2024年9月19日木曜日

『有罪無罪』黒岩涙香

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榮館
1920年4月発売



★★★    危険な情事





原作はガボリオ「首の綱」。それを黒岩涙香が翻案小説として発表したのが「有罪無罪」。
「首の綱」は1930年、春陽堂探偵小説全集/第18巻に収録されたっきり、後に続く訳書が出ていない。春陽堂版の翻訳者クレジットは江戸川乱歩になっているが、乱歩の名義だけ借りた代訳であるのはいつものとおり。

 

 

齢六十になろうかという貴族の嫡流・黒戸伯爵の住まいは、町からおよそ三里を隔てた春邊村にある。深夜、屋敷の放火に気付いて庭に出た伯爵は、待ち構えていた何者かに鉄砲で撃たれ重傷を負う。周辺捜査の結果、幾人かの目撃情報によって星川武保侯爵に容疑が掛かり、連行。武保は近日中、山堂家の一人娘・錦嬢と婚礼を挙げる予定だった。黒戸伯爵に殺意を向けるほど怨恨を抱く理由は見当たらないものの、あらゆる状況証拠から武保は不利な立場に追い込まれる。

 

 

最初から読者は星川武保がシロだと知らされている反面、只事でない秘密を抱えた武保は警察に自分の無実を立証することができず獄に繋がれている。そこへ、思い詰めたフィアンセの錦嬢が金の力で牢番を買収、武保を脱獄させ二人で国外に逃げようと持ち掛けたり、はたまた後半でも買収によって一時的に武保が獄から出られたりして、古い時代の小説ながら、実に御都合主義でユルユル。

 

 

全体の折り返し地点に至り、沈黙し続けてきた事実をようやく武保は弁護サイドに打ち明ける。その長い告白シーンは、それまで表舞台に出てこなかった人物の黒い側面が露わになり、本作の中で最もサスペンスフルだ。最終的に事件は法廷に持ち込まれ、本来ならばそこが最大のクライマックスになるはずなのに、なんと被害者の黒戸伯爵が死んだり生き返ったり(?)「一体どっちやねん!」って感じでツッコミどころ満載。

 

 

序盤での記述に謎の伏線を張っておき、代言人・大川方英たちの尽力によって明らかになる事実とピッタシ辻褄が合ってゆくような流れで物語が書かれていれば、傑作になったかもしれないのだが悲しいかな、そこまで論理的じゃないんだよな。本当に色々な点で惜しい作品。

 

 

 

(銀) 明治期に書かれた涙香の小説は改行が全然無いのも、現代人に読みにくさを感じさせる要因だろう。ただ会話の部分は、誰の発言か一目でわかるようになっている。

 

「其名の現はれるのは猶結構ではありませんか、誠の罪人の名が分れば愈々貴方の潔白が分りませう」


これは錦嬢のセリフで、彼女の発言のアタマには〝錦〟と記してある。
他にも例えば代言人・眞倉のセリフだと、彼の発言のアタマには必ず〝眞〟の字が。

 

「僕には何うしても此辯護は出来ぬから君に讓らねばなりません」

 

こうすることで、海外ミステリを読む際の、冒頭に記されている登場人物一覧表をいちいち見て確認するような手間は省ける。加えて戦前の本は総ルビだから、思ったほど読みにくい文章ではない。





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2024年9月16日月曜日

『みすてりいno.4/夢野久作研究号』

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推理小説研究会
1964年10月頒布



★★★★    リバイバル前夜





急死して三十年の間、夢野久作は大衆の記憶から忘れ去られていた。
それが再び脚光を浴びるきっかけとなったのは昭和37年、『思想の科学』へ発表された鶴見俊輔による評論「ドグラ・マグラの世界」だ。そして三一書房が『夢野久作全集』の刊行を開始するのは昭和44年のこと。本日取り上げる約100頁の同人誌『みすてりいno.4/夢野久作研究号』はごく一部の好事家のための頒布ではあるけれど、鶴見俊輔評論と三一書房版全集を繋ぐ橋渡しのような文献だった。

 

 

 

編集後記には夢野久作に対する当時の見方が、次のように述べられている。

〝戦前は、「鬼才」と高く評価されていながら、戦後は幾つかの定評ある作品を除いて、ほとんど返り見られ(ママ)なくなっている。同時代の作家より不遇の感がある。これは、おそらく作品の非本格性であろうし、夢野が中道にして斃れたことにもその原因があろう。ここに夢野の秘めた可能性に再評価の価値がある(ママ)。

