2021年8月8日日曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

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九州日報
1930年3月17日~3月31日掲載



⑤ 「富豪の秘密」(1)~(14)




【この章のストーリー・ダイジェスト】


▲ 「富豪の秘密」(1)~(14

 

前章のラストにて重要参考人の安藤婆さんも殺害された。場面変わって綾小路浪子の邸宅では、各界の名士を集めた、年に一度の舞踏会を開催。浪子は美しく着飾った木澤由良子を伴い、客を饗している。名越梨庵伯爵になりすました成瀬珊瑚はフィアンセの春日花子と再会するが、悲しいかな、まだ本当の事を打ち明けられる状況にはない。彼は「友人の成瀬子爵を救いたい」というふりをして、彼女に贈ったイニシャル入りのナイフが春巣街の殺人に使われた経緯を問い質すが、自分があのナイフをプレゼントした相手は父・春日龍三だと言って花子は激昂する。

 

 

その龍三氏は花子から離れた場所に居り、大使館付き武官・白根辯造と称する人物から古い書類をネタにゆすられ愕然としていた。齢五十を過ぎた龍三氏の前妻が豪州で死んだというのは実は誤りたる話で、春巣街で先日殺されたあの女こそが前妻その人だったという驚天動地の事実を告げられる。もしもそれが本当なら、龍三氏は先妻との離婚手続きをしないまま現在に至っている以上、花子の母(こちらも故人)とは二重結婚罪となり、花子はただの私生児になってしまう。

と、突然広間の電燈が消え来客達がざわめく暗闇の中、白根辯造は何者かに刺殺され、例の書類はどこかへ消えてしまった。一瞬にして白根を屠った下手人は誰ぞ?

 

                      


以下は「富豪の秘密」の章にて春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。
この章における『九州日報』のマイクロフィルムは 3月18日44回「富豪の秘密」(2)の1/3程度が欠落しているため、その部分の比較検証はできなかった。

 

 

A   比類を見ないと言われている(春)  1325行目

       比類を見ないと言はれる  (九)

 

 

B   政界要路の大立者(春)  1327行目

   政界要路の立物 (九)

   これは春陽文庫のほうが正しいけれど〝立者〟でよかったのではないか。

 

 

C   これはこれ、英国大使館付の武官(春)  13410行目

       こはこれ、某國大使館附の武官 (九)

    某國 → 英国?       

 

 

D   令嬢の花子もまた黒っぽい衣服に(春)  1364行目

         令嬢の花子は又、深い衣服に  (九)

 

 

E   慌てて返事をしたが、ただちにそのあとへ(春)  1418行目

     周章て返事をした、が直にその後へ   (九)

 

 

                   

 


F    かえって無気味でもあり不安でもあった(春)  1441行目

    却て無意味でもあり、不安でもあった (九)

 

 

G    子爵の無実の罪を晴らすのです        (春)  14417行目

        子爵の冤(むじつ、とルビあり)を晴らすのです(九)

    春陽文庫では〝冤〟を一律〝無実〟と書き換えていながら、

    1504目では冤のままで、しかもルビは〝えん〟と表記している。

 


H        陰気だった。伯爵は相手の疑惑をはっきりと意識した。 (春)1455行目

 

    陰気だつた。突然、伯爵が體を乗り出すやうにして訊ねた。

 「さあ・・・あれは・・・」伯爵は相手の疑惑をはっきりと意識した。(九)

 

  ここに示した春陽文庫に抜けている箇所が、

    どういう訳か14634行目へ移動してしまっている。

 

 

I         しかしでは、その人が犯人だと(春)  14615行目

     然し、ではその人が犯人だと (九)

 

 

J     その人があの凶器で本の頁を (春)  1486行目

          その人があのナイフで本の頁を(九)

          この場面で花子が〝あの凶器〟と口にするのはおかしい。

 

 

                      

 


