2024年11月9日土曜日

『飛妖』角田喜久雄

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地平社  手帖文庫Ⅱ~201
1948年3月発売



★★★★  「蒼魂」のアナザー・ヴァージョン「飛妖」




先日、手のひらサイズの同人出版文庫本『南幸夫探偵小説集』(☜)を取り上げたもんで、敗戦直後に出回っていたという手帖文庫のことを思い出した。手帖文庫には何点か探偵小説家の巻も存在しているが、今回は角田喜久雄の『飛妖』を紹介したいと思う。版元は地平社となっており配給元は鉄道弘済会。キオスクの前身にあたる鉄道弘済会売店などでこの文庫は販売されていたそうだが、一般書店への流通はあったのだろうか?

 

 

138頁しかないので文字のフォントはかなり小さく、印刷が鮮明でない古書に慣れていない人は読むのに難儀しそう。巻末には手帖文庫のリストも載っていない。定價二十三圓。

 

 

「飛妖」    

江戸川亂歩編『黄金の書①/日本探偵小説傑作集 第一輯』(昭和226月刊)収録

元々この作品のタイトルは「蒼魂」といい、初出誌は『日本評論』昭和124月号。現行本だと『角田喜久雄探偵小説選』で読むことができる。その後敗戦を挟みタイトルを「飛妖」と変え、テキストにも若干手を加えた新しいヴァージョンが上記のアンソロジー『黄金の書』に登場。翌昭和23年には手帖文庫における角田喜久雄の巻が刊行され、初めて「飛妖」が角田名義の著書に収められた。

 

 

航空機操縦士かつ語り手でもある主人公・延原のもとへ新聞記者の遠矢と最上が車でやってくるシーンからいきなり始まるの初出ヴァージョンの「蒼魂」に対し、「飛妖」はそのシーンの前にアバンタイトル的な序章が書き足されている。

その部分は、加賀美敬介シリーズでも見かける作者の本音と思しき日本軍への怒りの呟きがまずあって、次に大型帆船メリイ・セレスト號から乗船していた人々が悉く消失してしまった奇怪な逸話を紹介。そして「蒼魂」の冒頭シーンへと入ってゆく。「蒼魂」は現在進行形の物語だったけれど、「飛妖」は延原が十年前の出来事を回想する設定に変更され、これから語られる内容は昭和12年(初出発表の年)に起きた事件なのだと改めて角田は読者(いや、検閲にウルサイGHQかな?)に認知させるのである。

 

 

メリイ・セレスト號に乗っていた人間全員が姿を消したのと同じく、当時の最優秀八人乗旅客機フオッカーから乗客が消え失せる大空の怪談かと思わせといて、そこには金に纏わる一族の欲望が絡んでおり、少々強引ながらも謎の核心を犯罪へ持っていくのが面白い。初出発表が戦前とは思えぬ空中での手に汗握る展開も、一歩間違えたら007みたいなテイストに陥りシラけてしまいそうだけど、ギリギリの線で探偵小説のサスペンスを保てている。

 

 

「印度林檎」

『新青年』昭和222月号発表 

こちらも初出ヴァージョンが『角田喜久雄探偵小説選』に収録されていて、横井司が解題で説明しているとおり、本書テキストとの異同がある。単行本ヴァージョン(=本書)に出てくる二人の登場人物、事件を担当する岡田警部及び謎の女性・美々の名前は『角田喜久雄探偵小説選』に収録されている初出ヴァージョンでは高岡警部/由利になっていた。また各チャプターの区切りが本書では[✕]表示にされているが、初出ヴァージョンは一/二/三・・・・といったナンバリング。

 

 

明石良輔ものの中ではややトリッキーな作品。本書版「印度林檎」よりも先に、鳥飼美々は夕刊新東洋における良輔の同僚女性記者として長篇「歪んだ顔」と「虹男」に登場していた。角田がもっと美々の存在を活かそうと考えて、「印度林檎」のヒロインを由利から美々へと書き変えたのかもしれないが、「印度林檎」では恋人同士に発展しそうな気配が漂っていた良輔と美々だったのに、「歪んだ顔」「虹男」では男と女のムードは感じられない。以後美々が登場しなくなることから考えても、角田の美々への思い入れはそれほどでもなかったみたい。明智小五郎と文代の例を挙げるまでもなく、探偵に美人の恋人を助手に付けると色々使いにくいのかも。

 

 

「エンマと芳公」

~「ペリカンを盗む」/『探偵』昭和66月号発表

~「浅草の犬」/『探偵』昭和67月号発表 

これはヴァリアントと言っていいのか分からないが、初出時は「ペリカンを盗む」「浅草の犬」のタイトルで個別に雑誌掲載された。また春陽堂書店の日本小説文庫『下水道』(昭和1110月刊)にて初めて単行本に入った時も同様に、二短編セパレート形式。それが本書手帖文庫に再録の折、二短篇を一つに纏めて「エンマと芳公」と題し、第一話「ペリカンを盗む」第二話「浅草の犬」という構成になった。「浅草」にはエンコ、「犬」にはカメと、それぞれルビが振られている。内容は角田のホーム・浅草を舞台にしたユーモアもので、特記すべきことは無い。

 

 

 

(銀) 昭和23年といったら、まだ敗戦から完全に立ち直れていない日本国民は衣食住に困っていた筈。そんな状況下で作られている本なのに読んでみると誤字誤植の類は見当たらない。それに対して、一冊たりとも誤字の無い本を作れない、いや、作ろうとする責任感さえ無い大陸書館の長瀬博之ときたら・・・一体何百冊の本を乱造すれば〝政送局〟だの〝分らないとろがあるのです〟といったミスを無くせるのか?たまにある間違いならともかく、こういう連中が存在する限り、正しいテキストで復刊本を作れない人間には何かしらのペナルティ―を与えるか、資格を得なければ勝手に復刊できないシステムを作らないと、もはやダメだと思う。
 
 
 
 

 

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