今回は長篇「牟家殺人事件」(魔子鬼一)に、四短篇「首吊り道成寺」(宮原龍雄)「四桂」(岡沢孝雄)「贋造犯人」(椿八郎)「妖奇の鯉魚」(岡田鯱彦)を収録しているが、前回の『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』ほど満腹感はなかった。でも、作品セレクトの良し悪しはあくまで私個人の嗜好の問題なので、たいした事じゃない。気になった点は他にある。
「一九五〇=昭和25年」が探偵小説界にとってどういう年だったか、本書でそれを象徴しているのは小説よりも、江戸川乱歩派 vs 木々高太郎派の論争をレポートする二つの随筆「抜打座談会を評す」(江戸川乱歩)「信天翁通信」(木々高太郎)だと思うのだが、論争が起こるきっかけとなった「抜打座談会」そのものが未収録なのはいただけない。底本を『宝石』のみに限定してしまった為に、『新青年』に掲載された「抜打座談会」は収録できなくなってしまった。これは失敗だったんじゃないかなぁ。
『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』レビューに書いたとおり、探偵小説年鑑みたいに一年単位で区切ってフォーカスするアイディアはGood。ただ、掲載するテキストの底本とする雑誌を一年一誌とはせず、また探偵雑誌からだけではなく良い作品があれば大衆雑誌からも採ったってよかったのでは?なんだかミステリー文学資料館に蔵書があるものからしかテキストを選ぶ気がなさそうなんだよね、最近。 山前譲・新保博久のご両人及び光文社文庫の担当編集者殿、その辺なんとかなりませんか?
もうひとつ。前回も思ったけど、クロニクルなのだから時事も絡めて、解説をもう少し熱っぽく書いてほしいな。なぜ〈その年〉に注目したのか、そして〈その年〉の社会情勢はどうで、探偵小説界はどういう状況で、収録された作家はどういう活動をしていたかを。でないと、昭和25年の『宝石』にはこんなのが載ってましたよってだけのアンソロジーに思われてしまう。このシリーズの方針を改めて明確にするためにも、次巻での巻き返しに期待する。
(銀) 前回の『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』と本書をもって、ミステリ・クロニクル・シリーズは終了してしまった。『「宝石」一九五〇/牟家殺人事件』は作品の選択があまりにもマニアック過ぎて一般層は手を出しにくかったのかな? 自分的には『麺’s ミステリー倶楽部』『古書ミステリー倶楽部』みたいなつまらない企画よりよっぽど良いと思ったのだが。