K    十も年齢(とし、とルビあり)を余計に取った(春)  1557行目

    十も年(ルビ無し)を餘計にとつた     (九)

 

 

L        それで、あれはいつ亡くなったのだね?          (春) 15510行目

      それで、彼女(あれ、とルビあり)はいつ亡くなつたのだね?(九)

 

 

M    あのか弱い花子はどうして           (春)  15610行目

          あの繊弱(かよわ、とルビあり)い花子はどうして(九)

 

 

N    秘密が一度に暴露したら(春)  15616行目

        秘密が一度で暴露したら(九)

 

 

O       どんな家庭の伜だって (春)  1572行目

         どんな豚殺しの伜だつて(九)

         これも差別用語としての言葉狩り。


 

                     

 

 

P   目下成瀬子爵を厳探中なのです。春巣街で殺されたあの女、(春)  15715行目


   目下成瀬子爵を厳探中なのです。

   御存知ではありませんか。春巣街で殺されたあの女、   (九)

 

 

Q   困難を感じた(春)  1588行目

         困惑を感じた(九)

         明らかに春陽文庫のミス。


 

R   十年以上も生きていたのです (春)  1598行目

   二十年近くも生きてゐたのです(九)

   本作冒頭にて、春巣街で殺されていた女の年齢描写は三十代半ばと書かれていた。

   あの描写を優先するとなると、春日龍三と結婚した当時の死美人の年齢を考えた場合に

   辻褄が合わなくなるから春陽文庫はこのように書き換えたのだろうが

〝十年以上〟としても、やはり彼女はかなりの早婚になってしまうのでは?

 

 

S    と、そこには夜会服を着た   (春)  1663行目

    と、見る、其處には夜會服を着た(九)

 

 

T    いったい、いつごろまで(春)  17014行目

    一體何時頃迄     (九)

 

 

                      

 


U    ところが突然、恐ろしい悲鳴が(春)  17116行目

   突然ところが、恐ろしい悲鳴が(九)

   これは『九州日報』のミス。

 

 

V   浪子はそれを聞くと、少なからず顔色を変えた(春)  1731行目

   浪子はそれをきくと、尠からず顔色を變へた (九)


                       


本作の元ネタはアメリカの女性作家 A・K・グリーンだと云うが、彼女の何という作品を横溝正史は翻案したのか、いまだ不明とされている。となると本作を『北海タイムス』上で連載する前年(1928)の『新青年』、その昭和3年6月臨時増大号と7月号に正史が執筆したふたつの作品が気になる。



ひとつは6月臨時増大号に坂井三郎名義で翻訳したファーガス・ヒュームの「二輪馬車の秘密」。黒岩涙香のオールドスクール感を打ち出し江戸川乱歩を喜ばせた逸話はよく知られており、英国が舞台なので、全体的な雰囲気は本作に通じるものが確かにある。ゴービーという鬼刑事が蛭田紫影鬼検事へ、グッター婆さんが安藤婆さんへ発展したかどうかは読む方々の判断にお任せしたい。



もうひとつは、7月号に川崎七郎名義で発表した創作もの「桐屋敷の殺人事件」。これは二話分載すると思われたが、一話きりで中絶した。この作品の冒頭を見てみると、夜の街頭を警官が巡回していて、ある建物に異変を感じ室内に入ってゆく。このあと警官はアッパーカットを喰らって賊に逃げられるのだが、それまでの導入部分は非常に短いシークエンスであれ、本作(「覆面の佳人」「女妖」)と酷似している。



「二輪馬車の秘密」と「桐屋敷の殺人事件」の延長線上に本作があったのだろうか?



(銀) A・K・グリーンに近い世代で探偵小説を書いていた海外作家といったら、ヒュームの他にボアゴベ/ウィルキー・コリンズ/ガボリオ/ウィリアム・ル・キューがいる。要するにドイルが登場してくる前の世代だ。 



⑥へつづく。