江戸川乱歩の長篇「大暗室」を取り上げた時(2020年6月27日の項を見よ)、この曲亭馬琴・作「近世説美少年録」についても少々言及したが、「南総里見八犬伝」と並んで読む価値がある作品だし、今でもどうにかこうにか現行本が流通していて決して入手難状態ではないから、もっと多くの人に興味を持ってもらえるよう記事にしてみたい。
ネットを見ると「南総里見八犬伝」に関するサイトは沢山見つかるし、そこで様々な情報を得る事ができる。けれどもこの長篇について語られているサイトは決して多くない。本作はどういった内容なのか、まずはざっくり知ってもらうためにも、普段このBlogでは一冊の本につき一つの記事で済ませるのが通例だが、今回はなるべくわかりやすくアウトラインを伝えたいので、一冊につき二回ぶんの記事を使って、大まかなストーリー紹介でもって進めていきたい。
【上巻前半のあらすじ】
室町幕府の将軍・足利義稙(本書には〝義種〟とあるが以下このように記す)の時代。山陽地方から北九州に及ぶ七箇國の守護大名である大内義興は京の管領職に登用され、日の出の勢いにある。その頃、謀反を起した南朝の大将・菊池武俊が肥後國阿蘇の古城を拠点にして近郷に猛威を振るっていた。これを征伐すべく幕府は管領たる大内義興を大将に任命、義興は七箇國から召集した五万の軍勢を引き連れ、阿蘇に入る。
義興の軍の中にかつて源頼朝を支えていた大江廣元の血族にあたる大江弘元という武士がいて、神仏を敬う彼は阿蘇沼の畔にある霊蛇の神社を本陣にするつもりの義興に諫言するのだが、大将の義興は聞き入れず。すると、凄まじい豪雨がこの地を襲い幕府軍がガタガタになる中で、敵の菊池武俊はまんまと逃亡。しかも武俊があらかじめ仕込んでいた地雷の火が山の硫黄に着火し、義興は武俊を捕えるどころではない状態に。
大江弘元は豪雨による洪水に流され、危うく命を落としそうなところを地元の漁師・子自素它六+ 妻・綾女と名乗る夫婦に救われた。素它六はただの村民にしておくには勿体無いような男で、弘元に「菊池武俊を逃した代わりとして、武俊一派を裏切ってここからほど近い飯田山を根城にしている山賊・川角頓太連盈の首級を挙げれば、将軍に責められる事もないでしょう」と策を授ける。素它六+綾女夫婦の家を後にした弘元は飯田山へ向かう途中で、洪水で行方不明になっていた数十名の家臣と再会。どうやら彼らもあの夫婦に救われていたらしい。
弘元は素它六の策に従って山賊・川角頓太連盈を捕えた。一方、義興は逆徒(菊池一族)の建立した神社が残ってはならじと本陣の一帯に火を掛ける。その時大地を揺るがして両箇(にひき)の白大蛇が出現。白大蛇と、それを追って飛んできた山雞(やまとり)達との闘いの末、一隻(いちわ)の孔雀が白大蛇の息の根を止める結果に。
弘元はようやく飯田山から戻ってきて義興の陣に合流できたが、一足違いで蛇神とその社を守ることは叶わず。とりあえず幕府軍は解散、義興は京へ戻ったが弘元はひとり残って蛇塚を建て、自分を救ってくれた蛇神を弔うのだった。
ここまでがプロローグの〝阿蘇白蛇篇〟。現代人でも知っているように、白蛇は縁起の良いものと元来云われてきた生き物。その白大蛇の住む穴を無惨にも管領・大内義興は焼き尽くしてしまった訳で、この後大内家にどのような祟りがあるのか、馬琴はそれを文中でほのめかしている。本巻の装幀に流用されている本文中の蛇の挿絵は、この白大蛇と山雞(やまとり)達との闘いを描いており、これから「近世説美少年録」を読む人は、本作において ❛蛇❜ が物語の鍵となることを頭の片隅に置いていてもらえればよいのだ。
さて。大内家に仕える家老の子で、陶瀬十郎興房という風流に通じた男前の若き侍がいた。彼は大内義興の近習で例の菊池武俊征伐に駆り出され、義興が京に帰ると共に付いて戻り、そのまま都勤めをしている。ふとしたきっかけから瀬十郎は阿夏と名乗る婀娜っぽい女と出会い、つい懇ろな仲に。実は阿夏は芸妓で、病人の母の面倒を見なければならない苦しさから、五歳の幼い娘小夏がいる頭が悪くて冴えない商売人・末松木偶介の連れ合いになっていた。それを知った瀬十郎は阿夏と会うのを控えていたが、ある酒宴の場に白拍子として呼ばれていた阿夏と再会、またしてもふたりは一夜を共にし、結局阿夏は珠之介という瀬十郎似の美しい男児を産んだ。
三年後。末松木偶介と阿夏の住む家の家主・池澄屋亀六には鮒九郎なる放蕩息子がいて、人妻である阿夏にのぼせあがっていたのだが、彼は珠之介の父が陶瀬十郎興房であるとの噂を耳にし、逆恨みの果てに屈強な乞食を数名雇って瀬十郎を殺そうとする。もちろん鮒九郎は瀬十郎の敵ではなく、お上の詮議で瀬十郎は罰されなかったが、不祥事は不祥事ゆえ周防山口へ戻される処分が下される。阿夏との別れ際、瀬十郎は自分の手と息子・珠之介の手にそれぞれ親子の証を示す消えない黒子の跡を残して、京を去っていった。
片や、息子の鮒九郎を失った池澄屋亀六は凶事の原因として阿夏を憎む。こうして京には居られなくなった木偶介/阿夏/小夏/珠之介の四人は鎌倉に移り住むべく東へ旅立つ。ところが近江磨鍼峠の道中、凶悪なる二人の山賊が現れ木偶介を斬り小夏もろとも谷底へ投げ捨ててしまう。果して阿夏と珠之介はどうなる?
(銀) 「南総里見八犬伝」は善人キャラと悪人キャラが明確に分かれており、勧善懲悪が基本ゆえ、八犬士などあまりに善人で欠点が無さ過ぎなどという指摘をよくされる事が多い。それに対し、本作における珠之介の両親、陶瀬十郎興房はいけないいけないと思いながら情事に溺れてしまうし、阿夏は阿夏でいろいろ災難に遭う女だけれども、かといって淫婦と呼ぶほど悪女でもない。いずれにしても、この時点で物語の行く先はまだ何も見えていない。
ようやく登場した主人公のうちの一人・珠之介はまだ幼子。誰も人の通らない峠道で山賊に襲われた阿夏の身は?
❷へつづく。