2024年11月30日土曜日

『夢をまねく手』宮野村子

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2024年10月発売



★★    初版乱丁




本書に関し発売後まもなく盛林堂書房から「全冊に乱丁あり」とお詫びの告知。何事?と思って最初に届いた乱丁版を読んだら「犯人さがし探偵小説 ダイヤの謎」(250頁275頁)が本来のページ順になっていない。落丁じゃないから、そのまま読もうと思えば読めなくはないのだが盛林堂側は逸早く対応、無償で購入者全員に修正版が配布された。もともと乱丁版を何部作っていたのか分からないけれども、修正版の製本コストに加え、別途発生する送料を考えれば、渋沢栄一/福沢諭吉がラクに数十枚出て行くレベルの出費になる筈。

 

 

普通の版元なら大いに同情を寄せてしかるべきトラブルなれど、なにせ相手は盛林堂。校正無視のムチャクチャなテキスト入力で作られた駄本を悪質なボッタクリ価格で売り捌く善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力らと手を組み、島田龍の左川ちか書籍刊行を妨害する、ブラック集団の総本山だ。気の毒だが、これまでやってきた悪行のバチが当たったとしか言いようがない。もっとも、あの手この手でさんざん泡銭を儲けてきたんだし、小野純一からすればこれっぽっちの出費など痛くも痒くもなかろうて。

 

 

今回は宮野村子未刊作品のうち、ジュヴナイルをコンパイル。
修正版の奥付には〝二刷〟を示す表記が何も無い。
今後、事情を知らず中古本で誤って乱丁版を買わないよう、注意されたし。

 

「ダイヤにのびる手」「おしのはと時計」「姿なき使者」

「夢をまねく手」「ダイヤの謎」

 

収録作品数こそ多いとはいえ、それなりに読めるのは上記五篇程度。少女小説ながら「ダイヤにのびる手」「おしのはと時計」に出てくる日本の統治下にあった大連のように、エキゾティックな土地を舞台にしているものは味わいがあって良し。こんな風に外地・内地問わず、時代の空気感を積極的に取り込んでいたら、より奥行きのある作品が増えていたかもしれない。「夢をまねく手」は八回連載長篇のわりに枚数が少なく、各登場人物の性格付けも然程ハッキリしていないため、桃色真珠にまつわる島のエピソードしか頭に残らない。

 

 

ここから先は、ほぼ懸賞・コント・クイズものばかり。

 

「仲よし」「ママの家出」「清風荘事件」「モンコちゃん」「首なし人形事件」

「バラ盗み競争」「美しき毒蛇」「消えた真珠」「ゲレンデの銃声」「死の舞踏」

「月夜の砂山」「声なきことば」「少女とトラ」「天狗の木」「ベルの死」

「のどじまん大会の乱闘」「雪の上の足跡」

 

 

これらの他愛無い掌編群は軽く受け流しておけば十分。ただ、本書を読んでひとつ思ったことがある。十代読者を意識しつつ文学派グループの宮野村子が〝砂を袋に詰めて凶器にするような〟超初級トリック作品を書いたって、彼女の良さは全然活きてこない。もし宮野が腰を据えて少女小説を書くのならば、無理して謎解きの小細工に拘らずとも、変な喩えかもしれないが吉屋信子っぽいストーリーで攻めたほうが面白いものが出来たんじゃなかろうか。〝女の心情〟を描かせたら右に出る者はいないんだからさ。

 

 

あと目に付くのは70頁にも及ぶ森英俊の解説「宮野村子と戦後のブーム」。同人出版の巻末解説にしては異例のボリュームである。森も最近、即売会や「日本の古本屋」にて二束三文で拾ってきた状態の悪いレア本のヤフオク転売をやっていないようで、暇を持て余しがちだからこんなに長文の解説を書き下したのか?

 
 

 

 

(銀) 動物に対する宮野村子の冷酷さは今回も健在。「仲よし」に登場する大型シェパードのビルケはとんだ濡れ衣を着せられるけれど、それ以上ダメージを負わされることは無く、ハッピーエンドに終わって一安心。

 
 
森英俊が解説に書いているのだが、昔はジュヴナイル本の発売時、出版社サイドが仕掛ける販促の中で、〝伝書鳩ひとつがい〟を読者にプレゼントする企画なんてのがあったらしい。マジか?いくらその時代、伝書鳩が流行っていたからって、生きている鳩をどうやって当選者に渡したのだろう?クッククック鳴いている〝いたいけな鳩〟を箱詰めにして郵送した日にゃ、少年少女達の元へ届く前に死んじゃうよ~。







■ 宮野村子 関連記事 ■


































2024年11月25日月曜日

『噴火口上の殺人』岡田鯱彦

NEW !

