2024年9月27日金曜日

『盲目の目撃者』甲賀三郎

NEW !

春陽文庫
2024年9月発売



★★    疑問噴出





Good Select。今迄この辺の作品が『甲賀三郎探偵小説選』Ⅰ~Ⅳに採られなかったことのほうがむしろ不思議な位で、順当だと思う。まあ編者の日下三蔵が日頃から甲賀三郎をよく読み込んでいる筈もなく、大方ファンサイト『甲賀三郎の世界』の「小説作品リスト」を覗き、「これは本格探偵小説だ」とコメントしてあったり評価の★が45個付いているものの中から、現行本・未収録作をとりあえず拾い出したっていうのが本当のところだろうけど。

 

 
 
ここに収められた三つの中篇を咀嚼すれば、作者が盲目の目撃者」と「山荘の殺人事件」にて本格系の成果を狙っているのは明白。ただ日本の探偵小説を細かく読まれている方なら御承知のとおり、隙の無いロジックを甲賀三郎に求めるのは難しい。

 

 

「盲目の目撃者」というタイトルの意味するものは、南米航路の客船・ブラジル丸沈没事故から生還した天涯孤独の主人公・井田信一青年ではなく、奈美子というめくらの老婆である。彼女の目が不自由な設定は情に訴える演出として活かされ、後述するメイントリックに直結している訳ではない。緑川保と名乗る怪紳士の奸計により、何度も身に覚えの無い殺人容疑を掛けられる井田。その中には不可能犯罪もあって、〝或るもの〟を使ったアリバイ偽装工作が描かれている。

 

 

こう書くと、未読の方は少なからず期待してしまうに違いない。しかし、読んでいてどうしても看過できぬアラがあり、そこが引っ掛かってしまう。

例えば第一の殺人現場。緑川保に指示されるがまま、既知の女性と会うため他人の住居へこっそり侵入した井田をその家の主・川島友美が見つけて問い詰める場面がある。床に落ちていた凶器らしきものを拾った川島から「これは君の短銃だな」と言われて「そうです」と即答する井田。この短銃、彼がまだ南米に居た時分紛失したものなのに東京の地へ突然現れたのだから、実物をじっくり手に取った上で自分の所有物だと思い出すのが普通の描写だろう。まるでいつも持ち歩いているような書き方ゆえ、なんとも不自然。

 

 

もうひとつは第二の殺人現場。ミステリ的に一番の見せ場となるシーン。
本書99頁ではこんな風に書かれている。

 

薄暗い廊下を緑川に急ぎ立てられながらオズオズと進んで行くと、突然奥のほうで異様な声が聞えた。

ああ、それは一生忘れることの出来ない、恐ろしい叫び声だった。それは声というよりも、一種のうめきだった。

人殺し!人殺し!

確かにその声はそう叫んでいた。続いて、ぎゃっという、断末魔の叫び。

それっきり、音はなくなって、後はひっそりと静まり返った。

 

ところが。
この殺人トリックの謎が暴かれる132頁を見ると・・・辻褄が合ってないではないか!
どう矛盾しているかはネタバレになるので、ここには書けない。読んで確認されたし。

 

 
 

「山荘の殺人事件」は、吹雪の富士見高原が舞台。別荘の地下室にて短銃を打つ練習をしていた香山(製絲工場の経営者で別荘の持主)が室内で射殺され、一緒に練習をしていた瀬川(語り手の夫)が失踪してしまうというストーリー。閉鎖空間での犯罪をはじめ、本格っぽい装飾が各所にちりばめられているようには映る。けれども人の出入りが妙に多かったり、肝心の香山殺しに関するトリックも、甲賀の思い描くイメージはそれなりに理解できるんだが、やっぱり書き方が乱暴なため、フェアな本格としては小煩い評論家やマニアに評価されにくいと思う。 

 

「隠れた手」主人公から見て、敵対する人物が次々スライドしてゆく過程がちょっと面白い。それよりも一番気になったのは、作中にてセレブ御用達かつ帝都随一と描かれている東洋ホテルの造り。


冒頭、事件の発生するスペースは特にスイートルームでもなさそうなんだが、昔のホテルの部屋には、他者が泊まっているであろう隣室に通じる扉が普通に存在したのかな?だとしたらセキュリティはどうなるのだろう。それにドアのロックも、当時は今みたいな自動施錠ではなくてサムターンみたいな手動タイプじゃないかと思うんだけど、廊下側から第三者の手で部屋に鍵を掛けられたら室内に居る人は出られなくなるってホント?凝り性の編者なら、こういう疑問を解説頁でキチンと説明してくれるんだけどね。

 

 

 

甲賀作品自体の出来不出来で大きく減点することは無いものの、本書は誰が校正・校閲しているのか知らんが、相変わらず商業出版とは思えぬテキスト・クオリティー。
以下、〈下線〉や〈注〉は私(=銀髪伯爵)による。



363行目

あなたの知っておられたころは今嬢でしたろうが、

今嬢って何だ?と思い、初刊本の新潮社長篇文庫版とその次に出た日本小説文庫版(春陽堂)、二種の『盲目の目撃者』単行本で確認したら、令嬢が正解だった。PCで「れいじょう」と打って「今嬢」に誤変換はしない筈なんだがな~。



438行目

緑川は銀座の行きっけのカフェ・ミニオンで (✕)

緑川は銀座の行きつけのカフェ・ミニオンで (○)



15513行目

無口な夫さえついに似ない冗談口を (✕)

無口な夫さえいつに似ない冗談口を (○)



1802行目

白い指に、ピンク・レディを挟むと (?)

