横溝正史と同い年の明治35年生まれでありながら、探偵文壇へ登場したのは敗戦後の昭和22年とデビューは遅かった。戦前は中国大陸で『京津新聞』の社長を勤め、昭和27年から五年間は『宝石』の編集長も引き受ける。これまで著書の数が少なすぎて作風がよく認識されないまま、現在に至っている不運な作家だ。
冬の夜、藤城邸に寄ろうとした河南は、門前で車から降りた途端に後頭部を殴打され足も負傷、運転手は現場で加害者の姿を見つけられなかった。河南はそのまま藤城家の世話になるのだが、その後も邸の中で次々と殺人事件が起きる。藤城家の遠縁で財産管理を行う老人/浮世離れした藤城家の中国人・門番/かおる子の実弟/春子の縁談相手である野球選手などが関係して、謎が錯綜するも警察は翻弄されるばかり。この長篇の弱さの原因のひとつは、明確に探偵役と呼べる存在がいない点かもしれない。
永瀬三吾はそれなりの量の小説を書いているのに、生前出た著書といったら本書と『売国奴』、そして私は持ってないけど絵文庫とクレジットされた『拳銃の街』、時代物の『鉄火娘参上』、これぐらいしかなく、没後に出たものでは最近捕物出版が出した『三味線鯉登』だけ。論創ミステリ叢書でも完全にスルーされてきた。今回の『白眼鬼』の記事を読んだ人には、あまり私が褒めているように思えないだろうけれども、長い間、短篇が時々アンソロジーに採られるだけの人だったから、多少なりとも状況が改善される事を強く求む。
(銀) 『三味線鯉登』に次いで、捕物出版=大陸書館は遠からぬうちに新刊本で『売国奴』を出すと云っている。収録予定作品は大陸小説集として「売国奴」「長城に殺される」「発狂者」「人間丸太部隊」「あざらし親子」、そして京城新聞時代の逸話だそう。
コロナが世界中に蔓延して二年目。日本探偵小説の新刊リリースは同人出版も含めてすっかり停滞。海外ものは原書さえ買っちゃえば、あとは訳者が翻訳するだけだからなのかもしれないが、海外ミステリ新刊は普通に出続けている。日本探偵小説の新刊が出なくなったのは図書館がクローズされてしまい文献のコピーをとれなくなっているからだと思っていた。だが捕物出版=大陸書館はそれに挫ける事もなく新刊を予定どおり発売できている。この違いってプリント・オン・デマンドゆえ、かかる手間が単に少ないからだろうか? それだけが理由とは考えられない。