「青白き裸女群像」には同テーマの別作品「双面の舞姫」→「地底の美肉」がある事は、当Blogにおける2020年11月28日の項にて記したとおり。三作のうち一番最初に書かれたこの「青白き裸女群像」は仏蘭西が舞台で、大富豪ジュール・ド・ヴィラン老人が自分の娘を生贄にされた俄かには信じ難い前代未聞の誘拐事件をパリ警視庁へ持ち込み、応対した捜査二課長メイニャール警視に一部始終語るところから物語は始まる。
二十二年前ヴィラン一家が南佛オーヴェルニュ高原地方へ旅行した折、美人の誉れ高き令嬢カトリーヌが行方不明になり、ありとあらゆる捜索が行われたが犯人から身代金などの要求も無く、なすすべもないまま時が過ぎていった。ところが昨年の大晦日の夜、突然カトリーヌを名乗る中年の女性がよろよろとヴィラン家に帰ってきた。彼女は肌という肌を黒布で隠しているものの、その眼は膿み爛れ、全身からは烈しい異臭が漂ってきた、と老人は言う。
本作でいつも取り沙汰されるのは、美女を次々と誘拐して獣のように彼女達を犯し続ける謎の地下宮殿に君臨する首領の猟奇性、そしてその宮殿に住む者達が皆レプラを病んでいるという有り得べからざる設定、この二つである事が多い。
確かにレプラの描写は(現代と違って、昔はまだ治療のメソッドが発達しておらず、不幸な認識が当り前のように存在していたとはいえ)目を覆いたくなる程の陰惨さだ。その上首領が美女の身体も魂も蹂躙するばかりか、✕✕✕✕✕(伏字部分は本を読んで確認して頂きたい)を美女に注射するのだから、なんともはやである。
メイニャール警視はヴィラン老人の話が絵空事だとはとても思えず行動に移ったものの、同僚のライバル/捜査一課長デュアメル警視には馬鹿にされ、これという手掛かりも掴めぬまま事件は迷宮入りするかに思えた。
ところが仏蘭西中を騒がせていた怪盗が逮捕された時の、カトリーヌ嬢誘拐とは全く関係の無い事件調書をたまたまメイニャール警視が読み耽っていたことから形勢は一変。前半があまりにもダークだったぶん、ここから地下宮殿の謎が徐々に暴かれてゆくさまは手に汗握る面白さ。「青白き裸女群像」はこの急転直下のドラマ性があるからこそ、エログロ一辺倒になりそうな〝やりきれなさ〟を免れている。
あと後半は冒険小説みたいなサスペンスがあって、レプラの巣である地下宮殿に古代ヨーロッパの歴史ロマンが隠されているのもいい。〝虚構のフィクション〟をまるで自分が見聞したかの如く語り綴るホラ吹きテクニック、これぞ橘外男の真骨頂。
重ねていうけどレプラの描写は現代においてはあらぬ誤解を招きやすいし、扱いには十分配慮が必要であろう。だからといって、本作が二度と再発されなくなるような事態になるのはこれまた間違っている。(数年前に河出書房新社が再発して以来、「青白き裸女群像」は現行本の流通が無い)
まごうことなき橘外男の代表作なのだから、古本オタではない人でも手軽に読めるような状況であってほしい。
(銀) レプラという題材をショッキングに扱った小説は他に例が無い訳ではない。それにしたって、どういうつもりで橘外男はここまでグロ風味にしたんだろう。単純にこの人のドス黒い〝クドさ〟から来ているのは否定のしようがないんだけども。
橘外男の著書は古書店では探偵小説として扱われる事が多い。でも本人は自分が探偵作家である意識もないし、他の探偵作家との交流もなさそう。作品だけでなく作者自身そのものが異端児であり、頭の中を覗いてみたい人だ。