『みすてりい』は島崎博を中心に発行された推理小説研究会の機関誌で、上記の編集後記を執筆したのもおそらく彼。のちに雑誌『幻影城』を手掛ける識者の島崎をして、夢野久作が知る人ぞ知る作家扱いされていたその理由を「作品の非本格性」と言っていることにちょっと驚く。

 

 

 

同業作家の復刊に最も力を貸してくれそうな江戸川乱歩は、戦後になると本格物に執心。
仮に久作が本格系の作家だったら乱歩や本格推しの連中がもっと早く久作復古を打ち出してくれたかも・・・と想像することもできるけれど、実際のところ戦争に負けたあの頃の日本人は、(比較的裕福な乱歩は例外として)誰もが自分の生活に必死。何年も前に亡くなっている作家の業績を見直して、新たに作品集を出すべく働きかける余裕など無い。

探偵小説のフィールドで活動していたとはいえ、その作品内容は著しくオルタナティヴ。本格と変格、本格派と文学派の二項対立にも久作は当て嵌めにくい。島崎の言わんとする事も分からんではないが、「本格じゃないからスポットが当たらなかった」ってのはどうだろう?戦争が終わっても久作が蚊帳の外に置かれていた理由は、業界の中に夢野久作を強くプッシュする人がいなかったのと、出自が福岡を拠点としたローカル作家であるハンデ、この二つが大きな要因になったんじゃないか?

 

 

 

ここで読める権田万治(ママ)「宿命の美学」は、のちに『日本探偵作家論』に収録される夢野久作論の初出バージョン。久作論はもうひとつあって「昭和初期における忠君愛国的思想の典型的日本人である。政治思想における限りは、彼は常識的であり、常軌を逸しているとは思えないのである。」と語る仁賀克雄の指摘は、久作に〝主義〟を背負わせようとするヘンな研究者の言とは異なり、すんなり受け入れられる。

 

 

 

その他の収録内容は以下のとおり。


作品論

【浪漫の花-「押絵の奇蹟」論-小村寿】

【脳髄の地獄絵-「ドグラ・マグラ」論須永誠一】

【狂った美学-「瓶詰地獄」論-曾根忠穂】


エッセイ【社会派の先駆-白石啓一】

アンケート【夢野久作とその作品について-諸家】

資料【夢野久作、著作・文献リスト-島崎博】

 

間羊太郎が書いた【夢野久作・作品ダイジェスト】は本編とは別枠で、40頁ものスペースが取られている。今でこそ久作の作品リスト・著書リストは手軽に得ることができるけれど、三一書房版全集が出る前は本誌の書誌情報に頼らなければ、久作を読むための本を探す指標は殆ど無いに等しかった。

 

 

 

現役探偵作家が寄せたアンケートを見ても、昭和30年代に夢野久作の作品を読むことの困難さが伝わってくる。「全部読んでるぞ」と豪語しているのは乱歩と萩原光雄(黒部龍二)と楠田匡介のごくわずか。そんな彼らでも、この時点ではまだまだ未読作品がかなり多く存在していた筈。産声を上げたばかりの久作研究、しかし三一書房版全集が形になるまで、あと五年待たなければならない。

 

 

 

(銀) 本誌28頁には、『みすてりいno.5』の内容予告も載っていて、小酒井不木特集が予定されていた。しかし次号は刊行されず、『みすてりい』は本誌no.4までしか残存していない。

 

no.4で終わってしまったその理由が分かる資料がなかったか思い出そうとしたけれども、これといったものが頭に浮かばない。雑誌『幻影城』の盛衰に関する資料はいくつかあるが、『みすてりい』についての情報が無いのはちょっと残念。





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2024年9月11日水曜日

『ビッグ・ボウの殺人』イズレイル・ザングウィル/吉田誠一(訳)

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ハヤカワ・ミステリ文庫
1980年1月発売



★★★★   密室トリックとは優れたペテン芸である




探偵小説の歴史における密室トリックの萌芽に該当するものを思い浮かべると、だいたいこんな感じになるかな。

 

1841年  エドガー・アラン・ポオ「モルグ街の殺人」(短篇)

1891年  イズレイル・ザングウィル「ビッグ・ボウの殺人」(長篇)