白い指に、桃色の貴婦人を挟むと (○)

初刊本の日本小説文庫版『盲目の目撃者』所収「山荘の殺人事件」では、桃色の貴婦人と書いてピンク・レディとルビを振っている。本書は底本何を使っているのか明記されてないけれど、なぜ「桃色の貴婦人」表記しなかったのだろうか



2079行目

不吉な送葬曲などを (?)

ココ、日本小説文庫版テキストが送葬曲と表記していて、底本に忠実という意味なら間違いではない。しかし、この言葉はこのあと何度も出てくるが、その殆どにおいて葬送曲とされており、送葬曲は作者の意図ではない明らかな誤植と断定して何も問題は無く、葬送曲に統一すべき



208頁小見出し

ルビーの指輪 (?)

紅玉の指輪 (○)

確かに日本小説文庫版の文中では〝紅玉〟と書いて〝ルビー〟とルビを振っているが、小見出しにそのルビは無い。なんでルビー表記?



235頁小見出し 他

殺人の研究 (✕)

殺人の研究 (○)

〝殺人の研究〟とは物語に登場する書物のタイトルである。日本小説文庫版ではハッキリ〝二重かぎ括弧〟を使っているんだし、本書も『殺人の研究』するのが正しい 。

 

 

 

(銀) 今回カバー装画に横尾忠則まで担ぎ出して春陽堂もご苦労なことだが、最も神経を使うべきテキストは全体を俯瞰せず盲目的に入力・校正しているもんだから、〝送葬曲〟なんていう誤植まで、そのまま引き継がれている。素人の同人出版しかり商業出版しかり、これが探偵小説/SF/幻想文学を復刊する業界における本作りの現状である。




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2024年9月24日火曜日

『江戸川乱歩座談』江戸川乱歩

NEW !

中公文庫
2024年9月発売



★★★★  全ての座談・鼎談・対談を読める日は来るのか?




一昔前だと、こういう乱歩本の類いは山前譲/新保博久、あるいは本多正一によって企画・編纂されるのが常だった。それが今では中公文庫の編集部が・・・時代も変わったものだ。

 

 

江戸川乱歩が参加した対談・鼎談・座談の数は決して少なくないのに、それらは殆ど乱歩全集へ収められていない。私などずっと「乱歩の対談・鼎談・座談集を出してくれないかな~」と夢想してきたのだが(このBlogでも言いましたっけ?)、小説・随筆と異なり第三者の権利も絡んでくるためか乱歩著書として集成されず、どこかの雑誌・単行本に単発収録されるのみ。それを考えれば、本書がリリースされることで、これまでの停滞状況から一歩前進したと言えよう。

 

 

今回この文庫向けにセレクトされた対談・鼎談・座談が、どれも初出以来のお目見えなら有難いのだけどそうではなく、何らかの形で個別に再録されたものが意外とある。以下、本書の内容を紹介するが、過去に再録のあるものはその該当文献を示し、複数の再録文献がある場合にはなるべく探偵小説のジャンルに含まれ、なおかつリリース年度の新しいものを優先して、この色文字で記す。

(☜)マークは当Blogに関連記事あり。

 

 

 

Ⅰ 座談

 

 探偵小説座談会(1929年)

大下宇陀児/甲賀三郎/濱尾四郎/森下雨村

 

 明日の探偵小説を語る(1937年)

海野十三/小栗虫太郎/木々高太郎/末広浩二

2015年~『「新青年」趣味ⅩⅥ/特集 江戸川乱歩・谷崎潤一郎』(☜)に再録 

 

 乱歩氏を祝う(1954年)

木々高太郎/戸川貞雄/城昌幸/中村博

 

 探偵小説新論争(1956年)

木々高太郎/角田喜久雄/中島河太郎/春田俊郎/大坪砂男

1974年~『宝石推理小説傑作選2』(いんなあとりっぷ社)に再録

 

 文壇作家「探偵小説」を語る(1957年)

梅崎春生/曽野綾子/中村真一郎/福永武彦/松本清張

1974年~『宝石推理小説傑作選2』(いんなあとりっぷ社)に再録

 

 「新青年」歴代編集長座談会(1957年)

城昌幸/延原謙/本位田準一/松野一夫/水谷準/森下雨村/横溝正史

1985年~『復刻版新青年別冊』(国書刊行会)に再録

 

 

Ⅱ 対談・鼎談

 

 E氏との一夕 稲垣足穂(1947年)

