昭和の名作マンガの雑誌連載初出ヴァージョンを甦らせた豪華本が次々に発売されている。私も読んでみたいな・・・と思うものはいくつかあるけれど、一冊数千円から一万円超えの非常識な価格が多くて、別に買えなくはないがマンガ方面にまで無駄遣いしたくもないし。
この『アドルフに告ぐ』オリジナル版に至っては大型B5判サイズの本体全三巻 + 98頁の別冊が函に入って定価20,000円+税。本体一冊分を約6,000円強と見るなら、例えば横山光輝『バビル2世』オリジナル版(復刊ドットコム)一冊分あたりとそう変わらないのかもしれないが、それにしても買う気が萎える値段である。
雑誌連載時の内容をそのまま単行本化するオリジナル初出ヴァージョンとなるとボッタクリ価格以外にも懸念はあって、結局のところ連載各回における〈作品タイトルが入っている冒頭のページ〉及び〈次号へつづく最後のページ〉、単行本化の際に調整のため削除されがちなこの僅かな部分が復活するぐらいで、雑誌掲載分に対する加筆があればあるほどそこはゴッソリ抜け落ちる訳だから、従来のコミックスより減る部分ばかり多く、新しく読めるようになる部分なんて殆ど無いのだろうな・・・とネガティヴな予想しか湧いてこなかった。
そうはいっても手塚治虫作品の括りがなくたって『アドルフに告ぐ』は全ての漫画の中で三本の指に入るほど特別な愛着を持っている。1983~1985年の連載時には『週刊文春』を読む習慣が無かったし、この作品は単行本でしか読んでいない。国書刊行会の本だから言葉狩りはおそらく無いと思われ、発行部数もきっと少なそうだから後で欲しくなっても手遅れになるのは必定だ。「普通の人が絶対躊躇するような価格にしやがって、漫画の世界は金をいくらでもつぎ込むクレイジーなマニアさえ買えばいいとでも思っているのか」なんてイヤミでも書き連ねてやるつもりで、さんざん迷った挙句とうとう『オリジナル版』も買ってしまった。
今迄あるべき位置にあった場面が無かったり、確かに単行本化される過程で手塚が加筆した部分は多分にある。特に病気で休載して完結の直前が駆け足になったと考えていたみたいで、終盤における初出と単行本の差は大きい(第二次大戦後のエピソードで加筆された部分は今回別冊にボーナス収録されている)。ところが、それを差し引いてみても初めて見る箇所は予想以上に多かった。全部書いてたらキリが無いので、ことさら印象深かった初出と単行本の異同部分を並べてみる。この比較に使用した旧単行本は92年の文春文庫ビジュアル版。
● アドルフ・カミルとアドルフ・カウフマン、二少年の初登場
【 初 出 】 連載第3回
【 単行本 】
ローザ・ランプの自殺により峠勲殺人事件/ドイツ篇が終了し、舞台は神戸へ変わって芸者絹子殺害の捜査がヴォルフガング・カウフマンに向けられ、ここでアドルフ二少年が登場してくる。斯様にして単行本の序盤は連載時とストーリーの順番が適宜入れ替えられていた。
● 由季江と本多大佐の関係
由季江の旧姓は加味といい、駆け落ち同然の状態でドイツ人ヴォルフガング・カウフマンと結婚した為、実家とは絶縁状態にある。
仁川三重子と本多芳男のデート・シーンにおける会話の中で、本多大佐が若い頃〈満洲建国の右翼の黒幕〉と云われた政治家・加味又造に貧乏書生として仕え軍人根性を叩きこまれた事までは単行本でも解る。だが、由季江が加味又造の娘だったとは初めて知った。アセチレン・ランプがカウフマン邸にやってきた後、夫を亡くした由季江が本多大佐に電話で弱音を吐くくだりでこの事実が判明するのだが、単行本化の際には削除されていた。
● 細かいカットでのセリフの違い
意外に多い。ひとつだけ例を挙げると、アドルフ・カウフマンが峠草平/由季江との今生の別れとなるシーンでの彼の独り言。
【 初 出 】 「正義の戦争か!これが・・・」
【 単行本 】 「たのむ・・・ママを・・・・・・・・」
一言の違いでも、場面によってはだいぶ印象が変わっている。
長年小さい文庫版に馴染んできたから大判サイズになっただけでもイメージが変わった、というのはまんざらオーバーな表現でもない。マンガの雑誌掲載ヴァージョンが復刻される時ありがちな、オリジナル原稿が紛失した部分を旧い雑誌からのスキャンで補填するため、そこだけ画質の粗い箇所が発生したりするものだ。原稿が揃わなかった部分が本書にもあったのか解らないが、もしあったとしても高精細印刷のおかげでその差がわからないように仕上がっており、読んでてストレスを感じさせない。ここ意外と重要。
結論。定価は納得しないけど買ってよかったし大満足している。これで数年後、このオリジナル版が廉価版で再発されたらシバキあげるぞ。
(銀) 『アドルフに告ぐ』の何が好きといって、手塚が慣れ親しんだ戦前の神戸~大阪の情景があふれているところ。骨子だけ見ると物語はヘビーで息が詰まりそうだ。もしこれをかわぐちかいじが描いていたらあまりにくどく、とてもコミックスを買って何度も読むまでには至らなかっただろう。手塚らしいコロコロしたキュートなタッチがあって、生々しい関西弁が飛び交い、重さを中和させるユーモアのスパイスを隠し味として使っているからこそ最後まで飽きず物語の中に浸っていられる。
米軍の空襲で負傷した峠草平は救護所に運ばれ、気が付くと自分の鼓膜が破れてツンボになってしまったのを知り大号泣する。悲惨な場面なのに手塚が描く峠の表情は涙を流しながらもどこか剽軽。小説でも映画でもこんなテクニックはありえない。手塚漫画だからこそ成せるワザといえよう。
それと、最初からキッチリ決められていたであろう結末に向けてストーリーに何の贅肉も無く、通常の単行本にして四~五巻ぐらいの長さでフィニッシュしたのもよかった。最終回を一切決めないのがいいなどと言って、しっちゃかめっちゃかにいくつも連載を放り出した永井豪とは全然違う。
音楽や映像ソフトのデラックス・エディションを買ったら、ボーナス・マテリアルにどうしても目が行く。勿論ここでの別冊も制作秘話などのボーナス資料は充実している。でもその別冊以上に初出内容を纏めた本体のインパクトは強かった。ただ手塚の仕事がこういう企画にフィットしたから今回成立したのであって、調子に乗って他の漫画家のデラックス・エディションにもホイホイ手を出したらきっとガッカリさせられるのだろう。