❋ 三上於菟吉の創作というと、(時代小説もそうなのか詳しくないのだが)当時の現代を舞台にした長篇はどれも、重ぐるしい流れのままエンディングを迎える傾向にある。なんでそういうニヒリスティックな作風に染まっていったのかは想像するより他にないが、彼のキャリア初期は翻訳仕事が多く、自分が手掛けた海外作品からの影響を如実に受けていると思われる。ところがこの「血闘」はいつもの於菟吉長篇と毛色が違い、無難にハッピーエンドで閉幕するのが特徴。月刊誌『雄辯』に〝探偵小説〟の角書き付きで連載されていたそうで、普段の彼の芸術性よりも勧善懲悪タッチの大衆性を重んじた内容になっている。
物語の出だしで関東大震災発生。大川商事のトップである老実業家・大川信兵衛は瓦礫の下敷きになって絶命する。それまで忠実な顔をして信兵衛に仕えていた秘書の山口詮一はこれ幸いと、信兵衛の財産を我が物にすべく卑劣な企みを実行に移す。他の於菟吉長篇ならば、このまま山口が悪事を極めたのちに足元を掬われて失脚・・・といった山崎豊子『白い巨塔』の主人公・財前五郎のような rise & fall を描きそうなところ、(本作では早い段階で)行方知れずになっていた信兵衛の子・大川芳一(この人は自分ひとりで悪と戦える力は無い)、そして彼に味方する謎の米国漂流者・細沼冬夫のふたりが中心となって山口の悪行に立ち向かう。
❋ ヒラヤマ探偵文庫にてよく扱われる大正以前の長篇探偵小説が発表されていた年代は、プロパーな探偵作家でさえ、力作と呼べる長篇をまだ生み出せていない時期でもあり、この「血闘」も「こんなご都合主義でいいのか?」と笑ってしまうような展開もあるのは否定できぬ。まあ『雄辯』も結局は大日本雄辯會講談社の雑誌だし、編集部から「わかりやすい作品にしてくれ」と注文されたのか。(そういえば於菟吉が後年発表した長篇探偵小説「幽霊賊」も講談社の雑誌『キング』での連載だった)
(銀) ちなみに戦前の作品であるこの「血闘」は、戦後になって長篇推理小説『真昼の幻影』と改題して再発されている。三上於菟吉は1944年に亡くなっており、この改題は作者の意図とは全く関与しないところで勝手になされたもの。