1974年~『ユリイカ11月号/特集 ホモセクシュアル』

他にも再録文献あり

(注) 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』(河出書房新社)にも「E氏との一夕」と題された文章が収録されているが、こちらは純粋な対談ではなく、別物の内容と捉えるべき。

 

 幽霊インタービュウ 長田幹彦(1953年)

2016年~『怪談入門/乱歩怪異小品集』(平凡社ライブラリー)(☜)

他にも再録文献あり

 

 問答有用 徳川無声(1954年)

1989年~『江戸川乱歩推理文庫64/書簡対談座談』(講談社文庫)

他にも再録文献あり

 

 幸田露伴と探偵小説 幸田文(1957年)

2012年~『増補 幸田文対話(下)』(岩波現代文庫)に再録

 

 ヴァン・ダインは一流か五流か 小林秀雄(1957年)

1989年~『江戸川乱歩推理文庫64/書簡対談座談』(講談社文庫)

他にも再録文献あり

 

 樽の中に住む話 佐藤春夫/城昌幸(1957年)

2016年~『怪談入門/乱歩怪異小品集』(平凡社ライブラリー)

他にも再録文献あり

 

 本格もの不振の打開策について 花森安治(1958年)

2016年~『KAWADE夢ムック 花森安治 増補新版』(河出書房新社)に再録

 

 

 

厭人癖が強く内向的だった戦前の乱歩が、座談会に出ても口数が少ないのは当然。世の編集者が乱歩の対談・鼎談・座談をセレクト+再録するにあたり、それを気にして多弁で社交的になった戦後のトークばかり選んでしまうのも解らないではない。しかし人嫌いな乱歩のほうが好ましい私にとっては、どれだけ発言が少なかろうとも、重い腰を上げてそんな場に出て来ている彼の胸の内を深読みするのが楽しいし、他の戦前探偵作家たちにしても、時にはパブリック・イメージからはみ出すような実にinchmateなトークを交わしており、今となっては貴重(特に小栗虫太郎とか)。

 

 

今回のように文庫本一冊で収めるべく、数ある座談・対談・鼎談の中からバランスよくセレクトすれば、誰がやっても大抵こんな感じに落ち着くのだろう。とはいえ巻末に載っている「探偵小説に関する江戸川乱歩の主な座談・対談一覧」を見てしまうと、わりとよく再録されがちな戦後のものは極力避けてほしかった気もする。

 

 

先日の記事(☜)で、「もし城昌幸の短篇集を文庫で二冊出すのなら、いっそ彼の探偵小説短篇をコンプリートしたものを数冊刊行してくれたほうが嬉しい」と書いた。それと同じで乱歩の座談・対談・鼎談も完全網羅してほしいけれど、文庫でも単行本でも結構なボリュームになるから「売りにくい」と言って出版社の営業部は嫌がるかもしれない。でも、普通の探偵作家ならともかく大乱歩だからね。マイナー作家の小説復刊と比べてもトントン、いやそれ以上売れる可能性は十分ある。

 

 

『江戸川乱歩座談』、正直そこまで満足のゆくセレクトではなかったが、前半の座談パートには他で再録している本・雑誌の無いものが含まれているばかりでなく、内容としてもやはり面白いので★1つ加えた。

 

 

 

(銀) 座談パートの「探偵小説新論争」には前説があって、大下宇陀児が単独で自らの探偵小説論を語るも、そのあとの座談には参加せず退席。その宇陀児発言(「論なき理論」)も【参考資料】として本書に収録されている。もっとも、この「論なき理論」は『大下宇陀児探偵小説選Ⅱ』にて読めるのでexclusiveな再録ではない。






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2024年9月21日土曜日

『青髭殺人事件』藤澤桓夫

NEW !

講談社 ロマン・ブックス
1959年3月発売



★★★    肩の凝らない読み物




藤澤桓夫には『康子は推理する』(東京文藝社)というミステリ系の単行本があり、女子大生・滝口康子を探偵役に据えた八つの短篇が収録されている。また、その他の著書を見ると、講談社ロマン・ブックス『そんな筈がない』の収録内容は『康子は推理する』の前半部分、『青髭殺人事件』は同書後半部分に該当する。

 

 

『そんな筈がない』と『青髭殺人事件』は『康子は推理する』を分割再発したように思われがちだけども、『そんな筈がない』のリリースが昭和32年、『青髭殺人事件』が昭和34年、『康子は推理する』が昭和35年。ロマン・ブックスの二冊のほうが『康子は推理する』より先に刊行されているのである。

 

 

ロマン・ブックスを用いて紹介するなら、順番からいくと『そんな筈がない』を先に取り上げるのが筋なのだが、どこに放り込んでしまったか、ライブラリーを探しても見つからない。それでしょうがなく本日は『青髭殺人事件』を俎上に載せる。もっとも続きものではないし、どっちを先にしようと差し障りは無いけどね。

 

 