1905年  ジャック・フットレル「十三号独房の問題」(短篇)

1908年  ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」(長篇)

 

そう、密室を売りにした長篇として「ビッグ・ボウの殺人」はパイオニアの誉れ高い作品なのである。けれども上記四名の中で頭一つ抜けてイズレイル・ザングウィルはマイナーな作家だし、本作を未読の方は意外とおられるかもしれない。細々とだがハヤカワ・ミステリ文庫版は今でも流通がある。イズレイル・ザングウィルって憶えにくい名前だけど、一度は読まなきゃ損。

 

 

 凍えるような十二月のロンドン。ボウ地区でドラブダンプ夫人が経営する下宿の二階を借りて住んでいるアーサー・コンスタントは文学士であり、また労働運動の旗振り役でもある。ドラブダンプ夫人はコンスタントに朝起こしてほしいと頼まれていたので、(三十分ほど寝坊したとはいえ)部屋のドアを叩いて何度も声を掛けたのだが、一向に起きてくる気配なし。異変を感じた夫人はすぐ、近所付き合いの元刑事グロドマンを呼び、完全にロックされているコンスタントの部屋のドアをぶち破ってもらい、中に入った。

 

 

二人はそこで、コンスタントがベッドで仰向けになって横たわっているのを発見。刃物か何かで喉をスパッと斬られ、部屋の主は息絶えていた。しかし彼の部屋は窓をはじめ、第三者の侵入は無理。室内に潜んでいる不審者も見当たらず、暖炉の煙突とて子供でも通り抜けられぬ細い構造になっている。事件報道後、新聞にはポオの「モルグ街」を引き合いに、「犯人はである」と言い出す投稿者もいたが、細い暖炉を通り抜けられるほど小さなでは、コンスタントの喉を一撃で掻き切る芸当はとてもできそうにない。するとコンスタントを殺した犯人は誰とも鉢合わせせず、どうやってこの部屋から立ち去ることができたのか?
は伏字) 

 

 

ディクスン・カーや江戸川乱歩が喜びそうな、けれども本格物を煙たがるリアリズム派には馬鹿馬鹿しいと苦笑されそうな、ペテンチックな不可能犯罪。要するに〝読み手の盲点を突く〟ってやつだ。プロパーなミステリ作家ではないからか、ザングウィルのストーリー運びは読みにくいとは言わないまでも若干クセがある。Chapter5からしばらく、デンジル・キャンタコットやピーター・クラウルらのやりとりが中心となるあたりは、なんとなくモタついているのが瑕瑾。

 

 

密室のからくりは犯人の動機にも繋がってくる。とにかくカーのトリック・メイカーぶりが好きなら本作は満足できるし、そうでなければ単に人をおちょくった小説でしかないだろう。繰り返すが、カーほど上手い具合に物語を転がしてゆくSmooth Operatorではないので、たどたどしいところが少々目に付く。密室トリック長篇の先駆けだし本当は満点にしたいけど、★4つ。

 

 

 

(銀) 本書ハヤカワ・ミステリ文庫版は、カバーだけリニューアルして大垣書店限定で2016年に再発されたものの、テキストは従来どおり吉田誠一訳の三刷に過ぎないし、買うどころか書店などでも全然気にしていなかった。今日の記事を書くためにネットを見たら、新カバーの三刷分って大手通販サイトでも扱っていたんだね。ちっとも知らんかった。





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2024年9月9日月曜日

『拳銃無法地帯』九鬼紫郎

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川津書店
1959年1月発売



★    どこを褒めたらいいのやら




今となってはどれもこれも完全に忘れ去られた作品とはいえ、かつて九鬼紫郎の著書は(別名義も含め)それなりの数が存在していた。彼が戦後に発表した小説の中には私立探偵・白井青児を主人公とするハードボイルド・スリラーがあり、『拳銃無法地帯』も白井青児シリーズに属する長篇である。

 

 

東洋探偵社の一員である白井青児は、上司・伊東権之助の指令で横浜へ。一代で財を成し、横浜銀行/蚕糸会/雨宮貿易/横浜商工会議所などを牛耳りハマの実力者と云われている雨宮米太郎には吉夫という息子がいる。吉夫は雨宮貿易の東京支店長を務めていたのだが、この春から地元横浜に戻り、父の経営する新聞社『横浜タイムス』の社長に就任。悪政の大立者やギャング集団を一掃すべく強力なキャンペーンを打ち出していた。

