2024年8月3日土曜日

『スミルノ博士の日記』サミュエル・アウグスト・ドゥーセ/宇野利泰(訳)

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中公文庫
2024年7月発売



★★★★★   ネタバレあるから気を付けて




今回の「スミルノ博士の日記」翻訳テキストは、東都書房版「世界推理小説大系」第五巻(1963年)のものを底本にしている。東都書房といえば名編集者・原田裕を思い浮かべてしまうが、「世界推理小説大系」について氏は制作に関わっていないばかりか、「企画としてはちょっと難しい」と危惧していた。だから次の二つの本に収められているインタビューでも「世界推理小説大系」への言及は殆ど無い。

 

 


 


 

 

この中公文庫版はオリジナルのスウェーデン語版スミルノ博士の日記』原書を取り寄せ、宇野利泰が翻訳時に用いたドイツ語の原書にて変更・省略されていた箇所がどこだったのかを示している。それなら最初からスウェーデン語の原書を使ってまっさらの新訳を制作するのも一つの手だったが、さすがにスウェーデン語ではハードルが高いかもしれないし、中公文庫編集部がミステリの新刊を出す機会は近年多いけれど、海外ものを一から新訳して提供できるほどのノウハウはまだ持ち合わせていないのかもしれない。

 

 

さて本作の内容だが、こればっかりは真相部分に少々踏み込まねば書きようがない。「スミルノ博士の日記」、そしてそれに関連する有名作品について何一つネタバレされたくない方は、この色文字の部分はお読み飛ばし下さい。

 

 

私立探偵レオ・カリングはとにかくヤな奴だ。他人の部屋へ無断で入り、勝手に日記を盗み見るなんて人としてサイアクではないか。それゆえ真犯人を自白へ追い込んでゆくための段取りも、(本人が認めているように)卑劣な感じを読み手に与えるだろう。もっとも本作は例の叙述トリックが肝だが倒叙ミステリ的な側面もなくはないから、コロンボのようにネチネチ絡むスタイルが好きな人には向いている。

 

 

一方、主人公のスミルノ博士。冒頭でこそ彼は〝細菌学の権威として有名な学者〟と紹介されるものの、物語の中では普通の医者にしか見えない。レオ・カリングは終章で博士を〝変態心理の持主〟〝脅迫観念に悩む患者〟などと切り捨てており、たしかに女性に対するスミルノ博士の一連の下手な立ち回りはよろしくなかった。だけど博士を取り巻く女たちのほうはどうかな?

アスタ・ドゥールは自業自得、博士の婚約者ヘレナ・スンドハーゲンも(結果的に裏で第三者の暗躍があったとはいえ)資産家の娘ゆえ普段からお高くとまっていそうで、結婚できても博士は幸せになれなさそう。なによりスティナ・フェルセンへの執着は博士を破滅へと追い込んでしまうし、もう散々。

 

 

博士からスティナを奪ったファビアン・ボールスが本当は悪い奴じゃなかったなんて、皮肉以外の何でもない。スミルノ博士はとことん可哀想な人なのだ。しかし読み手にそう思わせるなら、本作は十分成功しているといえよう。なんせ「アクロイド殺し」の十年前にこんなケッタイな長篇を書いているのだから、ドゥーセはエラい。

 

 

 

(銀) 小酒井不木による「スミルノ博士の日記」(ただし抄訳)に慣れ過ぎてしまい、作者の名前もドゥーゼという発音が体に染みついている私だが、ドゥーゼとはあくまでドイツ語の読みであり、本来はドゥーセと読まなくてはいけないそうだ。なのでドゥーゼ読みに拘りたいところだが、当Blogにおけるラベル(=タグ)もしぶしぶドゥーセとしておく。