「青髭殺人事件」

康子の高校時代のクラスメイト乾幸子は幼い時分に両親を亡くし、ずっと叔父夫婦に育てられた負い目もあって、十八の若さで洋画家・今岡継雄のもとに嫁いでいる。ところが継雄は酒にも女にもだらしのない男で、幸子にすっかり厭きてしまい、キャバレーにいた女を家に連れてきて、一緒に暮らす始末。その継雄が泥酔状態のまま、家のそばの溝川で仰向けになって死んでいた。

こうなると疑惑の目は幸子に向けられがちだが、一概にそうとも言えない。同居している継雄の母は旧い素封家の老未亡人で、世間体を気にする性格。その上、死んだ継雄は夫が芸者二号に産ませた生さぬ仲の子供ゆえ、二人の関係は非常に悪かった。ツーカーの新聞記者・小島純吉はしぶる康子をこの事件に引き入れ、犯人を探り出そうとする。

 

 

「スクーター殺人事件」

山陰地方にある海岸沿いの小さな町。康子は夏休みを利用して医学部の友人・久坂秋子の実家に滞在している。その土地には〝三段鼻〟と呼ばれる急な断崖があり、秋子の親戚筋の当主・名川延雄がスクーターもろとも海へ転落する事件が発生。スクーターはすぐ見つかったが延雄の死体は行方不明。

ここに収められた四篇のうち、この作品が最もボリュームがある。康子の地元大阪を離れた旅先での話ゆえ、老刑事の真田や前述の小島純吉といった、いつもの顔ぶれが出てこないのが特徴。それもあってか、タイトルはダサいが本書の中ではこれが一番出来が良い。

 

 

「白い羽根」

「スクーター殺人事件」とは対照的に、こちらは非常に短く、実質14ページしかない。
新年のホーム・パーティーにて高価なサファイヤの指環が紛失。帰った来客は誰もおらず、犯人はまだ家の中にいる模様。そいつはどういう手口で指環を家の外へ持ち出すことができたのか?

 

 

「不完全犯罪」

康子に意見を求めて真田刑事が持ち込んだ事件。著名なる社会学者・尾武道人の妻がうら寂しい神社境内裏の空地で、心臓を一突きにされて死んでいるのが発見される。死者の掌には「?」と書かれた名刺ほどの紙切れが握られていた。

この一ヶ月前、人を殺したアプレ少年が警察や新聞社に「自分を捕まえてみろ」と挑発する騒ぎがあり、尾武博士は「世の中に完全犯罪など絶対にあり得ない」と談話を発表していた。康子と真田刑事は博士の談話に反発した人間の仕業ではないかと憂慮するのだが・・・。


 

 

『そんな筈がない』に収録されている四つの事件を滝口康子が解決したことが世間に報道されている為、一般の大学生ながら彼女の名はそこそこ知れ渡っているし、真田刑事などは康子の意見を伺いにわざわざ足を運んでいる。その康子クン、それほどしゃしゃり出るタイプでもなく、「もう殺人事件はこりごり」と思っているのだが、結局犯罪捜査に巻き込まれて活躍を見せる。

 

 

 

(銀) 既に申したとおり、本書収録四篇の尺の長さは一定していない。私は藤澤桓夫に詳しくなくて、「そんな筈がない」が昭和31年『別冊宝石』文藝作家推理小説集に掲載されている以外に、康子シリーズの初出誌が何なのか分からない。ただ、同一雑誌への発表ならば各短篇の尺はほぼ均等になる筈。そう考えると、康子シリーズはいくつかの雑誌へアトランダムに発表されたのかも。
 

 

 

 

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2024年9月19日木曜日

『有罪無罪』黒岩涙香

NEW !

榮館
1920年4月発売



★★★    危険な情事





原作はガボリオ「首の綱」。それを黒岩涙香が翻案小説として発表したのが「有罪無罪」。
「首の綱」は1930年、春陽堂探偵小説全集/第18巻に収録されたっきり、後に続く訳書が出ていない。春陽堂版の翻訳者クレジットは江戸川乱歩になっているが、乱歩の名義だけ借りた代訳であるのはいつものとおり。

 

 

齢六十になろうかという貴族の嫡流・黒戸伯爵の住まいは、町からおよそ三里を隔てた春邊村にある。深夜、屋敷の放火に気付いて庭に出た伯爵は、待ち構えていた何者かに鉄砲で撃たれ重傷を負う。周辺捜査の結果、幾人かの目撃情報によって星川武保侯爵に容疑が掛かり、連行。武保は近日中、山堂家の一人娘・錦嬢と婚礼を挙げる予定だった。黒戸伯爵に殺意を向けるほど怨恨を抱く理由は見当たらないものの、あらゆる状況証拠から武保は不利な立場に追い込まれる。

 

 

最初から読者は星川武保がシロだと知らされている反面、只事でない秘密を抱えた武保は警察に自分の無実を立証することができず獄に繋がれている。そこへ、思い詰めたフィアンセの錦嬢が金の力で牢番を買収、武保を脱獄させ二人で国外に逃げようと持ち掛けたり、はたまた後半でも買収によって一時的に武保が獄から出られたりして、古い時代の小説ながら、実に御都合主義でユルユル。

 

 