東方社
1955年11月発売



★★★★    本職は大学教授




戦後日本の探偵小説界には本格派と文学派の対立があり、昭和25年に起きた「抜打座談会」事件はつとに有名。その「抜打座談会」に出席し、本格派の一員として孤塁を守ったのが岡田鯱彦。そのわりに彼の書くものはロジックの印象が薄く、青春群像とも言うべき登場人物の描写のほうが記憶に残っていたりして、意外と資質的には文学派寄りなのかもしれない。

 

 

✿ 「噴火口上の殺人」

探偵クラブ『薫大将と匂の宮』(国書刊行会)/本格ミステリコレクション②『岡田鯱彦名作選』(河出文庫)に再録

 

雑誌『ロック』懸賞応募に向けて書かれた初期の代表作。作者自身、「私の印象の深い作品は、不思議なことに、すべて註文を受けずに、自分から進んで書いた小説なのである。(中略)小説というものは、やっぱり、書きたい時に書くのが、一番いいようである。」とコメントを残している。

〝完全犯罪〟の四文字が躍っているとはいえ、よく読むとそこまで頭脳的なトリックを考案している訳でもなく、ストーリーとしては若者達のグループの間で美しい姉妹をめぐる確執があり、柿沼達也と香取馨の二青年が上信国境・A火山(浅間山のことだろう)の噴火口上にて決闘するというもの。

本作の主人公(=語り手)は岡田鯱彦作品に頻出するナヨっとした男性だもんで、思いを寄せる人に対し、決めるべきところでバシッと決めきれない。見どころは殺人手段の精緻ではなく人間関係の綾。加えて柿沼対香取の緊迫した対決を目の当たりにした内向的な主人公が予想外の行動に出て錯綜する罪の行方だろうな。

 

 

 地獄から来た女」

本格ミステリコレクション②『岡田鯱彦名作選』(河出文庫)に再録

 

東北N市にある電機製造工場の技師・夏川秀彦は女癖が悪い。キャバレーのNo.1ダンサー緋紗子を自分のものにするため相当の金が必要になり、工場主の一人娘・道子を誘惑する。こういった場合、たいてい金ヅルの女はブサイクだったり難のある性格に設定されるものだけど(下段の「偽裝強盗殺人事件」を参照)、道子はブサイクでもなければヤな奴でもない。それなのに秀彦は道子を山へ誘い込み、断崖から突き落として亡き者にしようと企む。「完全犯罪だ」とほくそ笑む秀彦だが、これ又たいしたトリックは無い。

 

 

 「毒唇」

 

学生の分際で須貝春夫は美しい人妻・阿佐緒と情事を重ねている。
三十二も年が離れている良人・夏目茂助との暮らしから自由になりたい阿佐緒は、今や褥を共にすることも無くなり妙な性癖に浸るようになった茂助を或る方法で毒殺。殺しの手口はユニークなのに、阿佐緒と春夫があっけなく捜査を担当する鯨井刑事に白状してしまうのがダメじゃん。もっと「刑事コロンボ」に出てくる犯人並みに抵抗しないと。

 

 

 「死の湖畔」

本格ミステリコレクション②『岡田鯱彦名作選』(河出文庫)に再録

 

冒頭と結末の部分を宿屋の女中、それに挟まれた本編を第三者の視点という具合に、異なる二種の語り口で構成するのはあまりスマートじゃない。湖畔の宿にやって来た尾形と美千枝。そこで尾形は幼馴染だった美千枝の兄が死んだのは自分のせいだと告白する。でも、これって計画的な殺人なんかじゃなく過失レベルの事故だし、オチにしても読者はしっくりこないと思うぞ。

 

 

 「偽裝強盗殺人事件」

 

醜い外見の溝口清作は自分を使っている工場主の一人娘・市子と結婚、金銭的には裕福になったのだが、「地獄から来た女」のシチュエーションとは異なり、この市子というのが誰からもゴメンナサイされる位の醜貌で性格も悪い。結婚を後悔していた清作は苦労を背負っている美人ダンサーの百合江と出逢い、巨額の金を投じて妾のように彼女を囲う。こうなると当然愛情の欠片も無い妻が疎ましくなる訳で、首尾よく清作は市子を殺害するのだが・・・。結末にはブラック・ジョーク的な色合いもあるとはいえ、清作の犯罪がバレるくだりが少々言葉足らず。

 

 

 「巧弁」

本格ミステリコレクション②『岡田鯱彦名作選』(河出文庫)に再録

 

