2024年8月20日火曜日

『未来趣味/第1号』

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日本古典SF研究会
1988年3月発売



★★   善渡爾宗衛=紫門あさを=井山博之




1986年に横田順彌/會津信吾/長山靖生らが立ち上げた日本古典SF研究会。会報『未来趣味』の刊行は、稼働しているのかいないのかよくわからない位の超スローペースだが、一応存続してはいる様子。

 

 

その『未来趣味』第1号、巻頭を飾っているのは小松左京の談話【古典SF研究の意義】。要するに、会のマニフェストみたいなもんです。続く【わが心の押川春浪】では、かの明治期SF作家に対する熱い思い入れを滔滔と横田順彌が語るのかと思ったら、実態は殆ど古本にまつわる自らのエピソード。ヨコジュンに全て責任を負わせるつもりは無いけれども、この文章に充満している古本へのがっついた浅ましさが、図らずも日本古典SF研究会の行く末を暗示している。

 

 

次に加藤幹也(高原英理か?)【闇の三一致-江戸川乱歩「孤島の鬼」試論-】。古典SFを研究する集まりでありながら、いきなり第1號から乱歩を扱っているのがユニークといえばユニーク。ここで加藤は「孤島の鬼」を ❛❛最も成功した怪奇小説❜❜ として論述。その他、
長山靖生【近代科学と犯罪幻想】
松中正子【公開当時の新聞記事から見た「メトロポリス」】
會津信吾インタビュー【古典SF - 予習帳】(聞き手:長山靖生)
【押川春浪著書目録 Ⅰ 】(會津信吾・編)
といった内容。
 
 

 

ヨコジュンが旅立った2019年、
『未来趣味』は増刊として「横田順彌追悼号」を出した。
その号の192ページに、今や金の亡者と化した善渡爾宗衛が【でわ話さう 善渡爾宗衛のつくりかた ー 横田順彌さんのことども】という文を寄稿している。そこには注目すべき点が二つありましてな。以下、「横田順彌追悼号」からの善渡爾引用文は色文字で記す。


 












〝そもそも、高校生のときに近所の本屋さん仲間の兄ちゃんにそそのかされて、ちょいとばかり大きな城のある街で、月に一度ひらかれることとなった某同仁堂二階で催される「SFの集い」に、行ってしまったのが、ことのはじまりなのであった。

その集いを開催していたのは、カジオ貝印石油の若旦那、梶尾真治さんでありました。〟

 

作家・梶尾真治は根っからの熊本ネイティヴ。福岡大学在籍時、及び卒業して実家の仕事を継ぐため名古屋の石油会社に勤めた短い期間を除けば、それ以外はずっと熊本市で生活している筈。熊本市には熊本城があるし、熊本市内の繁華街に位置するアーケード街・上通りには「同仁堂」という薬局が確かに存在している。

 

これらの事を総合すると、善渡爾宗衛と梶尾真治は古くからの顔なじみだと思われる。もっとも作家として成功した梶尾とは対照的に、善渡爾は物故作家の作品を商品とは到底呼べぬレベルのテキスト入力で本にして、不当な暴価であぶく銭稼ぎに勤しんでいる底辺の存在でしかないが。

 

 

 

もうひとつはコレ。


〝そこで『未来趣味』の創刊が決まり、初代会長・長山靖生、初代編集・善渡爾宗衛で、同人誌の刊行がはじまる。一九八八年のことだ。〟
 

やっと本来の話に戻ってきた。『未来趣味』第1号の目次を見ると、「編集発行人」クレジットには長山靖生と並んで、次の四文字が印刷されている。

 

井 山 博 之

 

上段からの流れで、化けの皮を剥がしてみたら井山博之とやらも、その正体は善渡爾宗衛なり。昔、ヨコジュンの紹介で長山靖生と共に変名で少女小説を書くため作家デビューしたと善渡爾は書いているが、「横田順彌追悼号」でも平井一の名を平井一などと間違えているような人間紹介される羽目になった某社・編集氏は災難だったろうねえ。(程一は本名)

 

 

