2023年5月11日木曜日

『網膜脈視症』木々高太郎

NEW !

春陽堂文庫 大衆小説篇
1936年9月発売




★★★★★   「ねむり妻」と「眠り人形」




慶應大学医学博士・木々高太郎が探偵作家デビューした直後に書いた初期短篇を収録。昭和11年に刊行されたこの文庫には挿絵画家の名がはっきり記されていないが〝Yoshio〟のサインがどの画中にも確認できるので、これの再発版である平成9年刊春陽文庫探偵CLUB『網膜脈視症』では「挿画 伊勢良夫」のクレジットを追記している。

 

 

当初「日本小説文庫」と呼ばれていた戦前の「春陽堂文庫」は、たまに初出誌の挿絵を流用している時もあるが(例:江戸川亂歩『孤島の鬼』、甲賀三郎『盲目の目撃者』)、探偵小説本だと大抵〝mac〟のサインをいつも画中に残す人物、あるいは猪子斗示夫、このふたりが新規に挿絵を描き下ろしている場合が多い。ちなみに〝mac〟なる人物は誰なのか突き止めておらず不明。猪子斗示夫もネットで調べると当時の単行本装幀なんかもしているようだが詳しいプロフィールは知らない。ただハッキリ言えるのは、彼らの挿絵がちっとも小説に華を添えるクオリティではないというか、全然私好みではないという事。それに比べたら本書にナーバスな線画を提供している伊勢良夫も新規描き下ろしではあるけれど、こちらははるかにマシな出来栄え。



 

 

「網膜脈視症」「就眠儀式」「妄想の原理」、三篇いずれも精神病学教授大心池章次の事件簿。どの作も人間の心理を解剖してゆくような地味な見せ方ではあるが、小酒井不木とは別タイプの医学ミステリを提示した木々の仕事はもっと正当に評価を受けてしかるべきではないのか。自立神経失調症やパニック障害といった神経内科の世話になる心の病がごく一般的になった現代人の病理を鑑みると尚更そう感じる。

 

 

初期の木々作品にはそこはかとない〝性〟のテーマが織り込まれていて、その最大の問題作ともいえるのが「ねむり妻」。いわゆる「眠り人形」の名で通っている作ながら、同じ話でもヴァージョンが異なる。「眠り人形」のほうは『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』(創元推理文庫)に収録されており、その解説によれば同作は『新青年』昭和102月号発表以来、朝日新聞社版『木々高太郎全集』に至るまで伏字にされてしまっていた箇所を、元博文館の江南兼吉氏(竹中英太郎の原画の多くが残存できたのはこの方のおかげ)が「眠り人形」原稿をも大切に保存していてくれたので、伏字箇所を全て明らかにして収録できた、とある。

 

 

しかし、本書『網膜脈視症』では「眠り人形」でなく「ねむり妻」のタイトルになっていてテキストも別物。双方の出だしの部分だけでも御覧頂こう。


 

「眠り人形」

一  西澤先生の奥様はやさしい人であつた。結婚してから、十年近くになると言ふのに、子供が無かつた。弟子達がよくなついて居たのも、子供が無かつたのが、一つの原因であつたかも知れない。

 


「ねむり妻」

一 『長い間、私は警察醫をしてゐましたから、色んな事件に關係しましたが、此の事件が一番心に残る、感激にみちたものでした。分類的には、正に破廉恥罪に属するに違ひないのですが、それが忘れ難く感激に充ちてゐると言ふのは、個人的の意味もあるのですが、その他にも、心を惹くものがあるのです。それは物語をお聞き下されば、おわかり下さるだらうと思ひます。丁度大正✕✕年の夏、私が東北の某市 ―人口七八萬の― に勤めてゐた時の事でした。』

と、醫學士是枝友次郎氏は語り出した。

 

 

どちらのほうが完成度が高いかといったら、変態性が増し、眠れる女に対する男の執着度がパワー・アップ(?)された「眠り人形」に軍配が上がる。その骨子は一緒でも文章がこれだけ異なっているのに、探偵CLUB版『網膜脈視症』をはじめ創元推理文庫『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』、なおかつ『「新青年」趣味XXI 特集木々高太郎』においても、この作品のヴァリアントについて深く突っ込んだ人がいないというのは、それだけ木々に対する関心が薄い証拠だろうか。間違いなく彼の代表作なのに・・・。



最後の一篇は、若き文學士/年上の人妻/後半になって姿を現わす醫學士の三名による読む戯曲形式の「膽嚢(改訂)」。巻末には木々自身による各作品への一言コメントをまとめた「跋」。ここでも木々はどういう訳か「ねむり妻」だけ言及していない。そこにどういう理由が隠されているのか推理してみるのも面白い。 





(銀) 木々の没後、近しい関係者によって編まれた『林髞 木々高太郎先生追悼集』という本があって、その中の「遺族 親族のことば」なる頁には木々が再婚した二番目の夫人・林万里子も寄稿。木々よりずっと年下の彼女は銀座のクラブの女で、強引に押し切られて一緒になったと語る。それはいいのだけど次のくだりには少々「ん?」と思った。


〝男にサービスする精神が身についていたせいか、私は友達がおどろくほど、忠実に夫に仕えた。長い独身生活がつづいていたせいか、林のはげしい愛は私を困らせるほどだった。「お年をお考えになっては?」と再三注意はしたものの、一年間休んだ日は数えるほどしかなかった。〟


木々が羨ましい~ってですか?イヤ、そうじゃなくて、この文章は元々雑誌『婦人公論』に求められて書いたみたいなんだけれども、いくら想い出を語るって言っても閨房での話をこうやってあっけらかんと公表してしまって、木々の親族から白い眼で見られなかったのかな~。


『林髞 木々高太郎先生追悼集』については気が向いたらまた改めて取り上げてみたい。