全体の折り返し地点に至り、沈黙し続けてきた事実をようやく武保は弁護サイドに打ち明ける。その長い告白シーンは、それまで表舞台に出てこなかった人物の黒い側面が露わになり、本作の中で最もサスペンスフルだ。最終的に事件は法廷に持ち込まれ、本来ならばそこが最大のクライマックスになるはずなのに、なんと被害者の黒戸伯爵が死んだり生き返ったり(?)「一体どっちやねん!」って感じでツッコミどころ満載。

 

 

序盤での記述に謎の伏線を張っておき、代言人・大川方英たちの尽力によって明らかになる事実とピッタシ辻褄が合ってゆくような流れで物語が書かれていれば、傑作になったかもしれないのだが悲しいかな、そこまで論理的じゃないんだよな。本当に色々な点で惜しい作品。

 

 

 

(銀) 明治期に書かれた涙香の小説は改行が全然無いのも、現代人に読みにくさを感じさせる要因だろう。ただ会話の部分は、誰の発言か一目でわかるようになっている。

 

「其名の現はれるのは猶結構ではありませんか、誠の罪人の名が分れば愈々貴方の潔白が分りませう」


これは錦嬢のセリフで、彼女の発言のアタマには〝錦〟と記してある。
他にも例えば代言人・眞倉のセリフだと、彼の発言のアタマには必ず〝眞〟の字が。

 

「僕には何うしても此辯護は出来ぬから君に讓らねばなりません」

 

こうすることで、海外ミステリを読む際の、冒頭に記されている登場人物一覧表をいちいち見て確認するような手間は省ける。加えて戦前の本は総ルビだから、思ったほど読みにくい文章ではない。





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2024年9月16日月曜日

『みすてりいno.4/夢野久作研究号』

NEW !

推理小説研究会
1964年10月頒布



★★★★    リバイバル前夜





急死して三十年の間、夢野久作は大衆の記憶から忘れ去られていた。
それが再び脚光を浴びるきっかけとなったのは昭和37年、『思想の科学』へ発表された鶴見俊輔による評論「ドグラ・マグラの世界」だ。そして三一書房が『夢野久作全集』の刊行を開始するのは昭和44年のこと。本日取り上げる約100頁の同人誌『みすてりいno.4/夢野久作研究号』はごく一部の好事家のための頒布ではあるけれど、鶴見俊輔評論と三一書房版全集を繋ぐ橋渡しのような文献だった。

 

 

 

編集後記には夢野久作に対する当時の見方が、次のように述べられている。

〝戦前は、「鬼才」と高く評価されていながら、戦後は幾つかの定評ある作品を除いて、ほとんど返り見られ(ママ)なくなっている。同時代の作家より不遇の感がある。これは、おそらく作品の非本格性であろうし、夢野が中道にして斃れたことにもその原因があろう。ここに夢野の秘めた可能性に再評価の価値がある(ママ)。

『みすてりい』は島崎博を中心に発行された推理小説研究会の機関誌で、上記の編集後記を執筆したのもおそらく彼。のちに雑誌『幻影城』を手掛ける識者の島崎をして、夢野久作が知る人ぞ知る作家扱いされていたその理由を「作品の非本格性」と言っていることにちょっと驚く。

 

 

 

同業作家の復刊に最も力を貸してくれそうな江戸川乱歩は、戦後になると本格物に執心。
仮に久作が本格系の作家だったら乱歩や本格推しの連中がもっと早く久作復古を打ち出してくれたかも・・・と想像することもできるけれど、実際のところ戦争に負けたあの頃の日本人は、(比較的裕福な乱歩は例外として)誰もが自分の生活に必死。何年も前に亡くなっている作家の業績を見直して、新たに作品集を出すべく働きかける余裕など無い。

探偵小説のフィールドで活動していたとはいえ、その作品内容は著しくオルタナティヴ。本格と変格、本格派と文学派の二項対立にも久作は当て嵌めにくい。島崎の言わんとする事も分からんではないが、「本格じゃないからスポットが当たらなかった」ってのはどうだろう?戦争が終わっても久作が蚊帳の外に置かれていた理由は、業界の中に夢野久作を強くプッシュする人がいなかったのと、出自が福岡を拠点としたローカル作家であるハンデ、この二つが大きな要因になったんじゃないか?

 

 

 

ここで読める権田万治(ママ)「宿命の美学」は、のちに『日本探偵作家論』に収録される夢野久作論の初出バージョン。久作論はもうひとつあって「昭和初期における忠君愛国的思想の典型的日本人である。政治思想における限りは、彼は常識的であり、常軌を逸しているとは思えないのである。」と語る仁賀克雄の指摘は、久作に〝主義〟を背負わせようとするヘンな研究者の言とは異なり、すんなり受け入れられる。

 

 

 

その他の収録内容は以下のとおり。


作品論

【浪漫の花-「押絵の奇蹟」論-小村寿】

【脳髄の地獄絵-「ドグラ・マグラ」論須永誠一】

【狂った美学-「瓶詰地獄」論-曾根忠穂】


エッセイ【社会派の先駆-白石啓一】

アンケート【夢野久作とその作品について-諸家】

資料【夢野久作、著作・文献リスト-島崎博】

 