ともあれ、本日の主題は『未来趣味』どうこうではない。出版業界の方も一般ユーザーの方も、善渡爾宗衛紫門あさをと同様、もし井山博之の名を見かけたら要注意。この人物に仕事を頼んだり、この人物が販売しているボッタクリのゴミ本なんぞ決して買ってはいけませんよ、という注意喚起でした。

 

 

 

(銀) 『未来趣味』も第1号の投稿内容だけ見るなら、それは十分興味深いものである。小松左京が名誉会長を引き受けているぐらいだし、日本古典SF研究会も最初は本好きな人達の集まりだったかもしれない。

それが今じゃどーよ?「横田順彌追悼号」を開けば、日下三蔵/北原尚彦/杉山淳/小野純一をはじめ、この会は古本ですっかり頭がおかしくなってしまった人間ばかりが目立ち、ヨコジュンの追悼を肴にして自分らの古本自慢をやっているだけ。純粋なSF作品の話題なんて、果して全体の何割あるのやら。「古本」「古本」「古本」とアホのように騒いでいる記事なんてどこにも見当たらない『「新青年」趣味』と比べたら、日本古典SF研究会の卑俗さが否応無しによく解る。

 

 

今日は『未来趣味/第1号』の記事なので、せめて善渡爾宗衛、もとい井山博之さえ関わっていなければ、もっと★の数を増やしたかった。★1つではヨコジュンや會津信吾らが気の毒だもんで、これでも気を遣い★の数をひとつおまけしている。

私は断言してもいい。ミステリもSFも、現在五十代の連中(要するに日下三蔵の世代)が八十になる頃には、未来を担う若い世代なんて誰も現れず、これらの業界は腐敗したままゆっくり消滅してゆくに違いない。今日の記事で取り上げたような古本キチガヒ老人を見て、あとに続こうとする有能な人材なんて誰がいるものか(いたとしても考える頭を持たぬクルクルパーだけだろうな)。






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2024年8月15日木曜日

『朱夏No.13/特集〈探偵小説のアジア体験〉』

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せらび書房
1999年10月発売



★★★★   外地探偵小説と言えば藤田知浩




『朱夏』は満洲など旧日本領の文化を探求するせらび書房の雑誌だ。かつて年二回ペースで刊行されていたけれど、2007年に出た第二十二号が今のところ latest issue。また単行本のほうも、2010年の『外地探偵小説集/南方篇』こちらのリンク先を見よ)ではシリーズの続巻を匂わせていたのに、せらび書房自体が活動停止したような状態がずっと続いていた。

 

 

 

更新はされずとも、せらび書房の公式HPは存続していたので、そこに一縷の望みを託していたのだが、なんと先日、十数年ぶりに待望の新刊情報が公開。これは嬉しい。その探偵小説本が無事発売されたらすぐにレポートする予定なので、詳細はもう少々お待ち頂きたい。そういう訳で今回はせらび書房の復活を祝し、〈探偵小説のアジア体験〉なる特集を組んだ『朱夏』第十三号を振り返ろうと思う。もちろん責任編集は「外地探偵小説集」シリーズを手掛けてきた藤田知浩。

 

 

 

それは言うまでもなく『朱夏』のコンセプトに沿い、戦前日本の植民地周辺と探偵小説の関係性を掘り下げた内容で、渡辺啓助とモンゴル/小栗虫太郎と南洋/夢野久作と朝鮮半島をテーマにした作家論があったり、加納一朗による満洲出身探偵作家の紹介を行っている(ちなみに本号に登場する顔ぶれは戦後にデビューした作家も含む)。なんでも赤川次郎の父親・赤川孝一は満映の職員で、甘粕正彦の自殺を最初に発見した人物だそうだ。

 

 

 

他に中相作や西原和海の寄稿もあるのだが、私にとってのハイライトは大村茂の「月刊満洲社と竹中英太郎」。大村は竹中労事務所の一員だったフォトグラファー。満洲時代の竹中英太郎は謎に包まれており、竹中労の著作を読んでもハッキリしない事が多い。かつて月刊満洲社に勤めていた方の協力もあって、この記事は何度も読み返した。おまけに大庭武年「小盜児市場の殺人」を旧仮名遣い&挿絵付きで再録しているとなると、なにげに英太郎推しの感あり。

