2024年7月7日日曜日

岩波文庫版『左川ちか詩集』編者・川崎賢子に対する煩憂

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本日はまず、左川ちか研究者(いや、広く現代詩研究者と申し上げたほうがいいのかな)として研鑽を積み、令和4年4月に書肆侃侃房から『左川ちか全集』を上梓した島田龍氏がここ一ヶ月の間に発信したNOTEへの四つの投稿から見て頂くとしよう。この投稿は彼の「X」(☜)でも拡散されている。

 

 

島田龍NOTE/「左川ちか」のテキストをめぐる雑感
 

❶ 岩波文庫における昭森社版詩集の扱い  (☜)

❷ 岩波文庫における森開社版全詩集の扱い (☜)

❸ 岩波文庫における私の研究の扱い    

❹ 資料集成と岩波文庫の関係と遺族の思い 

 

 

Blogにいつも足を運んで下さっている方々の関心の対象を慮ると、上記NOTEを斜め読みしてみて「銀髪伯爵の名前が出てくるだけ目を通しとけば、❶~❸はスキップしちゃっていいや」と思われるかもしれない。ちょっと待った。最後には毎度おなじみ善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力の話へ帰結してゆくとはいえ、今回鍵になるのは岩波文庫版『左川ちか詩集』なのだ。

 

 

そのためには、この文庫の成り立ちや予備知識、更に島田龍の胸の内まで最低限知っておかれたほうが、このあと私の投げ掛ける疑問についても、より正確に判断しやすくなるだろう。ゆえに左川ちかに詳しい方も、そうでない方も、お手数だが上段に張ったリンクをクリックして島田龍NOTEへ飛び、❶から❹までの投稿を順にゆっくり目を通した上で、この先読み進んでほしい。








 












・・・・いかがでした?僭越ながら上記NOTEの要点を当Blog的に整理してみると、次のような事になる。この文字部分は私個人の見解 & 注釈ですヨ。

 

 テキストの精度はムチャクチャ、売るに値しない左川ちか同人本を濫発して泡銭稼ぎはするわ、研究者・島田龍の名前を利用するだけ利用、あとは何の挨拶もなく献本さえしなかったばかりか、挙句には島田氏が過去に出そうとしていた左川ちか本の制作時に度重なる妨害行為まで働いた善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力そして盛林堂書房・小野純一に向けられた島田氏の怒りは、そう簡単に収まるレベルのものではない。

 

それでも氏は信念を貫き、壁をぶち破った。書肆侃侃房の尽力もあって、島田龍・編『左川ちか全集』は無事刊行され、長きに亘り稀覯本扱いのまま、一部の書痴どもの慰みものになっていた彼女の詩は、多くの人に気軽に読んでもらえるようになった。

 

 

 

 ところが・・・島田龍・編『左川ちか全集』がリリースされてまだ一年と数ヶ月しか経ってないのに、天下の岩波文庫から川崎賢子・編『左川ちか詩集』が投下される。出版界でのステイタスを比較するまでもなく、相手岩波なら尚更、マイナーな出版社である書肆侃侃房が抱える島田龍・編『左川ちか全集』の売上に影響を及ぼすのは自明の理。

 

島田氏にはかなりの痛手だ。それでも氏は、より左川ちかのことを知ってもらう良い機会になるのなら・・・と前向きに接するつもりだったそうだ。だが岩波文庫版の中身を吟味してみたら、昭森社版『左川ちか詩集』の再現を意図しているようにしか見えない。昭森社版というのは左川が亡くなった昭和11年に慌てて制作されたのもあって、島田氏からすると新刊の底本とするには至極問題アリなテキストらしい。


また解説欄においては、先行研究・先行出版に言及していながら島田龍の存在は無視され、逆に紫門あさを(=これが善渡爾宗衛と同一人物であることは、以前お伝えしたとおり)編纂『左川ちか資料集成 増補普及版』のほうはテキスト校異の対象として積極的に扱われているという。

 

ちょっと補足しておくと、こういう新刊本のバッティングはミステリ業界でも稀に起こりうる。ある海外ミステリ作品に という翻訳者を起用して、出版社 A' が発売。するとほぼ時を同じくして、全く同じ作品に という翻訳者を起用し、出版社 B' が後追い発売、なんて事があったりする。大抵は業界内の連携が取れてなくて、偶然こんな事態になるのだろうし、まさかもう一方の翻訳者と版元にわざわざケンカを売るため同一作品をぶつけてくるなんて、そこまで馬鹿げた人間は滅多にいないんじゃないかね。




                    





私は左川ちかのことは全くわからない。然は然り乍ら、島田龍に外圧を掛けるかのごとく速攻で岩波文庫版『左川ちか詩集』を世に放ち、善渡爾宗衛らをアシストするような動きを見せたのが他でもない川崎賢子であることは、私にとって聞き捨てならない。

それというのもこの人、昔から日本の探偵小説だけでなく大衆文学研究の分野で名の通っている御仁であり、現在彼女は立教大学江戸川乱歩記念大衆文学研究センターの一員になっているが、私が「なぜ石川巧なんかより、川崎賢子をセンター長にしないのか?」と吠えるぐらい学究の徒であった筈だ。その経歴などは、こちらのリンク先を見て頂ければ一目瞭然。