間羊太郎が書いた【夢野久作・作品ダイジェスト】は本編とは別枠で、40頁ものスペースが取られている。今でこそ久作の作品リスト・著書リストは手軽に得ることができるけれど、三一書房版全集が出る前は本誌の書誌情報に頼らなければ、久作を読むための本を探す指標は殆ど無いに等しかった。

 

 

 

現役探偵作家が寄せたアンケートを見ても、昭和30年代に夢野久作の作品を読むことの困難さが伝わってくる。「全部読んでるぞ」と豪語しているのは乱歩と萩原光雄(黒部龍二)と楠田匡介のごくわずか。そんな彼らでも、この時点ではまだまだ未読作品がかなり多く存在していた筈。産声を上げたばかりの久作研究、しかし三一書房版全集が形になるまで、あと五年待たなければならない。

 

 

 

(銀) 本誌28頁には、『みすてりいno.5』の内容予告も載っていて、小酒井不木特集が予定されていた。しかし次号は刊行されず、『みすてりい』は本誌no.4までしか残存していない。

 

no.4で終わってしまったその理由が分かる資料がなかったか思い出そうとしたけれども、これといったものが頭に浮かばない。雑誌『幻影城』の盛衰に関する資料はいくつかあるが、『みすてりい』についての情報が無いのはちょっと残念。





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2024年9月11日水曜日

『ビッグ・ボウの殺人』イズレイル・ザングウィル/吉田誠一(訳)

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ハヤカワ・ミステリ文庫
1980年1月発売



★★★★   密室トリックとは優れたペテン芸である




探偵小説の歴史における密室トリックの萌芽に該当するものを思い浮かべると、だいたいこんな感じになるかな。

 

1841年  エドガー・アラン・ポオ「モルグ街の殺人」(短篇)

1891年  イズレイル・ザングウィル「ビッグ・ボウの殺人」(長篇)

1905年  ジャック・フットレル「十三号独房の問題」(短篇)

1908年  ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」(長篇)

 

そう、密室を売りにした長篇として「ビッグ・ボウの殺人」はパイオニアの誉れ高い作品なのである。けれども上記四名の中で頭一つ抜けてイズレイル・ザングウィルはマイナーな作家だし、本作を未読の方は意外とおられるかもしれない。細々とだがハヤカワ・ミステリ文庫版は今でも流通がある。イズレイル・ザングウィルって憶えにくい名前だけど、一度は読まなきゃ損。

 

 

 凍えるような十二月のロンドン。ボウ地区でドラブダンプ夫人が経営する下宿の二階を借りて住んでいるアーサー・コンスタントは文学士であり、また労働運動の旗振り役でもある。ドラブダンプ夫人はコンスタントに朝起こしてほしいと頼まれていたので、(三十分ほど寝坊したとはいえ)部屋のドアを叩いて何度も声を掛けたのだが、一向に起きてくる気配なし。異変を感じた夫人はすぐ、近所付き合いの元刑事グロドマンを呼び、完全にロックされているコンスタントの部屋のドアをぶち破ってもらい、中に入った。

 

 

二人はそこで、コンスタントがベッドで仰向けになって横たわっているのを発見。刃物か何かで喉をスパッと斬られ、部屋の主は息絶えていた。しかし彼の部屋は窓をはじめ、第三者の侵入は無理。室内に潜んでいる不審者も見当たらず、暖炉の煙突とて子供でも通り抜けられぬ細い構造になっている。事件報道後、新聞にはポオの「モルグ街」を引き合いに、「犯人はである」と言い出す投稿者もいたが、細い暖炉を通り抜けられるほど小さなでは、コンスタントの喉を一撃で掻き切る芸当はとてもできそうにない。するとコンスタントを殺した犯人は誰とも鉢合わせせず、どうやってこの部屋から立ち去ることができたのか?
は伏字) 

 

 

ディクスン・カーや江戸川乱歩が喜びそうな、けれども本格物を煙たがるリアリズム派には馬鹿馬鹿しいと苦笑されそうな、ペテンチックな不可能犯罪。要するに〝読み手の盲点を突く〟ってやつだ。プロパーなミステリ作家ではないからか、ザングウィルのストーリー運びは読みにくいとは言わないまでも若干クセがある。Chapter5からしばらく、デンジル・キャンタコットやピーター・クラウルらのやりとりが中心となるあたり、なんとなくモタついているのが瑕瑾。

 

 

密室のからくりは犯人の動機にも繋がってくる。とにかくカーのトリック・メイカーぶりが好きなら本作は満足できるし、そうでなければ単に人をおちょくった小説でしかないだろう。繰り返すが、カーほど上手い具合に物語を転がしてゆくSmooth Operatorではないので、たどたどしいところが少々目に付く。密室トリック長篇の先駆けだし本当は満点にしたいけど★4つ。

 

 

 

(銀) 本書ハヤカワ・ミステリ文庫版は、カバーだけリニューアルして大垣書店限定で2016年に再発されたものの、テキストは従来どおり吉田誠一訳の三刷に過ぎないし、買うどころか書店などでも全然気にしていなかった。今日の記事を書くためにネットを見たら、新カバーの三刷分って大手通販サイトでも扱っていたんだね。ちっとも知らんかった。





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2024年9月9日月曜日

『拳銃無法地帯』九鬼紫郎

NEW !