 

 

 

今では多種多様な資料が出回っているため当り前に知られている事実でも1999年の時点では貴重だった。藤田知浩の仕事にはもっと評価されてしかるべき先見性がある。何かよんどころない諸事情があって、せらび書房は長い間休眠していたのだろうが、もし可能ならば単行本の制作だけでなく『朱夏』の再開も期待したい。

 

 

 

(銀) この号は『新青年』に掲載されたアジア関連探偵小説の作品ガイド、及びそれに属する書籍紹介もあり、全体の半分を探偵小説特集に費やしている。






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2024年8月12日月曜日

『高架線の戰慄』ミニヨン・G・エバハート/長谷川修二(譯)

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代々木書房  現代大衆文學全集
1940年7月発売



★★★   エドワード・ホープ「俳優殺人事件」もなぜか収録




外装では「高架線の戰慄」のみ収録しているように見えるが、本書314ページ中142ページまでは「俳優殺人事件」という作品が鎮座。作者エドワード・ホープはどういう人なのか全く不明。表題作「高架線の戰慄」よりこっちのほうが私は好き。

 

 

ブロードウェイで名の通った劇作家ジエームス・ララミー・リスターにはセーラ(妻)・バーバラ(長女/通称ボビイ)・トレヴオア(長男/本作の語り手)・サリイ(次女)の家族があり、ジエームスとセーラがショービズ界のセレブゆえ彼らは南仏海岸へバカンスにやって来ている。ジエームスの秘書デーヴ・アーチャーはすっかりリスター家に溶け込んでいて、ボビイはデーヴから結婚を申し込まれる程の仲だった。ある邪魔者が現れるまでは・・・。

 

 

美形だが誠実さの欠片も無い人気俳優シヤーウツド・シイモアに粉をかけられたボビイはすっかりその気になってしまって、デーヴの面目は丸潰れ。トレヴオア達もシイモアのことをよく思っていない。おりしもリヴィエラ地方では、潜水して銛銃で魚を仕留めるマリン・スポーツが流行していた。その銛銃で体を貫かれたシイモアの屍が海中で発見され・・・。

 

 

立場上、疑われるのはデーヴ一人かと思いきや、容疑者は他にも出てくる。戦前の海外ミステリは抄訳が多いのだが本書もそうなのだろうか。シイモアの屍の描写について、訳文ではあっさり片付けられているものの、原文はドギツイ表現じゃなかったのかどうか気になる。避暑地の海に彩られた死体を扱ってるし、この作品、何かオリジナリティのあるトリックでも使っていれば、もっと注目度は上がったに違いない。

 

 

そしてミニヨン・G・エバハート「高架線の戰慄」。彼女のレギュラー・キャラクター/スーザン・デア登場。外出先から帰宅中、高架線にトラブルが起こり車内が真っ暗になる中、ある男によって外に連れ出されたスーザン。ところがその後、思いもよらぬ殺人事件に遭遇。高架線が急停車するまでの間、スーザンの乗っていた車両に乗車してくる奇妙な顔ぶれが肝。

 

 

こちらはなんというか、小ぶりな舞台劇に移し替えるとフィットしそうなストーリー。三谷幸喜に脚色させたら、よさげな気がする。「俳優殺人事件」のようなショッキングな死体や登場人物のアクの強さが無い代わりに、ちょっとしたトリックあり。

 

 

どういう理由でこの二作をカップリングしたのか想像も付かないけれど、営業的には「高架線の戰慄」を書名にしたほうがキャッチコピー的には目に留まりやすいのかもしれない。でも内容で比較したら、恋の嫉妬から生じる復讐の匂いをプンプン漂わせている「俳優殺人事件」のほうがウケそうだし、それでこちらをアタマに持ってきたのかな。
 
 
 

 

(銀) 「高架線の戰慄」の訳文はわりとカッチリしているのに、「俳優殺人事件」では脇役のキャラに「~でごわす」などと言わせたり、二作それぞれの訳し方には違いが見られ、「俳優殺人事件」のほうは長谷川でない別の人が訳している可能性も考えてしまった。原文からして二作とも読み易そうのは共通している。とはいえ、長谷川の訳はそこまで優れているとも言えずマアマアの出来じゃない?