若い女と温泉宿に泊まっている剛田俊介は年齢のせいもあって早くに目が覚め、ひとり夜明けの湖水を眺めていたところ、手漕ぎボートに乗って近付いてきた見知らぬ老人に声を掛けられる。湖上での化かし合いはともかく、カナヅチゆえ全然泳げない俊介が躊躇いも無く老人のボートにホイホイ乗ってしまうのが不自然極まりない。

 

 

 「目撃者」

 

みどりには結婚したい相手がいるが、そのためにはヒモとしての関係を要求してくる凶悪な男・前沢猛をどうにかしなければならない。夜になり、みどりの部屋に前沢がやってきた。それを離れた旅館の窓からみどりの友人・銀子と四十男・八百辰の二人が監視している。もしもみどりの身が危うくなった時には、拳銃を撃ってでも助けると嘯く八百辰だったが、前沢はぶっ倒れて死んでしまった。地味な内容なれど、本書の中では最もトリックの策を講じている。後味も良し。みどりと銀子は夜の女?

 

 

 「愛(イロス)の殺人」

論創ミステリ叢書 第78巻『岡田鯱彦探偵小説選Ⅱ』に再録

 

青年検事・安川治之は探偵作家・灰田雪彦に招かれ、一週間の休暇を利用して南紀州の白浜に来ている。灰田の別荘「蒼竜荘」には他の友人達も呼ばれており、安川は「蒼竜荘」の隣りに住む若き未亡人・住友紀美/彼女の弟・馨とも顔見知りになった。そんな中〝仏浦〟と呼ばれる難所にて立て続けに死体が浮かび上がる。

「噴火口上の殺人」同様、枚数が多いとやっぱり読みがいがあるし、本書に出てくる美女の中では住友紀美が最もインパクト強し。ここまで見てきた上記の収録作と違って、意外な犯人を設定しており好感度もアップ。これでタイトルがもっと優れていれば尚良かった。

 

 

 

(銀) 岡田鯱彦の小説には断崖や樹海といった、人の来なさそうな舞台背景がよく使われる。作者のどんな深層心理によってそういうものが作品の中に描かれるのか、サイコロジストが鑑定したら興味深い結果が出るに違いない。それはともかく長篇「樹海の殺人」は何故復刊されないの?

 

 

 

   『宝石』世代の探偵作家 ■








 






























 


2024年11月22日金曜日

『久生十蘭玲瓏無惨傑作小説集/アヴオグルの夢』久生十蘭

NEW !

小鳥遊書房  長山靖生(編)
2010年10月発売



★★   この版元の本で読むメリットがないと厳しい




久生十蘭のことを探偵作家とは思っていない。本書にピックアップされた短篇を探偵趣味の鋳型に当て嵌めて鑑賞しても肩透かしを食うだけ。悪辣/卑賤/強欲/執着/姑息・・・・帯の惹句そのままに、人という不完全な生き物が織り成す一個の万華鏡として接するこそよけれ。〝玲瓏無惨〟とはそういう意味合いじゃないかな。

 

 

「アヴオグルの夢」(『函館新聞』昭和2年2月28日発表)

「典雅なる自殺者」(『函館新聞』昭和2年3月7日発表)

「つめる」(『新青年』昭和9年9月号発表)

「黒い手帳」(『新青年』昭和12年1月号発表)

「黄泉から」(『オール読物』昭和21年12月号発表)

 


「西林図」(『オール読物』昭和22年7月号発表)

「予言」(『苦楽』昭和22年8月号発表)

「骨仏」(『小説と読物』昭和23年2月号発表)

「手紙」(『小説と読物』昭和24年1月号発表)

「女の四季」(『小説の泉』昭和25年8月号発表)

 


「無月物語」(『オール読物』昭和2510月号発表)

「人魚」(『花椿』昭和29年3~8月号発表)

「母子像」(『読売新聞』昭和2932628日発表)

「雲の小径」(『別冊小説新潮』昭和31年1月号発表)

「無惨やな」(『オール読物』昭和31年2月号発表)

 


「川波」(『別冊文藝春秋』昭和31年4月号発表)

「一の倉沢」(『文藝春秋』昭和31年8月号発表)

 



初出年度と掲載媒体の傾向を見てもらうべく、ここでは発表順に並べ替えているけれど、実際の収録順は若干異なるので一応お伝えしておく。

 

 

主人公や主要登場人物の場合、掴みとして最低限のバックグラウンドは解り易く示すのが小説の定石だが、十蘭はその手続きをすっ飛ばして物語が進む。「骨仏」みたいに実質4ページしかない掌編のみならず、冬木と冬亭/文女と文子など紛らわしい名前のキャラが出てくる「西林図」のような話であっても、個々の詳しいプロフィールをいちいち織り込んだりしない。

