2021年1月18日月曜日

『甲賀三郎探偵小説選Ⅲ』甲賀三郎

2017年3月4日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第104巻
2017年3月発売



★★★      探偵小説講話



 『Ⅲ』は王道を踏まえた収録内容。初めて本叢書の甲賀の巻を読むならまずこれを。



指揮杖を携え西洋妖婆のような異様の風貌を持ち、事件解決後なにがしかのお宝をネコババする怪弁護士・手塚龍太シリーズを九作網羅。うち三作が傑作集的な『緑色の犯罪』(国書刊行会)と重複している事からも、このシリーズの評価の高さが窺えよう。

 

ノン・シリーズものは、

「日の射さない家」「水晶の角玉」

「郵便車の惨劇 () 「幽霊屋敷 ()

「木内家殺人事件」 

()  はおそらく単行本に初めて収められる。

 


本巻の主役は雑誌『ぷろふいる』に一年間連載されたまま纏めて読む事ができず、その名ばかりが先行していた評論「探偵小説講話」。ここでの甲賀の提案を一言で表すなら「本格を探偵小説と呼ぶべきであって変格はショート・ストーリィと呼んで区別した方がいい」この提案の行末は誰もが知るところであるが、甲賀は度々「自分は決して変格を認めないと言っている訳ではない、ただ区別をすべき」だと諭す。

 

 

何か変わったことを言うとなぜか感情的になってキレる幼児的な探偵小説読者が存在するのは昔も今も変わらないらしくて。ただ甲賀の物言いは他人の怒りを誘発させそうな部分もあり、森下雨村に疎まれてしまったりとか、そこで損したことも多いのは否定できない。

 

 

もうひとつの目玉である甲賀三郎著作リストをじっくり眺めて感じるのは、探偵小説が好きなら思わず読みたくなるような作品タイトル・ネーミングの上手さ。こういう例を出すのは好きじゃないが誰も言わないのであえて言うと、東野圭吾が「ガリレオ」でやったことをはるか昔に手を付けたのは甲賀だ。


 

 

☬ 惜しむらくは気短な性格からくるものなのか文章やその構成が性急だったり、はたまた代表作「琥珀のパイプ」等にも見られる傾向で、せっかく良い物理トリック・理化学トリックを生んでいながら同じ作中に雑多な要素を詰め込みすぎて印象を薄めてしまう弱点がある。それも個性と言ってしまえばそれまでだが、江戸川乱歩ほど寡作でなくてもいいけれど、執筆数を絞り一作一作に重みを持たせられていれば・・・。

 

 

それでも甲賀三郎を好きな理由は、戦前人気探偵作家としての〝華〟があるから。長篇をはじめ通俗っぽさが強くてもそれが甲賀らしさなのだから、強引に目をそむけるのもおかしい。実話物の「支倉事件」が甲賀長篇No.1とされているのを私はどうしても肯けない。


 

 

☬ ファンサイト『甲賀三郎の世界』の実績から本巻の解題を担当する話が舞い込んできた稲富一毅の甲賀認知活動が少しでも報われるよう、中身を吟味した良い甲賀本の続報を待つ。獅子内俊次シリーズ長篇のうち「姿なき怪盗」は次の巻『Ⅳ』に、「印度の奇術師」は同人出版の盛林堂ミステリアス文庫にて読めるようになったけれど、「犯罪発明者」「乳のない女」「死頭蛾の恐怖」「雪原の謀略」はいまだに土中で眠っている。





(銀) アイナットのwebネームで呼んだほうがしっくりくる稲富一毅。webサイト『乱歩の世界』『甲賀三郎の世界』では沢山楽しませてもらったからAmazon.co.jpのカスタマー・レビューで厳しい指摘はしなかったけれど、彼の提供した甲賀三郎著作リストは三つ四つ程度ならともかく、ちょいとミスが多すぎ。執筆が本業ではないし、仕事やプライベートで忙しかったのかもしれないが、せっかく作品のセレクトはgoodなのに本巻そして次の『』の解題等でも再びミスが多くて残念。

 

 

こういうのを見てしまうといくらその作家の専門家でも、誤記などミスの多いテキスト・データを提出してしまいがちな一般の人にアウトソーシングするのってどうなんだろう?そもそもゲラが上がる前、そういうミスに気付いて直すのが編集部の仕事と違うの? もっとも稲富は間違いに気付いて自分のHPですぐ訂正していたから、四六時中ネットばかりして本のミスをそのまま放置しているどこかのオッサンよりずっとマシだがね。  

 

 

昨日の記事でも論創社への疑問を書いたが、まだあるぞ。論創ミステリ叢書はこの後、加納一朗や藤原宰太郎の巻まで出すようになってしまった。佐左木俊郎『Ⅰ』の帯には斎藤栄の予告があって、この叢書は私の考える探偵小説とは全然違う方向へ進んでいるらしい。加えて佐左木俊郎は荒蝦夷から任された企画なのに『Ⅰ』だけ出して『Ⅱ』は出さないつもりなのか?論創海外ミステリは普通に新刊を発売し続けているから、いま論創ミステリ叢書が一冊も発売されないのはコロナ禍のせいとは言わさんからな。



今まで意識したことはなかったが、自分がAmazonのレビューを書くようになったキッカケは、論創ミステリ叢書なり論創社という存在があったから。その論創社への信頼も本巻が出た頃には崩壊しつつあり、その後は探偵小説のレビューをAmazonへ投稿する気持が冷めて、音楽関係のレビューばかりになっていくのだった。