2021年4月16日金曜日

『地球の屋根』大下宇陀児

NEW !

大都書房
1943年2月発売


★★★       壮大な凡作



● 本日は大下宇陀児のトンデモ珍作をご紹介。古書で宇陀児の著書をいろいろ買ってきたが、私が最も面食らった一冊といったらこれかな。連載された雑誌は『キング』。19416月号から翌194212月号という、一年半にもわたる大長篇ではある。

 

 

● として生まれた片輪者で、周囲に村八分にされ単身山奥の谷底へ逃げてきた與吉。一方、山窩として育ってきたが仲間うちで内紛、その結果ひとり逃れてこの谷底へ流れてきたおくめ。人間文化からはほど遠い、原始的な生活を送るこの賤しい男女の間に、ひとりの男の子が誕生。戸籍など無縁な環境にある非人同然の彼は、名前を付けられる事もなく言葉もろくに覚えぬまま自然児として成長するが、與吉おくめは死んでしまう。

 

 

オープニングはまるで三角寛の山窩小説あるいは下村千秋の悲惨小説を思わせ、この調子でドロドロした暗黒物語へと突進していけば面白かったのだけど、「地球の屋根」が執筆されたのは昭和1617年。そんな内容ではお上が絶対許しちゃくれない。日本は戦争の真っ最中だし「この聖戦下に一人のルンペンもいてはならぬ!」てな注意が作家へも通達されていた時代だ。話は実に奇妙な方向へと転回する。



「地球の屋根」を読んでもらうと解るのだけど、作者・宇陀児は ❛お叱り❜ を恐れた編集者に頼まれて、急ぎ方向転換した訳では決してない。500頁近い初刊本、始まってまもない50頁の時点で早くも主人公に岐路が訪れるからだ。

一歩踏み込んで想像を逞しくしてみると「悲惨な出生であったとしても努力し、国家を背負って立つ人間にならなければならない」という当時の日本の国家政策に沿った啓蒙が含まれた構想で執筆していたことが窺える。ちなみにこの初刊本の冒頭に置かれた「作者の言葉」には次のような文章が。現代の立場から見ると、なんとも皮肉めいてますな。


生き甲斐のある世の中だ。素晴らしい時代だ。世界の整理と革新とが断行され、輝かしい大東亜建設の槌の音が響く。この偉業を完成するため、我らは常に最も叡智に富み、勇気があり、そして將来へのはろかなる(ママ)希望を持たねばならない。こゝにこの時代を行きぬく讀者諸君のために、正しく逞しき愛と智と夢と冒険との愉しい一篇の物語をささげる。

 

 


● 元小学校の校長だった篤志家の高岡順造に拾われ、主人公の運命は根底から変わってゆく。父・與吉の苗字が川端だった事実さえも判明、少年には順一郎という名が授けられた。こうして彼は立派な青年へと孵化。そこに深海開発計画を進める者達が登場して順造と順一郎はその計画に加わる流れになるけれど、アクシデントが発生し、順一郎は頭髪が真っ白に変貌する。

 

 

その後順一郎は研究者としての道を歩む。背景に世界大戦の影があるのは言うまでもない。この時代によくある防諜小説とも違うし、かといってSFストーリーと見做すのも正しくない。壮大ではあるけれど、なんか座りの悪い長篇で、私はあまり楽しめなかった。何年も前に初めて本作を読んだ時には、「こりゃ一種の立身出世物語じゃん」と感じたものだ。

連載誌の『キング』を刊行している大日本雄辯會講談社が、このテーマを得意としているのは既に『少年倶楽部』なんかでお馴染み。あと近年の研究で、同じ宇陀児の長篇「魔人」は悪の因子の成長物語であると云われており、そういう目で見れば「地球の屋根」は善の因子の成長物語とも受け取れる。


 

 

(銀) 宇陀児作品の中で好きか嫌いかといったら、どうしても個人的ワーストなほうに入ってしまう珍品だ。この作品の再発はず~っと後回しでいいと私は思うけど、今後もしミステリ珍本全集が再開して、大下宇陀児がラインアップの候補に挙がるような事にでもなったら、本作とか晩年の「ニッポン遺跡」あたりが収録されてしまいそう。ウヘ~、「ニッポン遺跡」もあんまり好きじゃないんだよな~。