2024年11月18日月曜日

『大浦天主堂』木々高太郞

NEW !

春秋社 甲賀・大下・木々傑作選集 木々高太第一卷
1939年5月発売



★★★★  精神病学教授・大心池章次のカルテ




この巻は木々高太郎にとって最も重要なシリーズ・キャラクター大心池章次教授の登場する短篇のみで構成されている。だからといって出来の良いものばかり揃っているとは言えないが。

 

 

「大浦天主堂」(昭和12年発表)

大浦天主堂の屋内に掲げられている二十六聖人の殉教図(御存知ない方でもググればすぐヒットします)が残酷だというので、県警部長は司祭達に公開を禁止し撤回せよ(ママ)と通達。長崎を訪れていた大心池も騒ぎに巻き込まれる。表題作とするには地味な内容だが、本巻附録『探偵春秋』第九回/「探偵小説團樂」(その九)に木々のコメントがあるので紹介しておこう(読みづらい文だけれども、そのまま御覧頂く)。

 
〝大浦天主堂はそのうちの最近のもので、一昨年夏、長崎に遊ぶ機會があつて、その時に心のうちに芽生えたもの、そのテーマが或ひは檢閱に觸れるかも知れぬと心配したこともあつたが、今尙讀みかへしてみて、少しもその心配が、ないどころか日本の大きくして深いところに横はる一つのポイントを取り扱つてゐると言ふ點で遠慮をしなかつたのである。〟

 

 

「文學少女」(昭和11年発表)

木々自身、自分の書いたものの中で一番反響が多かったと振り返っているし、探偵小説としてではないものの江戸川乱歩も本作に敬意を表した。確かに力作と言って差し支えは無いだろうが、好きな木々作品の中で必ず上位に来るかと言えば、私はそうでもないかな。こういう作風を評価されてしまったがため、ミステリ・マニアからウケが悪くなってしまった事は否定できない。

 

 

「愁雲」(昭和10年発表)

デパート勤めの留女子(るめこ)が男に夢中になっていったら急にトンズラされて・・・。頁数が少なく、これでは大心池も腕の振るいようがない。

 

 

「窓口」(昭和11年発表)

送金目的でしょっちゅう郵便局の窓口にやってきて書留を送る男性に対し、局員の苫子は勝手に心を寄せてしまい、皮肉にも犯罪隠蔽の廉で警察に捕まってしまう。これも短めのストーリー。「愁雲」同様、大心池は話を締め括るべく最後に一瞬登場するだけ。

 

 

「女の復讐」(昭和12年発表)

小学校しか出ていない無知で純情なチンピラ・完太と同棲していた女が病死。肺病で瘦せていたけれど外見は相当な美人だし、なにより彼女は大学出の高等教育を受けており、とても下層階級の完太と付き合うような出自ではない。そんな女がどうして完太と付き合ったのか?奇妙な間接殺人。

 

 

「隣家」(昭和13年発表)

病人でもない美少女の来院に始まり、隣り合う家同士の見栄の張り合いかと思ったら、支那事変に伴う抗日外国人も絡んで、概況を説明しづらい作。終局で大心池が曲者に「個人同士の爭ひを捨てて、この非常時日本のために身を捧げるのが、日本男子の本懐ではないか。」と諭しているけど、却ってそれが当時の国内状況悪化を感じさせる。そういえばこの巻、あちこちに伏字処理アリ。

 

 

「法の間隙」(昭和13年発表)

守銭奴の叔父をやっつけて莫大な財産を自分のものにしようと企む野田健。乱歩「心理試験」の木々版とも言うべき内容とはいえ、大心池が明智小五郎のようにメフィストフェレス的な役割を果たす訳ではない。乱歩とは違ったアプローチで木々が見事な論理の闘争を創造できていたら、本格ファンの見る目も多少変わったのだろうけど、犯人の殺人実行部分にほぼページが割かれていて、大心池の出番少なすぎ。

 

 

「完全不在證明」(昭和10年発表)

華やかな恋愛を経験することも無く三十代半ばを迎えた山川京太郎は、周到なアリバイ工作を設えた上で妻殺しを敢行。この作品にしても大心池が山川の精神反応を鑑定する心理試験を行ってはいるが、捜査陣が山川をネチネチ攻めるというより全く別の角度からアリバイを崩しにかかるので好みは分かれるだろうな。最終的に山川本人の動機とは離れたところで思想問題がクローズアップされるのも微妙といえば微妙。

 

 

「精神盲」(昭和10年発表)

精神病院の入院患者~実業家・山吹甲造が自ら顔に熱湯をぶっかけて大火傷を負う。詳しく書けないのが残念だけど、木々作品にしてはトリックがあるので注目。医学界における大心池のライバル、精神病學敎授・松尾辰一郎博士が出てくる点も見どころ。

 

 

「妄想の原理」(昭和10年発表)

癲癇ってそんなに詐称が簡単なんだろうか。松尾博士再び登場。「精神盲」で彼の所属は帝大とされていたのに、本作では官立✕✕大學、大心池の役職も私立✕✕大學敎授となっている。容疑者の癲癇について松尾と大心池、二人の学説がバチバチに対立。鑑定が正しかったのはどっち?

 

 

戦後、本格派グループの仇敵のように云われた木々にも本格っぽい作品はそれなりに存在する。しかし、そこで用いられるイディオムがオーセンティックな本格探偵小説のものとは随分異なるため、おいそれと受け入れられにくい。あと本書に収められた作品は初出誌の編集部から枚数を制限されるケースが多かったのか、せっかく大心池ものだというのに食い足りなさが目立った。







(銀) 誰だかよく分からないようなマイナー作家、あるいは名の知れている作家でも似た作品ばかり繰り返し復刊されて、木々高太郎は殆ど無視されたまま。このギョーカイの偏向を正す人はどこにもいやしない。







■ 木々高太郎 関連記事 ■