NEW !
小鳥遊書房 長山靖生(編)
2010年10月発売
★★★ この版元の本で読むメリットがないと厳しい
久生十蘭のことを探偵作家とは思っていない。本書にピックアップされた短篇を探偵趣味の鋳型に当て嵌めて鑑賞しても肩透かしを食うだけ。悪辣/卑賤/強欲/執着/姑息・・・・帯の惹句そのままに、人という不完全な生き物が織り成す一個の万華鏡として接するこそよけれ。〝玲瓏無惨〟とはそういう意味合いじゃないかな。
「アヴオグルの夢」(『函館新聞』昭和2年2月28日発表)
「典雅なる自殺者」(『函館新聞』昭和2年3月7日発表)
「つめる」(『新青年』昭和9年9月号発表)
「黒い手帳」(『新青年』昭和12年1月号発表)
「黄泉から」(『オール読物』昭和21年12月号発表)
「西林図」(『オール読物』昭和22年7月号発表)
「予言」(『苦楽』昭和22年8月号発表)
「骨仏」(『小説と読物』昭和23年2月号発表)
「手紙」(『小説と読物』昭和24年1月号発表)
「女の四季」(『小説の泉』昭和25年8月号発表)
「無月物語」(『オール読物』昭和25年10月号発表)
「人魚」(『花椿』昭和29年3~8月号発表)
「母子像」(『読売新聞』昭和29年3月26~28日発表)
「雲の小径」(『別冊小説新潮』昭和31年1月号発表)
「無惨やな」(『オール読物』昭和31年2月号発表)
「川波」(『別冊文藝春秋』昭和31年4月号発表)
「一の倉沢」(『文藝春秋』昭和31年8月号発表)
初出年度と掲載媒体の傾向を見てもらうべく、ここでは発表順に並べ替えているけれど、実際の収録順は若干異なるので一応お伝えしておく。
主人公や主要登場人物の場合、掴みとして最低限のバックグラウンドは解り易く示すのが小説の定石だが、十蘭はその手続きをすっ飛ばして物語が進む。「骨仏」みたいに実質4ページしかない掌編のみならず、冬木と冬亭/文女と文子など紛らわしい名前のキャラが出てくる「西林図」のような話であっても、個々の詳しいプロフィールをいちいち織り込んだりしない。
事の輪郭をはっきりさせない手法はプロットにも顕著だ。「川波」のエンディングで倫子は結局溺れ死んだのか否か断言できないし、また「一の倉沢」にしても、谷川岳で遭難した菱刈安一郎と大須賀利男の二人は本当に命を落としてしまったのか確実な情報は無く、ファジーなまま幕が下りる。どう受け取るかは読み手次第。
十蘭の文体は小説通のプライドを擽ってやまぬ敷居の高さがあるから、一見の読者にはなかなか手強い。「予言」の中に〝姉の勢以子は外御門へ命婦に行き〟というくだりがあって、耳慣れぬ言葉なれど、日本の探偵小説を読んでいても〝外御門(そとみかど)〟や〝命婦(みょうぶ)〟といった雅な表現に出くわす機会は稀。
「黄泉から」をはじめ、幾つかの作品に見られる〝おフランス趣味〟は私には邪魔っ気だが、「西林図」における「花というものは、花を見ているあいだは、ほかに、なにもいらないような気持ちにさせますのね」と呟く文女のセリフなど、往年の久世光彦が喜びそうな古き良き日本人の佇まいを淡々と描いてみせるあたり、〝小説の魔術師〟の名に恥じぬ腕前。
「無月物語」なんて導入部分に特段吸引力があるとも思えないのに、ページを捲るたび惹き込まれてゆく。江戸川乱歩は物語の導入に長けた人で、乱歩作品がキャッチーな要因の一つは其処に起因しているけれども、十蘭のぶっきらぼうさは乱歩と対照的。
しかし「無月物語」を読むたび、「これ、長い尺で書かれていたら、もっとトンデモナイ大作になったのかなア」「いや、やっぱり短篇サイズだからイイのかな?」などと逡巡してしまう自分がいる。中納言・藤原泰文のタチの悪さをNHKが正常だった頃の大河ドラマで映像化したなら、さぞかし面白かったろう。(こんなモンを毎週放送したら、気の弱い視聴者から非難轟々だろうがね)
(銀) 本書の底本には国書刊行会版『定本久生十蘭全集』を使用。あちらのテキストは旧字/旧仮名遣いだったのに対し、本書は新字/現代仮名遣いに改めている。長山靖生が編纂するこの版元のシリーズは太宰治/江戸川乱歩(×2)/坂口安吾/牧野信一/泉鏡花と来て本書に至る訳だが、それぞれ大仰な副題を付けても、既発書籍で手軽に読める作家と作品をわざわざこのシリーズでまた読む人はごく一部だろうし、ここでしか得られない何らかのメリットが求められる。
■ 久生十蘭 関連記事 ■