2020年9月15日火曜日

『本の雑誌/2019年12月号』

2019年11月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

本の雑誌社
2019年11月発売



★    藤原編集室は日下三蔵と違って杜撰な仕事はしない



アンソロジスト対談という、いかにもこの雑誌の編集長が仕込みそうな企画だが、藤原編集室は作品のセレクトだけでなく校正も自分でやるし、必要があれば面倒な索引作りだとて日下三蔵のように他人任せにはしない。


日下の作った本だと、こういう事が起こる。


[A]  論創社の少年小説コレクションというジュブナイル・ミステリ・シリーズでの話。山田風太郎 仁木悦子ときて、次の鮎川哲也の巻がいつまでも出ないと思っていたら、「収録しようと思っていた作品が載っている古雑誌に入手できない号があり、ペンディングになっている」と弁解する編者・日下の言が。結局、鮎川の少年ものは「論創ミステリ叢書」で無理矢理出されたけれども、少年小説コレクション続巻の噂はついぞ聞かなくなり、最後の順番だった高木彬光ジュブナイルがまとめて読める機会はどこかへ消えてしまった。

 

 

ふつう復刊させたいものを編者からプレゼンされた時に、出版社側は「必要なテキストが全部揃っているのかどうか」をはっきり確認した上でOKを出し、刊行開始するもんじゃないのかな? 論創社のような適当な見切り発車って、どこにでもある事例? 一介の読者である私からすると、こんな理由で楽しみにしていた本の刊行を途中で頓挫させられてしまっては、上記のような素朴な疑問を編者にも出版社にも抱いてしまうのは当然だろ。

 

 

[B]  柏書房から近年出された日下編集による横溝正史本の解説などに見られるごとく、ケアレスな間違いでお詫びする機会が多くて情けない。先日の論創社『幻の探偵作家を求めて(完全版)』校正の杜撰さは既に指摘したので、ここでは詳しく繰り返さないが、要は探偵小説 ド素人な人間に校正をやらせたが為に、それはそれは酷いもんだった。アンソロジストの仕事には契約によって、作品セレクトだけでなくゲラ・チェック等も含む場合とそうでない場合があるのかもしれないが、仮にそうだったとしても、編者が藤原編集室だったらあんな見苦しい事にはなっていなかった筈だ。

 

 

「日下三蔵のSNSへの執着・ふるまいが見苦し過ぎる」と最近よく耳にする。私はtwitterなんて喫煙・あおり運転以上の害悪だから、世の中から一掃してほしいと本気で思っていて、日下だけを吊し上げるつもりは毛頭ないけれど、例として上段に挙げたようなことが続けば、誰にだって「日下三蔵はSNSと本を買いこむ事ばかり執心していて、本業は実にいいかげんな奴だ」などと疑念を持たれかねない。SNSをやり始めたおかげで〝よろしくない人となり〟を露呈してしまった人物はこの業界、他にも大勢いる。

 

 

「ミステリ珍本全集」など、せっかく面白い本を作っているのにもったいない話である。




(銀) 昨日の当Blogの話題は論創社+日下三蔵による少年小説コレクションだったが、この雑誌のレビューでも同じ内容に触れているので二日続けてupした。ちなみにAmazonへの私のこのレビュー投稿を見たのだろうか、論創社編集部の黒田明がまたtwitterで「高木彬光少年小説コレクション、ようやく出します」などと呟き出している。今迄何遍同じ事を言ってきたんだか。

 

 

出すなら出すでそりゃ結構だけど、印刷業者が作業を始める段階とかリリースが本決まりになってから世間にオープンにすりゃいいものを、論創ミステリ叢書といい、発売が決まってもいない本を「次はこれ出します!」などとふれ回ったり、やらなくてもいい事をやる前に他にやるべき事があるだろうが。まったく学習能力が無いな。

 

 

『本の雑誌』は毎回、〈直いい親父〉というレビュー業者が何の役にも立たないレビューを投稿している。音楽方面でもよく見るけど頭の悪そうな中身の無い文章で 果して本当にこの人物のレビューを読んでる人なんて実際存在するのかね。こういうのはとどのつまり「参考になった」票を得たいだけのヨイショ・レビューな訳で、Amazon.co.jpのレビュワー・ランキング上ではこういうのばかりが厚遇されている。