★ テキストを「原典どおりといたしました」とは真っ赤な偽り
『ぷろふいる』の愛読者達が新人作家同人として創刊した雑誌『探偵文学』。
その後、海野十三・小栗虫太郎・木々高太郎が後盾となり『シュピオ』と改題。
その『シュピオ』からレアなものを中心にセレクトした本書。
特に海野・小栗・木々・蘭郁二郎の随筆は有難い。
「暗闇行進曲」(伊志田和郎)「執念」(荻一之介)「夜と女の死」(吉井晴一)はプロというには小粒な感。海野十三「街の探偵」もアイディアだけで練られていない。
短篇では、紅生姜子(=宮野村子)「柿の木」が最も印象深い。
本書の主役は蘭郁二郎のレア長篇「白日鬼」と、
連作「猪狩殺人事件」(覆面作家=小栗虫太郎・中島親・蘭郁二郎・大慈宗一郎・平塚白銀・村正朱鳥・伴白胤・伊志田和郎・荻一之介)。
後者の出来は期待しないように。
戦前に一度だけ単行本化された時、「孤島の魔人」と改題された「白日鬼」。
これは江戸川乱歩チルドレンである蘭郁二郎が「孤島の鬼」みたいなものを書きたかったのではないだろうか。前述の『探偵文学』に連載した傑作「夢鬼」のように、なぜ余韻嫋々たる路線で行かなかったかという声もあろうが、かつて陶芸愛好家専門誌『茶わん』に参加していた知識が使われているのが特徴ともいえ、初出誌ヴァージョン「白日鬼」(本書)と単行本ヴァージョン「孤島の魔人」ではラストの一行が異なり、本にする際に作者が手を入れているのがわかる。
しかし本書の「白日鬼」を初刊本『孤島の魔人』(大白書房)と校合し、
光文社編集部が語句をいくつも改竄しているのを発見してしまった。
■267頁13行目 「この男は話し好き」→
× 「この低脳児は話し好き」→ ○
■363頁13行目と14行目の間にあるべき三行が本書では脱落
この他にも「低脳児」「低脳」を「テイノージ」「テイノー」に置き換えている。
(403頁15行目ではなぜか原文のまま「低脳」と表記)
この頃の光文社には、「山田風太郎ミステリー傑作選」第2巻『十三角関係〈名探偵篇)』においても、「帰去来殺人事件」を二~三版でまるごと削除してしまうキチガイ沙汰があった。そりゃ暴力団まがいに出版社へクレームしてくる連中が諸悪の根源なのは重々承知しているさ。だからって、なんでクレーマーに屈してこんな事をするのか?「幻の探偵雑誌」シリーズの初版のテキストは巻末に「原典どおりといたしました」と明記してあるので信用していたのだが、どうやら作品によっては底本にする資格のない悪編集のようだ。
(銀) 00年代まで、大手出版社が出す探偵小説書籍には常に言葉狩りの可能性がつきまとっていた。言葉狩りされた本が世に放たれても、語句をいじった旨が巻末に一言入っていれば、ユーザーはそれを見て買うかやめるかの判断ができる(通販だと判断できないが)。しかし、本書のように「原典どおりですよ~」と言っといてちゃっかり語句改変しているのは、そりゃ詐欺行為だろが。
それと不思議なのは、よく言葉狩りをする出版社の出す本が全てそうなのかといえば、ある本では言葉狩りしていたり、またある本ではしていなかったりする。じゃあ、その違いは何?人権派きどりであれこれウルサイ上司にやらされている担当者だったり、個人レベルでヘタレか頭の悪い担当者に運悪く当たってしまうと、その本は言葉狩りにされるの?
たまたま自分がその種の言葉狩り本を買わずに済んでいるだけなのか、大手出版社が語句改変をしなくなったのかはあやふやだが、2010年以降は、Amazon.co.jpのカスタマー・レビューに「この本は言葉狩りされているぞ」と書く事が無くなってきたような気もする。
きっとあれだろうな・・・そんな言葉狩りが必要なワードを含みそうな厄介な作品には、大手が手を出してないだけなんだろうな。