 

 

雨宮吉夫から名指しで白井青児は横浜に呼ばれたのだが、雨宮邸にて青児が吉夫の帰宅を待っているその時刻、吉夫は何者に銃弾を撃ち込まれて死んでいた。話も聞かぬうち依頼者が殺されてしまったことで逆に闘争心が湧いてきた青児は『横浜タイムス』社会部記者・相良武夫に接触。吉夫を殺した人間を探す事で、ハマの悪の巣を調べ始める。

 

 

私立探偵は出てきても探偵趣味と呼べる要素は無い。出だしのほうはともかく、後半はタイトルどおりドンパチが多くなって私の好みから離れてゆく。なんでもいいから一つでも光るところがあれば★2つにしたのだけれど、白井青児をはじめ各登場人物にこれといった特色が感じられないし、文章的に味があるかと言えばそうでもない。結末に至るまで、ちょっとでも気を引くような山場がある訳でもなく、ストーリーが平坦で弱い。

 

 

この種の貸本小説は一切再発されないまま今日まで至っているため異常に古書価が高騰したりもするが、内容が内容だし、復刊の需要が起きないのもやむを得ないと思う。ハードボイルドでもアクションものでも、どこかにチャーム・ポイントさえあれば、いつか誰かが再評価を促したりするかもしれないが、こういう作品がいくら探偵小説のジャンルの一部として扱われていても、私の読書の対象にはなりにくい。これなら「あぶない刑事」でも観ていたほうがずっと楽しめるもんね。






(銀) 以前の記事(下段のリンク先を見よ)にも書いたけれど、九鬼紫郎はわりとワーカホリックな人なのか、様々な編集の仕事に携わっているし、昭和20年代後半頃からは時代小説も数多く手掛けている。いま必要なのは彼の作品復刊より、キャリアの全体像を掴むことができる評論なのかもしれない。





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2024年9月7日土曜日

『夢と秘密』城昌幸

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日正書房
1947年2月発売



★★★★    ダブリが多い城昌幸の短篇集




城昌幸の短篇集は、同じ作品があっちの本にもこっちの本にも入っている重複収録が多い。平成以降にリリースされた書籍で、「若さま侍捕物手帖」などの時代小説やジュブナイル『ハダカ島探検』を除くと彼の探偵小説関連本は次の三冊があり、そこに収められている作品を書き並べてみた。複数の本に亘り収録が重複しているものは色文字で示している。

 

 

ↇ 『怪奇製造人』(国書刊行会 〈探偵クラブ〉 平成5


「脱走人に絡る話」「怪奇製造人」「その暴風雨」「シャンプオオル氏事件の顛末」

「都会の神秘」「神ぞ知食す」「殺人淫楽」「夜の街」「ヂャマイカ氏の実験」

「吸血鬼」「光彩ある絶望」「死人の手紙」「人花」「不思議」「復活の霊液」

「面白い話」「猟奇商人」「幻想唐艸」「まぼろし」「スタイリスト」「道化役」

「その夜」「その家」「絶壁」「猟銃「波の音」「ママゴト」「古い長持」

「異教の夜」「大いなる者の戯れ」

 

 

ↇ 『死人に口なし』(春陽文庫 〈探偵CLUB〉) 平成7


「死人に口なし」「燭涙」「復活の霊液」「人花」「もう一つの裏路」「三行広告」

「大いなる者の戯れ」「間接殺人」「操仕立因果仇討」「想像」「見知らぬ人」

「二人の写真」「その暴風雨」「怪奇の創造」「都会の神秘」「神ぞ知食す」

「夜の街」「切札」「殺人淫楽」「ジャマイカ氏の実験」「シャンプオール氏事件の顛末」

「秘密を売られる人々」「七夜譚」「東方見聞」「薄暮」「妄想の囚虜」「鑑定料」

「宝石」「月光」「晶杯」

 

 

