2021年8月22日日曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

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九州日報
1930年4月28日~5月13日掲載


⑨ 「古塔の老婆」(1)~(14)



【注意!】現在、連続企画としてテキストの異同を中心としたこの長篇の検証を行っていますが一部のネタバレは避け難く、「覆面の佳人」(=「女妖」)の核心部分を知りたくないという方は、本日の記事はなるべくお読みにならない事をお勧め致します。

 

 

【この章のストーリー・ダイジェスト】

 

▲ 「古塔の老婆」(1)~(14

 

河内兵部の子孫の一人である綾小路浪子は春巣街事件の手掛かりを求めて、巴里のずっと南にあるシャトワール村へ向かう。彼女の乗る列車には千家篤麿の姿もあった。シャトワール村には河内兵部が昔住んでいた河内荘と呼ばれる中世期風の古城が立っている。浪子は河内荘の門内にある村役場で、自分の他にはどんな子孫がいるのかを知るため謄本閲覧を申し出ると、その日同じ目的で訪ねてきた者が浪子の前に二人もいるというではないか。しかも浪子が見たかった謄本のページは破り取られていた。

 

 

受付の老役人の話では、現在この古城の塔には河内兵部の血を引くお利枝という婆さん、そして孫娘の小夏が住んでいるという。しかし一足遅く、既にお利枝婆さんと小夏に賊の魔の手が伸びていた。「二十年ぶりに男に化けて戻ってきた自分の娘に書類を奪われた」と言い残してお利枝婆さんは息を引き取る。しかし浪子は老役人から、
お利枝婆さんの娘・お鈴は十七の時に家出をして、
 巴里の安藤婆さんの処で生活していた事〟
〝安藤婆さんは実はお利枝婆さんの妹だがお鈴を悪い道へ唆し、
 その後お鈴は豪州へ逃げた事〟
そのふたつを教わった。

 

 

幸いにも救われた幼い小夏を巴里に引き取ろうと浪子は考えていたが、ほんの少し目を離した隙に小夏は若い紳士に連れ去られる。その紳士が河内荘のほうへ歩いていったという情報を得て、浪子は宿の給仕達数名の男と共に河内荘の塔へ急ぐ。塔上の真っ暗な部屋には、何者かに拉致されていたあの木澤由良子が監禁されており、浪子と再会できたにもかかわらず、由良子は幽霊のように無表情。部屋の穴倉には小夏も囚われていた。 

 

                      

 

以下は古塔の老婆」の章にて、春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。

 

 

A   外国貴族らしい紳士。それについで青年貴公子。     (春)  24215行目

   外國の貴族らしい紳士。それについで、中年の青年貴公子。(九)

   〝中年の青年〟って何?

 

 

B   シャトワール村に着きさえすれば(春)  2441行目

   シャトワールの村さへ着けば  (九)

 

 

C    四、五町でございましょうか(春)  24610行目

      四五丁でございませうか  (九)

   

 

D   そうやで(春)  24815行目

       さやうで(九)

    〝そうやで〟じゃなくて〝さようで〟では?

 

 

E   これは一時も猶予ならぬと思った(春)  25012行目

   これは一刻も猶豫ならぬと思つた(九)


 

                     

 

 

F   と五十格好の、       (春)  2516行目

   と、奥の方から、五十格好の、(九)

 

 

G   最近千切ったものに違いない (春)  2536行目

       最近に千切つたものに違ひない(九)

     

 

H   老人は暢気そうに奥から出てきた (春)  2543行目

     老役人は暢氣さうに奥から出て来た(九)

       このあと春陽文庫も『九州日報』も〝役〟の字を抜かしている箇所がある。

 

 

I      赤っぽい階段を上っていった(春)   25417行目

         垢つぽい階段を登つて行つた(九)

       現代人には通じにくいけれど、これは〝赤〟と変換すべきではないと思う。

       昔の人は〝垢っぽい〟という言葉を使っていたのかもしれないし。

 

 

J    彼は足を忍ばせながら             (春)  2576行目

         彼は足跫(あしおと、とルビあり)を忍ばせながら(九)


 

                      

  

 

K   彼女は人でなしじゃ           (春)  25813行目

       彼女(あいつ、とルビあり)は人でなしぢや(九)

       お利枝婆さんとお鈴は親子なのだから、

       ここは底本のとおりに〝あいつ〟というルビを入れないとおかしい。

 

 

L   浪子はそれを見ると急いで駆け寄った。無惨にも咽喉を絞められたとみえて、

  頸(くび)の周囲には青黒い痣がついて(春)  2596行目

   

  頸(くび)の周圍には靑黑い痣がついて(九)

 

   〝浪子は ~ 絞められたとみえて〟のくだりが何故『九州日報』には無いのだろう?