島田龍NOTEを読むと、岩波文庫版『左川ちか詩集』が(ホンの一部ならまだしも)ガッツリ紫門あさを、いや善渡爾宗衛の作ったゴミ本『左川ちか資料集成 増補改訂版』に準拠しているのはトーシロでもわかる。

それを裏付ける、清水御狩という岩波書店編集者によるFacebookへの投稿を島田氏は発見した。そこに書かれている内容から、岩波の人間までもが善渡爾宗衛とズブズブであることは言い逃れできまい。重要な証拠だし、島田氏のNOTEより、そのFacebookのスクショを無断転載させてもらう。画像をクリック拡大してよ~く御覧頂きたい。





















〝佐川ちか詩集、来週刊行です。s先輩の編集ですが、協力頂いたサイモンさんは、なんともみぢ時代の親友です!〟だってさ。【論創nonfiction】と名乗って、日々「X」でろくでもないポストばかりしている論創社の編集者・谷川茂(☜)なんかも、SNSだろうが紙の上だろうが誤字だらけだし、本当に頭の悪い人間なんだなと常々思っているが、この清水某も活字を生業にしているくせに〝佐川ちか〟とか書いてて恥ずかしくないのかねえ。




一方、川崎賢子は岩波文庫版『左川ちか詩集』の出る前から、対面でもSNS上でも島田龍と言葉を交わしていたようである。島田氏からは『左川ちか全集』が献本されているのに、自分の手掛けた『左川ちか詩集』をお返しに贈ることもせず、連絡ゼロの礼節ゼロ。見方によっては、岩波書店編集部だけが善渡爾宗衛と繋がっていて、川崎は編者として利用されただけだから島田氏に何も言えなかったんじゃない?と受け取る人もいるかもしれない。疑り深いワタシには、とてもそうは思えませんな。



                    





最近は幽霊会員なのかどうかハッキリしないが、脱会していなければ今でも川崎は『新青年』研究会のメンバーである筈だし、『定本夢野久作全集』『定本久生十蘭全集』(いずれも国書刊行会)の制作にも彼女は関与している。いくらミレニアム以降、彼女と岩波書店の間に太いパイプができていたとしても、なんで善渡爾宗衛に加担しなけれなならないのか、全然理解できない。

私が左川ちかに関する善渡爾らの悪行を大っぴらにしたのが令和4年1月、島田龍が書肆侃侃房版『左川ちか全集』を刊行したのが同年4月。どんなに早くても岩波文庫版『左川ちか詩集』の制作がスタートしたのは令和4年になってからだろうし、その間、善渡爾らの噂を編者である川崎が耳にしていない筈がない。



タイミングよく、前々回の当Blog記事の中で、日本探偵小説の研究者・川崎賢子ともあろう人が非常に的外れな記述をしている事をお伝えした。




〝カストリ雑誌の象徴的存在と呼ばれる『猟奇』の発行人加藤幸雄の回想(「『猟奇』刊行の思い出」『出版ニュース』1976年11月下旬号~1977年5月下旬号)によれば、『猟奇』の書名は、一九三〇年代の『猟奇倶楽部』の主宰者たる平井太郎(江戸川乱歩)の許可を得たものという。〟(ママ)

江戸川乱歩が『猟奇倶楽部』とかいう雑誌を出していたなんて、立教大学お得意の大ボラ「旧乱歩邸土蔵のことを、乱歩は幻影城と呼んでいた」と同じく、どこにも根拠はありませんがね。






川崎賢子さん、貴女も善渡爾宗衛達みたいに、物故作家が遺した作品をどれだけ愚弄してもいいと思っていらっしゃるのでしょうか?また、探偵小説及びSFの研究者という人種はすべからく、善渡爾宗衛のやることには一切逆らえないのですか?色々しがらみがあるのかもしれませんが、もし違うのであれば「違う」とハッキリおっしゃって頂きたいですね。とにかく私は『新青年』研究会の古参メンバーとは思えぬ貴女の行動・論述に失望しています。それでも、本日の記事のタイトルに〝疑惑〟という言葉を使わず〝煩憂〟と書いたのは、貴女を信じたい気持ちがまだ私の中に残っているからなのですよ。






(銀) 島田龍氏にも一言。私のような性格の悪い輩とは異なり、貴殿はとても繊細でお優しい方だと拝察します。でも、三門優祐氏にも申したのですが、甘い顔をして善渡爾宗衛をこのままのさばらせておいたら、あいつらはまた左川ちかや倉田啓明のような、既に著作権が切れている作家を標的にゴミのような本を出し、作家と作品を貶め続けるでしょう。



決して野次馬根性で言う訳ではありませんが、貴殿がこれまで左川ちか本を制作しようとして、具体的にどのような妨害によって被害を受けたのか、そろそろ洗いざらい世に示したほうがいいのではありませんか?本当はワタシとしては、黒岩涙香一族と繋がっておられるアナタには是非とも、涙香関係の本を作ってほしいと願っているのです。松村喜雄『乱歩おじさん』のように、涙香作品ひとつひとつに対する個人的な感想でもいいですし、この数年ちっとも涙香作品が新刊で出ないので、貴殿お気に入りのものを復刊してもらっても結構。一度検討して下さいませ。