 

 

事の輪郭をはっきりさせない手法はプロットにも顕著だ。「川波」のエンディングで倫子は結局溺れ死んだのか否か断言できないし、また「一の倉沢」にしても、谷川岳で遭難した菱刈安一郎と大須賀利男の二人は本当に命を落としてしまったのか確実な情報は無く、ファジーなまま幕が下りる。どう受け取るかは読み手次第。





十蘭の文体は小説通のプライドを擽ってやまぬ敷居の高さがあるから、一見の読者にはなかなか手強い。「予言」の中に〝姉の勢以子は外御門へ命婦に行き〟というくだりがあって、耳慣れぬ言葉なれど、日本の探偵小説を読んでいても〝外御門(そとみかど)〟や〝命婦(みょうぶ)〟といった雅な表現に出くわす機会は稀。

「黄泉から」をはじめ、幾つかの作品に見られる〝おフランス趣味〟は私には邪魔っ気だが、「西林図」における「花というものは、花を見ているあいだは、ほかに、なにもいらないような気持ちにさせますのね」と呟く文女のセリフなど、往年の久世光彦が喜びそうな古き良き日本人の佇まいを淡々と描いてみせるあたり、〝小説の魔術師〟の名に恥じぬ腕前。

 

 

「無月物語」なんて導入部分に特段吸引力があるとも思えないのに、ページを捲るたび惹き込まれてゆく。江戸川乱歩は物語の導入に長けた人で、乱歩作品がキャッチーな要因の一つは其処に起因しているけれども、十蘭のぶっきらぼうさは乱歩と対照的。

しかし「無月物語」を読むたび、「これ、長い尺で書かれていたら、もっとトンデモナイ大作になったのかなア」「いや、やっぱり短篇サイズだからイイのかな?」などと逡巡してしまう自分がいる。中納言・藤原泰文のタチの悪さをNHKが正常だった頃の大河ドラマで映像化したなら、さぞかし面白かったろう。(こんなモンを毎週放送したら、気の弱い視聴者から非難轟々だろうがね)





(銀) 本書の底本には国書刊行会版『定本久生十蘭全集』を使用。あちらのテキストは旧字/旧仮名遣いだったのに対し、本書は新字/現代仮名遣いに改めている。長山靖生が編纂するこの版元のシリーズは太宰治/江戸川乱歩(×2)/坂口安吾/牧野信一/泉鏡花と来て本書に至る訳だが、それぞれ大仰な副題を付けても、既発書籍で手軽に読める作家と作品をわざわざこのシリーズでまた読む人はごく一部だろうし、ここでしか得られない何らかのメリットが求められる。






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2024年11月18日月曜日

『大浦天主堂』木々高太郞

NEW !

春秋社 甲賀・大下・木々傑作選集 木々高太第一卷
1939年5月発売



★★★★  精神病学教授・大心池章次のカルテ




この巻は木々高太郎にとって最も重要なシリーズ・キャラクター大心池章次教授の登場する短篇のみで構成されている。だからといって出来の良いものばかり揃っているとは言えないが。

 

 

「大浦天主堂」(昭和12年発表)

大浦天主堂の屋内に掲げられている二十六聖人の殉教図(御存知ない方でもググればすぐヒットします)が残酷だというので、県警部長は司祭達に公開を禁止し撤回せよ(ママ)と通達。長崎を訪れていた大心池も騒ぎに巻き込まれる。表題作とするには地味な内容だが、本巻附録『探偵春秋』第九回/「探偵小説團樂」(その九)に木々のコメントがあるので紹介しておこう(読みづらい文だけれども、そのまま御覧頂く)。

 
〝大浦天主堂はそのうちの最近のもので、一昨年夏、長崎に遊ぶ機會があつて、その時に心のうちに芽生えたもの、そのテーマが或ひは檢閱に觸れるかも知れぬと心配したこともあつたが、今尙讀みかへしてみて、少しもその心配が、ないどころか日本の大きくして深いところに横はる一つのポイントを取り扱つてゐると言ふ點で遠慮をしなかつたのである。〟

 

 

「文學少女」(昭和11年発表)

木々自身、自分の書いたものの中で一番反響が多かったと振り返っているし、探偵小説としてではないものの江戸川乱歩も本作に敬意を表した。確かに力作と言って差し支えは無いだろうが、好きな木々作品の中で必ず上位に来るかと言えば、私はそうでもないかな。こういう作風を評価されてしまったがため、ミステリ・マニアからウケが悪くなってしまった事は否定できない。

 

 