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2024年8月8日木曜日

『「新青年」趣味ⅩⅩⅣ/特集ユーモアと「新青年」/この人も「新青年」!』『新青年』研究会

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新青年』趣味 編集委員会
2024年7月発売



★★    飽和点? 分岐点?




今世紀に入って以降、ずっと一人の作家を巻頭にて特集してきた『「新青年」趣味』もいよいよネタが尽きたのか、あるいは方針転換を図ったか、今号は〝ユーモアもの〟に迫ったり、『新青年』プロパーとは言えない作家達をごっそりまとめて紹介している。その二つめの特集【この人も『新青年』!】を眺めて、〝ほおー、ついに『「新青年」趣味』も戦前だけでなく、戦後作家も俎上に載せるようになったのか・・・。〟というのが最初の印象。

 

 

『新青年』プロパーではなくとも、多くの作家の短篇はなんらかの形でアンソロジーに入っているし、ビギナーの読者は「へえ~」と驚くかもしれないけれど、まあこんな感じのラインナップになるのは想像が付く。数十人に及ぶ顔ぶれの中に前田河広一郎が入っていないのは少々意外。もとより探偵小説のよき理解者って訳でもないから、『新青年』が彼に小説を書くよう積極的にアプローチしなかったとしても別に不思議じゃないが。

 

 

横井司【三橋一夫〈まぼろし部落〉考】はボリュームのある内容だけど、私は森永香代【アーカイブ雑感-小倉東個人蔵書(新宿二丁目)の目録作成の経験から】が面白かった。小倉東のことは全く存じ上げず、ドラァグクイーンにして蔵書家なだけでなく、調べてみると若い頃ヘアメイク界の大物・渡辺サブロオに付いて学んだり、父君は中国共産党のスパイだったり、波乱の人生を送ってきた人のよう。

 

 

森永香代が岩田準一の研究家だから資料整備に力を貸してほしいと声掛けされたのか、その辺はよくわからないが、一部の古本キチガヒが勘違いしそうなので一筆記しておく。小倉氏の蔵書は同性愛/占いの書物がメインだそうで、ミステリ/幻想文学のお宝が山ほどありそうとか、そういうハイエナじみた目で舌舐めずりしても無駄である。なにはともあれ新宿二丁目に足繫く通われた関係者の皆さん、お疲れさまでした。

 

 

毎回『「新青年」趣味』には感心するのだが、小さめの文字がぎっしり詰まった情報量で400ページ近い厚みがあって、価格はたった2,200円なのだから本当に良心的。薄利多売な上、結構な部数を刷らないと、この価格には設定できない。善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳のレーベル「綺想社」「東都我刊我書房」「えでぃしおん うみのほし」だったら間違いなく一冊20,000円ぐらいボラれてるぞ。そんな良心的な『新青年』研究会も最近は耳を疑うような発言をする人が出て来たりして、立教大学江戸川乱歩センターでなんか悪い影響でも受けたのかしらん。

 

 

石川巧(編集代表)『戦後出版文化史のなかのカストリ雑誌』(☜)という本の中で、川崎賢子御大が〝1930年代に江戸川乱歩は『猟奇倶楽部』なる雑誌を運営していた〟などと驚愕の情報をお書きになり、それのエビデンスは一体どこから来ているのか是非とも聞かせて頂きたく、正座しながら私は待っているのに、な~んも説明して下さいませんねえ。いつもなら、この種のトンデモ発言が流布されると真っ先に平山雄一がX」で反応するものなのに、今回は相手が『新青年』研究会の古株メンバーというので忖度して口を閉ざしているのかなあ。それとも「X」をやらない私が気付いてないだけなのか。

 

 

