久作と杉山三代研究会」研究大会で披露された発表内容を掲載するのが通例。本号は第10回研究大会が対象、巻頭に政治学者・中島岳志の講演「アジア主義の原理」を文字起こししている。

 

 

この人物、『中村屋のボーズ』という本を上梓したり、インドに様々関わっているようなので、杉山三代研究会は講演に招いたのかもしれないけれども、元は『報道ステーション』コメンテーター、かつ雑誌『週刊金曜日』にも深く関わっていたり、どっぷり朝日新聞的思考の持主。従軍慰安婦について記事を書き、本当にあった出来事ならともかく、実際には起きていないことまで起きたようにでっちあげたため裁判で完全敗訴したお仲間・植村隆への批判に対して、「誤報に不寛容なのは凡庸な悪」などと発言、捏造行為を擁護するような、必要以上に日本を貶める類の人種だと見做されても仕方があるまい。

 

 

197ページにおけるグリーンファーザー杉山龍丸の言葉は重い意味を孕んでいる。

〝今日(銀髪伯爵・註/昭和54年当時のこと)の夢野久作の愛読者の人々には、彼の父、杉山茂丸とのつながりを否定しようとする気持があり、彼の作品は、今の右翼とは全く別個のものとして取扱っています。
 
故に右翼ということで、かつての帝国主義大日本帝国、日本政府の黒幕であった杉山茂丸と、
夢野久作の思想、作品は別個のものであるという考え方になると思います。
 
私は、或る面においては、特に今の右翼とは別個のものであるということには賛成ですが、
しかし杉山茂丸が、右翼という断定には賛成出来ません。
 
それは、右翼的な一面のみを見たものというべきでしょう。

私は決して、杉山茂丸と夢野久作が、全く同じであるとは申しません。

私自身が、全く夢野久作や、杉山茂丸と異なった考え、行動をして生きています。しかし、確かに父と子という関係で、好むと好まざるに限らず(ママ)、生涯の大部分を一緒に生き、お互いに、大きな影響をもったことは事実です。〟




このように龍丸は危惧しているものの、やっぱり茂丸は世間から国粋主義の人だと思われがち。保守派の論者ばかり集めていたら、それはそれで歪(いびつ)になるし、視野を広くもって左側の論客を呼ぶのもいいだろう。然は然り乍ら、今の日本で耳を傾けるに値する程のインテリジェンスを持ち合わせたリベラル系言論人なんて誰がいる?どれだけ坂本龍一が晩節を汚して死んでいったか・・・いくら頭は良かろうとも、悲しいかな本質がコドモだとああなるのだ。

 

 

左だろうと右だろうと一貫して私が毛嫌いするのは、事実を捻じ曲げてまで自分達の狂信的な考えをゴリ押しする人々である。そして昭和の時代に生み出されてきた罪無き作品にコンプライアンスだなんだと表現狩りを推し進め、あげくの果てに作品抹殺までやってしまうのは、まぎれもなく朝日新聞のような左寄りのアホどもに他ならない。

朝日によってまるごと暗い土の下に埋められてしまった作品では『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」が最もよく知られているが、かつて糾弾の標的になった夢野久作「骸骨の黒穂」とて、スペル星人と同じ不幸な運命を辿る可能性はあったと思う。

 

 

右にも左にも絶対的正義など無い。それを踏まえた上で言っても、戦後の朝日新聞をはじめリベラル左派がやってきた思想の捻じ曲げ・表現の捻じ曲げには目に余るものがあり過ぎる。今回の中島岳志という人選には、どうしても疑念を拭い去ることができない。

 

 

 

 

✸ そんな不満がある反面、いくらかでも救いになっているのが、上段で一部の文章を引用した杉山龍丸「西の幻想作家-夢野久作のことー」の再録。これは昭和50年代、地方文芸誌『九州文学』に十一回にわたって連載された夢野久作小伝。本来なら『夢野久作の日記』『わが父・夢野久作』と肩を並べる一冊の書籍になってもおかしくなかったのだが、単行本に纏められる機会が訪れず、ようやく一気に通して読めるようになったのは有難い。

 

 

中島岳志ではない他の識者がアジア主義について語っていてくれたら、それはちょうど龍丸の「西の幻想作家」とお互い補完し合う内容になって、古来からの伝統的な日本史観における杉山一族の在り方をもっとよく知ることができるテキストになったろう。それにしても杉山三代研究会員のメンバーは皆、本当に中島岳志を呼んでよかったと思っているのかな?