「愁雲」(昭和10年発表)

デパート勤めの留女子(るめこ)が男に夢中になっていったら急にトンズラされて・・・。頁数が少なく、これでは大心池も腕の振るいようがない。

 

 

「窓口」(昭和11年発表)

送金目的でしょっちゅう郵便局の窓口にやってきて書留を送る男性に対し、局員の苫子は勝手に心を寄せてしまい、皮肉にも犯罪隠蔽の廉で警察に捕まってしまう。これも短めのストーリー。「愁雲」同様、大心池は話を締め括るべく最後に一瞬登場するだけ。

 

 

「女の復讐」(昭和12年発表)

小学校しか出ていない無知で純情なチンピラ・完太と同棲していた女が病死。肺病で瘦せていたけれど外見は相当な美人だし、なにより彼女は大学出の高等教育を受けており、とても下層階級の完太と付き合うような出自ではない。そんな女がどうして完太と付き合ったのか?奇妙な間接殺人。

 

 

「隣家」(昭和13年発表)

病人でもない美少女の来院に始まり、隣り合う家同士の見栄の張り合いかと思ったら、支那事変に伴う抗日外国人も絡んで、概況を説明しづらい作。終局で大心池が曲者に「個人同士の爭ひを捨てて、この非常時日本のために身を捧げるのが、日本男子の本懐ではないか。」と諭しているけど、却ってそれが当時の国内状況悪化を感じさせる。そういえばこの巻、あちこちに伏字処理アリ。

 

 

「法の間隙」(昭和13年発表)

守銭奴の叔父をやっつけて莫大な財産を自分のものにしようと企む野田健。乱歩「心理試験」の木々版とも言うべき内容とはいえ、大心池が明智小五郎のようにメフィストフェレス的な役割を果たす訳ではない。乱歩とは違ったアプローチで木々が見事な論理の闘争を創造できていたら、本格ファンの見る目も多少変わったのだろうけど、犯人の殺人実行部分にほぼページが割かれていて、大心池の出番少なすぎ。

 

 

「完全不在證明」(昭和10年発表)

華やかな恋愛を経験することも無く三十代半ばを迎えた山川京太郎は、周到なアリバイ工作を設えた上で妻殺しを敢行。この作品にしても大心池が山川の精神反応を鑑定する心理試験を行ってはいるが、捜査陣が山川をネチネチ攻めるというより全く別の角度からアリバイを崩しにかかるので好みは分かれるだろうな。最終的に山川本人の動機とは離れたところで思想問題がクローズアップされるのも微妙といえば微妙。

 

 

「精神盲」(昭和10年発表)

精神病院の入院患者~実業家・山吹甲造が自ら顔に熱湯をぶっかけて大火傷を負う。詳しく書けないのが残念だけど、木々作品にしてはトリックがあるので注目。医学界における大心池のライバル、精神病學敎授・松尾辰一郎博士が出てくる点も見どころ。

 

 

「妄想の原理」(昭和10年発表)

癲癇ってそんなに詐称が簡単なんだろうか。松尾博士再び登場。「精神盲」で彼の所属は帝大とされていたのに、本作では官立✕✕大學、大心池の役職も私立✕✕大學敎授となっている。容疑者の癲癇について松尾と大心池、二人の学説がバチバチに対立。鑑定が正しかったのはどっち?

 

 

戦後、本格派グループの仇敵のように云われた木々にも本格っぽい作品はそれなりに存在する。しかし、そこで用いられるイディオムがオーセンティックな本格探偵小説のものとは随分異なるため、おいそれと受け入れられにくい。あと本書に収められた作品は初出誌の編集部から枚数を制限されるケースが多かったのか、せっかく大心池ものだというのに食い足りなさが目立った。







(銀) 誰だかよく分からないようなマイナー作家、あるいは名の知れている作家でも似た作品ばかり繰り返し復刊されて、木々高太郎は殆ど無視されたまま。このギョーカイの偏向を正す人はどこにもいやしない。







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2024年11月15日金曜日

『合作探偵小説コレクション⑧悪魔の賭/京都旅行殺人事件』

NEW !

