✪ 必ずしも『新青年』作家が探偵作家とは限らない。久生十蘭や獅子文六がその例だが、三橋一夫の場合は探偵小説プロパー人脈寄りなところはありながら、傍流の人に見える。本巻収録の三長篇も犯罪こそ起こるけれど謎解きや論理的な面はまるで無く、帯にある「ダーク・サスペンス」なんて小洒落たもんじゃない。
いずれも重くドロドロした人間模様を描いたもので「魔の淵」は花登筺みたいな設定。「卍の塔」は当時流行した〝女のよろめき〟に端を発する安手の韓流・昼メロ調すれ違い、「第三の影」は空手の達人たる快男子対チンピラ愚連隊、そして陰で糸引く首領の正体は誰か?という物語。
初出は書下ろしなのか、どこの誌面での連載だったのか、何も解説で触れられていない。調べた上で解らなかったのか最初から調べていないのか・・・。それとは別に、話の結末をベラベラ喋ってネタバレなレビューがAmazonに投稿されてもいる。謎解きメインじゃないからって発売日直後からこんなこと書かれたら、これから本巻を読む人は興醒めだろうな。
✪ 三橋一夫のメインストリーム「まぼろし部落~不思議小説シリーズ」は庶民性が濃いので、まるで年寄りの語る日本昔ばなしの変種のように感じてきたものだ。私にとって昭和大衆文学の古さはチャームポイントだけれども、彼の作品はその古臭さがどうにも野暮ったい。この作家をあまり好みでないのは、そういう理由から来ている。
でも本巻の「魔の淵」などは横溝正史「鬼火」のような執拗過ぎる確執もあり、不思議小説シリーズよりはまだサクサク読書が進んだ(なんせ松本清張より山崎豊子のほうが好きなもんで)。珍奇なものを採り上げる本全集のコンセプトに、今回の三橋作品はとても合致していると思う。とはいえ、本巻に入った三長篇を「ミステリ色の強い作品」と言ってるが、ミステリ=コチコチの論理と考えているような人は勿論のこと、謎の提示・解決への流れ等がミステリの体を成してないので、読み終えたあと「これってミステリだったの?」と戸惑う人は結構いそうだ。
✪ 冒頭に挙げた獅子文六の某作をミステリ扱いしているガイド本を最近見かけた。故・水谷準や小林信彦がそれを見たらきっと「はぁ?」と思うに違いない。ミステリ的な視点で彼らは獅子文六を評価していた訳ではないからね。本書の三橋作品をミステリとみるにはギリギリの圏内といったところか。ミステリとして扱っていれば世間の食い付きが良くなって売れるかも、というので、よく吟味もせず何でも安直にミステリ扱いにするのは困りもの。
なんとも古臭い三橋一夫の小説を売りたいんだったら古本キチガヒの人達だけでなく、もっと全然別の購買層(例えば昼メロ好きな中高年女性)にも新規開拓でアピールしてみれば? 皮肉じゃなくマジで。
(銀) 本書に収録された三長篇以外にも「三橋一夫の明朗小説の中にはミステリ・テイストを含んでいるものもある」などと煽る者が以前からいて、それに踊らされる古本オタが三橋の古書を一生懸命漁っている。江戸川乱歩の随筆に「暗さの無い、明るい探偵小説なんて私には考えられない」という意味の発言があったけど、私も同感。もし三橋の銀座太郎ものが新刊で出ても、(とりあえずは買うかもしれないが)大喜びはしないだろう。