2024年9月11日水曜日

『ビッグ・ボウの殺人』イズレイル・ザングウィル/吉田誠一(訳)

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ハヤカワ・ミステリ文庫
1980年1月発売



★★★★   密室トリックとは優れたペテン芸である




探偵小説の歴史における密室トリックの萌芽に該当するものを思い浮かべると、だいたいこんな感じになるかな。

 

1841年  エドガー・アラン・ポオ「モルグ街の殺人」(短篇)

1891年  イズレイル・ザングウィル「ビッグ・ボウの殺人」(長篇)

1905年  ジャック・フットレル「十三号独房の問題」(短篇)

1908年  ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」(長篇)

 

そう、密室を売りにした長篇として「ビッグ・ボウの殺人」はパイオニアの誉れ高い作品なのである。けれども上記四名の中で頭一つ抜けてイズレイル・ザングウィルはマイナーな作家だし、本作を未読の方は意外とおられるかもしれない。細々とだがハヤカワ・ミステリ文庫版は今でも流通がある。イズレイル・ザングウィルって憶えにくい名前だけど、一度は読まなきゃ損。

 

 

 凍えるような十二月のロンドン。ボウ地区でドラブダンプ夫人が経営する下宿の二階を借りて住んでいるアーサー・コンスタントは文学士であり、また労働運動の旗振り役でもある。ドラブダンプ夫人はコンスタントに朝起こしてほしいと頼まれていたので、(三十分ほど寝坊したとはいえ)部屋のドアを叩いて何度も声を掛けたのだが、一向に起きてくる気配なし。異変を感じた夫人はすぐ、近所付き合いの元刑事グロドマンを呼び、完全にロックされているコンスタントの部屋のドアをぶち破ってもらい、中に入った。

 

 

二人はそこで、コンスタントがベッドで仰向けになって横たわっているのを発見。刃物か何かで喉をスパッと斬られ、部屋の主は息絶えていた。しかし彼の部屋は窓をはじめ、第三者の侵入は無理。室内に潜んでいる不審者も見当たらず、暖炉の煙突とて子供でも通り抜けられぬ細い構造になっている。事件報道後、新聞にはポオの「モルグ街」を引き合いに、「犯人はである」と言い出す投稿者もいたが、細い暖炉を通り抜けられるほど小さなでは、コンスタントの喉を一撃で掻き切る芸当はとてもできそうにない。するとコンスタントを殺した犯人は誰とも鉢合わせせず、どうやってこの部屋から立ち去ることができたのか?
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ディクスン・カーや江戸川乱歩が喜びそうな、けれども本格物を煙たがるリアリズム派には馬鹿馬鹿しいと苦笑されそうな、ペテンチックな不可能犯罪。要するに〝読み手の盲点を突く〟ってやつだ。プロパーなミステリ作家ではないからか、ザングウィルのストーリー運びは読みにくいとは言わないまでも若干クセがある。Chapter5からしばらく、デンジル・キャンタコットやピーター・クラウルらのやりとりが中心となるあたりは、なんとなくモタついているのが瑕瑾。

 

 

密室のからくりは犯人の動機にも繋がってくる。とにかくカーのトリック・メイカーぶりが好きなら本作は満足できるし、そうでなければ単に人をおちょくった小説でしかないだろう。繰り返すが、カーほど上手い具合に物語を転がしてゆくSmooth Operatorではないので、たどたどしいところが少々目に付く。密室トリック長篇の先駆けだし本当は満点にしたいけど、★4つ。

 

 

 

(銀) 本書ハヤカワ・ミステリ文庫版は、カバーだけリニューアルして大垣書店限定で2016年に再発されたものの、テキストは従来どおり吉田誠一訳の三刷に過ぎないし、買うどころか書店などでも全然気にしていなかった。今日の記事を書くためにネットを見たら、新カバーの三刷分って大手通販サイトでも扱っていたんだね。ちっとも知らんかった。





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