(銀) 杉山三代研究会事務局・手島博によると、ロシア在住の女性がロシア語に翻訳した『ドグラ・マグラ』を出版、その単行本をわざわざ杉山満丸へ送ってきたそうだ。ロシアの人でさえそんな配慮があるのに、夢野久作の著作権がパブリックドメインになった途端、日本国内で久作の新しい本が出ても出版社や制作者は杉山満丸へ本を献呈してこないないどころか、連絡ひとつ寄こさないらしい。

 

杉山満丸の執筆した「夢野久作を歩く」は次の一文をもって締められている。

〝父・杉山茂丸を慕い、深い深い愛情と義理人情に生きた夢野久作という人物。弱い人間に寄り添った人物。そんな夢野久作の心根が理解されず、著作の表面的な理解からくるおどろおどろしい印象のみが独り歩きする現在の状況が悲しくてなりません。〟

 

満丸氏には更に失望させるようで気の毒だけど、当Blogにてさんざん批判している自称ミステリ・マニア/古本ゴロどもというのは、何万、何十万にもなる久作の初刊本に惜しみなくカネは突っ込んでも、満丸氏が本当に読み取ってほしいことについては何ひとつ知ろうとしないでしょうね。





■ 夢野久作 関連記事 ■





















2024年1月3日水曜日

hontoは使いたくなる利点が何も無い書籍通販サイトだった

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先月126日、こんなメールが来た。


「いつもご利用いただきありがとうございます。ハイブリッド型総合書店 hontoです。 

ハイブリッド型総合書店サービス「honto」ではネット書店(本の通販ストア、電子書籍ストア)とリアル書店を連携したサービスを展開しておりますが、2024331日をもって「本の通販ストア」のサービスを終了することと致しました。20125月のサービス開始以来、多くのお客様にご愛顧賜りましたこと、深く御礼申し上げます。 

サービス終了後の202441日以降「honto」は電子書籍ストアのサービスは継続し、本の通販に関して「e-hon」との連携を開始いたします。紙の本をご購入される場合は、hontoサイトからe-honサイトへ誘導し、お客様のご購入をサポートして参ります。また、丸善ジュンク堂書店オンラインサイトの立ち上げも計画しております。リリース時期が決まり次第、改めてアナウンスさせていただきます。」


 

 

 

私がhontoの存在を意識したのは、それまで利用していたジュンク堂書店のオンラインストアがBK1と共に、hontoに吸収されるニュースを聞いた時だったかな。BK1は一度も使ったことがなく、ジュンク堂のオンラインストアネットストアHONという名称だったけれども、使い勝手が良かったのでジュンク堂主体の通販が無くなると聞いた時は非常にガッカリした。

 

 

他の通販でも同じだが、私にとって好ましい新刊書籍通販サイトの条件とは、

■ 新刊本の、webイト上への登録がなるべく早くて、事前予約がしやすいこと

■ 新刊既刊にかかわらず、注文した本の発送処理がスムーズなこと

■ 何かを購入する以前の問題だが、そのwebサイト自体が重くないこと

■ 問い合わせをした際、カスタマー・サービスのレスポンスがちゃんとしていること

 

 

よっぽどダメなwebサイトでもないかぎり、見にくくて使えないなんてことは今ではあまり無いと思うが、windows XPの時代までは、やたらめったら重くて閲覧しようにもストレスが溜まりまくる通販サイトはたまにあった。例えば音楽ソフトの通販でいえば、Tower Recordのオンラインショップ。今のTower Recordからは考えられないほど昔のwebサイトはもたついており、音楽ソフトを買う時はもっぱらHMVばかり利用していたものだ。


だが、そのHMVもローソンの傘下になった途端に肝心の発送処理が遅くなるばかりか、商品に問題があり返品した際の返金対応が「詐欺かッ!」と激オコ状態にならざるをえないほど遅くて、購入するのをを止めるどころかHMVのサイトを閲覧することさえ無くなってしまう。

 

 

 

 

話を書籍通販に戻すと、(いい加減な記憶なので間違っているかもしれないが)末期のBK1は「ありゃあ、とても使えんよ」という声を知り合いから聞いていたため、hontoBK1のダメっぷりをそのまま引き継いでいるかもしれず、なかなか積極的に乗り替える気にはなれなかった。またhontoにおけるweb上のレイアウトもあまり良いとは感じられなかったしね。

 

 

それでもジュンク堂がやっていたネットストアHON時代の購入データがhontoに移行されたのもあって、試しに何度かhontoを使ってみたのだが、全然便利とは思えなかったなあ。hontoって近刊本の登録はわりと早いのだけど、基本ベースの発送処理がトロいのが嫌で。在庫があるものなのに、【24時間】(24時間以内に発送される予定)となっているものもあれば、【13日】(13日以内に出荷、手配上の都合により出荷の遅れや出荷できない場合あり)となっているものもあったり、これが一番ネックだった。在庫があるのなら、すべからく注文した当日もしくは翌日には発送してくれないと。