忖度といえば、『「新青年」趣味』は第19号あたりから【くぉ う゛ぁでぃす】というレビュー欄を設けているけど、これって必要?銀髪伯爵ほどストレートなツッコミはしなくていいけども、身近な人や同じ業界だからってんで気を遣い過ぎて、内輪の褒め合いになっていませんか?それに近年の号を読んでいると、『新青年』研究会員の中でも投稿するのは一部の人に限られている気がして、金属疲労みたいなものが伝わってくる。浜田雄介が編集チーフから外れたから、そう思うのかもしれない。もしも原稿が集まらなくて苦労してるんだったら、第12号までのサイズ&ページ数に戻ってスリム化するのも一つの手。【この人も『新青年』!】など、同じ人が沢山の項を執筆負担していて「これだけの量こなすの、キツかったろうな」と感じた。

 

 

 

 

(銀) 私のBlogをいつも見ておられるか分からないけれども、島田龍氏にお知らせ。岩波文庫版『左川ちか詩集』の編者・川崎賢子氏が今回の『「新青年」趣味』の近況報告欄【横道通信】(358ページ)でこんなこと言ってます。

 

〝二〇二三年度は以下のようなお仕事をしました。
とくに、左川ちかは、一九八〇年代にモダニズム研究を始めた筆者にとっては長い長い宿題となっていた対象です。複数の編集者にかねてご相談申し上げておりましたが、岩波文庫がリスクをとって出版を引き受けてくれました。こちらの進行途中で「全集」が出るというサプライズがありましたが「文庫には文庫の使命がある」と揺らがなかった担当編集者さんに感謝です。〟

 

岩波文庫版『左川ちか詩集』編者・川崎賢子に対する煩憂(☜)

 

上記のリンクを張った記事で私、「どんなに早くても岩波文庫版『左川ちか詩集』の制作がスタートしたのは令和4年になってからだろうし」と書きましたが、川崎氏の近況報告を拝見しますと「島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房)が出る前から、自分は『左川ちか詩集』に着手していたんだ」と主張なさっているようですね。

 

以上、現場からお伝えしました。







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2024年8月6日火曜日

『ミステリと他のよもやま話/付録EQインデックス』萩巣康紀

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同人誌
2024年7月発売



★★   PCで文章を書くのは意外とタイヘンなのだ




萩巣康紀がこれまで発行してきた同人誌には『マイナー通信』『マイナー・インデックス通信』などがある。それら全てに目を通している訳ではないが、萩巣といえばCD-Rも使って熱心に雑誌のインデックスを作成・提供している人というイメージが私には強い。今回の『ミステリと他のよもやま話/付録EQインデックス』は全276ページのうち、前半部分に短めのエッセイ130本、後半部分に【作家名順】【年月順】などテーマ別に分類した、雑誌『EQ』のインデックスを掲載している

 

 

エッセイはミステリだけでなく、自分の仕事/釣り/ビリヤード等の話題も織り交ぜ、自己紹介の意味合いがそれとなく込められている様子。わりと最近の情報に触れてあるし、これまでストックしてきたもののアーカイヴではなく、本書のため新たに書き下ろしているみたい。

ちょくちょく東海地方の方言が混じっていたり、ローカルな視点に重きを置いていたり、個人誌ならではの特色が感じられてGood。一つの項の情報量がほどほどなので気軽に読める点も良い。しかしながら誤字も目立ち、全体の作りが洗練されていないところは我慢して接する必要あり。後半のインデックス・パートでは特段気にならないのに、エッセイの文章となると誤入力があちこち見つかった。

 

 

著者は吉永小百合と同世代だそうだから、結構なご高齢とお見受けする。サユリスト・エイジは若い頃からからPCに馴染んでいないハンデがある分、デジタルな作業に長けていない人の割合が高くなるのはしょうがない。ただ若狭邦男の文章などを読んでいて思うのだが、ミステリマニアやらコレクターを自称している高齢の人達って、国語力もあまり高くない傾向にあるような気がするのは私の偏見だろうか?

