ここでは「ぺてん師と空気男」「猟奇の果」「二人の探偵小説家」「闇に蠢く」「人でなしの恋」の五作を取り上げ、それぞれ一作に一章使って、〈一人二役〉を切口に作品解釈を展開している。で、早速第一章から「ぺてん師と空気男」と『The Compleat Practical Joker』のテキスト比較において、原書英文 → その訳文 → 乱歩文章の3つが延々と続くのには閉口させられる。全225頁の本なのに冒頭から50頁以上もダラダラと引用を提示されて、読書が進まない。英文は不要だったのでは?
第二章以降は持ち直して「猟奇の果」の源流に三人の作家の作品を引く。
宇野浩二(「二人の青木愛三郎」ネタは有名だね)
村松梢風(彼の小説は詳しくないけど、これは面白そう)
黒岩涙香(まあ人間改造術は「猟奇の果」後半「白蝙蝠」の元ネタかもしらんけど・・・)
一瞬名前が出てくる澤田撫松は私が気にしている作家なのだが、評論書で取り上げられる機会があまりないからもっと追求して欲しかった。いつも私は思う。「猟奇の果」を論じるのに、その半年前に発表された三上於菟吉の怪奇短篇「嬲られる」をなぜ俎上に載せないのか?
第三~五章にも触れたいが長くなるので、残念だがこれで止めておく。「柘榴」における主役・谷村万右衛門の名は乱歩夫人の兄から拝借したものでは?という指摘には「へぇ~」と感心したが、兄というより乱歩夫人隆子の実家・村山家の男性は代々〝万右衛門〟を名乗るのがしきたりではなかったっけ。
新たな視点の乱歩解析を行っている事は一応評価する。だが元々学術論文として書かれ出版元もお堅い会社なので、図版は一切なく情報量の割には本の値段が高め。そして物書きが商売でない人によくある傾向だが、「これはかつて研究者に採り上げられることがなかった」とか「これは私が初めて立証しました」的な前書き・後書きのアピールがどうも鬱陶しく感じられる。「乱歩のこの作品の元ネタは結局これでしょ?」的な自慢に見られなければいいが・・・。
上記の五作を未読の人からすると、この本の目次を見た時点ですでにネタバレになってしまっているけど、やっている事自体は悪くないのだから、もっと読者に伝わるような書き方をすれば、印象も良くなると思う。