「作者の言葉」にて木々高太郎本人が語っているように、本書に収められている短篇のすべてが 科学小説ではない。『或る光線』の元本は昭和13年刊行だから、日中戦争は既に始まっており、 トップを飾る「或る光線」とはいわゆる敵国兵を倒す殺人光線の話なのか、と想像なされた方も おられようが、それは半分正解で半分ハズレ。海野十三の「十八時の音楽浴」とは一味違った 木々の描く未来社会イメージがなんともユニークな反面、戦争を素材に扱っていたために、 日本敗戦後は一切、本に収録されてこなかった。 当時ラジオ番組の台本として書き下ろされたというが、何分ぐらいのドラマだったのだろう。
続く「跛行文明」も戦争兵器こそテーマにしてはいないが、人類の進歩を警告する内容。 戦後の木々の著書では『落花』(一聯社/昭和22年)にも収められている。 ここまでの二作は木々が申すところの〈文明批評〉を押し出した未来小説だが、 「蝸牛の足」からは、いよいよお待ちかねのレギュラー・キャラクター志賀博士登場。 二組の犬狂いな金満家が海外から優れた犬を輸入しては品評会で争っている。 その片方である山辺氏イチ推しの犬が失踪してしまい、 志賀博士はちょうど遊びに来ていた友人の息子・圭一君の示唆から犬のゆくえを探し当てる。
「糸の瞳」も志賀博士譚。本来の旧漢字表記だと「絲の瞳」。 これも理系知識を巧妙に使った一篇。この作を気に入った方は(昔の汲み取り式便所のような) 悪臭のする場所のそばに炭を一個放置しておき、しばらく時間が経ったらその炭を、 別の臭くないところに持っていって火鉢かなんかで炙ると本当に炭から臭い匂いがしてくるのか ぜひ実験して頂きたい。
さて「債権」は大心池先生の出番。彼のクリニックへ一組の夫婦が診察を希望して訪れた。 細君は「夫が何事にも病的に金銭勘定する精神病になっているのでは?」と心配するが、 特に要治療とはならず。後日、古沼にてその夫が溺死しているのが発見された。 大心池は死体の口から吐き出されたものに目を付け、謎の溺死の裏にある企みを見抜く。 会話の中に志賀博士の名前が出てくるが、本人は登場しない。
「死人に口あり」は志賀博士の事件。死んだ人間が霊界から何通も送ってくる手紙。 しかもそれは、誰かが代筆しているものでは絶対にないと云う。 バカバカしいトリックをいつもの堅苦しい口調で淡々と書き進める木々。 「秋夜鬼」はあっさりしたノン・シリーズの短い怪談。 「実印」も同じく、志賀も大心池も出てこない掌編。 同じ短篇であっても、後者はもっと枚数を増やしてじっくり書き込んでもよかったかも。 「実印」も『落花』(一聯社/昭和22年)に収録。
最後の二作は残念ながら、いまいち。 「封建性」は『新青年』に載ったもので、先祖の話はちょんまげ時代まで遡り、 信濃守猛理が女の髪の毛を一束むしゃむしゃ喰ってしまうところなど、部分的には悪くない。 「親友」は冒頭の「或る光線」と同じく戯曲風の構成を取っているが、 この二作は作者の言いたい事がもうひとつ伝わりづらいのが難点。
毎度このBlogで書いてきたごとく、どこの商業出版社も木々を出す気はさらさら無さそうだから 『或る光線』が文庫サイズの新刊で一冊まるごと復活するのはいいんだけど、 なんで解説の執筆を木々について詳しくもない彩古(古書いろどり)にやらせるんだ? 研究者でも何でもない、只の古本ゴロではないか。 382ページ5行目は『木々高太郎傑作選集』って書くとビギナーは個人選集だと間違えそうだから 正確には『甲賀・大下・木々傑作選集』と記すべきだし、 388ページで「蝸牛の足」「債権」「死人に口あり」「秋夜鬼」「封建性」以外は本書の初刊本(ラヂオ科学社版)に収録されたっきり、ずっと埋もれていたと彩古は書いているけれど、 「跛行文明」と「実印」は戦後の仙花紙本に収録されている。 上記で『落花』(一聯社/昭和22年)に収められている作を書いておいたのはその為だ。 誰それのどの本はレアだから儲かるとか、あの本の古書市場価格はどれぐらいだとか、 そういう知識しか頭にない人間に良質な解説など書ける筈がない。 誰もが納得できる人に解説は書いてもらいたい。それゆえの減点。
(銀) 「債権」の中にこんな一節がある。
落合警部は、大心池博士の冒険的な行動は、これが始めてであった。
志賀博士については、何度か危険な捕物に従ったことがあったが、 大心池先生は、この反対に、いつも遠くから推理を辿って、 釣をするように針を投げるだけであった。 志賀博士のように、狩猟的ではなかったことを、よく知っていた。
これから木々を読み始めようとしている方々には、この二人の探偵キャラの個性の違いを、 なんとなくでも覚えてもらえたら嬉しい。 落合警部も木々作品によく登場するレギュラー・キャラクターである。