ↇ 『城昌幸集 みすてりい』(ちくま文庫 〈怪奇探偵小説傑作選4〉) 平成13


第一部  みすてりい

「艶隠者」「その夜」「ママゴト」「古い長持」「根の無い話」「波の音」「猟銃」

「その家」「道化役」「スタイリスト」「幻想唐艸」「絶壁」「花結び」「猟奇商人」

白い糸杉」「殺人婬楽」「その暴風雨」「怪奇製造人」「都会の神秘」「夜の街」

「死人の手紙」模型」「老衰」「人花」「不思議」「ヂャマイカ氏の実験」

不可知論」「中有の世界」

第二部  

「脱走人に絡る話」「シャンプオオル氏事件の顛末」「秘密を売られる人々」

「妄想の囚虜」「宝石」「月光」「晶杯」「七夜譚」「神ぞ知食す」「此の二人」

「罪せられざる罪」「吸血鬼」良心」「宝石匣」「恋の眼」「宝物」

「七人目の異邦人」「面白い話」「夢見る」「ハムレット」「宿命」「もう一つの裏」

「桃源」「影の路」「分身」「実在」

 

 

**************************************

 

 

さて、当Blogでは過去に何回か城昌幸について記事にしている。
その際、彼が生前に発表した短篇集の中から、特に理由も無く私が選んだ二冊がこちら。
書名をクリックすると別ウィンドウで立ち上がります。
(『婦人警官捕物帖』は趣きが異なるので今回の対象から除外)




 

リンク先の記事を踏まえ、本日の主題となる昭和22年の単行本『夢と秘密』に入っている作品も見て頂く。この色文字の短篇は、上記『怪奇製造人』もしくは『みすてりい』のどちらかに収録されている。

 

ↇ 『夢と秘密』(日正書房) 昭和22年


「寶物」「面白い話」「最後の夢」「七人目の異邦人」「東方見聞」「その二人」「鑑定料」

「寶石」「月光」「神ぞ知食す」「夜の街」「晶杯」「祕密を賣られる人々」「七夜譚」




色文字になっていない短篇も、その殆どは冒頭に挙げた国書刊行会版『怪奇製造人』/春陽文庫版『死人に口なし』/ちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』のいずれかで読むことができる。『夢と秘密』所収「その二人」と、ちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』所収「此の二人」はタイトルが似ていてまぎらわしいが、これらは別の作品だ。

 

 

**************************************

 

 

城の探偵小説短篇も数に限りがあるとはいえ、こうしてみると無駄にダブリが多い。別に「一作たりとも重複させるな」とか、そんな無茶は言わないけれど、10月に創元推理文庫から発売されるという城昌幸・短篇集二冊(藤原編集室・編)の内容が、またも桃源社版『みすてりい』+α、牧神社版『のすたるじあ』+αと聞いて、どうにも私は首を傾げてしまう。

 

 

確かに桃源社版『みすてりい』は城自ら気に入った短篇をセレクトした、傑作選の名にふさわしい本だけど、あれはちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』にそっくりそのまま再録されていた訳でしょ?ただでさえ重複が多いのに、また桃源社版『みすてりい』をベースとした新刊を出すって、商売として上手いやり方とは思えないな。

 

 

上段の収録内容比較をよく見てもらいたいのだが、『夢と秘密』に入っている「最後の夢」なんかは、平成以降の本には一度もセレクトされていない。さらに『夢と秘密』と同じ昭和22年に刊行された単行本『美貌術師』(立誠社)所収の九短篇「美貌術師」「自殺倶楽部」「運命を搬ぶ者」「大いなる幻影」「妖しい戀」「夢の女」「影の運命」「嘘の眞實」「おまん様の家」に至っては、本日の記事にて紹介しているどの城昌幸の本にも入っていない。酷い出来で読むに値しないというならともかく、なぜ新刊で読めるようにならないのか理解に苦しむ。

 

 

こういうのって読む側の利益を無視した、編者間/出版社間での不毛な縄張り争いでもあるのかねえ。あるいは東京創元社が藤原編集室に「その作家の代表作をゼッタイ押さえておかなきゃ、昭和前期の日本探偵作家の本は出さしてやらないよ」とか言ってプレッシャー掛けているとか。いつもおんなじ作品ばかりでなく、色々なものを読めるようになったほうが、ユーザーは喜ぶと思うのだが。

 

 

 

(銀) いっそ『大坪砂男全集』みたいに、城昌幸の探偵小説短篇を全てコンプリートする本を企画したほうが良かったかも。多く見積もっても、文庫四冊分あれば十分網羅できるだろ。でも今、紙のコストが高くなっているから、きっと東京創元社のお偉いさんが「城昌幸ひとりに四冊も出せるか!」とガミガミ怒って却下するだろうけど。

