2020年11月10日火曜日

『「新青年」趣味ⅩⅥ/特集江戸川乱歩・谷崎潤一郎』『新青年』研究会

2015年12月13日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

密林社
2015年12月発売



★★★★   玉石混淆にならぬよう



16号の特集は江戸川乱歩/谷崎潤一郎。
旧乱歩邸には一癖ある未発表原稿がまだ遺っていた。それは「独語」という題で、昭和11年「緑衣の鬼」と「怪人二十面相」を連載していた時期に発表するつもりもなく書かれたものらしい。探偵小説以外へと読書対象が移りゆく萌芽が見られ、小説家としての葛藤/メディアに映る自分への嫌悪がブツブツ語られる箇所に目が行く。六月廿日後半部の人物名を I君/O君とわざわざ伏せている配慮を見ると、結局乱歩はこの原稿も後々第三者の目に晒されるかもしれないという意識がどこかにあったと思われるし、一連の随筆集よりはむしろ『貼雑年譜』に近い性格のものと言えよう。


                     


続く昭和12年『ぷろふいる』誌での海野十三を司会とした、乱歩・小栗虫太郎・木々高太郎の座談会が無類に面白い。それぞれの自作や海外探偵作家を論じ合ったり、今後の作品の方向性を引き出そうとしたり。中でも虫太郎が「チェスタートンのやうに易しく言へることを諄々難しく云ひ廻すなんて作家は・・・」と洩らすくだりは爆笑もの。「お前が言うか!」みたいなツッコミどころだ。

 

 

乱歩・横溝正史・西田政治の連句「『桜三吟』についての考察」での村上裕徳らしい着目点と解読は存在感がひとつ抜けている。小説よりもむしろ映像などの副産物やコスプレのほうが大好きで一日中 twitter しかしておらず、正史ファンとは名ばかりの角川ブーム・オタとはネタの扱いひとつとっても100万光年の開きがある。夢野久作未発表草稿「大下宇陀児・江戸川乱歩会見印象記」や、乱歩の男色研究の友・岩田準一による創作短篇収録とその解説も良し。サブ特集は潤一郎だが、せっかく最新の中央公論新社版全集が配本中なのだから、それに触れてほしかった。

 

                     



『新青年』研究会も新しい会員が入り、一時休刊していた本誌が再スタートして三冊目になる。会員のひとりが毎号出る度にネット上で大風呂敷を広げた発言をしているのを見ると、神保町の今はなき書肆アクセスの片隅で『「新青年」趣味』が静かに売られていた頃と比べ、本誌の在り様も変わったものだと、つくづく感じる。

 

 

ヴォリュームが増してゆくのは嬉しいが各記事・原稿の質に差があって、やや散漫な感じもなくはないし、12号以前のバックナンバーの方がキュッと纏りがあった気がする。で、リクエスト。いまだ巻頭で取り上げられていない甲賀三郎・大下宇陀児・木々高太郎を特集してもらいたい。評論の俎上に載らない/載せにくい三人だけど、そろそろ本誌でも扱われていい。心待ちにしている。




(銀) 覚えている人は少ないかもしれないが〈論創ミステリ叢書〉には前身があって、それは〈ミセレニアス・コレクション〉という名称だった。『新青年』研究会が仕掛けた最初の本は88年の『「新青年」読本』(作品社)だったかな。その後、彼らが叢書の形で出したものといえば90年代前半に博文館新社からリリースされた〈新青年叢書〉。これは第一期の全五巻を出して完結している。



その数年後に改めて企画されたのが〈ミセレニアス・コレクション〉。02年末に出た『「新青年」趣味 Ⅹ』にはこの叢書の趣意書が掲げられているので、興味ある点を紹介しておこう。


●「毎度お馴染みの傑作選」ではなく、「著名作家の落ち穂拾い」でもない。

● 対象となる具体的な作家は、石浜金作/海野十三/大倉燁子/片岡鉄兵/国枝史郎/甲賀三郎/小酒井不木/辰野九紫/濱尾四郎/久山秀子/正木不如丘/水谷準/三津木春影/森下雨村/渡辺啓助などが挙げられている。第一回配本は『濱尾四郎未刊行随筆集(仮題)』を予定。


〈ミセレニアス・コレクション〉は『「新青年」趣味 』のように同人出版扱いで出す予定だったのかもしれないが、その企画を論創社が引き受けたので、これなら全国の書店にも流通できる。こうして仕切り直したものが〈論創ミステリ叢書〉として03年秋にスタート。コンセプトはほぼそのまま引き継がれているものの「あれ?」と思ったのは、「落ち穂拾い」というコンセプトを最初は否定していること。のちに横井司は「論創ミステリ叢書には落ち穂拾い的な意味合いもある」と発言していたけどね。



〈ミセレニアス・コレクション〉のうち国枝史郎と三津木春影のように、末國善巳の監修による姉妹叢書として作品社から出された作家もある一方、予定リストから消えていった作家もいる。〈ミセレニアス・コレクション〉趣意書で挙げられていた予定作家のうち石浜金作/片岡鉄兵/辰野九紫の三名はいまだ他社においても単独著書としての新刊は出ていない。また論創ミステリ叢書の最初の頃、刊行予定一覧に入っていたサトウ・ハチロー/川田功/川上眉山もいつの間にか影も形も無くなっている。この辺になると、さすがに論創ミステリ叢書で出したとしても読者のストライク・ゾーンからは遠そうだし、止めて正しい選択だったと思う。



何だかんだ言って(素性のわからないマイナー作家までも含めた)クラシックな日本探偵小説を新刊で読めるような潮流を作ってくれたのは『新青年』研究会に古くから所属しているメンバーのおかげに他ならない。それなのに彼らに与えられるべきリスペクトは無く、喜国雅彦とか北原尚彦ら業績など何ひとつ成してもいない奴らのほうが表彰されている・・・この業界がどれだけ幼稚でアタマの悪い人間ばかりか、わかるでしょ?