2020年6月発売
★★★★★ ハヤカワに対抗し、創元推理文庫も新訳
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本作はつい最近まで創元推理文庫の宮崎嶺雄(訳)が出回っていたし、ハヤカワ・ミステリ文庫が高野優/竹若理衣による新訳版を出したのも、たった五年前。そしてハヤカワを意識してなのか、東京創元社が対抗して新訳を出してきた。名作ミステリ新訳プロジェクトの名の下にクラシックな作品を最新の訳で出し直している東京創元社だが、これって今の社長の方針?
本書には、あのジャン・コクトーの序文が付されている。抽象的で詩のような内容だろうと思ったら「ラルサンの長いステッキ・・・わたしにはそれが、黒衣婦人の香りやルルタビーユの嘆きと同じライトモチーフの典型的な例であるように思える」という一行がある。どうやらコクトーはしっかり本作を読んだ上で序文を書いているようだ。
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本作を読むのはポプラ社/世界推理小説文庫の中の高木彬光(訳)『黄色い部屋』、要するにジュブナイル向けの本を何年も前に手にした時以来。そのポプラ社版のカバー表紙絵には、青年探偵の背後にまるで西洋魔女のようなアジュヌー婆さんの姿が描き込まれていて。これまで読んできた歴代の本では、探偵役の新聞記者の名はルレタビーユ or ルレタビイユと訳されてきたが、本書の平岡敦(訳)では ルルタビーユ、何者かに危害を加えられる令嬢の名はスタンガースン or スタンジェルソンなどと訳されていたのが今回はスタンガルソンとされている。長い間ルレタビーユの呼び名に馴染んでいたから、ルルタビーユに慣れるまで一晩かかった。
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かつては江戸川乱歩も高く評価した犯人消失トリック。チェスタトン「見えない人」などもそうだが、幼い子供に「黄色い部屋」の消失ネタの話をしたら、ゲラゲラ笑われて「〝とんち〟みた~い」と言われそうだ。いや今時のコドモは〝とんち〟という言葉さえ知らんかもしれないが、それくらい単純なネタである。
でも読み返してみると、スタンガルソン嬢が襲われた時のこまごました真相なんか「なるほどなるほど」と思えるほどしっかり書けている。フランスの古典本格長篇ミステリとして、のちにカーやクリスティーが歩いてゆく道を切開いた業績は文句なく褒めていい。でも本作の真犯人の負傷した傷だが、ルルタビーユをはじめ周囲の人によくバレなかったもんだな。それにこの人物、どうやって現状の・・・おっと個人的なBlogとはいえ、ここまでにしておこう。
(銀) 初めて本作を読んだ人には、ルルタビーユが度々口にする〈黒衣婦人の香り〉って何なのか解明されずに終わって気持ちが悪いだろう。そう、本作には「黒衣婦人の香り」という続篇が存在する。宮崎嶺雄(訳)の旧版に載っていた解説に少々手を加えた今回の戸川安宣解説のタイトルにも、前篇という意味で「表版」と記してある。東京創元社は「黒衣婦人の香り」も新訳で再発し、戸川が解説の後篇にあたる「裏版」を書く予定があるのだろうか?