鮎川哲也の仕事として小説以上の大功績であり、日本探偵小説評論書 Best 3に入る永遠の名著。あまりに遅すぎた復刊を心から喜びたかったのに・・・逆に怒りさえ感じている。
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昭和40年代の時点で現行本入手不可だったり忘却されていた不遇な国内の探偵作家を、鮎川哲也と島崎博が(バディ役は後に交代する)苦心して彼らの消息を調べ、珍道中よろしく各地を尋訪するというシリーズ。
音楽/映像ソフトでも、再発時のボーナス・コンテンツはそりゃあ無いよりあったほうが嬉しいに決まっている。しかし今回は本書全体の半分近いページ数を無駄に使用し、鮎川が生前監修した各種〈日本探偵小説アンソロジー〉の為に書き下された〈解説〉までボーナス収録してしまい、あまりにもその量が多すぎて、「幻の探偵作家を求めて」シリーズ本来のコンセプトがすっかり 見えにくくなってしまった。
その膨大な〈アンソロジー解説〉で扱われているのが本書とリンクする〝幻の探偵作家〟ばかりならまだしも、誰もが知ってるメジャーな大物:江戸川乱歩/横溝正史/海野十三/夢野久作らまで出てくる。鮎川の書いたものなら洗いざらいブチこんでやれという、いかにも日下三蔵的なやり方で、全体の構成を無視してでも鮎川ファンが喜ぶならそれもいいだろう。
とにかく誤字が多い。それも本編よりボーナス収録した〈アンソロジー解説〉部分のほうが顕著に多い。従来、作家の書き癖を活かすために引用する底本で変な物言いがあってもそのまま復刊することは別に間違いではない。けれども本書は小説ではないし、引用する底本に鮎川の書き癖とは思えない明らかな間違いがあるのなら、それは訂正してあげるべきでは?最終決定稿ならぬ「完全版」と名乗っているのだから。
「辛(つら)い」を「幸(さいわ)い」とか、その程度のタイプミス数か所だったらそこまで気にしなかったろう。「高橋鐵」→「高橋鉄」もありがちだし許す。でも「山本禾太郎」→「山木禾太郎」「小松龍之介」→「小松龍之助」ほか、こんなにも固有名詞の間違いが多いと、さして目ざとい人間でもない私でさえ読んでいてどうしても気になる。最も酷いのはアルセーヌ・ルパンのイニシャル「A・L」を「A・N」と間違えていたり、これじゃあ初めて本書を読む人がいたら「鮎川哲也という人はアルファベットもろくに知らず、なんと粗雑な作家だろう」と誤解されてしまうではないか。
論創社の担当者に言う。決定もしないうちから早々にtwitterで「今後この作家をこの収録内容で刊行します」などとふれ回ったり、一般発売日よりもずっと前から神保町の一部書店等で新刊を先行発売して、そこへ買いに行けない人達の飢餓感を煽ったりするヒマがあったら、まず最初に信頼できるテキストの本を作れ!
そもそも本書のみならず、復刊仕事をなんでもかんでも日下三蔵と論創社にばかり依存していて大丈夫なのか?
日下が急にポックリ逝ってしまわないとも限らないし論創社が突然傾く事だって「無い」とはいえない。現に光文社グループの厄介者扱いされていたのか、ミステリー文学資料館は閉館が決定してしまったではないか。これでいいのか?
(銀) 当Blogをスタートさせて、事あるごとに最悪の例として触れてきたこの本の記事を書くところまでようやく辿り着いたか。ネタではなくマジに、『幻の探偵作家を求めて【完全版】』の編集・構成・校訂に関わった人間が、揃って鮎川哲也の著作権継承者に訴えられようが土下座を要求されようが、不思議でも何でも無い。
なにより驚くのは、 論創ミステリ叢書という企画の原点ともいえる鮎川哲也の稀代の名著が日下三蔵と論創社によってこんな酷い復刊にされて貶められたのに、私以外誰一人として何も疑義を唱えない事だ。(正確にはAmazonのレビューで私の他にも酷評している人は一人いたし、新保博久は「なぜ索引を付けないのか?」と指摘したのだが、それが仇となって彼は索引作成仕事を丸投げされる羽目に)
いずれにせよ皮肉にも今回の件で、私のAmazonカスタマー・レビュー(2020年12月30日蒼社廉三『殺人交響曲』の記事を見よ)に「日下三蔵に対して悪意を含んでいる」などと言っていたさかえたかしや千野帽子をはじめとする頭の悪い日下三蔵信者、またミステリ・マニアと名乗っている人種の目がどれだけ節穴か、滑稽なぐらいハッキリしたようだ。