 

 

自分自身、愚にもつかぬ文章をいつもBlogに連ねているから解るのだが、好きな分野のことしか書いていない筈なのに、誰にでも読み易く伝わる文章を書くのは意外と難しい。書き終えてすぐの時にはそれなりにちゃんと書けてるつもりでも、後日読み返してみると独りよがりで第三者に通じにくい物言いになっていたりしてゲンナリする。

Blog記事の末尾には【関連記事】と称して既出エントリのリンクを張っている。これをやる本当の目的は、かつて書き散らかした自分の文章がどうにも見苦しいので、【関連記事】として振り返りつつ、内容そのものは変えずに読点を増やしたり、細かい修正を行っているからだ。他にプラットフォームの問題もあるのだが、それは本日の記事と無関係だし、ここでは触れない。

 

 

話が横道に逸れたので本題に戻ろう。この本の著者もインデックスを作っている時はそこにあるデータをそのままタイプしてゆけばいいのだから、ミスをする確率はそう高くはあるまい。ところがエッセイは頭の中で自らの考えを逐一文章へtransferする負荷が伴う。さらにPCに打ち込んだ文章が普通に第三者へ伝わるだろうと自分では思い込みがちだが、実はそうなっていないことが頻繁に起こり得る。

私など一度upしたBlog記事を後で見返すと、「なんちゅう下手な文章を書いたのか」と毎回イヤになる。Blogまだ後から気付いて手直しが可能だけど、紙の本は製本してしまったら、そうはいかない。他人に読ませる文章は最低でも一晩寝かせて、見直しをした上で公にするのが本当は望ましい(自戒も込めて)。

 

 

文章の上手・下手は個人差があるだろうし、こういう同人誌の場合、ある程度欠点に目をつぶってあげることも必要だろうけど(私のBlogには目をつぶらなくて結構ですがね)、本書中に散見される「置いたのではないだろうか」「ヤオフク「ビリヤード界から足を洗って」等のケアレスな表記は、一度書き終えたあと時間を空けて見直しさえすれば十分防げたミスだから、もう少し気を配ったほうがよかったのでは?





萩巣康紀もワタシも自分で思いを巡らせて書いた自分の文章ゆえ、もし不備があれば自分が恥をかけばそれで済むが、読むに堪えないテキスト入力で物故作家の作品を汚すだけ汚し、法外な価格の本で金を巻き上げる善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳のような手合いの罪は重く、鬼界ヶ島へ流刑にでもしなければ(俊寛僧都か)、被害に遭った作家達は浮かばれまい。

本書にて萩巣も綺想社の高すぎる価格について疑問に思う問いかけこそしているものの、「他にもミステリだけでなく、ホラーなども扱い、レアなものも時々出されている(ママ)のでファンとしては嬉しいのであるが」といった具合に、あのレーベルの酷い訳文については何も語られていないし、むしろリリースを楽しみにしているフシさえ伺える。作家を冒涜する悪質な本を未だに買い続けて、何とも思わないですか荻巣さん?






(銀) どこまで行っても高齢のミステリ・マニアやコレクターは自分の所有する蔵書、そしてそれらの古書価値について、アピールせずにはいられない衝動に絡め取られている。これもいわゆる承認欲求って奴なのかな。萩巣康紀がそこまで極端に賤しいマニア&コレクターだとは思わないが、この界隈で真っ当な人を見つけるのはジャンボ宝くじで一等を当てるぐらいに難しい。



私が幼い頃、祖父はよく本を買ってくれただけでなく、こんな事も教えてくれた。

〝年を取ると目がよく見えなくなったり、集中力が無くなったりして、本を読む体力が失われるから、いくら山のように本を持っていたって読めなきゃ何の意味も無いよ〟

この教訓が叩きこまれているので、私は読みもしない本を買い込んだり、蔵書自慢をする人間になどならず、現在に至っている。そもそも自慢できるようなレア本なんて殆ど持ってないけど。






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2024年8月3日土曜日

『スミルノ博士の日記』サミュエル・アウグスト・ドゥーセ/宇野利泰(訳)

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中公文庫
2024年7月発売



★★★★★   ネタバレあるから気を付けて




今回の「スミルノ博士の日記」翻訳テキストは、東都書房版「世界推理小説大系」第五巻(1963年)のものを底本にしている。東都書房といえば名編集者・原田裕を思い浮かべてしまうが、「世界推理小説大系」について氏は制作に関わっていないばかりか、「企画としてはちょっと難しい」と危惧していた。だから次の二つの本に収められているインタビューでも「世界推理小説大系」への言及は殆ど無い。