 

 
 

 

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2024年9月4日水曜日

『地獄の門』モーリス・ルヴェル/中川潤(編訳)

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白水Uブックス
2022年5月発売



★★★★   神は人を救ってなどくれない




 常々「暗さの無い探偵小説なんて好きじゃない」と言っている私でも、バイオリズムが著しく低下していたのか、この本に収められているルヴェル作品の救いの無さには消耗させられた。これまでエニグマティカ叢書のルヴェル本はもれなく目を通してきたし、創元推理文庫版・田中早苗(編訳)『夜鳥』を読んだ後に、こんな疲れは感じなかったのだけど。

 

〈本書収録作〉 

「髪束」「恐れ」「狂人」「金髪の人」「変わり果てた顔」「足枷」「どちらだ?」

「消えた男」「壁を背にして」「仮面」「妻の肖像画」「雄鶏は鳴いた」「鐘楼盤」

「街道にて」「接吻」「悪しき導き」「執刀の権利」「最後の授業」「古井戸」

「奇蹟」「大時計」「遺恨」「先生の臨終」「太陽」「忘却の淵」「鴉」「鏡」「嘘」

「誰が読んでいる?」「高度九千七百メートル」「強迫観念」「ひと勝負やるか?」

「窓」「伴侶」「生還者」「小径の先」/「編訳者あとがき」

 

 

 

 同人出版・エニグマティカ叢書にて中川潤が近年リリースしてきたルヴェル本のうち、本書(白水Uブックス版『地獄の門』)にも創元推理文庫版『夜鳥』にも入っていないのは次の作品だ。

 

『ルヴェル新発見傑作集 仮面』(20185月発売)

「視線」

 

『ルヴェル第一短篇集 地獄の門 完全版』(201811月発売)

「赤い光のもとで」「罪人」「対決」

 

『ルヴェル新発見傑作集 遺恨』(20195月発売)

「バベルの塔」

 

『ルヴェル新発見傑作集 緑の酒』(20205月)

「緑の酒」「家名を穢すな」「栗鼠を飼う」

 

 

 

 本書収録作には貧しき者の身の回りに付き纏う現実的な絶望感を描いているものが多くて、最初のうちはまだしも、中盤を過ぎると少しだけ辛抱しながら読んでいる自分に気付く。なので「高度九千七百メートル」みたいな日常生活からかけ離れた上空での怪異譚に出くわすと、それなりのガス抜きになる。戦前の日本にはプロレタリア小説や悲惨小説といったカテゴリーがあるけれども、本国フランスでルヴェルがそのような扱いをされているとはまず考えにくい。身分・階級差への怒りをテーマにしている訳ではないからね。

 

 

なんだろう・・・作品の方向性は大きく変わっていないのに、『夜鳥』収録作のほうが良い塩梅で暗い美しさを楽しめるような気がする。これは中川潤の訳がダメだとかそういう事ではなく、やはり戦前における田中早苗のセレクトが素晴らしすぎたとしか言いようがない。良いとこ取りして翻訳した田中の『夜鳥』と違って、後続の中川はもっと広くルヴェル作品を拾い集めているのだから、本書『地獄の門』と『夜鳥』の読後感に違いが生じても不思議ではない。

 

 

以前からルヴェル作品には長篇の存在も報告されているわりに、そちらのほうは翻訳されそうな気配が全く無い。仮に長篇も同じような作風だとしたら、短い尺に我々は慣れ切っているため、下手すると、ただ長いだけで退屈する可能性もある。とにかく一度読んでみなければ何とも言えないし、良いものがありそうならば中川潤にルヴェル長篇の刊行もお願いしたい。

 

 

 

(銀) ルヴェルと直接関係は無いが、今日の記事の中でちょっとだけプロレタリア小説/悲惨小説に言及したし、いつか日本のそういう方面の本も取り上げたいと思っている。好き嫌いは別にして。






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2024年9月1日日曜日

『僧正殺人事件』ヴァン・ダイン/宇野利泰(訳)

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中公文庫
1977年8月発売



★★★★★   どの訳者で「僧正」を読むか




戦前におけるヴァン・ダインの人気が高かったため、昭和の頃は多種多様な本が出ていた。ましてや彼の代表作として一、二を争う「僧正殺人事件」となると、翻訳者の顔ぶれも様々。以下、括弧内は初版刊行年を示す。

