生きていると色んなことがあるもので、自分のBlogで褒めて応援していた相手からtwitterで罵倒されるというなんとも貴重な経験をさせて頂いた。昨今は東池袋での自動車暴走事故などでも、加害者はおろか被害者となられた方にまでSNSで誹謗中傷する人間が現れる時代だから、不思議でもなんでもないのかもしれない。私をご指名で罵倒して下さったのはPOD(プリント・オン・デマンド)システムでAmazon/楽天ブックス/Hontoといったネット書店で本を販売し埋もれていた旧い小説を自主レーベル「捕物出版/大陸書館」より再発している長瀬博之という人物。曰く私に対し「他人の作った作品や本に☆の数で偉そうに批評するなど何様のつもりだ」という考えをお持ちのようだ。このレーベルには好意的な事を書いていたのだが、それもこれもひとえに私という人間の不徳の致すところか。
どんな人にも発言する自由はある。この方が私への憎しみを表現なされるのも結構。先日、大陸書館より刊行された甲賀三郎『劉夫人の腕環』のテキストで誤表記な箇所がある件につき、私がBlog上で指摘し「ご高齢の方のようだし老眼によるミスらしい」と書いたら「言葉の暴力だ!」とご立腹になっておられた。この人までもが杜撰な態度で本を作っているとは思いたくなかったし「老眼ゆえ、文字をつい見誤ってテキスト入力のケアレス・ミスをしたのであろう」位のフォローで書いたつもりだが、向こうが断然そうは受け取れぬというのならば、それこそ私の至らぬところに違いない。ただ、長瀬の言い分にはどうしても聞き流せぬ点がある。
私がBlogで「本の刊行はゆっくりでいいから、収録テキストが出来上がってきたら時間をかけてチェックをしてみては?」と言ったのに対し、「自分には時間が残されていない。そういう余裕は無い。」との発言があった。この方がどれだけご高齢で何か病気でも抱えておられるのかどうか生憎存じ上げないけれども、例え若者だろうが年寄りだろうが健康体だろうが重病だろうが、本を販売して人様からお金を頂くのに、その本のテキストを自分の都合でチェックもろくにせず流通させたってかまわないという言い分が罷り通ると本気で思っておいでなのだろうか?
しかもだ。小説でもエッセイでも、どんな内容であれ自分名義の本を売るのであれば、どれだけ誤字誤植だらけのクソみたいな書籍になっても自分一人が責任を取ればいいけれど、長瀬が制作販売しているのは既に故人となられている様々な小説家の作品ばかり。他者の大切な小説を再び世に出すのであれば、自分名義の本以上にそのテキスト精査には注意を払って間違いの無いよう制作するのが、小説を遺した泉下の作家達に対する最低限の礼儀というものではないのか?そもそも一冊ぶん(何百頁もあるような分厚さではない)の出来上がって きたテキストをチェックするのに、いくら視力が厳しいとはいえ、そんなに手間を厭わなければならないものだろうか?
何年か前、高名な評論家で小説もお書きになる方が超メジャーな探偵作家の評論を上梓された。その本にはいくらかの誤った表記が目立ち、それを何人かの好事家は目ざとくtwitter上で指摘 していたが、私は「この方も年を召されて、最近はそんなミスを見逃すようになったか」程度にしか感じてなくて、その本のレビューをAmazonへ投稿した際には特段触れなかった(のちに、このBlogへ転載する時には「他の本に対してフェアじゃないかも」と思ったので、その誤りの事は追記している)。
私が本の感想を述べる時に、著者や制作者のそれまでやってこられた活動内容や普段の言動に対する自分の見方が色濃く反映しているのは事実。実際、前述した高名な評論家のそれまでの仕事ぶりからして「仮に年齢による衰えは少々あっても自著を物するのにテキトーになられた訳では決してあるまい」、そんな風に見ていたし、現にその方が次に出した新刊を読むと、誤りが目に付く事も無く同じミスは繰り返しておられなかった。ま、これが普通の良識あるパターンといえよう。
私は出版関係者でもなければ、校正業の経験者でもない。ギョーカイなんて関わりがあろう筈もなく、献本をタダで頂けるような立場でもない。本はどれもちゃんと身銭を切って入手し読んでいる。但し探偵小説も読書も好きだから自然とシビアな見方にはなるし、幸か不幸か生まれつき思ってもいない〝おためごかし〟なヨイショを言う性格ではないので、良いと思ったものには手放しで激賞するけど、「これは・・・違うのでは?」と思ったものには思ったままの感想を吐露する。私の書く文章なんて書評といえる程の立派なものではない。何が言いたいかといえば、私程度の一般人でさえ読んでいてすぐ気付くような誤字誤植満載の本が増殖しているのに対し、無関心どころか喜んで許容しているこのギョーカイとオタク達の異常さを訴えているのだ。普段の生活では使わない言葉だけど「思考停止」というワードはまさしく彼らのためにある。twitterをやっている人は、長瀬が拡散した私への発言をどんな種類の人間が共有しているか、見てみると面白いだろう。そこには一定の傾向がきっと発見できるだろうから。
「☆の数で批評するなんて何様のつもりだ!」という長瀬の意見に対しては、〝不快な思いにさせてなんとも申し訳ないです。でも世の中には貴方の好き嫌いはともかく、Amazon以外の通販サイトにも、☆の点数機能を備えた投稿欄がありますね。「食べログ」という食事をする店専用のサイト、「ブクログ」という書籍専用のサイト、果ては病院や美容室の評判サイトまで、実に多様な形で ☆ の数を用いて思ったことを投稿できるwebサイトが存在しています。サッカーA代表の試合が行われれば、翌日のスポーツ紙には必ず監督+出場選手の採点表が掲載されます。
もし「ブクログ」かなんかで「捕物出版/大陸書館」の本に貴方の好ましからぬ投稿が寄せられたら、私同様その人にもしつこく罵声を浴びせ続けるつもりですか?「自分への中傷はおろか、舞台の演技に関する全肯定以外の意見は許さない」とyoutubeで発言したその途端、週刊誌に 見つかって蔓延防止期間の最中にどこかの女性と外でデートしているのがバレてしまった歌舞伎 役者みたいな事になりませんかね?〟とお答えする。
②へつづく。