今回の「スミルノ博士の日記」翻訳テキストは、東都書房版「世界推理小説大系」第五巻(1963年)のものを底本にしている。東都書房といえば名編集者・原田裕を思い浮かべてしまうが、「世界推理小説大系」について氏は制作に関わっていないばかりか、「企画としてはちょっと難しい」と危惧していた。だから次の二つの本に収められているインタビューでも「世界推理小説大系」への言及は殆ど無い。
この中公文庫版はオリジナルのスウェーデン語版『スミルノ博士の日記』原書を取り寄せ、宇野利泰が翻訳時に用いたドイツ語の原書にて変更・省略されていた箇所がどこだったのかを示している。それなら最初からスウェーデン語の原書を使ってまっさらの新訳を制作するのも一つの手だったが、さすがにスウェーデン語ではハードルが高いかもしれないし、中公文庫編集部がミステリの新刊を出す機会は近年多いけれど、海外ものを一から新訳して提供できるほどのノウハウはまだ持ち合わせていないのかもしれない。
さて本作の内容だが、こればっかりは真相部分に少々踏み込まねば書きようがない。「スミルノ博士の日記」、そしてそれに関連する有名作品について何一つネタバレされたくない方は、この色文字の部分はお読み飛ばし下さい。
私立探偵レオ・カリングはとにかくヤな奴だ。他人の部屋へ無断で入り、勝手に日記を盗み見るなんて人としてサイアクではないか。それゆえ真犯人を自白へ追い込んでゆくための段取りも、(本人が認めているように)卑劣な感じを読み手に与えるだろう。もっとも本作は例の叙述トリックが肝だが倒叙ミステリ的な側面もなくはないから、コロンボのようにネチネチ絡むスタイルが好きな人には向いている。
博士からスティナを奪ったファビアン・ボールスが本当は悪い奴じゃなかったなんて、皮肉以外の何物でもない。スミルノ博士はとことん可哀想な人なのだ。しかし読み手にそう思わせたなら本作は十分成功しているといえよう。なんせ、「アクロイド殺し」の十年前にこんなケッタイな長篇を書いているのだから、ドゥーセはエラい。