 

 

武田晃         改造社(昭和5年)

                                  新樹社/ぶらっく選書02(昭和25年)

              HPB 176(昭和30年)

 

井上勇         世界推理小説全集17/東京創元社(昭和31年)

            創元推理文庫(昭和34年)

            世界名作推理小説大系11/東京創元社(昭和35年)

 

中村能三        新潮文庫(昭和34年)

 

宇野利泰        世界推理名作全集7/中央公論社(昭和35

            世界推理小説名作選/中央公論社(昭和37年)

            中公文庫(昭和52年)*本書

            嶋中文庫グレート・ミステリーズ(平成16年)

 

鈴木幸夫        角川文庫(昭和36年)

            旺文社文庫(昭和51年)

 

平井呈一        世界推理小説大系17/東都書房(昭和38年)

            世界推理小説大系7/講談社(昭和47年)

            講談社文庫(昭和51年)

 

日暮雅通        集英社文庫 ~ 乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10(平成11年)

            創元推理文庫 ~ SS・ヴァン・ダイン全集(平成22年)

 

 

全集の端本もあるとはいえ、こんなに選択肢が多いと、初めてヴァン・ダインを読もうと思っている人は、(古書も対象とするのであれば)どの訳者のものを選べばいいか、迷ってしまうかもしれない。もちろん入手しやすいのは日暮雅通が新しく訳し直している近年の創元推理文庫版。しかし新訳だと、わかりやすさを重視しすぎて訳文から味わいが失われたり、最悪の場合、和爾桃子のように言葉選びがなってなくて、作品の世界観をぶちこわされることもありうる。

 

 

ここに列挙した「僧正殺人事件」訳書を全部制覇している訳ではないので、イチ推し!とまでは言わないものの、今日はこの中から中公文庫版の宇野利泰訳をピックアップした。中央公論社の流れで世界推理名作全集→世界推理小説名作選→中公文庫と来て、この三種の宇野訳『僧正』は手直しの入っていない同一テキストなんじゃないかとニラんでいる。本書・中公文庫版には宇野による5ページ分の解説はあるが、世界推理名作全集版あるいは世界推理小説名作選版、どちらのテキストを底本にしているとか何も書かれていないため、断言はできないけれど。

 

 

同じ宇野訳でも嶋中文庫は、言葉狩りの度が過ぎて『人形佐七捕物帳』で作品ごと削除してしまった悪例があるから/クリックしてリンク先を見よ)、テキスト確認はしていないが、グレート・ミステリーズ版はお薦めしない。集英社文庫版(乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10)もしかり、刊行の時期的に言葉狩りが盛んな年代なんで注意は必要。とりあえずアドルフ・ドラッカーの〝せむし〟を、「僧正」のwikipediaみたいに〝脊椎が彎曲異常〟だなどと表記していたら即アウト。

 

 

古書として世界推理小説名作選版(このシリーズは共通してオモテ表紙が赤のチェック柄にデザインされている)と中公文庫版の『僧正』はあまり見かけないような気がする。いずれにしても宇野訳は読み易い。この前、当Blogでも記事にした中公文庫版『スミルノ博士の日記』(☜)の宇野訳がしっくりきたなら、本書もきっとフィットする筈。宇野訳『僧正殺人事件』のサンプルとして、文章をひとつ紹介しておこう。

 

6   それは私よ、雀がいった   四月二日 土曜日 午後三時


〝「狂人の仕業だよ」とヴァンスは、いつになく真剣な表情で言明した。「それもただの気ちがいじゃない。おれはナポレオンだ、などと考えこんでいるやからとはわけがちがう。あまりにも頭脳が偉大すぎて、正気をそのまま、人智のゆるすかぎり、倒錯の世界にもちこんでしまった男だ。いいかえれば、彼の肉体そのものを、四次元世界の型式としてしまったわけだ。」


(中公文庫『僧正殺人事件』 112ページ15行目)

 

この部分、アナタがお持ちの『僧正』ではどんな風に訳されていますか?

 

 

 

(銀) 本作の内容に関して一言触れるとするなら、大詰めでのファイロ・ヴァンスのあの行為はドラマティックではあるけれど、人道的には賛否両論あるだろうね。一人また一人、不気味な粛清を続ける僧正。その隠されたる動機を推理しながら読むのが醍醐味。




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