 

 


 


 

 

この中公文庫版はオリジナルのスウェーデン語版スミルノ博士の日記』原書を取り寄せ、宇野利泰が翻訳時に用いたドイツ語の原書にて変更・省略されていた箇所がどこだったのかを示している。それなら最初からスウェーデン語の原書を使ってまっさらの新訳を制作するのも一つの手だったが、さすがにスウェーデン語ではハードルが高いかもしれないし、中公文庫編集部がミステリの新刊を出す機会は近年多いけれど、海外ものを一から新訳して提供できるほどのノウハウはまだ持ち合わせていないのかもしれない。

 

 

さて本作の内容だが、こればっかりは真相部分に少々踏み込まねば書きようがない。「スミルノ博士の日記」、そしてそれに関連する有名作品について何一つネタバレされたくない方は、この色文字の部分はお読み飛ばし下さい。

 

 

私立探偵レオ・カリングはとにかくヤな奴だ。他人の部屋へ無断で入り、勝手に日記を盗み見るなんて人としてサイアクではないか。それゆえ真犯人を自白へ追い込んでゆくための段取りも、(本人が認めているように)卑劣な感じを読み手に与えるだろう。もっとも本作は例の叙述トリックが肝だが倒叙ミステリ的な側面もなくはないから、コロンボのようにネチネチ絡むスタイルが好きな人には向いている。

 

 

一方、主人公のスミルノ博士。冒頭でこそ彼は〝細菌学の権威として有名な学者〟と紹介されるものの、物語の中では普通の医者にしか見えない。レオ・カリングは終章で博士を〝変態心理の持主〟〝脅迫観念に悩む患者〟などと切り捨てており、たしかに女性に対するスミルノ博士の一連の下手な立ち回りはよろしくなかった。だけど博士を取り巻く女たちのほうはどうかな?

アスタ・ドゥールは自業自得、博士の婚約者ヘレナ・スンドハーゲンも(結果的に裏で第三者の暗躍があったとはいえ)資産家の娘ゆえ普段からお高くとまっていそうで、結婚できても博士は幸せになれなさそう。なによりスティナ・フェルセンへの執着は博士を破滅へと追い込んでしまうし、もう散々。

 

 

博士からスティナを奪ったファビアン・ボールスが本当は悪い奴じゃなかったなんて、皮肉以外の何物でもない。スミルノ博士はとことん可哀想な人なのだ。しかし読み手にそう思わせたなら本作は十分成功しているといえよう。なんせ、「アクロイド殺し」の十年前にこんなケッタイな長篇を書いているのだから、ドゥーセはエラい。

 

 

 

(銀) 小酒井不木による「スミルノ博士の日記」(ただし抄訳)に慣れ過ぎてしまい、作者の名前もドゥーゼという発音が体に染みついている私だが、ドゥーゼとはあくまでドイツ語の読みであり、本来はドゥーセと読まなくてはいけないそうだ。なのでドゥーゼ読みに拘りたいところだが、当Blogにおけるラベル(=タグ)もしぶしぶドゥーセとしておく。







2024年8月1日木曜日

映画『Cat People〈キャット・ピープル〉』(1942)

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The Criterion Collection   Blu-ray
2016年9月発売



★★★★   猫属の血



Citizen Kane」(邦題「市民ケーン」)の翌年に公開されたクラシック・サイコホラー「Cat People」。1942RKO Radio Pictures制作。監督ジャック・ターナー。主人公のイレーナを演じるのはシモーヌ・シモン。ちょっとエラの張った顔立ちの彼女はヴィジュアル的に絶対的猫系でもないのだが、シックなモノトーン映像が美しい本作の中で独特の存在感を漂わせている。

 

 

