2020年9月28日月曜日

『正木不如丘探偵小説選Ⅱ』正木不如丘

2012年12月2日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第57巻
2012年11月発売



★★        正木不如丘というセレクトは成功? 失敗?




それまでの論創ミステリ叢書でも褒める点が見つからない作家はあった。さて本巻の正木不如丘は如何に?

 

 

長篇「血の悪戯」をはじめ血液を題材にした作品が並び、随筆も含め医学用語が頻繁に出てくる印象しかなく、読後に心に残るものが少ない。意外性やどんでん返しも希薄だし登場人物のネーミングさえ平凡なので、物語の中にすんなり入っていきにくい。これではどんなに本業が医師であったとしても「探偵小説的構成からみたら脆弱で腰砕けに終わっている」「探偵小説の面白さを全然心得てない」という中島河太郎の厳しい指摘に頷くしかない。

 

 

唯一、戦後発表の抒情的な「果樹園春秋」は自然な仕上がりで良かった。強いて本巻で褒められるところといったら尖端派のモガ描写だったり、当時の風俗・思想が掴める部分だろうか。こんなに「コンドーム」という単語が飛び交う探偵小説も無いですな。「血液型は語る」だと、もう少し上手く書けていたら解題にもあるように鉄道ミステリのアンソロジーに採録されるチャンスもあったのに。「精神異常者の群」ときたら、いくらエロ・グロ・ナンセンス絶頂期とはいえ、よくこんな内容を新聞連載できたものだ。 

 

 

「血の悪戯」「千九百三十一年」「精神異常者の群」「細菌研究室(マイクの前にて)」

「殺人嫌疑者」「血液型は語る」「細菌は変異する」「生理学者の殺人」「遺骨発見」

「ペスト研究室」「原始反応」「赤血球の秘密」「果樹園春秋」 ほか、随筆七篇

 

 

ここに収録された十三篇の小説のうち、探偵小説専門誌掲載は二篇しかない。前述の中島河太郎が言うように「正木不如丘は本質的に探偵作家ではない」との評価の原因はその作風だけでなく執筆の場が探偵作家達のサークルから離れていたのもマイナスだったのではないだろうか。 

 

 

内容はどう寛大に見ても★2つが精一杯。「正木不如丘に二巻も使うのなら、他に続巻を出すべき作家はいるだろう」と正直思う。けれども彼の書いた探偵小説の全貌はどんなものか、こうして纏まってみて初めて解るというもの。酔狂な論創ミステリ叢書で出さなかったら、この先こんな本を世に出す奇特な人が現れるとはとても考えにくい。

 

 

 

(銀) Amazonへレビュー投稿した時には「探偵小説愛とプロ根性は尊重すべき」と書いて、論創社に★5つの評価をしたものだ。ちょうど論創ミステリ叢書の次回配本が一番楽しみな時期ではあったし、この頃は配本ペースも月一と快調で、現在のように校正の悪さが目立つことも無かった。この巻を満点にするなんて、我ながら脱力するぐらいの温情(?)だったな。

 

 

前にも書いたけれど(正木不如丘に関わらず)旧い戦前の活字で小説を読むと、挿絵の魅力などが加わって本来たいした出来でもない内容も、なぜか不思議と自分の脳が何割かアップして味わい深く誤認識してしまう場合があるものだ。そんな時、小説の真価を正しく把握できずに下駄を履かせて高評価していると、その作品が現行本で出されて改めて読んだ時に「ウ~ン、こんなもんだったかな・・・」と頭を抱えることになりがち。

 

 

解題では、長篇「血の悪戯」の初出は『北海タイムス』という新聞に昭和5年8月連載開始としか書いてないけれども、同作は翌昭和66月に『神戸又新日報』夕刊にて「血の笑ひ」と改題され再び掲載されている。で、私は『北海タイムス』連載分は未見だが、『神戸又新日報』連載分はあまり状態のよくないマイクロフイルムのコピーにて所有しており、そこでは竹中英太郎が素晴らしい挿絵を提供しているのだが(但し、終盤で英太郎は降板している)、英太郎の絵の力に幻惑されてしまい「血の笑ひ」(=「血の悪戯」)もついついそこそこ面白く感じてしまった経験がある。戦後初めて単行本化され、またしても『血の告白』と改題された仙花紙本を読んだ時もしかり。

 

 

そんな「血の悪戯」を本書で改めて読み返して「意外とつまらん・・・」と思わされたのは言うまでもない。こんな実例があるので、入手のし難い作家・作品を旧い雑誌や単行本で読み、その時は「イイじゃん」と思っても、それらの感想を公の場で述べる際には念の為再読してから発言しないと、赤っ恥をかく可能性もある。