春陽堂書店 日下三蔵(編)
2024年10月発売



★★   あってもなくてもいいもの




二年前に始まった「合作探偵小説コレクション」も今回が最終巻。全八巻における数々の合作・連作・競作を振り返ってみると、一つの傾向が見えてくる。もし戦前の「江川蘭子」(昭和5年/第一巻収録)が成功していれば、目鼻立ちのハッキリした主人公を押し立てて物語を進行させるパターンはそのあと度々繰り返されたかもしれない。だが、そうはならなかった。江戸川乱歩が担当した第一回のインパクトを後続メンバーが理想的にバトンリレーすること儘ならず、「江川蘭子」は尻すぼみに終わってしまう。

 

 

「畸形の天女」(昭和28年/第二巻収録)もまたしかり。「全体のストーリーならまずまず整ってるんじゃないの?」と評価する声があったとはいえ、「江川蘭子」と同じく第一回にて乱歩が提示した女子高生・北野ふみ子の淫靡さを他の作家達が十全に引き出せたとは言い難い。

連作のプロットも様々あるだろうが、一人の強力なキャラクターを軸に物語を拡げてゆく場合、一番手を担当する作家が主人公を魅力ある存在に設定できるかどうかがまず最初の課題になる。だがそれは言い方を変えれば、箸にも棒にも掛からぬ主人公を立ててしまった日には、その時点で全てがおじゃんになってしまう訳だし、一番手の背負い込む責任は小さくない。

更に、いくら一番手の作家が主人公の造形に凝ったところで、回を重ねるたび方向性がどんどんブレてゆくのも事実。「楠田匡介の悪党ぶり」(昭和2年/第六巻収録)だとか「桂井助教授探偵日記」(昭和29年/第七巻収録)のような一話完結型ならそこそこ上手くいくものの、書き手側はメインキャラの個性を売りにする続きものに対して、あまり意欲を喚起されなかったようだ。




最近文庫化された小森収の対談本で誰かが言っていたと思うのだけど、社会派ミステリがつまらない理由のひとつにヒーローが生まれない点が挙げられていた。合作・連作・競作にも同じことが言える。一般の読者に認知してもらえる良作さえ作れないのに、どうやってポピュラーなアイコンが生まれるというのか。オブラートに包まず率直に言えば、そこまで力を注ぐ必要性を作家は感じておらず、個人名義の作品に比べたら合作・連作の如き企画なんて取るに足らないお遊び的な仕事。あってもなくてもいいようなものにすぎない。

 

 

漠然とした印象だと、この手の企画には文学派より本格派の探偵作家のほうが個々の良さを発揮できている気がする。文学派の作家とて、大下宇陀児が楠田匡介と組んで書き下ろした「執念」(昭和27年/第七巻収録)みたいに合格点を与えられるものもなくはないが、総体的に見たら、本格派作家の奮闘が記憶に残る。結局のところ纏まりが良いのは、第四巻に収録された「十三の階段」(昭和29年)はじめ戦後派の面々が頑張った数作(☜)で、あのレベルのクオリティーを備えた作品にはなかなかお目にかかれなかった。
 

 

 



順序が逆になってしまったが、
本書第八巻『悪魔の賭/京都旅行殺人事件』についても触れておこう。

 

 

「鯨」(昭和28年)

島田一男 → 鷲尾三郎 → 岡田鯱彦

 

「魔法と聖書」(昭和29年)

大下宇陀児 → 島田一男 → 岡田鯱彦

 

「狂人館」(昭和30年)

大下宇陀児 → 水谷準 → 島田一男

 

この三作は『狂人館』(東方社)の記事(☜)にて言及しているので、御手数だが左記の色文字をクリックし、そちらを御覧頂きたい。本巻の中でも私はやっぱり「鯨」が好きだな。

 

 

「薔薇と注射針」(昭和29年)

前篇  薔薇と五月祭      木々高太郎

中篇  七人目の訪客              渡辺啓助

後編  ヴィナス誕生              村上信彦

 

前篇を受け持つ木々高太郎がそれなりに状況設定を拵えており、本格派の作家なら、そこに登場している顔ぶれだけでケリを付けようと苦心して続きを書きそうなもんだが、なんと渡辺啓助は新たな登場人物・天宮寺乙彦を追加投入。そのあと彼が少なからず事件の鍵を握る存在になってしまって、池田マイ子殺しの犯人と動機を推理する物語として読むには甚くバランス悪し。

 

 

「火星の男」(昭和29年)

前篇  二匹の野獣        水谷準

中篇  地上の渦巻         永瀬三吾

後編  虜われ星          夢座海二

 

永瀬三吾と夢座海二が無理くりフォローしてはいるが、シリアスなオチで終わらせたいのなら、前篇の水谷準がここまでぎくしゃくしたプロローグにするのは間違っている。前篇の終りで殺人を犯した男が酔って崖から転落してしまうため、てっきり読者は「ああ、これは笑わせる方向に持っていこうとしているんだな」と思ってしまうよ。加えて大した必然性も無いのに、殺人者の男を火星人(カセイジン)などと呼ばせているのも「プリンプリン物語」じゃあるまいしダサイなあ。

 