 

 

M      なんという恐ろしい殺人鬼だろう(春)  25910行目

   何といふ恐ろしい人鬼だらう  (九)

 

 

N   きょろきょろと辺りを見回していたが(春)  2605行目

     きよときよとと邊を見廻してゐたが (九)

  

 

O   しかし、相手もさる者、そうやすやす  (春)  2638行目

         然(しか)も、相手もさる者、さう易々と(九)


  

                     

 


P    春陽文庫の2642行目から2653行目にあたる数行、

  〝その翌日、浪子は小夏を伴ってパリへ帰ることになっていた〟から

   〝たったいままでそこいらにいたのに・・・」〟までの部分が、

   『九州日報』では、この回の最終行〝じっと前方に目を据えていた。〟の後へ

    ゴッソリ移動している。『九州日報』の人間が内容をよく読まずに

    原稿の順番を取り違えてしまったに相違ない。信じられんミスだ。    

   

 

Q     みないちように(春)  26814行目

    皆一様に   (九)

   春陽文庫は無闇に漢字を開くから、こんな風に余計解りづらくなる。

 

 

R   中の様子を覗(のぞ)いた (春)  26915行目

   中の様子を覗(うかが)つた(九)

 

 

S   さながら魂が脱け出したようである(春)  2716行目

   さながら抜け出したやうである  (九)

         初出の『北海タイムス』にはちゃんと〝魂が〟は入っていたのだろうか?

 

 

T   人であろうがなんであろうが襲ってくる(春)  27612行目

   人であらうが何であらうが襲ふて来る (九)   

 

                       

 

 

U   花子嬢について喜ばしき報をもたらせり         (春)  2802行目

       花子嬢について喜ばしき報を齎(もたら、とルビあり)せり(九)  

   

 

V   困惑の色が表れる      (春)  28017行目

       困惑の色が窺(うかが)はれる(九)


                      


⑥「奇怪の曲者」の章にて綾小路浪子は足の生爪を剥がしてしまったから、暫くの間は歩くのもしんどい筈なのに、本章では作者がその負傷を忘れてしまったかの如く、遠く離れた村まで行って、彼女は精力的に動き回っている。あの舞踏会の夜からどれほどの日数が経ったのか知りたいものだ。それにしても浪子は春巣街の殺人事件が河内兵部の遺産と関連している事をどうやって知りえたのだろう。



今迄もちょいちょい物語の中でその名が挙がっていた河内兵部だが、
ここに来て、その存在が一気にストーリーの前面へと浮上してきた。
前々回から、記事の冒頭にて【ネタバレ注意】の警告を出していることだし、ここまでの内容を通して見えてきた人間関係を少しだけおさらいしておこう。
かなりの財産を遺しているらしい河内兵部の血族だと判明しているのは次の登場人物。


お利枝婆さん ―――― お鈴(娘)

       ―――― 小夏(孫娘)   

  ↑

  〈姉妹〉

  ↓


安藤婆さん ―――― 春巣街の死美人(娘?)

      ―――― 牛松(息子)



綾小路浪子





今更説明する必要も無いだろうが、
①「雪中の惨劇」の章で蛭田紫影検事から成瀬珊瑚子爵を救い出したのも、
④「時計の中」の章で蛭田の追跡からお兼を逃がしてやったのも、
これすべて綾小路浪子の活躍によるもの。



④にて庄司三平が蛭田に告げた情報、すなわち「春巣街の死美人の名は白根星子といい、彼女は巴里随一の富豪と結婚すると話していた」この件に関し、既に白根辯造なる怪人物は殺されてしまったが、白根星子とはどういう関係なのか?お鈴は安藤婆さんの娘という名目で巴里で女優になった〟のなら、お鈴=春巣街の死美人なのか?まだまだ予断を許さない。



(銀) 本作のストーリーをこうやって章ごとに見ていく作業をしていると、まるで『ツイン・ピークス』TVシリーズを初見で一話ずつ観ていた時の気分に近いものがある。「これって、ちゃんと最後には納得のいく決末へ着地するの?」みたいな。




⑩へつづく。