2021年1月8日金曜日

『「新青年」趣味ⅩⅦ/特集大下宇陀児』『新青年』研究会

2016年12月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

密林社
2016年10月発売



★★★★★   大・下・宇・陀・児 祭 り




✉ 戦前~戦後の長い執筆活動にもかかわらず、今まで全キャリアを展望した雑誌特集やファンサイトもなくて、将来、初の完全なる『大下宇陀児全集』でも出ない限り、これを超える水先案内本を望むのは難しい。湯浅篤志・大鷹涼子・沢田安史・浜田雄介ほかの諸氏に感謝。

 

 

宇陀児の本名は木下龍夫という。六十五篇の「作品紹介」、小説からエッセイ・座談会の類まで拾い上げた「著作目録」、夢野久作及び木下家の家族宛宇陀児書簡、息女・木下里美さん(ご健在!)が家庭人としての父を語るインタビューetc。これなら宇陀児フリークの長年の渇きもきっと癒せるに違いない。

 

 

✉ 本号を読んで宇陀児について思いを巡らす。これまで見つけた事はないが、彼の「著作目録」に載っている未知の作品の中に、一作ぐらい時代小説が眠っていたりはしないのだろうか?また、初期の頃から正統派本格と名探偵主義を好まない発言をしているのは、探偵役の「上から目線」が嫌だったからだけなのか?戦時下、いやもっと前の「魔人」で叩かれ苦しんでいた頃、宇陀児は時代小説へ向かう可能性はなかったのか?という疑問も浮かぶ。

 

 

面白い事に、本格系作品を物した作家(横溝正史・高木彬光・大阪圭吉)ほど時代ものを書いている。角田喜久雄などはむしろあっち側の人だし、本格ものを標榜するアジテーションならともかく、実作で本格長篇を残せなかった甲賀三郎でさえ髷物長篇「怪奇連判状」がある。人情派と言われた宇陀児なら、犯罪も推理もことさら必然ではない時代ものに向いてそうなのに。

 

 

「商売だからミーちゃんハーちゃんに読ませるものを書かなければ」との発言がありながら(141頁)、どうして一生探偵小説に踏みとどまったか。その辺にも大下宇陀児の本質を読み解く秘密がひそんでいるような気がする。加えて福岡のオルタナティヴな探偵作家・夢野久作の存在が、「やりたいようにやればよい」と宇陀児に示唆したように思えてならない。

 

 

✉ また昔からこうも妄想していた。大下宇陀児と甲賀三郎を足して で割ったなら、どんなに良いものが出来たろうと。ドライな甲賀とウェットな大下、文学性とプロットをまとめる宇陀児の上手さを甲賀が備えていたなら。もし宇陀児が甲賀のケレン味を持っていたなら。まるでネガとポジのような二人。

 

 

いくらリアリズムを標榜したといっても、宇陀児が松本清張のような社会派の先駆けだと安直に受け取りたくはない。宇陀児が根っからの社会派志向だったら、シュールなSFものを手掛けたりはしなかったろうと考えるからだ。




(銀) 宇陀児はどう見ても「俺が俺が」タイプじゃないのに、戦前は甲賀三郎から「魔人」で槍玉に上げられるわ、戦後に宇陀児が人気ラジオ番組『二十の扉』のレギュラーになり一躍著名人になった事で、探偵小説界のトップの座も奪われてしまうと勝手にあせった江戸川乱歩が選挙活動よろしく、西に居た横溝正史や西田政治を急襲して自分側に取り込もうとしたり、再び作風について本格派嗜好グループが宇陀児に厳しい言葉を投げかけたりと、逆風にさらされる不運が度々あった。



〈大下派〉と云われるような後輩作家や強力なシンパが宇陀児にもいたら、もしかして全集も出してもらえてた?徒党を組まないと全集が出ないなんて、そういうの私だったら嫌だがな。