日本にお住まいの映画フリークの方はいろいろ大変だろうなあ、といつも思う。それというのも日本のメーカーが発売する古い映画のブルーレイDVDは大半と言っていいくらい【画質のクオリティー】及び【特典コンテンツの有無】双方の面で欧米に後れを取っており、最善のソフトが欲しいなら海外盤に頼るしかないからだ。しかもCD/レコードと異なり、映像ソフトにはリージョンコードという厄介な壁があるので、北米盤も欧州盤もあまねくチェックしたければ、マルチ対応な再生プレーヤーを持っていなければならない。各国映画会社の勝手な都合とはいえ、実にバカバカしい縛りだ。




日本盤ブルーレイ




Cat People」は日本盤ブルーレイも出ていて、珍しくジャケット・デザインがダサくないのだけど、特典映像が何も無くてメリットは日本語字幕のみ。日本盤ブルーレイは北米盤より半年先にリリースされていながら、どっちを買うべきか悩む余地も無かったぐらい、Criterion製・北米盤ブルーレイのほうがはるかに充実している。米国Criterion社というのは、古い映画のレストア技術において世界中の映画ファンから一目置かれている映像ソフトメーカー。私でも知っているぐらいだから、その信頼度は推して知るべし。

 

 

1940年代、ヒロインをおどろおどろしい怪物へと変身させるSFXの技術はまだ無い。自分の体に流れる猫属の血を懼れるイレーナは、夫・オリバーの愛情を受け止めることができず悩み続けているため、獣性を露わにするクライマックスに至るまでの彼女は、不幸なメロドラマ・キャラの趣きもある。おまけにオリバーの仕事の同僚アリスが「本当はあたし貴方(オリバー)のことが好きだったの」と告白するので、三人の関係はますますややこしくなってゆく。他人の夫であるオリバーにそんなこと口走るアリスも本来悪い女じゃないんだが、この場合はどうなのよ。





          




本作が観る者のイメージを膨らませるような作りであるのとは対照的に、1982年のリメイク版「Cat People(監督ポール・シュレイダー/主演ナスターシャ・キンスキー/主題歌デヴィッド・ボウイ)ではなにもかもが煽情的になってしまい、オリジナルのそこはかとない上品さは消え失せてしまった。アリスがプールで脅えるシーンひとつ比べても、1942年版の女優ジェーン・ランドルフは露出の少ない水着姿だが、1982年版で演じたアネット・オトゥールはボトムしか身に着けておらず、ほぼヌード状態。

 

 

ジェットコースターもどきのハリウッド映画に慣れ過ぎてしまった人には、1942年版の「Cat People」は刺戟が足りないだろう。でも戦前の素敵なワードローブ(イレーナとアリスのファッションが見所)だとか、猫属であるイレーナの真の姿(?)をストレートに見せない奥ゆかしい演出など、東西冷戦以降に作られた映画から失われていったものを愛でる感性さえあれば、これはAmazing Filmとして愉しめるに違いない
(エッチなシーンをご所望なら、迷わず1982年版をどうぞ)

 

 

 

 

(銀) 北米盤ブルーレイの特典コンテンツは次のとおり。


 

○ プロデューサー・ヴァル・リュートンにスポットを当てたドキュメンタリー「The Man in the Shadows 

彼の手掛けた映画が断片的に沢山見られて、お得感たっぷり。
Cat People」の続編(?)「The Curse of the Cat People」も少し見られる。

 

○ 1979年にフランスでTV放送された監督ジャック・ターナー晩年のインタビュー 

ここではジャック・ターナーがフランス語を喋っているので英語字幕が付いているが、
このブルーレイは「Cat People」本編を除き、それ以外の特典映像に字幕は付いていない。

 

○ カメラマン=ジョン・ベイリーによる撮影秘話

 

○ 予告編

 

○ 映画解説者グレゴリー・マンクのオーディオ・コメンタリー
  (一部シモーヌ・シモンのトークも含む)




よく海外盤のブルーレイ/DVDを買って、「字幕が消せない!」と困っている人が時々いるが、全てのディスクがメニューの中で字幕をon/offする仕様になっている訳ではありません。『Cat People』北米盤ブルーレイなどはメニューでなく、再生プレーヤーのリモコンで字幕の有り無しを操作します。アナタの使っているプレーヤーも、リモコンに「字幕切換」と書いてあるボタンがないか確認してみて下さい。海外盤を観る際のご参考まで。







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