 

「密室の妖光」(昭和47年)

大谷羊太郎/鮎川哲也

 

「悪魔の賭」(昭和53年)

問題編①   斎藤栄

問題編②  山村美沙

解答篇     小林久三

 

「京都旅行殺人事件」(昭和57年)

問題編①  西村京太郎 

問題編②   山村美沙

解答編      山村美沙

 

「鎌倉の密室」(昭和59年)

渡辺剣次/松村喜雄

 

昭和生まれの作家、また乱歩が没した昭和40年よりあとに発表された作品となると、もはや私の読書対象では無いので、これら四作品についてコメントすべきことは何も無い。とは言うものの強いて一言述べるとすれば、鮎川哲也と松村喜雄がそれぞれ関与している「密室の妖光」及び「鎌倉の密室」はいかにもあの二人らしい内容で、本格好きの読者には良いんじゃない?


 

 

 

編者解説にて、日下三蔵が全八巻の収録から漏れた十四作品を挙げている。
そのうち昭和30年代までに発表された七作がこちら。

 

「皆な国境へ行け」(昭和6年)

伊東憲/城昌幸/角田喜久雄/藤邨蠻

 

「謎の女」(昭和7年)

平林初之輔/冬木荒之介

 

「A1号」(昭和9年)

九鬼澹/左頭弦馬/杉並千幹/戸田巽/山本禾太郎/伊東利夫

 

「再生綺譚」(昭和21年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/北町一郎

 

「謎の十字架」(昭和23年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/いま・はるべ

 

「幽霊西え行く」(昭和26年)

高木彬光/島田一男

 

「一人二役の死」(昭和32年)

木々高太郎/富士前研二(辻二郎)/浜青二/竹早糸二/木々高太郎

 

これらの作品は底本を揃えきれなかった訳ではなく、既巻に収めるスペースが足りなくなりドロップせざるをえなかったそうだ。この「合作探偵小説コレクション」は各巻がキチンと発表年代順に並べた編集にはなっていないから、西村京太郎/斎藤栄/大谷羊太郎/山村美沙/小林久三らのものよりも上記七作を優先して本書第八巻へ収めたところで何ら問題無いのに・・・と私は思うのだが、かつて横溝正史が口にした「ぼくらの年代になると、鮎川(哲也)くんぐらいまでしかほんとにぴったりしないんだ。」という日本探偵小説の定義(☜)を、日下三蔵や論創社の黒田明は全然共有していない様子。




江戸川乱歩/山田風太郎の参加した合作・連作はこれまで単行本化されていたけれど、それ以外のものとなると放置状態だったので、「合作探偵小説コレクション」の刊行により相当数の作品が(過去の春陽堂がご執心だった言葉狩りの被害も無く)読めるようになったことは喜ばしい。

ただそのわりには、合作・連作に該当しない江戸川乱歩の中絶作「悪霊」「空気男(二人の探偵小説家)」を無駄に収録したり、本来収録すべき昭和前期の作品を押しのけてまで西村京太郎や斎藤栄を入れてしまう日下の方針はいつものことながら私には理解不能である。 

 

 
 

 

(銀) それにしても春陽堂書店と日下三蔵の相思相愛ぶりが・・・。人を見る目が無いというのは実に危ういことだ。







■ 日下三蔵 関連記事 ■















 


2024年11月9日土曜日

『飛妖』角田喜久雄

NEW !

地平社  手帖文庫Ⅱ~201
1948年3月発売



★★★★  「蒼魂」のアナザー・ヴァージョン「飛妖」




先日、手のひらサイズの同人出版文庫本『南幸夫探偵小説集』(☜)を取り上げたもんで、敗戦直後に出回っていたという手帖文庫のことを思い出した。手帖文庫には何点か探偵小説家の巻も存在していて、今回は角田喜久雄の『飛妖』を紹介したいと思う。版元は地平社となっており、配給元は鉄道弘済会。キオスクの前身にあたる鉄道弘済会売店などでこの文庫は販売されていたそうだが、一般書店への流通はあったのだろうか?

