✸ 本号は『九州日報』特派員として関東大震災の惨状をレポートした杉山泰道(=夢野久作)の、自筆スケッチ込みの新聞記事を転載しているページあり。それとは何の脈略もないけど、年明け早々なんでまた能登半島に震度7の大揺れが起きなくてはならんのか・・・。
✸ 『民ヲ親ニス』は毎年春に開催される「夢野久作と杉山三代研究会」研究大会で披露された発表内容を掲載するのが通例。本号は第10回研究大会を対象とし、巻頭に政治学者・中島岳志の講演「アジア主義の原理」を文字起こしして載せている。
この人物、『中村屋のボーズ』という本を上梓した以外にもインドに様々関わっているようなので杉山三代研究会は講演に招いたのかもしれないけれど、元は『報道ステーション』コメンテーター、かつ雑誌『週刊金曜日』にも深く関わっていたり、どっぷり朝日新聞的思考の持主。従軍慰安婦について記事を書き、本当にあった出来事ならともかく、実際には起きていない事まで起きたようにでっちあげたため裁判で完全敗訴したお仲間の植村隆へ巻き起こった批判に対して、「誤報に不寛容なのは凡庸な悪」などと発言、捏造行為を擁護するような、必要以上に日本を貶める類の人種だと見做されても仕方があるまい。
197ページにおけるグリーンファーザー杉山龍丸の言葉は重い意味を孕んでいる。
〝今日(銀髪伯爵・註/昭和54年当時のこと)の夢野久作の愛読者の人々には、彼の父、杉山茂丸とのつながりを否定しようとする気持があり、彼の作品は、今の右翼とは全く別個のものとして取扱っています。
故に右翼ということで、かつての帝国主義大日本帝国、日本政府の黒幕であった杉山茂丸と、
夢野久作の思想、作品は別個のものであるという考え方になると思います。
私は、或る面においては、特に今の右翼とは別個のものであるということには賛成ですが、
しかし杉山茂丸が、右翼という断定には賛成出来ません。
それは、右翼的な一面のみを見たものというべきでしょう。
私は決して、杉山茂丸と夢野久作が、全く同じであるとは申しません。
私自身が、全く夢野久作や、杉山茂丸と異なった考え、行動をして生きています。しかし、確かに父と子という関係で、好むと好まざるに限らず(ママ)、生涯の大部分を一緒に生き、お互いに、大きな影響をもったことは事実です。〟
このように龍丸は危惧しているものの、やっぱり茂丸は世間から国粋主義の人だと思われがち。保守派の論者ばかり集めていたら、それはそれで歪(いびつ)になるし、視野を広くもって左側の論客を呼ぶのもいいだろう。然は然り乍ら、今の日本で耳を傾けるに値する程のインテリジェンスを持ち合わせたリベラル言論人なんて誰がいる?どれだけ坂本龍一が晩節を汚して死んでいったか・・・いくら頭は良かろうとも、悲しいかな本質がコドモだとああなるのだ。
左だろうと右だろうと一貫して私が毛嫌いするのは、事実を捻じ曲げてまで自分達の狂信的な考えをゴリ押しする人々である。そして昭和の時代に生み出されてきた罪無き作品にコンプライアンスだなんだと表現狩りを推し進め、あげくの果てに作品抹殺までやってしまうのは、まぎれもなく朝日新聞のような左寄りのアホどもに他ならない。
朝日によってまるごと暗い土の下に埋められてしまった作品では『ウルトラセブン』第12話「遊星より愛をこめて」が最もよく知られているが、かつて糾弾の標的になった夢野久作「骸骨の黒穂」とて、スペル星人と同じ不幸な運命を辿る可能性はあったと思う。
右にも左にも絶対的正義など無い。それを踏まえた上で言っても、戦後の朝日新聞をはじめリベラル左派がやってきた思想の捻じ曲げ・表現の捻じ曲げには目に余るものがあり過ぎる。今回の中島岳志という人選には、どうしても疑念を拭い去ることができない。
✸ そんな不満がある反面、いくらかでも救いになっているのが、上段で一部の文章を引用した杉山龍丸「西の幻想作家-夢野久作のことー」の再録。これは昭和50年代、地方文芸誌『九州文学』に十一回にわたって連載された夢野久作小伝。本来なら『夢野久作の日記』『わが父・夢野久作』と肩を並べる一冊の書籍になってもおかしくなかったのだが、単行本に纏められる機会が訪れず、ようやく一気に通して読めるようになったのは有難い。
中島岳志ではない他の識者がアジア主義について語っていてくれたら、それはちょうど龍丸の「西の幻想作家」とお互い補完し合う内容になって、古来からの伝統的な日本史観における杉山一族の在り方をもっとよく知ることができるテキストになったろう。それにしても杉山三代研究会員のメンバーは皆、本当に中島岳志を呼んでよかったと思っているのかな?
(銀) 杉山三代研究会事務局・手島博によると、ロシア在住の女性がロシア語に翻訳した『ドグラ・マグラ』を出版、その単行本をわざわざ杉山満丸へ送ってきたそうだ。ロシアの人でさえそんな配慮があるのに、夢野久作の著作権がパブリックドメインになった途端、日本国内で久作の新しい本が出ても出版社や制作者は杉山満丸へ本を献呈してこないないどころか、連絡ひとつ寄こさないらしい。
杉山満丸の執筆した「夢野久作を歩く」は次の一文をもって締められている。
〝父・杉山茂丸を慕い、深い深い愛情と義理人情に生きた夢野久作という人物。弱い人間に寄り添った人物。そんな夢野久作の心根が理解されず、著作の表面的な理解からくるおどろおどろしい印象のみが独り歩きする現在の状況が悲しくてなりません。〟
満丸氏には更に失望させるようで気の毒だけど、当Blogにてさんざん批判している自称ミステリ・マニア/古本ゴロどもというのは、何万、何十万にもなる久作の初刊本に惜しみなくカネは突っ込んでも、満丸氏が本当に読み取ってほしい事については、何ひとつ知ろうとしないでしょうね。
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