川津書店
1959年1月発売



★    どこを褒めたらいいのやら




今となってはどれもこれも完全に忘れ去られた作品とはいえ、かつて九鬼紫郎の著書は(別名義も含め)それなりの数が存在していた。彼が戦後に発表した小説の中には私立探偵・白井青児を主人公とするハードボイルド・スリラーがあり、『拳銃無法地帯』も白井青児シリーズに属する長篇である。

 

 

東洋探偵社の一員である白井青児は、上司・伊東権之助の指令で横浜へ。一代で財を成し、横浜銀行/蚕糸会/雨宮貿易/横浜商工会議所などを牛耳りハマの実力者と云われている雨宮米太郎には吉夫という息子がいる。吉夫は雨宮貿易の東京支店長を務めていたのだが、この春から地元横浜に戻り、父の経営する新聞社『横浜タイムス』の社長に就任。悪政の大立者やギャング集団を一掃すべく強力なキャンペーンを打ち出していた。

 

 

雨宮吉夫から名指しで白井青児は横浜に呼ばれたのだが、雨宮邸にて青児が吉夫の帰宅を待っているその時刻、吉夫は何者に銃弾を撃ち込まれて死んでいた。話も聞かぬうち依頼者が殺されてしまったことで逆に闘争心が湧いてきた青児は『横浜タイムス』社会部記者・相良武夫に接触。吉夫を殺した人間を探す事で、ハマの悪の巣を調べ始める。

 

 

私立探偵は出てきても探偵趣味と呼べる要素は無い。出だしのほうはともかく、後半はタイトルどおりドンパチが多くなって私の好みから離れてゆく。なんでもいいから一つでも光るところがあれば★2つにしたのだけれど、白井青児をはじめ各登場人物にこれといった特色が感じられないし、文章的に味があるかと言えばそうでもない。結末に至るまで、ちょっとでも気を引くような山場がある訳でもなく、ストーリーが平坦で弱い。

 

 

この種の貸本小説は一切再発されないまま今日まで至っているため異常に古書価が高騰したりもするが、内容が内容だし、復刊の需要が起きないのもやむを得ないと思う。ハードボイルドでもアクションものでも、どこかにチャーム・ポイントさえあれば、いつか誰かが再評価を促したりするかもしれないが、こういう作品がいくら探偵小説のジャンルの一部として扱われていても、私の読書の対象にはなりにくい。これなら「あぶない刑事」でも観ていたほうがずっと楽しめるもんね。






(銀) 以前の記事(下段のリンク先を見よ)にも書いたけれど、九鬼紫郎はわりとワーカホリックな人なのか、様々な編集の仕事に携わっているし、昭和20年代後半頃からは時代小説も数多く手掛けている。いま必要なのは彼の作品復刊より、キャリアの全体像を掴むことができる評論なのかもしれない。





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2024年9月7日土曜日

『夢と秘密』城昌幸

NEW !

日正書房
1947年2月発売



★★★★    ダブリが多い城昌幸の短篇集




城昌幸の短篇集は、同じ作品があっちの本にもこっちの本にも入っている重複収録が多い。平成以降にリリースされた書籍で、「若さま侍捕物手帖」などの時代小説やジュヴナイル『ハダカ島探検』を除くと彼の探偵小説関連本は次の三冊があり、そこに収められている作品を書き並べてみた。複数の本に亘り収録が重複しているものは色文字で示している。

 

 

ↇ 『怪奇製造人』(国書刊行会 〈探偵クラブ〉 平成5


「脱走人に絡る話」「怪奇製造人」「その暴風雨」「シャンプオオル氏事件の顛末」

「都会の神秘」「神ぞ知食す」「殺人淫楽」「夜の街」「ヂャマイカ氏の実験」

「吸血鬼」「光彩ある絶望」「死人の手紙」「人花」「不思議」「復活の霊液」

「面白い話」「猟奇商人」「幻想唐艸」「まぼろし」「スタイリスト」「道化役」

「その夜」「その家」「絶壁」「猟銃「波の音」「ママゴト」「古い長持」

「異教の夜」「大いなる者の戯れ」

 

 

ↇ 『死人に口なし』(春陽文庫 〈探偵CLUB〉) 平成7


「死人に口なし」「燭涙」「復活の霊液」「人花」「もう一つの裏路」「三行広告」

「大いなる者の戯れ」「間接殺人」「操仕立因果仇討」「想像」「見知らぬ人」

「二人の写真」「その暴風雨」「怪奇の創造」「都会の神秘」「神ぞ知食す」

「夜の街」「切札」「殺人淫楽」「ジャマイカ氏の実験」「シャンプオール氏事件の顛末」

「秘密を売られる人々」「七夜譚」「東方見聞」「薄暮」「妄想の囚虜」「鑑定料」

「宝石」「月光」「晶杯」

 

