1968年、「2001年宇宙の旅」公開。その翌年にはアポロ11号月面着陸。宇宙/UFO/超能力/世界の魔境/ノストラダムスの大予言・・・核の脅威に世界が脅え、1970年代に入るとなお一層オカルトで非現実なものに若者が熱狂した時代。漫画の世界では手塚治虫「火の鳥/黎明編」が1967年にスタートしている。カオスな時流の中で「リュウの道」は1969年、子供向けTVアニメタイアップ無しのガチSF作品として『週刊少年マガジン』に発表された。本日紹介しているのは初刊本講談社コミックス全八巻。現在に至るまで再発回数が少ないのもあってか、過去の単行本のうちカバー表1(=オモテ表紙のこと)のデザインはダントツでこの講談社コミックス版が優れている。
【プロローグ】
シリウス第五惑星へ向け旅立つ日本初の恒星間旅行船フジ一号に単身無断潜入した柴田リュウ。船内で気を失っていたリュウを乗員が発見したのは地球を出発して三日後だったため、再び地球に戻ってくる四十年後まで彼は冷凍睡眠筒(コールド・スリープ・カプセル)の中に入れられ、長い長い眠りについていた。
リュウが目を覚ました時、フジ一号はある星に無事着陸していたが、既に全員死亡していた乗員達が書き残した航海日誌を読むかぎり、フジ一号は地球へ帰るよう自動操縦装置がセットされていたこと以外何もわからない。宇宙船の外へ降り立ったリュウはそこが自分の記憶とは全く変わってしまった地球(=日本)だと悟るが、原生林より双頭のヒョウ/猿人/異臭を放つ食肉植物が姿を現わし彼に襲いかかる。
グッとくるのはなんといっても重厚に描き込まれた背景画。『少年マガジン』黄金期に連載されていただけあって、今オトナが読んでも全然チャチではない。リュウがマリア(美少女)/ジム(マリアの弟)/ペキ(リュウに助けられた猿人)/アイザック(大量生産ロボットの一体)/一つ目小僧・ムツンバイ(奇形ミュータント)/ゴッド(事故に遭ったため自らをサイボーグに改造した老人)/コンドル(額に第三の目を持つミュータント)と出会ってゆき、謎の支配者に辿り着くまでの第一部(講談社コミックスでいうと第五巻まで)は☆5つ進呈したってかまわないくらいの面白さ。
ところが第二部へ突入して、イルカが人間批判したり日本の開国に反対する浪人が出てきたり、リュウとコンドルがニッポン島へ乗り込むあたりも公害問題を持ち出したはいいが、うまくエンターテイメント昇華できていないところに疑問が残る。しかも、最終局面を迎えて神と人類に対する言及が観念的になり過ぎ、広げた大風呂敷をキレイに納められなくて、カタルシスを得られないまま物語が終わってしまう。それがなんとも惜しくてならない。人類の未来を背負う運命を自覚する主人公だが、もしかするとゴッドやコンドルらと比べてリュウが一番キャラ立ちが弱くなってしまったような・・・気のせいだろうか?第二部なり結末に満足していれば、そうは思わなかったのかもしれないが。
私の手元にある講談社コミックス版『リュウの道』は全巻すべて初版ではなく昭和50年代の再刷だから絶対大丈夫だと断言はできないが、年代的にこの初刊本はギリギリ言葉狩りを免れているのではないか。講談社コミックスよりも後に再発された単行本でこれから「リュウの道」を全編お読みになられる際、
〝なんて気ちがいじみた世界〟
〝気がくるいそうだっ〟
〝人間の住んでいる部落〟
〝地球発狂論〟
〝生まれそこないかたわ者〟
〝小僧は・・・・おしじゃねえのか?〟
これらの語句がもし見当たらなかったら、その本は自主規制で歪められた言葉狩りの欠陥本だと思って頂いてよろしい。
(銀) 神と人類・・・・それは「火の鳥」や「デビルマン」でも見られた素材。対象が壮大なだけに、うまくエンディングを着地できればその漫画は傑作として持て囃されるけれど、見込みを誤ってしまうと折角そこまでよくできていても台無し。「サイボーグ009」にしたって地下帝国ヨミ編で完結しとけばよかったのに、そのあと未練がましく続けたあげく作品の価値を薄めてしまった。日本の漫画業界は雑誌連載が基本システムだから、いつの時でも続きものの長篇だとややこしい内部事情が漫画家サイドには発生するんだろうなあ。「デビルマン」の場合はアニメが終了するから『マガジン』の連載を早く終わらせろって編集部が永井豪に強要した結果、ああいうエンディングになり皆凄い凄いと絶賛するけれど、たまたま運が良かっただけの偶然の産物にすぎない。