「蒲団」
時は明治。舞台は上州多野郡とあるから今でいう群馬県高崎~藤岡あたりか。町の古着屋が東京で、掘り出し物の上質な四枚一組からなる青海波模様の縮緬蒲団を仕入れてきた。以来その古着屋の景気はどういう訳か下り坂になり、ある大雨の夜、丸髷を結った物凄いほど美しい一人の女が店を訪ねてくる。応対した店の主人の妻によれば、芸妓らしい腰巻(ゆもじ)姿のその女の顔は蠟のように青白く、腰から下が血に染まっていたそうで・・・。
昭和12年の傑作。橘外男の頭の中には阿部定事件がモチーフとしてあったのかもしれない。阿部定が逮捕されたのは「蒲団」が雑誌『オール讀物』に掲載される前年のこと。
「棚田裁判長の怪死」
旧藩城代家老の家柄である棚田家の先祖には癇癖が強く残忍な者がおり、家老職の力を振り翳し気にくわない下の身分の人間をたいした理由も無いのに虫ケラ同然に手討ちにしていた。棚田家の裏手にある杉の森や沼の近くにはその昔仕置き場があって、無惨に殺された人達の怨霊が今でもさまよっているから決して近づいてはいけない・・・というのが古老の口癖だった。
主人公の前島は数年ぶりに旧知の棚田晃一郎に会うべく九州の棚田家を訪ねる。彼は司法官試験に合格して判事にまで出世、今は名古屋に居るという話であった。それから数年が経ち、前島が海外の医療機関を視察するため西独逸のボンに滞在している時、晃一郎をよく知る判検事の集団と顔見知りになる。彼らの話では晃一郎は三浦襄のペンネームで作曲家としても才能を発揮しているそうなので、ドイツ一のピアニストとして知られる親日家のリーゼンシュトック教授にぜひ晃一郎の曲を弾いてもらおうと頼んでみたのだが、教授は異様な反応を見せる・・・ 。
これも「蒲団」同様、『オール讀物』に発表された短篇。棚田家の所在地は九州大村とあるから長崎か。そういえば「双面の舞姫」にも長崎は出てきてたっけ。
「棺前結婚」
解説で「棚田裁判長の怪死」は〝構成的にやや緊密さを欠くきらいはある〟と評されているが、私はこの「棺前結婚」における杉村青年の描き方のほうが少々気になる。多少病弱である以外は家柄・ルックス・性格すべて非の打ちどころがない娘・頼子を娶らせてもらったのに、彼の母親がろくでもない奴でいたいけな頼子を追い詰め、杉村青年は頼子の苦悩に気付きもせず助けようともしなかったために悲劇が訪れる。悲劇が起こる前の杉村青年は悪い意味の真面目な学問バカで思いやりの欠片さえ見せなかったのが、悲劇の後では随分キャラが変化しているように見え、この作を読むたびに私は「母親も相当アレだけど、この朴念仁の杉村青年が後半こんな風に変貌するのはやや無理がないかなァ」と思ってしまう。
「生不動」
本書収録の他の短篇よりもかなり枚数が少ない作品。北国で起こった火事の物語だが、ここでは死者の〝念〟は描かれてはいない。
「逗子物語」
あの辺りをご存知ない方からすると、逗子は湘南のさわやかなイメージしかないかもしれないが小坪のお化けトンネルが有名だったり(トンネルの上には火葬場がある)、意外にコワイ側面も持ち合わせている土地なのである。逗子~葉山の後方にはこんもりとした山があって、かつてはこの作品みたいな現象が起きても不思議ではなかったに違いない。
「雨傘の女」
これも小品。『ミステリ珍本全集⑥ 私は呪われている』にも収録。
「帰らぬ子」
これはミスター・タチバナが語り手となって進行する橘家(?)の物語。怪談というよりは作者の子煩悩さ全開な、ラストにはほっこりさせられる内容。令和の時代でも山にて遭難する事故は発生しているから、くれぐれも登山にはご注意を。
(銀) この文庫の帯には「日本のポー」とか「現代ホラー界の先駆者」と書かれているが、本書に収められている橘外男怪談作品のルーツはポオのような海外ものではなくて、三遊亭圓朝など日本人ならではの信心深いマインドから来ているような気がする。ホラーって怪談と同義のように扱われているけど、情緒感が全然違うと思うのダ。
「雨傘の女」以外の、本書における底本は中央書院版『橘外男ワンダーランド』(1)と(6)から採られている。今回の作品選定を行ったのは中公文庫編集部みたいで、探偵小説にあまり詳しくない人の仕事だから仕方ないけど、できれば底本は手抜きせずに初出誌から採ってほしい。作品の出来は文句なく満点だけど、その点に関しては★ひとつマイナスで、次回以降の本作りに活かしてもらいたい。
解説欄にて朝宮運河は〝外男の怪談をもっと読んでみたいという方には、山下武責任編集〈橘外男ワンダーランド〉全六巻がまずはおすすめである。〟と書いているが、この本は古本屋やヤフオク等でホイホイ簡単に買える程よく見かけるものではない。全国の図書館でもどれぐらい所蔵されているのだろう?だから橘外男の新刊は(精査されたテキストで)今後もリリースされなければならないのよ。