2024年8月20日火曜日

『未来趣味/第1号』

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日本古典SF研究会
1988年3月発売



★★   善渡爾宗衛=紫門あさを=井山博之




1986年に横田順彌/會津信吾/長山靖生らが立ち上げた日本古典SF研究会。会報『未来趣味』の刊行は、稼働しているのかいないのかよくわからない位の超スローペースだが、一応存続してはいる様子。

 

 

その『未来趣味』第1号、巻頭を飾っているのは小松左京の談話【古典SF研究の意義】。要するに、会のマニフェストみたいなもんです。続く【わが心の押川春浪】では、かの明治期SF作家に対する熱い思い入れを滔滔と横田順彌が語るのかと思ったら、実態は殆ど古本にまつわる自らのエピソード。ヨコジュンに全て責任を負わせるつもりは無いけれども、この文章に充満している古本へのがっついた浅ましさが、図らずも日本古典SF研究会の行く末を暗示している。

 

 

次に加藤幹也(高原英理か?)【闇の三一致-江戸川乱歩「孤島の鬼」試論-】。古典SFを研究する集まりでありながら、いきなり第1號から乱歩を扱っているのがユニークといえばユニーク。ここで加藤は「孤島の鬼」を ❛❛最も成功した怪奇小説❜❜ として論述。その他、
長山靖生【近代科学と犯罪幻想】
松中正子【公開当時の新聞記事から見た「メトロポリス」】
會津信吾インタビュー【古典SF - 予習帳】(聞き手:長山靖生)
【押川春浪著書目録 Ⅰ 】(會津信吾・編)
といった内容。
 
 

 

ヨコジュンが旅立った2019年、
『未来趣味』は増刊として「横田順彌追悼号」を出した。
その号の192ページに、今や金の亡者と化した善渡爾宗衛が【でわ話さう 善渡爾宗衛のつくりかた ー 横田順彌さんのことども】という文を寄稿している。そこには注目すべき点が二つありましてな。以下、「横田順彌追悼号」からの善渡爾引用文は色文字で記す。


 












〝そもそも、高校生のときに近所の本屋さん仲間の兄ちゃんにそそのかされて、ちょいとばかり大きな城のある街で、月に一度ひらかれることとなった某同仁堂二階で催される「SFの集い」に、行ってしまったのが、ことのはじまりなのであった。

その集いを開催していたのは、カジオ貝印石油の若旦那、梶尾真治さんでありました。〟

 

作家・梶尾真治は根っからの熊本ネイティヴ。福岡大学在籍時、及び卒業して実家の仕事を継ぐため名古屋の石油会社に勤めた短い期間を除けば、それ以外はずっと熊本市で生活している筈。熊本市には熊本城があるし、熊本市内の繁華街に位置するアーケード街・上通りには「同仁堂」という薬局が確かに存在している。

 

これらの事を総合すると、善渡爾宗衛と梶尾真治は古くからの顔なじみだと思われる。もっとも作家として成功した梶尾とは対照的に、善渡爾は物故作家の作品を商品とは到底呼べぬレベルのテキスト入力で本にして、不当な暴価であぶく銭稼ぎに勤しんでいる底辺の存在でしかないが。

 

 

 

もうひとつはコレ。


〝そこで『未来趣味』の創刊が決まり、初代会長・長山靖生、初代編集・善渡爾宗衛で、同人誌の刊行がはじまる。一九八八年のことだ。〟
 

やっと本来の話に戻ってきた。『未来趣味』第1号の目次を見ると、「編集発行人」クレジットには長山靖生と並んで、次の四文字が印刷されている。

 

井 山 博 之

 

上段からの流れで、化けの皮を剥がしてみたら井山博之とやらも、その正体は善渡爾宗衛なり。昔、ヨコジュンの紹介で長山靖生と共に変名で少女小説を書くため作家デビューしたと善渡爾は書いているが、「横田順彌追悼号」でも平井一の名を平井一などと間違えているような人間紹介される羽目になった某社・編集氏は災難だったろうねえ。(程一は本名)

 

 

ともあれ、本日の主題は『未来趣味』どうこうではない。出版業界の方も一般ユーザーの方も、善渡爾宗衛紫門あさをと同様、もし井山博之の名を見かけたら要注意。この人物に仕事を頼んだり、この人物が販売しているボッタクリのゴミ本なんぞ決して買ってはいけませんよ、という注意喚起でした。

 

 

 

(銀) 『未来趣味』も第1号の投稿内容だけ見るなら、それは十分興味深いものである。小松左京が名誉会長を引き受けているぐらいだし、日本古典SF研究会も最初は本好きな人達の集まりだったかもしれない。

それが今じゃどーよ?「横田順彌追悼号」を開けば、日下三蔵/北原尚彦/杉山淳/小野純一をはじめ、この会は古本ですっかり頭がおかしくなってしまった人間ばかりが目立ち、ヨコジュンの追悼を肴にして自分らの古本自慢をやっているだけ。純粋なSF作品の話題なんて、果して全体の何割あるのやら。「古本」「古本」「古本」とアホのように騒いでいる記事なんてどこにも見当たらない『「新青年」趣味』と比べたら、日本古典SF研究会の卑俗さが否応無しによく解る。

 

 

今日は『未来趣味/第1号』の記事なので、せめて善渡爾宗衛、もとい井山博之さえ関わっていなければ、もっと★の数を増やしたかった。★1つではヨコジュンや會津信吾らが気の毒だもんで、これでも気を遣い★の数をひとつおまけしている。

私は断言してもいい。ミステリもSFも、現在五十代の連中(要するに日下三蔵の世代)が八十になる頃には、未来を担う若い世代なんて誰も現れず、これらの業界は腐敗したままゆっくり消滅してゆくに違いない。今日の記事で取り上げたような古本キチガヒ老人を見て、あとに続こうとする有能な人材なんて誰がいるものか(いたとしても考える頭を持たぬクルクルパーだけだろうな)。






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