一年ぶりに「近世説美少年録」。
上巻➋の記事末尾にて「下巻(❸)へつづく」と告知しておきながら、何故こんなに間が空いたのかといえば、「南総里見八犬伝」と違って、本作は大まかなストーリーさえ知られていない。ならば導入部分だけでも解り易くしておきたいと考え、当Blogとしてはかなり突っ込んで上巻のあらすじをお伝えしたものだから、最後までずっとネタバレも辞さないあの調子で行くのか?と受け取られるのは本意でなかった。それゆえ、このBlogを覗いて下さる方が「近世説美少年録」について書いていたことなどすっかり忘れてしまいそうな頃まで次の記事は寝かせておこうと思い、❸をupできるタイミングを計っていたのである。閑話休題。
今日の本題に入る前に一言。下巻の主人公【末松珠之介=末朱之介晴賢】を描写する際、作者・曲亭馬琴がちょくちょく使う形容がある。
便佞(べんねい): 口先は巧みだが、心に誠実さのないこと
上巻の終わりで、辛踏旡四郎の口利きにより近習として珠之介を引き受けた日野西中納言兼顕だったが、誠実ならぬ何かが珠之介の内に宿っている事を察知。兼顕卿はこう思うのである。
〝特に怜悧(さかし)き少年なれども、その性便佞利口にて、進止(たちふるまい)に表裏(かげひなた)あり。(中略)善悪邪正は今よりして、料(はかり)知るべき事ならねども、この者成長したらんには、いかにしてわが為に、なるべき。
この珠之介の本性こそ、本巻の背骨になるのでお忘れなく。
中納言兼顕卿から香西元盛へ。仕える先が変わりながらも優美な男子に成長する珠之介だったが香西元盛兄弟の不和に端を発した事件に巻き込まれ、彼が流れ着いたのは備前国三石の浜。そこで生みの親・陶興房と感動の再会。珠之介は母・阿夏から叔父だと聞かされてきたため興房が実の父とは知らず、興房にしても阿夏との恋は不倫だったせいか、珠之介に自分が父だとは明かさない。
この再会からひと盛り上がりありそうなんだが、他郷に蟄居している身で珠之介と暮す事は許されないと言い聞かせる興房は武蔵國の扇谷朝興に仕官するよう珠之介に告げ、末朱之介晴賢の名を与える。ずっと興房の目の届くところに居たなら、この先待ち受ける珠之介の前途はもう少しマシなものになったのかもしれないのだが。
本書月報で高橋則子が述べているとおり、ここに至るまでの珠之介・・・じゃなかった朱之介は寵童として日の当たる道を歩くことができていたけれど、これ以降は転落の一途を辿るばかり。彼は扇谷朝興の命を受け大和國に赴いたところ義父・末松木偶介の先妻落葉と出逢う。姪の斧柄の命を救ってもらった恩義もあったので、落葉は斧柄に朱之介と婚姻を結ばせる。ところが、落葉・斧柄との同居は朱之介にとって息苦しいばかりか、夜の営みに何の面白みも無い斧柄に愛想を尽かし、とうとう他人の妻に手を出したところ相手はなんと美人局(つつもたせ)。さんざん金は巻き上げられるわで、騙されっぱなしの朱之介。
主君・扇谷朝興がそばにいないのをいいことに、命じられた仕事はそっちのけ、色事好き・酒好きの悪癖が全開になってしまった朱之介と比べれば、網乾左母二郎(「南総里見八犬伝」)のほうがずっとクールな色悪に思えるぐらい、本巻の主人公は冷酷な悪人どころか只のダメ男に成り下がってしまった。上巻で阿夏と珠之介を救った近江の福富家の面々が再登場したり、物語冒頭で滅ぼされた山賊・川角頓太連盈一味の残党がまたしても現れたり、阿夏が福富家に返してやった五色の玉が朱之介の手に巡ってきたり、序盤のエピソードにリンクする点は楽しめるけれど。
没落した福富家の孫娘・黄金(こかね)は左界で商いを営む母方の叔父・船積荷三太のもとへと遣わされ、不幸にして顔醜く頭も足りぬ荷三太の息子・桟太郎の妻になっている。朱之介は黄金とも再会するのだが、すっかり美しくなった黄金にまた懲りもせず手を出し、もう一人の荷三太の息子・城蔵から密通をネタに脅されてスワッピング状態。どうにも情欲を抑えきれない男達。こんな調子で、いまだ姿を見せぬ〝善〟の主人公・大江杜四郎と渡り合えるのか朱之介よ?
(銀) 「近世説美少年録」はここまで順調に書かれてきたけれども十三年の空白期間がある。それは天保の改革による取り締まりがやかましかったからだそう。この後の物語は「新局玉石童子訓」と改題し発表されるが、のちの世の翻刻本はどれも一括して『近世説美少年録』名義で発売。そのほうが営業面でもユーザーを混乱させなさそうだしね。だからこの国書刊行会版は初出にこだわった作りだといえる。
伝奇小説というよりドロドロした愛欲小説じみてきているが、朱之介が女に嵌まり込むくだりはそれほどつまらない訳でもなく退屈はしない。ただ、錦絵のようだった「南総里見八犬伝」(特にその前半)と比較してしまうと、どうしてもプロットにキメ細かさが欠けており、天啓の如き閃きが感じられないのは否めない。本巻に該当する部分を書き上げたあと馬琴は眼の異常を覚え始め、七年後にはとうとう失明。つまりこの後の「新局玉石童子訓」は「八犬伝」の終盤同様、息子滝沢宗伯の嫁・お路に口述筆記させながら執筆を進めなければならない状況にあった。
『新局玉石童子訓(上)』 ❹ へつづく。
■ 曲亭馬琴 関連記事 ■
『近世説美少年録(上)』