✿ この作家は猟奇/怪談というジョーカーを持っているからこそ本書に収められているような(決して探偵小説ではなく普通なら手を出しそうにない)作品も読んでおかねば、みたいな考えがどの読者にも共通してあることだろう。今回は橘外男本人の自伝的内容を持った小説が並ぶ。彼のこの手の作品は100%真実ではなく虚構が混じっているのだそう。「ここは真実で、ここはホラで・・・」となんだかんだ精査していったら疲れそうだし、何も考えず無心に読んでゆく。
✿ 伊香保の宿にて年上の女性に布団の中でチョメチョメされてしまう「春の目覚め」。群馬の高崎と思われる中学の寄宿舎に入れられて、そこの水に全く馴染めぬ十八歳の外男少年が実家へ逃げ帰ってきても軍人一家の長である父親に冷たく追い返され、七つ八つぐらいの女の子を連れた混血児のような若く美しい歌詠みの寡婦に偶然出会う。その母娘の部屋に泊めてもらって外男少年は一体どのような体験をしたのやら。この女も娘がいるのに、若い男見つけてようやるな。
「若かりし時」では学校を放逐され、親類の叔父がいる札幌の鉄道工場へ行かされた外男少年。とうとうグレてカツアゲまでするようになってしまうが、一人の心優しい芸妓に救われる。
「懐し金春館時代」以降は不良から更生した後の話。「結婚とは」では〝結婚なんて人生の煉獄だ〟とボヤき「予は如何にして文士となりしか」では大した志も持たず〝魔が射した(ママ)〟とうそぶいて文士の道に踏み込んでゆく。ちなみに本書の帯には「類人猿への異常な執心」と謳ってあるが、いつもの獣人怪奇小説的な展開は全く無く、「人生は六十五歳から」ではゴリラという醜悪な生き物(私が言ってるんじゃなくて作者の意見です)に対し、大いに惹かれて仕方がないからできるものならアフリカ行ってゴリラ言語の研究をしたかった、なんて荒唐無稽な夢を呟いてるだけ。
【資料編】では、当時の作家達による橘外男へのコメントが載っていたり、本書の各作品を手際よくまとめたような並木行夫の「伝奇読物 小説橘外男」があったり。あと、橘外男既刊一覧(著書目録みたいな刊行リスト)は有難い。できれば著作目録も欲しいなあ。
✿ 昭和時代の日本には多くのコミック・ソングなるものが輩出された。そこには面白い傾向があって、作り手/歌手があざとく笑いを狙えば狙うほどつまらなくなり、大真面目に制作/パフォーマンスしているのに結果として非常にヘンテコになってしまった曲のほうがむしろずっと可笑しかったりする。
これを小説の世界で例えるなら(私の好まぬ)いわゆるユーモア小説という奴こそ前者、橘外男の書くものは後者で、別に笑わかそうとして本書の収録作みたいなものを書いてる訳ではないのに、既存の探偵作家とは随分かけ離れた〝荒くれ者キャラ〟で独特の大袈裟な〝タチバナ節〟が炸裂するものだから、本書を読んでついつい私は笑ってしまうのだ。その点ユーモア作家の書くものは小手先だけで線が細く、ちっとも面白くない。
あと本書を読んで気付かされた橘の特徴として、本書の中でもあちらこちらに出てくるけれど、セック・・・いや〝女とムニャムニャしたい〟と臆面もなく連発する盛んなオスの本能がある。これ、彼の小説のテンションを増幅させている重要なホルモンなんだよな。
やっぱりねえ、サザンだって音楽的には稚拙だったかもしれないけれど「女と一発ヤリてえ!」的な内容しか歌っていなかった『Kamakura』以前の初期の頃のほうが、バンドのサザンとしてもシンガー桑田佳祐としても生き生きしてたよ。Youtubeで昔の映像見てると『kamakura』後の桑田はサザンが嫌なの見え見えで、「みんなのうた」でサザンを再結集して『夜のヒットスタジオ』に出てる時の桑田の目は完全に死んでるもんなあ。おっとこりゃ閑話休題。とにかくオスのホルモンが文士・橘外男の魅力を二倍三倍にも高めているのは間違いない。
(銀) 前回同様本書にも満足したんだけど、この銀河叢書の橘外男全三冊って「単行本未収録作品」ばかり収録するもんだと思ってたら、「若かりし時」は昭和29年に刊行された『現代ユーモア文学全集11 橘外男集』(駿河台書房)に収録されてるじゃん?それで幻戯書房のサイトをよく見ると、「単行本未収録を中心に入手困難な作品を編纂」と書いてあった。近年再発されてなかった作品も採用するって事ね。
2010年に刊行された『陰獣トリステサ 綺想ロマン傑作選』(【橘外男既刊一覧】の304ページ上段を見よ)を河出文庫だと書いてあるけど、この本は文庫じゃないよ。
今日の「女妖」はお休み。