この長篇は(単に名前を使われただけで、本作の存在さえ知らなかったと云われる)乱歩サイドからはともかく、正史サイドの研究からさえもすっかり忘れられている。横溝オタは金田一耕助にしか関心を持たないから無理もない。そこまでの佳作でもないしね。
以前の記事にも書いたように、岡戸武平が代作した『蠢く触手』は『殺人狂想曲』に比べると、そこまでひどい語句改変はされていなかったので、「スペシャル編の二冊はそれまでとは別の人間が校正を担当したのではないか?」と私は想像した。今回、テキスト確認するためには連載時のものに当たる必要がある。『覆面の佳人―或は「女妖」―』は初出新聞『北海タイムス』夕刊上において1929年5月~12月に連載されたテキストを底本にしているという。ならば、その時の連載タイトルが「覆面の佳人」だったか。
次回からテキスト・チェックを始めるその前に、連載開始にあたり新小説豫告として記された作者二人(?)と挿絵画家・伊藤幾久造の言葉を紹介しておく。言うまでもなく乱歩のは、自分で発した言葉では絶対に無いはず。以下の乱歩/正史の言葉が春陽文庫では、別々ではなく一人で書いたようになっており、しかも「訳補者の言葉」だとされている。『北海タイムズ』の新連載予告でも、そのような表記になっているのだろうか?『九州日報』では「訳補者」とは書かれていない。
【作者の言葉】
「探偵小説のうちで、何が一番面白いかと問はれたら、私たちは躊躇なく黒岩涙香と答へる事が出来るであらう。今若し、涙香のやうな作者が一人ゐたら、讀物好きの多くの讀者は現在の退屈な状態から大分救はれる事が出来るであらうと思ふ。私達が今此處で試みやうとしてゐるのはつまりその涙香式なのである。種本は米國の女流作家AKグリーン女史のものであるが、只種を借用したまでゝ、あとは私達二人の創作になるものである。而して探偵小説の最も面白い所以であるところの、結末に至る迄の整然たる秩序を決して失はないつもりである。」
「『女妖』の内容は、興味横溢せる探偵趣味豊(ママ)なもので、事件は、巴里の貧民街の殺人事件より起り、忌はしい嫌疑に泣く青年子爵、それを救はんとする妙齢の美女、鬼のやうに冷酷なる検事等々、そして彼等の間に影のやうに出没する殺人鬼 ― これが此の作品の焦點である。果してどんな物が出来上るか、探偵小説に於ては餘り多くを語らないのが華だ。宜しく御期待を乞ふ次第である。」
【挿繪に就て】
新年號の諸雑誌の附録や挿畫を書きあげて、ほつと一息ついた伊藤幾久造畫伯は、本鄕千駄木の畫室で語る。
「『探偵小説』は好きですよ。私は活動を見ることと探偵小説を讀むことの外にこれと云つて道楽はありません。私の挿畫は、頼まれるまゝに近頃時代物ばかり書いて居りますので、世間の人は『時代物』の挿畫以外は描けないものと思つてゐるやうですが、今度御社がこの絶好機會を興へて下さつたので、一つ變った面白い會心の作を發表いたします。御紙とは『妖鬼流血録』執筆以来お馴染みですし、それに私の挿畫フアンも少からず(ママ)居て下さることですから、ウント心血をそそぎます。どうぞ御期待下さい。」
(銀) 伊藤幾久造といったら、戦後すぐの少年少女探偵小説本の挿絵を描きまくっているイメージがあったから、戦前は時代物をいっぱい描いていたというのは初めて知った。それにしても乱歩も正史もやっぱり戦前のルックスのほうが断然イケてますな。