 

 

138頁しかないので文字のフォントはかなり小さく、印刷が鮮明でない古書に慣れていない人は読むのに難儀しそう。巻末には手帖文庫のリストも載っていない。定價二十三圓。

 

 

「飛妖」    

江戸川亂歩編『黄金の書①/日本探偵小説傑作集 第一輯』(昭和226月刊)収録

元々この作品のタイトルは「蒼魂」といい、初出誌は『日本評論』昭和124月号。現行本だと『角田喜久雄探偵小説選』で読むことができる。その後敗戦を挟みタイトルを「飛妖」と変え、テキストにも若干手を加えた新しいヴァージョンが上記のアンソロジー『黄金の書』に登場。翌昭和23年には手帖文庫における角田喜久雄の巻が刊行され、初めて「飛妖」が角田名義の著書に収められた。

 

 

航空機操縦士かつ語り手でもある主人公・延原のもとへ新聞記者の遠矢と最上が車でやってくるシーンからいきなり始まるの初出ヴァージョンの「蒼魂」に対し、「飛妖」はそのシーンの前にアバンタイトル的な序章が書き足されている。

その部分は、加賀美敬介シリーズでも見かける作者の本音と思しき日本軍への怒りの呟きがまずあって、次に大型帆船メリイ・セレスト號から乗船していた人々が悉く消失してしまった奇怪な逸話を紹介。そして「蒼魂」の冒頭シーンへと入ってゆく。「蒼魂」は現在進行形の物語だったけれど、「飛妖」は延原が十年前の出来事を回想する設定に変更され、これから語られる内容は昭和12年(初出発表の年)に起きた事件なのだと改めて角田は読者(いや、検閲にウルサイGHQかな?)に認知させるのである。

 

 

メリイ・セレスト號に乗っていた人間全員が姿を消したのと同じく、当時の最優秀八人乗旅客機フオッカーから乗客が消え失せる大空の怪談かと思わせといて、そこには金に纏わる一族の欲望が絡んでおり、少々強引ながらも謎の核心を犯罪へ持っていくのが面白い。初出発表が戦前とは思えぬ空中での手に汗握る展開も、一歩間違えれば007のアクション・シーンみたいになりそうだけど、ギリギリの線で探偵小説のサスペンスを保てている。

 

 

「印度林檎」

『新青年』昭和222月号発表 

こちらも初出ヴァージョンが『角田喜久雄探偵小説選』に収録されていて、横井司が解題で説明しているとおり、本書テキストとの異同がある。単行本ヴァージョン(=本書)に出てくる二人の登場人物、事件を担当する岡田警部及び謎の女性・美々の名前は『角田喜久雄探偵小説選』に収録されている初出ヴァージョンでは高岡警部/由利になっていた。また各チャプターの区切りが本書では[✕]表示にされているが、初出ヴァージョンは一/二/三・・・・といったナンバリング。

 

 

明石良輔ものの中ではややトリッキーな作品。本書版「印度林檎」よりも先に、鳥飼美々は夕刊新東洋における良輔の同僚女性記者として長篇「歪んだ顔」と「虹男」に登場していた。角田がもっと美々の存在を活かそうと考えて、「印度林檎」のヒロインを由利から美々へと書き変えたのかもしれないが、「印度林檎」では恋人同士に発展しそうな気配が漂っていた良輔と美々だったのに、「歪んだ顔」「虹男」では男と女のムードは感じられない。以後美々が登場しなくなることから考えても、角田の美々への思い入れはそれほどでもなかったみたい。明智小五郎と文代の例を挙げるまでもなく、探偵に美人の恋人を助手に付けると色々使いにくいのかも。

 

 

「エンマと芳公」

~「ペリカンを盗む」/『探偵』昭和66月号発表

~「浅草の犬」/『探偵』昭和67月号発表 

これはヴァリアントと言っていいのか分からないが、初出時は「ペリカンを盗む」「浅草の犬」のタイトルで個別に雑誌掲載された。また春陽堂書店の日本小説文庫『下水道』(昭和1110月刊)にて初めて単行本に入った時も同様に、二短編セパレート形式。それが本書手帖文庫に再録の折、二短篇を一つに纏めて「エンマと芳公」と題し、第一話「ペリカンを盗む」第二話「浅草の犬」という構成になった。「浅草」にはエンコ、「犬」にはカメと、それぞれルビが振られている。内容は角田のホーム・浅草を舞台にしたユーモアもので、特記すべきことは無い。

 

 

 

(銀) 昭和23年といったら、まだ敗戦から完全に立ち直れていない日本国民は衣食住に困っていた筈。そんな状況下で作られている本なのに読んでみると誤字誤植の類は見当たらない。それに対して、一冊たりとも誤字の無い本を作れない、いや、作ろうとする責任感さえ無い大陸書館の長瀬博之ときたら・・・一体何百冊の本を乱造すれば〝政送局〟だの〝分らないとろがあるのです〟といったミスを無くせるのか?たまにある間違いならともかく、こういう連中が存在する限り、正しいテキストで復刊本を作れない人間には何かしらのペナルティ―を与えるか、資格を得なければ勝手に復刊できないシステムを作らないと、もはやダメだと思う。
 
 
 
 

 

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