Good
Select。今迄この辺の作品が『甲賀三郎探偵小説選』Ⅰ~Ⅳに採られなかったことのほうがむしろ不思議な位で、順当だと思う。まあ編者の日下三蔵が日頃から甲賀三郎をよく読み込んでいる筈もなく、大方ファンサイト『甲賀三郎の世界』の「小説作品リスト」を覗き、「これは本格探偵小説だ」とコメントしてあったり評価の★が4~5個付いているものの中から、現行本・未収録作をとりあえず拾い出したっていうのが本当のところだろうけど。
ここに収められた三つの中篇を咀嚼すれば、作者が「盲目の目撃者」と「山荘の殺人事件」にて本格系の成果を狙っているのは明白。ただ日本の探偵小説を細かく読まれている方なら御承知のとおり、隙の無いロジックを甲賀三郎に求めるのは難しい。
「盲目の目撃者」というタイトルの意味するものは、南米航路の客船・ブラジル丸沈没事故から生還した天涯孤独の主人公・井田信一青年ではなく、奈美子というめくらの老婆である。彼女の目が不自由な設定は情に訴える演出として活かされ、後述するメイントリックに直結している訳ではない。緑川保と名乗る怪紳士の奸計により、何度も身に覚えの無い殺人容疑を掛けられる井田。その中には不可能犯罪もあって、〝或るもの〟を使ったアリバイ偽装工作が描かれている。
こう書くと、未読の方は少なからず期待してしまうに違いない。しかし、読んでいてどうしても看過できぬアラがあり、そこが引っ掛かってしまう。
例えば第一の殺人現場。緑川保に指示されるがまま、既知の女性と会うため他人の住居へこっそり侵入した井田をその家の主・川島友美が見つけて問い詰める場面がある。床に落ちていた凶器らしきものを拾った川島から「これは君の短銃だな」と言われて「そうです」と即答する井田。この短銃、彼がまだ南米に居た時分紛失したものなのに東京の地へ突然現れたのだから、実物をじっくり手に取った上で自分の所有物だと思い出すのが普通の描写だろう。まるでいつも持ち歩いているような書き方ゆえ、なんとも不自然。
もうひとつは第二の殺人現場。ミステリ的に一番の見せ場となるシーン。
本書99頁ではこんな風に書かれている。
薄暗い廊下を緑川に急ぎ立てられながらオズオズと進んで行くと、突然奥のほうで異様な声が聞えた。
ああ、それは一生忘れることの出来ない、恐ろしい叫び声だった。それは声というよりも、一種のうめきだった。
人殺し!人殺し!
確かにその声はそう叫んでいた。続いて、ぎゃっという、断末魔の叫び。
それっきり、音はなくなって、後はひっそりと静まり返った。
ところが。
この殺人トリックの謎が暴かれる132頁を見ると・・・辻褄が合ってないではないか!
どう矛盾しているかはネタバレになるので、ここには書けない。読んで確認されたし。
「山荘の殺人事件」は、吹雪の富士見高原が舞台。別荘の地下室にて短銃を打つ練習をしていた香山(製絲工場の経営者で別荘の持主)が室内で射殺され、一緒に練習をしていた瀬川(語り手の夫)が失踪してしまうというストーリー。閉鎖空間での犯罪をはじめ、本格っぽい装飾が各所にちりばめられているようには映る。けれども人の出入りが妙に多かったり、肝心の香山殺しに関するトリックも、甲賀の思い描くイメージはそれなりに理解できるんだが、やっぱり書き方が乱暴なため、フェアな本格としては小煩い評論家やマニアに評価されにくいと思う。
「隠れた手」は主人公から見て、敵対する人物が次々スライドしてゆく過程がちょっと面白い。それよりも一番気になったのは、作中にてセレブ御用達かつ帝都随一と描かれている東洋ホテルの造り。
冒頭、事件の発生するスペースは特にスイートルームでもなさそうなんだが、昔のホテルの部屋には、他者が泊まっているであろう隣室に通じる扉が普通に存在したのかな?だとしたらセキュリティはどうなるのだろう。それにドアのロックも、当時は今みたいな自動施錠ではなくてサムターンみたいな手動タイプじゃないかと思うんだけど、廊下側から第三者の手で部屋に鍵を掛けられたら室内に居る人は出られなくなるってホント?凝り性の編者なら、こういう疑問を解説頁でキチンと説明してくれるんだけどね。
甲賀作品自体の出来不出来で大きく減点することは無いものの、本書は誰が校正・校閲しているのか知らんが、相変わらず商業出版とは思えぬテキスト・クオリティー。
以下、〈下線〉や〈注〉は私(=銀髪伯爵)による。
36頁3行目
あなたの知っておられたころは今嬢でしたろうが、
今嬢って何だ?と思い、初刊本の新潮社長篇文庫版とその次に出た日本小説文庫版(春陽堂)、二種の『盲目の目撃者』単行本で確認したら、令嬢が正解だった。PCで「れいじょう」と打って「今嬢」に誤変換はしない筈なんだがな~。
43頁8行目
緑川は銀座の行きっけのカフェ・ミニオンで (✕)
緑川は銀座の行きつけのカフェ・ミニオンで (○)
155頁13行目
無口な夫さえついに似ない冗談口を (✕)
無口な夫さえいつに似ない冗談口を (○)
180頁2行目
白い指に、「ピンク・レディ」を挟むと (?)
白い指に、「桃色の貴婦人」を挟むと (○)
初刊本の日本小説文庫版『盲目の目撃者』所収「山荘の殺人事件」では、桃色の貴婦人と書いてピンク・レディとルビを振っている。本書は底本に何を使っているのか明記されてないけれど、なぜ「桃色の貴婦人」表記にしなかったのだろうか?
207頁9行目
不吉な送葬曲などを (?)
ココ、日本小説文庫版テキストが送葬曲と表記していて、底本に忠実という意味なら間違いではない。しかし、この言葉はこのあと何度も出てくるが、その殆どにおいて葬送曲とされており、送葬曲は作者の意図ではない明らかな誤植と断定して何も問題は無く、葬送曲に統一すべき。
208頁小見出し
ルビーの指輪 (?)
紅玉の指輪 (○)
確かに日本小説文庫版の文中では〝紅玉〟と書いて〝ルビー〟とルビを振っているが、小見出しにそのルビは無い。なんでルビー表記?
235頁小見出し 他
「殺人の研究」 (✕)
『殺人の研究』 (○)
〝殺人の研究〟とは物語に登場する書物のタイトルである。日本小説文庫版ではハッキリ〝二重かぎ括弧〟を使っているんだし、本書も『殺人の研究』とするのが正しい 。
(銀) 今回カバー装画に横尾忠則まで担ぎ出して春陽堂もご苦労なことだが、最も神経を使うべきテキストは全体を俯瞰せず盲目的に入力・校正しているもんだから、〝送葬曲〟なんていう誤植まで、そのまま引き継がれている。素人の同人出版しかり商業出版しかり、これが探偵小説/SF/幻想文学を復刊する業界における本作りの現状である。
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