☾ 作者、初の長篇。当初は「模型人形殺人事件」のタイトルで書き下され、楠田匡介自身の版元と云われる白夜書房から昭和24年に発表された。その初出テキストを底本に用いた光文社文庫『大下宇陀児 楠田匡介 ミステリー・レガシー』が現在流通しているので、ここでは昭和35年の改題再発版『冷たい眼』のほうを見ていきたい。『ミステリー・レガシー』での山前譲解説によると「冷たい眼」は若干の加筆訂正がされているというが、パッと見た感じ章題のいくつかの変更、それと文中において〝探偵小説〟という言葉が〝推理小説〟へ書き換えられている点ぐらいしか違いはなさそう。(徹底したチェックはしていない)
女のマネキン人形があたかも密室で銃殺殺人を引き起こしたかの如き導入、人間と見間違うほど精巧に作られたマネキン、そしてそのマネキンの化身のような生身の女の暗躍もあり、プロットがある程度整っていればカーのような怪奇性のある本格に肉迫できたのかもしれないけれども、作者が枚数の多い作品のボリュームに適応しきれていないのか、見せ場の整理ができていない。のちに楠田のレギュラー・キャラクターとなる田名網幸策警部が登場していながら通俗風の結末で終わるのも、読む人によっては意見が分かれそうだ。
今回は光文社文庫『ミステリー・レガシー』を論じる主旨ではないが、光風社版には〝片目〟というワード(『冷たい眼』45頁7行目)に〝めっかち〟のルビが振ってあるのに、光文社文庫の『ミステリー・レガシー』テキストにはそれが無い。これは言葉狩り/改変には当たらないとはいえ、作者が意図的に振ったルビを勝手に抹消してはいけない。
☾ 「模型人形殺人事件」はそれほど頁数の無い長篇だからか、光風社版『冷たい眼』には短篇「水母」が併録されており本日の記事のメインはむしろこっち。室内プールを拵えた別荘を稲毛海岸に所有するほどの豪商である里見家には複雑な血筋を持つ三姉妹がいる。その中でも文武に長け、美貌の持ち主でありながら非常に厳しい気性の長女・江見子が自分の誕生パーティーの夜にいなくなり、浜辺で水着姿の彼女の屍体が発見される。しかも、江見子の体の腹部から太腿にかけてべったり纏わりついていたのは・・・。
よくある姉妹同士の血の争いで表面上煙幕を張った犯人捜しがテーマかと思いきや、イカモノ作家の栗田信が書きそうなトンデモないエログロ怪作でひっくり返る。決してこういうのが楠田匡介のメインストリームではないんだけど、「冷たい眼」の出来がそれほどでもない分だけ、突拍子もない「水母」のほうが皮肉にも印象に残りがち。この「水母」は昭和27年雑誌『妖奇』に二回連載で発表された。内容が内容だけに、この時どんな挿絵が付されていたのか、ちょっと気になる。
(銀) 楠田匡介(本名:小松保爾)は北海道の生まれで、戦後になり探偵作家としてデビューするまではさまざまな職を転々としており、ある意味苦労人だったのかもしれない。60代に入った年齢で交通事故に遭って逝去、不幸な最期を迎えた。