 

 

数少ない私の購入履歴を見てみると、hontoは配送業者にヤマトを利用していて、論創ミステリ叢書のようなそれなりに嵩張る本はちゃんと宅配便で送り出されるけれど、ソフトカバーの単行本は(その頃まだあったDM便=クロネコメール便の一種)が使われていた。ヤマトのDM便は現在のクソ遅く成り果ててしまった日本郵便のスマートレター/ゆうメール/ゆうパケットよりは幾分かマシといえども、届くのが遅いイメージ。それに比べるとネットストアHONの配送はテキパキしていて、不満に感じることはあまり無かった。

ちなみに現在の楽天ブックスやTower Recordは、購入アイテムが嵩張ると無料でゆうパックを使ってくれるから非常によろしい。プライムで手数料まで徴収して、そのくせ即日届かない事の多いAmazonなんて論外である。


 

hontowebサイト機能で強いてひとつだけ良いところを挙げるとするなら、もうほとんど市場に残っていない本が欲しくなった時、hontoの系列であるジュンク堂/丸善/文教堂の実店舗にて、その本の在庫を各県のどの店が持っているのか、一目で簡単に見る事ができる点。紀伊國屋書店も同じような機能はあるけれど、何度もクリックして出たり入ったりしなくちゃならないので煩わしい。だが残念ながら、この機能が活かされる機会はめったにないから、私にはあまりプラスにならず。

 

 

なんにせよ、上記で述べた理由以外にもポイントとかクーポン活用の面でもhontoは魅力が無かった。だからhontoが無くなっても全く困らないし、再び丸善・ジュンク堂書店のオンラインサイトが復活するなんて聞くと「ほれ見たことか。こんな事になるのなら、なんでBK1と一緒にhontoなんかに吸収されたんだよ」とジュンク堂に言いたくもなる。hontoe-honが吸収するそうだが、e-honも現状のサイトそのものは使いたくなる特色が伝わってこないので、今の時点では新しいe-honを試してみようとは思っていない。

 

 

 

 

(銀) 新しいe-honでは、いくら以上本を買わないと送料無料にならないのか、多くのユーザーはまず最初にそれを気にするだろう。現在honto3,000円以上買うと送料無料、紀伊國屋書店の通販は煩雑で、北海道・九州・沖縄は4,900円以上の購入で送料無料、それ以外の地域だと3,500円以上の購入で送料無料。これじゃあ紀伊國屋の通販を使う人はまずいないだろうなあ。紀伊國屋はジュンク堂とは対照的で、西のほうが店舗が多いというのに、これでは逆に西日本のユーザーをみすみす失うようなものじゃないか? 

 

 

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2024年1月1日月曜日

『新局玉石童子訓(上)~続・近世説美少年録』曲亭馬琴

NEW !

国書刊行会  叢書江戸文庫47  内田保廣/藤沢毅(校訂)
2001年2月発売



★★★★   ❹ 両 者 邂 逅




初出時の「近世説美少年録」は、十三年のブランクを経て再開する際「新局玉石童子訓」と改題された。歴代の刊本だと、全て一括りに『近世説美少年録』として刊行されることが多かったのだが、国書刊行会版は初出のとおり、後半部分のタイトルを『新局玉石童子訓』に戻して編集。これとは別に1999年から2001年にかけ、本作を『新編 日本古典文学全集』の第83巻~第85巻に収めて発売した小学館版は書名に「新局玉石童子訓」のタイトルを使わず『近世説美少年録』全三巻の形を取っている。

 

 

この記事では書名の副題に〈続・近世説美少年録〉と記載しているが、国書刊行会版にそんな表記は一切無い。「新局玉石童子訓」が「近世説美少年録」の後半部分だと知らない人も多いし、ネット検索して当Blogに辿り着いた方が分かり易いよう、便宜上このような表現を選んだ。読者諒セヨ。

 

 

 

 

これまでのストーリーをおさらいしたい方は過去の記事のリンクを張っておくので、それぞれの(☜)マーク左側の白文字をクリックして御覧下さい。

 

『近世説美少年録(上)』  ★★★★★

➊ 白 大 蛇  (☜)

❷ 阿夏 流離  (☜)

 

『近世説美少年録(下)』  ★★★★

❸ 濫 行 邪 淫  (☜)

 

 

 

 

ここまでは、年齢を重ねる毎に生まれ持った邪悪な本性を少しづつ現してきた末朱之介晴賢(=幼名/末松珠之介)がストーリーの中心だったが、本巻に至って、朱之介とは対照的な正義の美少年・大江杜四郎成勝いよいよ登場。

 

 

