❆ 前回に引き続き今回も渡辺啓助。春秋社版『聖惡魔』は二冊目の著書。この頃長篇「鮮血の洋燈」を書き上げるつもりでいたそうだが結局完成に至らず、同作が「鮮血洋燈」として発表されるのは昭和31年まで待たなければならない。教職がまだ本業の時期であり、啓助は昭和11年に福岡県八女から茨城県龍ケ崎の女学校へと転任している。福岡にて数年過ごしていたのだから、もしも夢野久作と頻繁に交流していれば、お互いの創作へプラスになる何らかの影響を与え合う可能性もあったのではないか。
❆ 冒頭を飾るのは〝ですます調〟で語られる「血のロビンソン」。『血ぬられたる花』と刻印されし一冊の寫眞帖が、市俄古(シカゴ)の古物商が所有する長椅子の中に詰め込まれてあったところから始まり、日本娘を含む各国の美女殺害を記録したこの寫眞帖の制作者である西洋人・ロビンソンのアイロニカルな最期で結末を迎えるのだけれども、物語の軸となる寫眞帖が太平洋を渡って遠い日本にいるロビンソンのもとへ辿り着く展開は若干都合が良すぎるというか、短篇にしては舞台を移動しすぎじゃない?
次の「幽靈莊に來た女」もおどろおどろしい出だしで煙幕を張っておいて、女性への憧憬に着地するオチのパターンは変わらず。「聖惡魔」でも聖職たる牧師でいながら、現実の場で信者に接する態度とは真逆の不幸を悦ぶ『悪魔日記』をつける行為に主人公は快感を得ている。これまた前述の美女殺害を記録した寫眞帖と共通する妄想の産物。『新青年』は昭和12年1月号掲載の「聖惡魔」を皮切りに、嘱望する新人に連続して短篇を発表させる企画を渡辺啓助にも課したのであった。
「悪魔の指」は昭和24年に単行本の表題作にもなっている。哲學者・玉井有隆は生前、フランクフルトに留学していた時代の事だけは周囲の仲間にも話そうとしなかった。しかも獨逸から帰国した時、彼の片手の中指は無くなっていた。一見、日本男児と欧州女性のロマンス風に見せかけてはいるが、その実態は不義。本書収録作のうち最も発表が早い昭和10年の暮に発表されたからまだよかったものの、もし昭和13年以降だったら「日本の男が毛唐の女と密通するなんて絶対許さん!」って規制されていただろうね。巻末の「ニセモノもまた愉し」はエッセイ。各作品解説ではない。
(銀) 渡辺啓助という作家は、頭の中に浮かんでくるイメージの断片をパッチワークして小説を組み立てているような印象が私の中にあり、決してストーリーテリングに長けた作家ではない気がする。長篇に良いものがなかなか見つからないのも、そこらあたりから来ているのではないか。