乱歩はこの仕事を固辞する代替案としてエドガー・アラン・ポオの分の翻訳を、博文館編集者であった横溝正史を通じポオの心酔者・渡辺温へ依頼。ひとりでは時間が足りなかったのか、あるいは同好の士だったからか解らないけれど、温は実兄・渡辺啓助にも協力を頼み、彼らはタッグでポオと格闘することと相成りました。
「黄金蟲」(温)***
「モルグ街の殺人」(温)***
「マリイ・ロオジエ事件の謎」(温)
「窃まれた手紙」(啓助)***
「メエルストロウム」(啓助)***
「壜の中に見出された手記」(温)
「長方形の箱」(温)
「早過ぎた埋葬」(啓助)
「陥穽と振子」(啓助)***
「赤き死の仮面」(温)***
「黒猫譚」(啓助)***
「跛 蛙」(啓助)
「物言ふ心臓」(温)
「アッシャア館の崩壊」(啓助)
「ウィリアム・ウィルスン」(温)
『ポー・ホフマン集』の形になる時に、その掲載順は原書どおりではなくシャッフルされたのでしょうか?
乱歩の名で世に出るとはいえ、ふたりの人間で訳しているとは見えないほど統一された文章のアンサンブルがあります。やっぱり「Hop
Frog」は「ぴょんぴょん蛙」ではなく「跛(ちんば)蛙」ではなければいけません。
さらにポオのこのクラシックたる十五短篇には後世の探偵・怪奇小説の肝となるエキスがギュッと凝縮されています。日本におけるポオ翻訳史がまだ浅かったというアドバンテージはあれど、啓助・温の仕事が的を得ていたからこそ乱歩はこの訳に感服、いくら自身の平凡社版全集最終巻へ収録する自作が不足していたとはいえ、全集に代作をエントリーしてしまうという、後にも決して例のない最上級の評価をしたのでしょう。もっとも『ポー・ホフマン集』が出た翌昭和5年、渡辺温は事故死にてあまりにも若く短いその生涯を閉じるのですが・・・。
今回の中公文庫版、テキストが旧仮名遣いで「堤燈」に「ランタアン」といった独特のルビを振ってある箇所は手抜きせずそのままにしてあるところが、まるで古書を読んでいるようで何よりもお手柄であります。今後も中公文庫にはこのような志の高い探偵小説本を出してくれることを望みます。
なお、本書の渡辺兄弟とは別に江戸川乱歩が珍しく自ら翻訳したとされるポオ「赤き死の仮面」も存在します。昭和24年に雑誌『宝石』に発表、初めて単行本入りしたのは平成24年藍峯舎限定豪華本『赤き死の仮面』。現在では平凡社ライブラリー『怪談入門 乱歩怪異小品集』で読むことができるので、本書の訳とどう違うのか比べてみるのも一興ではないでしょうか。
<附> この中公文庫の帯では、渡辺兄弟のポオ訳が「乱歩全集から削除された・・・」などと言っていますが、旧乱歩邸土蔵の名称=幻影城などというデタラメと同様に、これまた誤解を招く表現です。乱歩最初の全集から巻数を減らして平凡社が再発した昭和10年の『乱歩傑作選集』の中で、渡辺兄弟のポオ翻訳はオミットされていますが、その後乱歩は自分の全集・選集へ収録するのをを遠慮しました。第三者が書いた代作だからあたりまえの処置です。ポオ翻訳の印税はきっと啓助と温へ渡されたことでしょう。
(銀) 本文中〈ポー〉と〈ポオ〉といった風に表記が揺れているが、書名は忠実に記しつつ、自分の発言の中では〈ポー〉でなく古めかしい〈ポオ〉と書くほうが好きなので、本日の記事に限らず当Blog上で自分の言葉で語る際には〈ポオ〉と表記している。