 

ↇ 『城昌幸集 みすてりい』(ちくま文庫 〈怪奇探偵小説傑作選4〉) 平成13


第一部  みすてりい

「艶隠者」「その夜」「ママゴト」「古い長持」「根の無い話」「波の音」「猟銃」

「その家」「道化役」「スタイリスト」「幻想唐艸」「絶壁」「花結び」「猟奇商人」

白い糸杉」「殺人婬楽」「その暴風雨」「怪奇製造人」「都会の神秘」「夜の街」

「死人の手紙」模型」「老衰」「人花」「不思議」「ヂャマイカ氏の実験」

不可知論」「中有の世界」

第二部  

「脱走人に絡る話」「シャンプオオル氏事件の顛末」「秘密を売られる人々」

「妄想の囚虜」「宝石」「月光」「晶杯」「七夜譚」「神ぞ知食す」「此の二人」

「罪せられざる罪」「吸血鬼」良心」「宝石匣」「恋の眼」「宝物」

「七人目の異邦人」「面白い話」「夢見る」「ハムレット」「宿命」「もう一つの裏」

「桃源」「影の路」「分身」「実在」

 

 

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さて、当Blogでは過去に何回か城昌幸について記事にしている。
その際、彼が生前に発表した短篇集の中から、特に理由も無く私が選んだ二冊がこちら。
書名をクリックすると別ウィンドウで立ち上がります。
(『婦人警官捕物帖』は趣きが異なるので今回の対象から除外)




 

リンク先の記事を踏まえ、本日の主題となる昭和22年の単行本『夢と秘密』に入っている作品も見て頂く。この色文字の短篇は、上記『怪奇製造人』もしくは『みすてりい』のどちらかに収録されている。

 

ↇ 『夢と秘密』(日正書房) 昭和22年


「寶物」「面白い話」「最後の夢」「七人目の異邦人」「東方見聞」「その二人」「鑑定料」

「寶石」「月光」「神ぞ知食す」「夜の街」「晶杯」「祕密を賣られる人々」「七夜譚」




色文字になっていない短篇も、その殆どは冒頭に挙げた国書刊行会版『怪奇製造人』/春陽文庫版『死人に口なし』/ちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』のいずれかで読むことができる。『夢と秘密』所収「その二人」と、ちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』所収「此の二人」はタイトルが似ていてまぎらわしいが、これらは別の作品だ。

 

 

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城の探偵小説短篇も数に限りがあるとはいえ、こうしてみると無駄にダブリが多い。別に「一作たりとも重複させるな」とか、そんな無茶は言わないけれど、10月に創元推理文庫から発売されるという城昌幸・短篇集二冊(藤原編集室・編)の内容が、またも桃源社版『みすてりい』+α、牧神社版『のすたるじあ』+αと聞いて、どうにも私は首を傾げてしまう。

 

 

確かに桃源社版『みすてりい』は城自ら気に入った短篇をセレクトした、傑作選の名にふさわしい本だけど、あれはちくま文庫版『城昌幸集 みすてりい』にそっくりそのまま再録されていた訳でしょ?ただでさえ重複が多いのに、また桃源社版『みすてりい』をベースとした新刊を出すって、商売として上手いやり方とは思えないな。

 

 

上段の収録内容比較をよく見てもらいたいのだが、『夢と秘密』に入っている「最後の夢」なんかは、平成以降の本には一度もセレクトされていない。さらに『夢と秘密』と同じ昭和22年に刊行された単行本『美貌術師』(立誠社)所収の九短篇「美貌術師」「自殺倶楽部」「運命を搬ぶ者」「大いなる幻影」「妖しい戀」「夢の女」「影の運命」「嘘の眞實」「おまん様の家」に至っては、本日の記事にて紹介しているどの城昌幸の本にも入っていない。酷い出来で読むに値しないというならともかく、なぜ新刊で読めるようにならないのか理解に苦しむ。

 

 

こういうのって読む側の利益を無視した、編者間/出版社間での不毛な縄張り争いでもあるのかねえ。あるいは東京創元社が藤原編集室に「その作家の代表作をゼッタイ押さえておかなきゃ、昭和前期の日本探偵作家の本は出さしてやらないよ」とか言ってプレッシャー掛けているとか。いつもおんなじ作品ばかりでなく、色々なものを読めるようになったほうが、ユーザーは喜ぶと思うのだが。

 

 

 

(銀) いっそ『大坪砂男全集』みたいに、城昌幸の探偵小説短篇を全てコンプリートする本を企画したほうが良かったかも。多く見積もっても、文庫四冊分あれば十分網羅できるだろ。でも今、紙のコストが高くなっているから、きっと東京創元社のお偉いさんが「城昌幸ひとりに四冊も出せるか!」とガミガミ怒って却下するだろうけど。

 

 
 

 

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