この長篇の冒頭、幕府の命によって肥後國阿蘇に入った守護大名・大内義興はその土地に所縁の深い霊蛇の神社に火を放ち、蛇神を滅ぼしてしまった。しかし大内義興の家来・大江弘元だけは己を救ってくれた恩義もあって蛇神の悲劇を悼んだ。のちに弘元は他国の治乱を探る使命を帯びて浪速へしばらく潜入していた折、信濃から出てきた峯張九四郎通世一家と昵懇になり、九四郎は娘の臆禄(おろく)を弘元の側室(そばめ)に差し出したのである。

 

 

弘元と臆禄の間に生まれた子供が大江(杜)四郎成勝だったのだが、もともと弘元は安芸に本妻と三人の子がいて、臆禄と四郎を連れ帰ることは躊躇われたため、同じ浪速の寒村にある孟林寺の木陰和尚(弘元の庶兄)に四郎を託し、彼は安芸に帰る。しかし(杜)四郎には峯張九四郎の弟・峯張通能が兄弟のようにいつもそばに仕えており、文武を嗜みつつ二人は共に成長。こんな風に末朱之介晴賢と大江杜四郎成勝は出生の経緯こそ似通っているけれど、朱之介と違って(杜)四郎の場合は育った環境が良かったため、道を踏み外すようなことは無かった。



 

 

一方の美少年・末朱之介晴賢の実の父・陶瀬十郎興房は序盤の物語の中では特に悪人風には書かれていなかったが、彼は阿蘇で蛇神を焼き払った大内義興の近習であり、大内家家老の子なのである。つまり曲亭馬琴の頭の中では、

蛇神を敬いし大江弘元の四男・大江杜四郎成勝を〝善〟、
蛇神の地を焼き払った大内義興にゆかりのある末朱之介晴賢を〝悪〟とし、

蛇をキーワードとして、二人の美少年の直接対決へと盛り上げてゆく構想だったのだろう。もっとも朱之介のほうは諸悪の根源である大内義興の血を引いている訳ではないのだから、この点につき読者を納得させるにはいささか設定が甘いんじゃないか、と私は思う。

 

 

細かいあらすじを綴るのは控えるが、これだけはどうしても書いておきたい。『近世説美少年録(上)』の終盤で朱之介を日野西中納言兼顕卿に預け、陸奥國に旅立つことで物語から退場したとばかり思われた辛踏旡四郎と阿夏だったのに、シレッとまた関西に戻ってきてたりして、一体何なんだ?しかもこの夫婦、たいした必要も無いのに名前を変えていたり、普通にイイ人だった辛踏旡四郎がなんだかすごくだらしのない男に変貌。

他にも死んだと思われていた人物が違う名前で生きていたとか、あれこれ読者を驚かすつもりだったのかもしれないけど、曲亭馬琴も晩年を迎えアイディアの冴えが鈍くなっているのか、ギクシャクしたところが所々に見られるのが本巻を満点にできなかった理由。

 

 

名妓・今様殺しの容疑で獄舎に繋がれ、癩に似た皮膚病になり、再会した阿夏たちを逆恨みして金を盗み取ろうとしたり、ちっともスケールのある悪役になりきれぬまま一旦姿を消してしまう末朱之介晴賢。一方で大江杜四郎と峯張通能は間諜の濡れ衣を着せられ、次々ピンチに陥る。

残るは、あと一巻。
『新局玉石童子訓(下)』(☜)へつづく。

 

 

 

 

(銀) 当Blogでは国書刊行会版を使用しているが、オリジナルの文章を読むのが苦ならば小学館版は現代語訳も載っているので便利。つまりページが三段になっていて、上段に注釈/中段にオリジナルの原文/下段に現代語訳といったレイアウトが施されている。あと、私の記事では数多い登場人物をいちいち紹介していないが、それぞれどんなキャラだったか覚えきれない読者にとって、小学館版は登場人物紹介頁もあるから役に立つだろう。

逆に、小学館版のデメリットは本が嵩張って重いこと。現代語訳などのヘルプを必要としないのなら国書刊行会版はハンディだし扱い易いのが魅力。文字のフォントもこちらのほうが大きくて目が疲れない。

 

 

叢書江戸文庫47にあたる本巻の月報では、「南総里見八犬伝」の研究において高田衛が提示してみせたやり方を踏まえ、馬琴作品における挿画の謎に触れている。執筆者の佐藤美帆は『近世説美少年録(上)』9091ページの挿画にある、阿夏のうなじあたりから立ち昇る少年と一匹の蛇の幻影を指し、〝大内義興が焼き払った神社の霊蛇は、阿夏の体内に宿り、将来末朱之介となるのである。この挿画の場面は、その発端を表している。〟と説いている。

 

 

この見立てが正しいかどうか、是非とも本作を読んで確かめて頂きたい。