2020年9月29日火曜日

『奇蹟のボレロ』角田喜久雄

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国書刊行会 <探偵クラブ>
1994年6月発売



★★★★★   加賀美敬介捜査一課長事件簿




初期の頃の『新青年』バックナンバーを見ていると、浅草の角田喜久雄という少年の投稿を見つける事ができる。投稿の住所や投書マニアだったという過去を思えば、おそらくあれは幼き日の角田喜久雄少年によるものだったのだろう。 

 

 

警視庁捜査第一課長・加賀美敬介。ぶっきらぼうで気難しくヘビースモーカーで常に気怠そうな素振り。ハードボイルド風にも見えるがたまに人情味を見せることも。終戦直後の日本探偵小説を飾る名探偵の一人である加賀美課長の、長篇「高木家の惨劇」(別題/「銃口に笑う男」「蜘蛛を飼う男」)を除く全ての登場作品を集めたのが本書。


 

「緑亭の首吊男」

一年前に疎開準備のため旅行に出たっきりだった緑亭の主人・野田松太郎が突然帰宅する。だが彼は別人のようにやつれ果て、洒落者だったのに何故か丸坊主な姿に変わっていた。その一週間後、緑亭が定休日にて野田家の者が殆ど出払っていた状況下、松太郎の身辺に纏わり付いていた怪人物・片目の喬が頭部打撲で血まみれになって野田家の二階で死んでいる。さらにその日は外出せず家に居た松太郎も物置で懐に遺書を入れ縊死していた。

 

 

「怪奇を抱く壁」

同僚を上野駅まで迎えに行った加賀美は荷物のトランクをすり替えた現行犯に出くわす。そのすり替えを行った眼鏡の男は郵便局にてトランクの中に入っていた新聞紙包みを書留小包にして発送するが、その送り先はなんと加賀美宛てになっていた!

 

 

「霊魂の足」

長めの短篇。本格ものとして要注目。公務旅行でN県を訪れた加賀美は大滝という幸せそうな一家が営む珈琲の飲める花屋『マドモアゼル』を訪れる。その店では一ヵ月前に、戦争で両眼を失明した大滝家の二男・正春の戦友だという服部吾一が銃殺される事件が起き、めくらの正春ともう一人の戦友・石原門次郎に容疑が向けられたが決定打が無く、未解決のままだった。すると今度は第二の殺人が発生し・・・。

 

 

Yの悲劇」

私がレコードに二重溝というものがあるのを知ったのはたしかThe Blow Monkeys12インチ・シングルだったと思うが、この短篇を読むとこういうレコードは戦前からあったらしい。

 

 

「髭を描く鬼」

冒頭に「これほど異常さに富んだ事件は近頃珍らしかった」という加賀美の言があるが、そこまでインパクトの強いものではなく、もう少し多めの枚数でしっかり書き込んでいれば完成度もアップしたのではなかろうか。

 

 

「黄髪の女」

これも初出発表時に枚数を多く与えてもらいたかった、やや短めの作。上海帰りの友人の頼みに「俺の職業上の地位から、何等かの特別な便宜を期待したってそれは駄目だぞ。そんな事は俺は大嫌いなんだ!」とはねつける加賀美。日本人にしては珍しい鳶色の黄髪を持つ被害者の婦人と不幸なその娘に隠された秘密とは?

 

 

「五人の子供」

解説者の新保博久が拘っているように、短めながら出来の良いもの。他の作品もそうだが、終戦直後の荒んだ世情が加賀美敬介シリーズの魅力であり、作者・角田喜久雄は裏テーマとして「不幸のどん底に喘ぐ人々を生む結果となった戦争への怒り」を込めている。

 

 

「奇蹟のボレロ」

ヤマ場が二転三転する長篇で、第九章以降に発覚する奇術的なトリックの面白さもあるのだが、どうもストーリーを貫く芯の部分が若干ふらつき気味。だからエンディングまで読んできて、「ああ、そういうことか!」と思わず膝を打つほどの感銘が(私には)足りない。




(銀) という訳で、トリックとプロットの整合がすべて過不足無く仕上がっているとまでは言えないのだけど、角田喜久雄の滋味ある語り口に惹かれ読まされてしまう。私の母が角田の時代小説愛読者だったので彼女は春陽文庫を何冊も所有しているが、不肖私奴は角田の時代小説まではとても手が回らず、この先よっぽど自分の好みが大きく変わらない限り、そこまで漏れなく読みふけることはないだろう。

 

 

加賀美敬介の事件簿を纏めたものは意外にも今まで無かったし、「高木家の惨劇」が収録されている創元推理文庫『日本探偵小説全集〈3〉 大下宇陀児・角田 喜久雄集』と合わせて本書は必読。〈探偵クラブ〉シリーズ全15巻は日本の探偵小説が好きなら是が非でも揃えておかなければいけない書籍である。